富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

これで最後のサッカーコラム(1):日本完敗

2014年06月29日 | サッカー

ぐうの音も出ないとは、こういう状況を言うのだろう。    テレビを始めあらゆるメディアを通じて
あおりにあおりたてた「サムライブルー」は、世界のサッカーの前に全く歯が立たずにあっけなくブラジルをあとにした。
戦いそのものは、この国で、いっかどそうにサッカーを語ることも気はずかしくなるほど、世界のレベルとはあまりにも違いすぎた。

・・・そのためにもうサッカーのことを記事にするのは、これで終わろうとおもう。 
自分の知ってると思っていることもまた同じように「井の中の蛙」の戯言にしかないと思い知らされたから・・・

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すべての言い訳は、結果の前にむなしい。
多くの反省の弁から「自分たちらしいサッカーができなかった」というものの、
では僕らが自分たちのサッカーがどんなものかと言えるほど
僕らは代表の試合からそれを一度もはっきりとは、見たこともない気がする。
中には選手の一人のコメントに「記録のためにゴールキーパーの交代したことは屈辱的だった」というのもあったけども・・・・
振り返ってみれば、そういえるほどの 自分たちの側にそれだけのスキルがあったのかというと、今となっては身の程を知らない話だと思う。
あの程度の守備を相手に決勝トーナメントのシュミレーションにもならなかったわけで
逆にコロンビアの側に言い返されても仕方ないほどの レベルでしかなかったことは、映像が物語っていた・・・・・    
攻撃は通じなかったし、守備は情けないほどに遅くてもろかった。

所詮は、大手スポーツブランドのサッカービジネスによって、日本の「作られたスター」はいずれもあの程度だったか・・・
ミランの10番も、マンUのユニフォームも結局こうしたビジネスライクのセールスパフォーマンスだったことに気づく。
彼らが今は、クラブではベンチにいることの意味を納得する。

胸筋も体格も違う。突破するときのスピード、スピードに乗りながら止まらないステップとドリブル、
選手のすべてが局面ごとに共有できるパス。
正確なシュート、パワーにあふれたミドルシュート、守備と攻撃が一体化したアグレッシブな本当の意味での連動
想像力 メンタルの強さ、瞬時の判断力と沈着さ、自立した個の力・・・・どこにも比べるものなどなかった気さえしてくる。
パスは、常にただ放たれているだけの無責任な球離れにさえ見えた。
コロンビアの戦い方は、我々が見てきた「日本代表」の「自分らしさ」などと言う思い込みごと、すべてを粉砕した。

体育の延長線上のサッカー・・・わかったような顔して解説する、かっての実業団世代の信じて疑わない
システムという名の「サッカーの教則本」、おもしろさと相容れない大学スポーツの決まり事のようなサッカー
サッカーのおもしろさを知らない旧世代の仕切るサッカー協会
基礎とか言いながら、スポーツの精神の基礎をまだわかっていない育成という名の押しつけ
・・・一から作り直さねばならないものがいっぱいある。

長らく高い壁だった「アジア予選」をカズやラモスによって、ようやく突き抜けるメドがたったこの国のサッカーの実力は
残念ながら、Jリーグ20年を経ても、実はそれほど進化していないのが本当のところだった気がする。

ただサッカーは、この世界では英語と並んで共通の文化である。
コートジボワールなど言う国の文化にしろ歴史にしてもサッカー以外に触れることなど普段の生活にはない。
だからこそ、「代表」という意識の中にサッカーだけは国の文化を背負うものだと、もう40年以上ワールドカップを見てきて実感する。
「国民性」などというものを語るつもりはない、一人一人が違うのに、人間を十派一絡げにして語る文化は世界にはない。 
意識が違って思えた。 背負うものの大きさがよその国とは大きく異なって思えた。
震災後の「なでしこ」にははっきり見えたそういう意識が、まだ3年しか経っていないのに今度の代表には見えなかった。
  
この期に及んでまだ、懲りずにと自分らの知ってる物差しでワールドカップを解説している
「オカダ」や「ヤマモト」たちが今は哀しく見えてくる。 彼らが評論するすべてがむなしく響く。
予選での日本に「敗因」などなかった。ある意味で当然の帰結のような今は気がする。

自虐的に言えば、あれほど知ってるような気でいたくせに、負けた日でさえ渋谷でハイタッチしていた「にわかサポーター」
帰国した選手たちに  「夢をありがとう」などとぬけぬけと言える連中と同じように
ひょっとしたら勝てるかもしれないと、結果的にメディアに踊らされていた自分がやっぱり気恥ずかしい。
足下を見つめ直して、やはり「アジアで一番」を目指すところから戻るべきではないかとまで思う。

実は・・・あらためてこのブログで「サッカー」というカテゴリでわかったようなことを書いて来たことを読み返してみたら
今から8年前の2006年に、全く同じことを書き込んでいた・・・自分が繰り返していることも
あきれてしまうけど・・・・なんも変わってないことに、またショックが倍加された気がしてくる。

「これが日本代表です」2006年6月23日

ここに、ただ唯一日本のサッカーの本質を見ていた「セルジオ越後氏」のコメントを引用させていただく。

【セルジオ越後コラム】負けたからこそ得るものがある

怒りと失望、あるいは2戦に比べればよくやったという反応もあるかもしれない。コロンビアに1─4で惨敗し、
日本はブラジルから去ることが決まった。ファンのみんなには様々な感情が浮かび上がっていることだろう。
この4年間を振り返れば、1分け2敗という結果は、起こり得るべくして起こったものだと思っている。
これが現実。それを改めて突きつけられたということだね。
日韓W杯が開催された2002年以降、日本代表におけるビジネス的要素はどんどん比重が増していった。
泥臭く、低予算の中でW杯出場を夢見ていた時代は終わり、日本代表は文字通りドル箱になった。
メディアは煽り、スポンサーは群がった。純然たる強化試合よりも、日本より弱い、
それも2軍、3軍を平気で送り込んでくるやる気の低い相手を国内に呼び、その勝利にメディアの一面が踊る。
代表戦はまるでコンサート会場のようになった。
そのツケが回ってきたということだね。非常にドメスティックで、知らず知らずのうちに井の中の蛙になってしまったんだ。
海外組はブランドになり、選手は神格化された。W杯に出れば、対戦相手はみんな“海外組”だというのにね。
その中で、代表チームは実態以上に大きくなり、期待は必要以上に大きくなってしまった。
井の中の蛙がW杯に出て、惨敗するべくしてしたのだ。試合に負けたのは、選手たちだけの責任ではないね。
協会にもメディアにもファンにも責任がある。みんな反省するべき時がきたんだよ。
負けた今だから言っているのではないよ。僕はずっと言い続けてきた。それが辛口だなんて言っている時点で甘かったんだ。
この日感じたことを次に生かさなければならない。負けたからこそ、得られるものもあるはずだよ。


これが最後のサッカーコラム(その2):Round16 ここからがワールドカップ本番

2014年06月28日 | サッカー

日本が勝ち点1をやっとさ拾って、予選ラウンドのグループリーグが終わった。

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大半のにわかサポーターたちのワールドカップも実はもうここで終わり・・・サッカーを見ることもないだろう。


だがしかし、ワールドカップはここからが本番・・・やっとさクリアした国を除いて
多くの強豪国は、全く違うやり方をしてくる「トーナメント」こそが本番で、これまでは試運転・・・
イエローカードのクリアとともに、戦術も姿勢も変えてくるだろう。
だからこそ、スペインやイングランドやイタリアそしてポルトガルの面目もない。

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ナスリという才能を切り捨てたデ・シャン率いるフランスは、直前にリベリーという絶対的存在を怪我で欠いたのに
むしろそのことを逆手にチームを危機感を盾にして強化することに成功した。
攻守の一体感はそのスピードとともにすばらしい。ドイツとの戦いが大いに見物だ。メキシコもまた同じようにすばらしい
オランダとて、その切れ味は脅威になるし、どちらにもアドバンテージがないほど強い。
この2チームはいずれも地区予選で近来まれに見る苦戦を強いられ、プレーオフからやっとさ出場できたチームである。
その立て直しが見事である。
ブラジルは、ネイマールという名前に踊らされるが、強固なデフェンスが機能しているダビド・ルイスとチアゴ・シルバ以外に
むしろパウリーニョとルイス・グスタボというボランチの潜在がネイマールのスペースを与えているとみている。
アルゼンチンのメッシは、見ているだけで魅せられる。彼の才能は比類ない・・けども僕にはデ・マリアというプレイヤーの
技にこそ目が行く。彼のようなプレイを日本人に求めたい。マスケラーノ一人にに守備の負担をかけてはならない。
チリは、前回の大会で目を奪われた攻守に切れ目なく、まさにサンチェス一人ではなくすべてのプレイヤーの一体感とともに
ひたむきで圧倒的にタフだ。初戦の相手のブラジルも簡単には勝てないすごみはまだある気がする。
日本と同組のコロンビアのサッカーも南米的でありながらその戦術が洗練されて魅せられる。
とりわけ、ハメス・ロドリゲスの攻撃的センスはかなりの才能を感じてしまう。ベスト4でブラジルと当たっても対等な戦いができるに違いない。
ドイツはいかにも手堅い・・欲を言えば、エジルという存在よりもクロースが目立つほど、本来のゴール前のスペクタクルに欠けて見える
ただし、ノイアーというGKはもうこの大会を代表する安定感があって、存在感が絶大だ。
オランダは、今度は直前にストロートマンという切り札を失うことによって、なりふり構わずウィークポイントを
5バックという奇策でカバーした。守備的に思えるけど、ファン・ペルシとロッベンとスナイデルというたった3人の
攻撃陣だけで相手を崩せる自信がバックボーンにある。組み合わせからしてBEST4を得るだろう。
直前のテストマッチで日本に敗れたはずのコスタリカは今大会最大のサプライズで注目される。
彼ららが見せるパフォーマンスは、あのときとは全く違って力感とスピードにあふれ、ヨーロッパの強豪をねじ伏せた。
守備的なギリシャの先手さえ奪えば、彼らは踊るようにピッチを跳ね回るに違いない。
スアレスは、もうサッカー選手ではない・・・ためらいなく人を傷つけることの精神状態をうたがう。これまでの行状といい
追放されることに異存はない。たとえ、たぐいまれな得点能力があったとしても・・・
これを持ってしてもウルグアイは、これ以上の勝ち残りには残念ながら値しない。フォルランもカバーニも
ウルグアイの国民もスアレスの才能を弁解せず人間性を恨んでも致し方ない。

サッカーはアジアの甘ったるいサッカーを一掃して、しかもここんとこ一目置かれていたスペインの「tiki-taka」というパスサッカーを
「パワーサッカー」が文字通り一蹴した。
ドイツ大会のようにパワーサッカーがトレンドになったように思えるが、それをさらに進化させて
ゴール前の技術、スピードに乗ったドリブルという個々の能力において、すばらしく向上している
それは少なくとも日本では目にすることのできないもので、
100mに換算して10.28秒のスピードになったというロッベンと一瞬のスピードに乗ってキックフェイントまで繰り出す
メッシには目を奪われる。ファンペルシやベンゼマのゴール直前の判断もすばらしい。ハメス・ロドリゲスがゴール前で
魅せる冷静な判断と技術に22歳という年齢とともに驚かされる。

決勝トーナメントには引き分けがない、これからがワールドカップの本番です。
それでも僕は、全部見るつもりです


6月25日(水曜日)は・・・・

2014年06月22日 | 震災

第4水曜ですが、サークルは翌日26日(木曜日)に変更します!

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6月25日は、コロンビアとの予選最終戦の日です。 
そのせいでと言うわけではありません・・・区の集金日25日に重なったからですが・・・
たまたま、重要な日になってしまいました。

日本時間4時40分・・・・僕は結果を求めません・・・こうなった以上
「絶対に勝たなければならない」とも実はもう思いません。

自分らが追求し、自分らがやってきたことそのことを表現し、ひたむきに前見て
自分らしくやってくれること、そのことが自分らの「代表」の意味でもあると思っています。
失うことをおそれず、っていうか失敗をおそれるあまり何もできないで「失った」ことは大きい 

悪い意味で、すぐにメディアも・・ひょっとしてこの国に住むものみんながついつい使いがちな
「国民性」・・・そもそもひとりひとりが違うのに、十把一絡げにして語るのを僕は好みませんが
・・・それでもこの国に住んでると、サッカーの代表に限らず、冒険しないこと
勇気を持って、全部かけずに、ちょっとだけとっとくこと、貯金を一番に考えること
あらかじめ悪いことばっかりを想像して、結果の善し悪しに対処しようとすること
実は足を踏み出さずにいるくせに、先のことばっかり思案して暗い気持ちになること
失敗することを恥と思うこと。みんなで仲良くしようと無理にでも教え込まれたこと
・・・・いっぱい思い当たります。
   
サポーターのすばらしいマナー、戦争を放棄した国是 そのことを信頼されてきた事実
震災を耐え抜こうとする精神性、細やかな配慮  
震災後の原発事故、その対処、平和というものを享受してきたここまでの道のりと
それを急旋回させて、平和というものを根本的に見直そうという経済至上主義
っていうか国家的財政優先主義というべき単なる増税主義

実はそれらをすべて含めてイメージされて、国の名の下に ありながら個としての
自分らしさを表現する機会こそワールドカップという舞台に与えられた
特権です。サッカーという世界共通言語を通じて・・・

一方で

これまでの国のありようを検証もせず
実はたいしたこともない得票率のくせに府会議員より狭い範囲の「小選挙区」制度の
おかげで大量の議席を獲得したにすぎない
おごった現政権のすることは
原発の検証もできないでいるくせに海外に売り込み、武器を得ることも容認し
果ては、カジノを許可して、何でもかんでも・・・っていうかこの国の美徳としてきたものさえ
壊してでも求めているのは「ゼニカネ」の話。
なんでも「金」に換算して、経済だけを優先するのかと思いが行く ・・・・

自分らが率先し守るべき憲法を 身勝手に解釈して、
集団的自衛権などというものを認めようなどというのは
たぶん彼らが政治家の家系に生まれ育ち
一人の戦死者もいないことに由来していて、どんな浅はかな教育を受けたらあぁなるのか
守ろうとするのは彼らの祖先の失政隠しかと疑念を抱く。
そもそも読んだ教科書が違ってる気がする。
政権側の中にも疑問符を抱くものが多いはずなのに逆らうことをおそれて口をつぐむ
都議会で下劣なヤジを飛ばしたやつもやつなら、知ってて言わない奴らも同罪で
そのことと同じで流れに逆らうことの無しに発言しないこともまた相当罪が重く、無責任な行為だ。

3年前に政権交代させたのには、その古くささと世襲政党の硬直性にあって、民主党に
失望したからと言っても
これほどの大事に対して委任状を与えるほど、信用もせず信頼もせず、ほかの選択肢がないから
渋々投票したことを肝に銘じてもいない。

憲法は、議員が考えるものではなく、決して変えるものではない
主権の主体である国民が作り上げるもので
議員とは、その憲法に則って、政策を立案し実践すること
そのことこそが「立憲主義」というもので
何があろうとなかろうと、守るべき憲法を勝手に解釈すること自体が憲法に違反している。
どいつもこいつもそこんとこが全くわかっていないので、信用できないし、悪いことに
護憲の意思を持っていても、後援者の顔色伺いながら、口をつぐんで
議員の身分に甘んじてる誰もが気にしているのはこの国の安全とか危機ではなく、議席の維持にだけ気が行ってる。
これが政治の現状なら、嘆かわしいと言ってるレベルではない。

自分が何をするために「代表」に選ばれ、自分が何をすべきか
失うことをおそれて、何もしないのならここまできた道を放棄し、これから先に目をつぶる
てなことを、人にえらそうに言えた訳でない自分がここにいて
それでもどこかで何とかせなあかんという気持ちはまだ失わないでいる。

そんなこんなをないまでにして、6月25日のコロンビア戦を早起きして見ることにする。


くどいですが、6月25日は、区の集金日になっており、次回サークルは
6月26日(木)に日程が変更されています。


課題の補足:複数の「タスク」

2014年06月10日 | パソコン

「タスク」・・・聞いたことがあるけど、はっきり意識はしていないこんなPCの言葉が
本当は、パソコンの活用の成否を握っているのかも・・・しれません。
厳密に理解してるわけではないけども、タスクとは、一つのアプリケーションでする「仕事」のことを指すようです。
時に、パソコンの初心者を自認する方がついつい陥るのは、一つだけのタスクで「仕事」を
こなそうと思い込むことです。たとえば文書を作る際には、「絶対にワード」と決め込んで、そのすべてを作ろうとするし
反対に「表」なら、Excelが絶対唯一の方法だと決めつけてしまうことです。
間違いだと指摘しているわけではありません。もっと柔軟に考えないと行き詰まってしまいます。

たとえば、今回の課題の場合にも、「チラシ作ってみませんか?」と問いかけたら
ワードで作り始めると、表にしろワードアートにしても、また図の編集や加工まで
ワードの中で処理をしなければならないと考える人も少なくないのかもしれません。
いやむしろ、パソコンを起動して、Webサイトを見てる人は、ただそれだけをしているという人が多数派なのかもしれないのです。
Windowsが起動するパソコン画面の下にある「帯」は「タスクバー」と呼ばれ
今現在動作しているタスクが、強調され表示されます。
いろんな選択肢があるはずなのに、そこのところを気にしないですむほど
たった一つのタスクだけを動かしているのは、PCをじっとして使っているように見えます。

本来、パソコンの最も進化した機能は、実は一度にいくつものタスクを使い分けられることによって
効率化が著しく進んだことにあります。
これを「マルチタスク」と言って、これこそが今のPCの本質です。
同時に起動したいくつかのタスクは、タスクバー上で、表示されたタスクを切り替えることによって
いくつもの仕事を同時進行的に組み合わせることで、何かを作り上げることを可能にする仕組みなのです。
「窓」を意味する「ウィンドウ(Window)」をOSに命名するときにわざわざ複数形にして
Windows(ウィンドウズ)と呼ぶには訳があります。

とりあえず、こんな小難しい理屈は、後回しにして
例題に戻ると、「チラシ」作りには・・・・もう一回言いますけど「食べ物」の方ではありません・・・・
いくつかの要素が含まれていると思います。たとえば「料金表」のような表、挨拶文のテキスト
イベントを彩るワードアートのような「飾り文字」、文書の飾りに使ったイラストや写真のような画像と
場所を示した「地図」のイメージ などなど・・・・

まず仕事にかかる前にこれらをどう用意して、どこで編集するか・・・文書自体の背景を
どう作るかというとこに、一通り思案を巡らします。
ここのところがポイントです。
こういった「要素」が用意できて、構想らしいものが見えて
手順がぼんやり頭に浮かんだら、後は切り貼りの「絵」を作るように
PCで切り絵を作る要領で、進めていけば、はじめは「こんなこといきなりできるやろか?」と
不安に思ったことの解決の道が見えてもきます。

そもそもたった一つのソフトでこなそうとするからこそ、一つ一つのソフトが難しく見えるのです
このことを解消する一つの方策が「マルチタスク」という複数の仕事を同時にやる精神にあります。
たとえば文書に挿入するイラストなどのイメージは、クリップアートとかネット上から画像をダウンロードする術は
サークルのベテランや卒業生などは十分に心得ておられます。
そうであるなら、ネットにつながった状態でエクセルやワードを起動しているのなら同時にブラウザを起動しておき
いつでもネット検索できる状態にしておき、必要に応じて作業を切り替えれば容易です。
また広告文などの文例も同じように、ネット検索して探し出すと思ったような内容がどこかにあるはずです。
こういう場合は、同じように「秀丸」とかのテキストエディタを起動しておけば
ブラウザ上の文言を、いったんコピペしておいておくことができて、自分なりに編集も可能です。

こういう組み合わせを考えれば、この文書を作り上げるのに、自分にとって
どのアプリケーションが便利なのかが見えてきます。


ところで、キャプチャーという「機能」を使いこなしておられますか?キャプチャ-というのは
PCの画面に表示されたものを、まるでデジカメで撮るように「切り取って」画像としてパソコンに
保存する機能を指します。
実はWindowsには、その標準機能として「SnippingTool(スニッピング・ツール)」が付属しています。
それは、スタートメニューの「Windowsアクセサリ」→「SnippingTool」と進んで起動します。

Snippingtool


sp

Snippingtool2
 

起動すると、一瞬画面が霧に覆われたようにかすみますが、切り取りたい範囲をマウスで範囲指定しようとすると
その部分だけがクローズアップされて鮮明になります。
範囲の始まりと終わりを指定すると切り取った部分が画像として保存されます。
例題に使った地図は、まさにこの方法でブラウザで表示した地図サイトの一部を切り取って
保存したファイルを利用しています。

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あとは、たとえばエクセルにしろワードにしろ、ラベルマイティでも
保存したファイルのあるありかのフォルダを指定して文書上に貼り付け加工したい画像を
右クリックすれば「図の編集」が可能になるので、自分なりにある程度の加工が可能です。
ワードやエクセルでは、図を右クリックするとリボン上に
下図のような「図ツール」というタブが現われます。

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これをクリックすると様々な、編集機能に画面が切り替わる仕組みです。

たしかに文章だけの文書を作ることの方が、日常的かもしれません。
チラシを作る機会など、むしろまれですが・・・・・・
こういう種のことをこなしていくと、文書の飾りにしろ、構成にしろ
何より、マルチタスクという複数の仕事を同時にこなして、いろんな機能を活用することを
覚えられるし、少しはパソコンを使うというモチベーションにつながるのではないかと・・・・・

密かにたくらんでいる次第です。


Excelでも文書:デスクトップパブリッシング(DTP)のまねごと

2014年06月09日 | エクセル

還暦というのは、思ってたように人生の分岐点でした。 精神的に・・・
けどもそれをそのまま背負ってしまうと一気に老け込むので、あえて意識して、がんばろうとすると
今度は無理が勝ってしまう。かといって、何気なくやり過ごせば、そのまま流れてしまいそう。
テレビのニュースで六十何歳かの人の肖像が見るたびに・・・自分もこんなに年をとったんかいなと
我が身をしみじみ、見ないでいいものを、見つめてしまう。

「アンチエイジング」って言う言葉があって、「若さ」の維持に必死の思いの人もいる。
特に女の人は、加齢というものからくる体の変質を敏感にとらえて感じたはるんやと思える。
けど・・・亡くなった人の悪口やナイけど、「森光子」さんはあまりにもやり過ぎやと思うし
十朱幸代さんは、なんぼ何でも若すぎる・・・表情が消えるほど「無理」が見えてきてかえってしんどい。

オードリー・ヘップバーンなんかとっても いい感じの年の取り方やったし、
草笛光子さんなんかむしろ今の方がすてきに思える。 年を重ねるという味わいが
一つの作品のように、遠目から人そのものに見えてくる気がする。
年にこだわってもあかんし、年に負けるのもどうかと思う。
とりあえず、ありのまま受け入れて、そこそこになったら、それなりのじじぃでいるのがいい。
アタマの中身が、硬直化して柔軟性が失われていなければ
何を見ても味わえる気がする。
やたら、老けたの、年がいったのと同じように口走るのは、サークルで脳の活性化にチャレンジしようとする
仲間の皆さんにも申し訳ありません。

6月11日(水)は、サークルです。
課題をこなしていくありようは、前よりもわかりやすいという評価をいただいた・・・
のですが・・・
課題を見つけるというのには、思いとは裏腹に脳みその動くがトロクなって、思いつくのに
時間がかかってしまいます。ない知恵絞って、ようやくひねり出したのが・・・・
「チラシ作り」・・・といっても、生唾飲み込んで「食べるもの」を想像されたら的外れ ・・・
「開店のおしらせ」みたいなしろもんで、こういうのを近頃はDTP(デスクトップパブリッシング)って言うんでしょうが
・・・できばえからして、ちょっと大げさにすぎず・・・そのまねごとみたいなもんを課題にしました。

こういうものを作るのには、いくつかのアプローチがあります。 人それぞれにやり方が違ってきます。
取り組み方も、使うソフトも一様ではありません。
ワードでもいいし、ラベルマイティなんかでやってもいいし、年賀状ソフトで作ることもできるでしょう。
そのどれもこれも間違いではないし、得意なもので自分なりに作ることこそが PCの醍醐味です。

「何でもExcel(エクセル)」派の僕なんかは、ためらいもなく
エクセルで作ってみました。そのサンプルが下図のようなものです。
出来、不出来、センスのあるなしは、この際問わんといてください・・・・ 作ったことだけに意義があります。

「文書作り」という課題に、こんなものをいきなり・・とお思いのかたもおられるとは思いますが
意外に、こうしたものは見た目以上に「かんたん」で、画像のレイアウト、テキストの配置や
イメージの取り扱い、編集など・・・・・
そこそこに、文書作りのエッセンスのようなものが含まれていて
初歩的な基本を知っておくのに、適当な気もします。

・・・サンプルの画像は縮小版ですので、画像をクリックいただくと、多少拡大されて表示されます。
excel
エクセルで、文書作りするときに僕は迷わず、ある程度の範囲のセルを指定しておいて「右クリック」し、
列の幅を1.68とか1.83などという数値を入力して、画面を5ミリぐらいの「方眼紙」みたいにします。
こうすることで、格段に画像やテキストの配置が、しやすくなります。
セルとしての活用も、ある程度のセル範囲を結合すれば、あちこちにセル枠も作れます。
背景を塗りつぶすのにも、意外に便利な気がします。
何より文書に「表」が必要なときなどは、エクセルであるが故に この方法がとりわけ重宝します。

このデータは、サークルの「Googleドライブ」に6月11日用の課題として置いておきます。

そこで、
エクセルでこうしたひな形ができたら、これを元に・・・まったくおんなじものを
こしらえてはいませんが、いわゆるコピペ(コピーアンドペースト)を使って
ラベルマイティでも
rm
作ってみました。・・・やってみて思うんですが「ラベルマイティ」の方が
こういうことにはたくさんの選択肢があって、やれることが多い気がしますね・・・・

さらに調子にのって、
今度はこうしたDTPに長けたOfficeの中にあってワードの弟分みたいな
Publisher(パブリッシャー)というソフトでもトライしてみたのが
pub

これです。さすがにExcelとは、親戚筋の「Publisher」です。
いとも簡単にエクセルの原稿から実にスムーズにワードアートまでも
コピペができて、あっという間に仕上がりです。

繰り返しますが、できあがったこのチラシそのものの
出来、不出来は二の次でセンスの善し悪しを問われても
答えようがありませんので、あしからず。作ったことだけに意義があり
作れるというだけの見せしめです。

これを、サークルでどこまで説明できるかは、そのとき次第ということで・・・・・



あっそうそう、6月は会費徴収の開始月です。
会費はネット接続料を考慮して今年も年会費3,000円とさせていただきます。
納得いただけましたら、おいおい徴収させていただきたいと、おもっています
むろん、サークルの様子見もOKです。納付期限は実は、もうけておりませんので、あくまでも
ご納得いただいた上での納付で差し支えありませんよ。


王国のW杯

2014年06月05日 | サッカー

2014-06-05 22-12-55

暑さ、蒸し暑さが繰り返しているうちに、「梅雨入り」となったわけですが、
近年のありようと違って、今年はオーソドックスに梅雨らしいのは・・・むしろ
これからの気候変動を予感させて、不敵な雰囲気を感じてしまう。

個人的には、この2014年6月は、4年を待ちわびたフットボールの特別な年・・・
なぜか「まぁるい地球」でありながら
ことサッカーに関してだけは、ヨーロッパに偏ってしまう昨今で、
もっといい季節を選んでやればいいと思うのに、おかげでこんな暑さ厳しい時期に
4年に一度の祭典が欧州サッカーのスケジュールの都合で開催される羽目になった始末です。
そして、たぶん競技時間もヨーロッパを基準にして日程が組まれたとも想像できます。
アジアにとっては、都合の悪い時間にライブ放送で、しんどいけども

2014-06-05 22-12-34

それでも、大いに楽しみにしています。

ペレ、クライフ、マラドーナ・・・サッカーの神が「才能」与えたもうた「きら星」達に
肩を並べているはずのメッシの近頃は どことなく異変がみられて、
彼だけは今度も、W杯というステージにその輝きを曇らせてしまうのか ・・・
「汚れたストライカー」のスアレスは、結局回復してるのか・・・
ネイマールは、その重荷を振り払うのか
さすがにイニエスタもシャビにもピークを通り越したのか・・・Cロナウドは孤立しないでいられるか

王国ブラジルの経済には、BRICs(ブリックス)ともてはやされた頃の盛り上がりはもうない。
アメリカのマネーゲームは、この国の貧富の差を広げるだけ広げて
ワールドカップを高見の見物しようとしている。
サッカーの現状もまた、ほとんどの選手はヨーロッパのクラブにいて、王国のリーグは閑散として
危機的状況にある。だからこそ、本来なら王国のW杯は、この上ない場所での開催でありながら
冷や水をかけるデモがあちこちに吹き出している。
老若男女がこぞって、リフティングがうまいと思えるほどのサッカー王国のブラジルでありながら・・・・

けれどもブラジルが母国で6回目のW杯をその手にする可能性は高い。
スペインもさすがに、メンバーが4年前と活性化されずに、連覇を果たせるほどの勢いがあるわけでもなく
ドイツは堅実だが南米で勝てるとも思わないし、オランダはやっぱりバックスに大いに不安が残る。
アルゼンチンは、メッシの出来がトーナメントの時点で鍵を握る。
チリのサッカーは、前回は、最も刺激的で目を奪った・・・4年経ってそのひたむきにアタックし続けるサッカーが健在なのか
C.ロナウドはポルトガルというナショナルチームで輝きを放つのか・・・
新たなヒーローを生み出せなかったイングランドは、D組自体を勝ち残れるのか
ナスリをこともなげに切り捨てたデシャンのフランスは、運を味方につけられるのか・・・・
いつも堅実に勝ち上がれるアメリカは、死の組を這い出るのだろうか・・・

ネイマールばかりに焦点をあて、サッカーと言えばゴールシーンだけをクローズアップする
日本の甘ったるいメディアの評価は二の次にして
ブラジルの核心は、ダビド・ルイスとチアゴ・シウヴァのセンターバックとパウリーニョとラミレス
というボランチの有能な才能にある。
サッカーは守備から・・・などというような、ちんけなセオリーを言うのではない・・・彼らのディフェンスは
オフェンスと直結する展開力にあふれている。ただ攻撃力それ自体は、若干の迫力に欠けている。

一体化した展開と守備、そこがデフェンスがあまりにもおぼつかない日本代表に欠落している核心でもある。
だからこそ、ザックは攻撃陣に多くを配したのであって、彼が想定する「守備力」を
日本サッカーからは、期待できないことを確信したのだと思う。
ただし、そこに4年前に守備偏重に舵をを切って、心底つまらないサッカーを世界に示した
あの凡とした岡田の判断と決定的に違うことに期待をしたい。

この前のテストマッチでのパフォーマンスは実に目を見はった。
とりわけ香川の技術とスピード、イマジネーションはもう世界に互して遜色がない。
彼の唯一の弱点は、4年前にすでにその才能を輝かせながらも、全く器も見る目もない
岡田というものに選から外され、マンチェスター・ユナイテッドの世代交代時に同じように目のくらんだ
モイーズというものに出場を阻まれた「監督運」のなさにあるとも言える。香川は確実に
W杯で、世界の衆目を集めるだろう。長友は言うに及ばず内田も大久保も柿谷にしろ岡崎も山口も遠藤も青山までも
そのスピードと技術と展開力は、世界を見据えて一泡吹かせてやろうという意欲にあふれていた。
ただ、本田を除いて・・・・

僕にはとても深刻に思えた・・・彼自身のスピードのなさは、とうから気にはなっていたが
それをなんとか予測の早さに隠そうとして、時にそれが功を奏してたびたび中心的活躍に映ってはいたけど
今度の場合は、それすらもなく、ボールが彼を経由するたびに
日本代表のスピードが奪われ、彼の存在は明らかに足かせになっていた。
もう10日、スター扱いは意味がない。彼がエンジンとは思えない。
彼のスタメンにこだわり続けるのなら・・・日本の「良さ」そのものが失われるだろう。
彼に与えられたポジションというものがあるのなら、今なら大久保がそれを担うべきで
客観的に見て、本田は現時点でサブのメンバーに位置させることが最善のように思える。

我々の代表は、優勝を口にはするが、本当のところ 結果ではなくて
世界を「あっと」驚かせてほしい!ヨーロッパ偏重のフットボールの現況に
アジアの力を見せつけてほしい。
そのために何が自分らの持ち味で自分らの力なのかを分析し、
自分らの120パーセントを発揮してほしい。
W杯は、フットボールの頂点にある。
この期間だけは寝ても覚めてもサッカーの毎日になりそう・・・

ゆうとくけど、コートジボワールのドロクバもヤヤ・トゥーレにしても、ただ者ではない。
日本のディフェンスが束になっても止められないだろう。
ギリシャにしろ日本が苦手な 守備的布陣からのカウンター攻撃を基本にしている。
コロンビアは南米でもブラジル・アルゼンチンと肩を並べる強豪で
ファルカオがでないと言ってもバッカやマルティネスにしろ注目すべきストライカーがうじゃうじゃいる。
予選突破は並大抵の力では太刀打ちできない。

オーストラリアの不運を慰められるほど、我々の「C組」は決して甘くない!