なかなか変えられんもんに「習慣」と「意識」って言うもんがあります。
我先に、自分だけがと行きすぎた金融主義は、狂乱して
行き先のない不況を生み出しました。
けれども私たちはいつも口にしてしまいます。
相変わらず、まるでバブル頼みの運任せに
「いつになったら景気がようなるんやろ」と・・・・・・
結局景気に左右される生き方が先行してしまう。
桁も違うほどの借金を抱えた国と自治体の財政は
バケツの底が抜け落ちて、目も当てられない・・・
それというのも行政に依存して、官にばかり任せてきた
「しわ寄せ」がココに来て、後戻りもこのまま行くことさえも出来ない
役所にコスト意識がないために、税金は食い尽くされた感がある。
けども、いざ困ったときには、行政を批判しつつも
まだ、補助金などの税金をせがみ、何とかしてくれるやろと
未だに行政頼みが止む気配がない。
「介護」を家族的な内輪の問題として解決出来ないぐらいに
家族というものの有り様も考え方も変わってしまった現代だというのに・・・
「介護」を必要とされてもどこにも余力がなくなって、
孤立して家族ごとにして、閉鎖的に、旧態依然とした自己犠牲に寄りかかることは
不可能に近い。
だからこそ、もう少し社会的問題として解決していこうという取り組みから
「介護福祉士」という資格が生まれて
それを利用する手だてとして「介護保険制度」が生まれたというのに
依然として「介護」する側、「介護」される側などという区別をココロにつくり
介護されることをまるで悪いことのように考えて、
「隠していたい」ものとして「介護」を考えているヒトも少なくない
悪いとかいいとかではない、まして年が若い、老いたという話でもない
変化していくことを前向きにとらえて
「意識」を変えなければ、なにも変わりようがない
今までの考えを乗り越えて、意識を変えて次が見えてくる
やみくもにヒトに依存せずに、自分が変わるという思いが
自立するという手だてになる気がする。
昨日より今日、今日よりも明日という思いが一歩前に出る
昨日と同じ明日では、今日やったこと今日感じたことが
自分を立ち止まらせる
・・・キョータンバチョーマン・・・みたいになってもうた・・・