富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

さらば2011・・・2012の昇り龍

2011年12月30日 | Weblog

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忘年会とか「年忘れ」というのも、もう明日まで・・・けれどもよくよく考えると
こういう習わしっていうものが、悪い癖のように思われるこの1年でした。
水に流すとか忘れてしまってはいけないことが多い一年でした。

いままで、信じてきたもの・・・今までなんとか信じようとしてきたもの・・・見ようとして見過ごしてきたもの
あるいは、わざと見てこなかったものまで全部を奪い去った気がした大津波は
かけがえのない命とともに、この国に住むものが寄りすがってきた多くのものが、もろいものだと言うことを
知らしめるように、あの日あっという間に押し寄せて、根こそぎ奪い去って行きました。

この年を忘れることはできないし、忘れてはなりません。
この年から始めることがたくさんあって、これからが本当の正念場なのかもしれません。
ここまで生きてきたもの、これから生まれてくるものすべてにとって
たとえわずかで小さくても、前に踏み出さなければ始まらないのが2012年なのだと思い知ります。

昇り龍がみんなの背中で吠え始めています。


Very Merry Christmas!

2011年12月25日 | パソコンサークル

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季節をあわせるかのような、寒波が到来して一気に寒さが増しました。
いいクリスマス・タイムをお過ごしのことと存じます。
先般は、会員の皆さんには、お心遣いいただいて恐縮しております。
非礼を承知でこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

思えば、未曾有の震災に始まり、最悪の原発事故と大雨の災害など私たちの国が
大きな節目の中でたくさんの失望を与えられたような一年でした。
新年が来たからと言ってとても切り替わるほどのことでもなければ、直接的な被害を受けた人たちの
苦労はむしろこれからが始まりであり、私たちにしても失われたものを取り返す時期など何も見えない現状ですが
来る年に、たとえ小さくても未来に向けた「芽」が息吹くことを信じてやみません

サークルにとっても、「ひだまり」を離れて「公民館」に戻ることになったり
いくつかの会員さんがやむなく、離れられておられる状況になって、少し寂しくなった気もします。
けれどもここまでに至る経緯で積み重ねられている能力は以前にも増して高くなり
皆さんの意欲に励まされる一年でもありました。来年も心新たに取り組んで行きたいと思っています。

ますます寒さがいつもにまして厳しく感じられる年の瀬ですが
お体大切にご自愛くださって、よい年(ええ年ちゃいますよ)をお迎えください。


福島原発事故収束宣言に思う

2011年12月18日 | 震災

そもそも、この人類的な危機にありながら、いまだに「東京電力」などいうきわめて小さな1企業に
事態の対処のすべてを任せきっているこの国の政府も政府機関もあまりに、知恵がなく何よりも心許ない・・・
あれほどめちゃくちゃに壊れきった原発の「跡形」を、いまだに原子力発電所呼ばわりして、
稼働している原発と同じ扱いにして、今後大きな事故に至る危険性は排除されたという・・・・
そんなことを丸呑みにできるはずがない・・・なぜなら政府自身が、稼働中の浜岡原発をもっとも危険性が高いと
停止させた事実と今回の事故収束宣言は、我々が信じたいと思う安全という意味から明らかに矛盾しているからだ。
もう大きな当面の危機は去ったというのなら、なぜこの時期に健全な状態の原発を止めたのか、
廃炉まで数十年かかるというこれからの時間に、危険は去った訳ではなく第二第三の危機を恐れるからではないのか・・・
とても人間が近づけない状態で、原子炉の現状が確認できるわけでもない。
誰も溶け落ちた核物質の現状を知らない。メルトスルーしているのならとっくに建屋のコンクリートなど突き抜けて
地下に至ってやがて地球規模の汚染に至るのではないか・・・それこそがチャイナシンドロームのもっとも恐ろしいシナリオである。
本当に何が起こって、どうなっているかもわからずにいながら・・・
それでなお、「一区切りがついた」などといえることが受け入れられない。

「冷温停止」といっているのは、原子炉に取り付けられた温度計の計測値に過ぎない。
そもそも福島の原子炉はとっくに壊れて、健全な原子炉ではない・・・核燃料が溶け落ち、格納容器も
原子炉のカバーをできているわけではない。通常の毀損のない原子炉と同じ方法で求めた計測値を公表するのは
事故を過小化したい東京電力の企業の思惑にすぎず、彼らはいつも無表情なスポークスマンを通じて
順調な工程表の成果と程度の軽さばかりをアピールする。
そのたびに悪いことしてないのに、生まれた場所を追い立てられ 困窮して未来を失ったまま
途方にくれる住民への思いと
本当のことを知らされない放射能の「被曝国」のこの国に住むものの気持ちを逆なでする。

通常の原子炉の廃炉にさえ、30年かかるという。
福島の原発の廃炉に100年もかかるとすれば 誰がその責任を担うのだろう。
いっかど殊勝な顔で、一生懸命やってるポーズの現東京電力の幹部たちは
本当の意味での「収束」した原子炉をみることなしに、この世にはいないのである。さらに言えば
東京電力という会社自体の存続など想像もできない。
これは、もうとっくに国家の責任として、取り組むべき負のテーマである。
けれども一年の政策にも一貫性のない政治からは、そうした覚悟もビジョンも示されているわけではない。

今毎日死の恐怖と戦いながら、収束の可能性のために日夜労苦を惜しまない作業員の途方もない仕事を
次世代またさらに次世代に引き継がれるとすれば、 誰にそれを託せるというのだろうか
放射能汚染を恐れて避難する若い世代がそんなリスクを担えると思っているのだろうか・・・
「おまえがそれをやれ」といえる親はいないだろうし、
とても今の世代が次世代にそんな危険な仕事をすすめたり、後押しできるはずもない。
誰がそれを担っていくのか・・・小さな1企業の東京電力にそんな気概どころか
ビジョンがあるはずもなく、責任感のかけらもないだろう。まさか作業員の子孫に継がせる約束が結べる訳でもない。
けれどもなんとしても、誰かがそれをやらなければならない。

だからこそ、深刻だ。
何も明らかにせず、何もこれからの重たい未来に対するビジョンもないままに
たとえ、政治家のパフォーマンスにしろ、いつの間にか東電の側にたって東電の側の弁明に追われ
発電所でぬけぬけと「ありがとう」などと言うような政治家が発する「収束宣言」などにどれほど意味があるというのだろうか

それよりも海洋汚染の実態、放射能汚染の事実
一説にヒロシマに落とされた原爆の数十倍ともいわれ、あるいはチェルノブイリ規模にして原爆数百発といわれる
放射能量に等しいのか超えてしまっているのか・・・
空恐ろしい事実をどこまで、隠そうとするのだろうか・・・・
気安めに過ぎないような一過程の話など、本当は気が安まることなどない。
我々が知りたいのは 我々が背負った重たい事実とこれからの重い未来への対応と心がけなのだ。


Vistaの寿命とXPの延命

2011年12月13日 | パソコン

時折、間尺に合わないことが起こります。

今更ながらに振り返ると、それまでのパソコンをより身近に引き寄せたWindows95が1994年に登場して、
以来、家庭にパソコンが普及し、Windows(ウィンドウズ)95やの98、98SE、Me(ミィー)と次々に姿を変えて
その折々に多くのユーザがパソコンを買い換えたものでした。
中でも2001年に登場したWindowsXPは、画期的で使い勝手の向上は目を見はり、
いまだにWindowsの シェアの半分近くを占めています。
ただ、技術の進歩や、機器の進化は時を待たず、XPで実現できる限界が見えてきて
それを見越して、およそ5年前の2007年1月 次世代を担うといううたい文句でWindowsVISTA(ビスタ)が発売されたのです。

がしかし、この未来を指向したはずのOSは、すこぶる評判が悪く、余計なお節介な機能のため、
実際使うにつれて重くなり奇をてらって、いろんなことを変えすぎたせいか、使い勝手は向上するどころか混乱を招く結果となり、
あげくに多くのバグ(穴)を持つ欠陥商品のように扱われて、結果としてユーザーの多くの支持を得ることはありませんでした。
ちょうどこの時期にパソコンの買い換え時期にあったヒトは、ある種の貧乏くじを引かされたような憂き目にあったようにさえ思います。
その証拠にMicrosoftは、発売間もないクレームだらけのVISTAを見放したように早々とWindows7を世に送り出し
もうすぐ、Windows8も売りに出すなどと宣言しています。
確かにWindows7はVISTAの失敗から多くの改善がなされ、
買い換えを迷ったあげくやむなくWindows7に乗り換えた僕自身も使い勝手については、ある程度の満足感を得ることができています。

実は割に合わない話というのは・・・・

ある程度の方がご存じだと思いますが、WindowsXPの公式サポートは延長期限の2014年に終わるとされています。
正確にいうとXPのSP3(サービスパック3)に限っての話で、XPであってもSP2以前のバージョンは
とっくにサポートが終わっています。
マイコンピュータを右クリックして「プロパティ」を開いてみて、XPのバージョンがSP3になっていないヒトは
ともかく「WindowsUpdate」でもして、とっととSP3にバージョンアップするのは必定です。
さて、VISTAはどうなんでしょう・・・
実はVistaの寿命は来年の4月もって、サポートが終わってしまうのです。
個人向けを含むメインストリームサポート呼ばれているもので、
正確に言えば個人向けのVISTAのサポートが終了し、会社などのVISTA BISINESS(ビジネス)というバージョンについてのみ
企業向けのサポートが2017年まで維持される運びになっています。
このサポート終了以降は様々なバグやセキュリティホールなどの 問題を解決する更新プログラムが提供されずに、
たとえセキュリティソフトを入れたとしても おそらくソフト自体が機能せず、ノーガードの状態になりネットにつなぐことは大変危険で、
それどころか、 セキュリティのない状態でオンラインしてしまうのは、多くの人にたいして、迷惑この上ない話なのです。
したがって、VISTAのユーザはパソコンを使い続けるためには、Windows7への移行を余儀なくされます。
わずか5年前に登場しながら、XPよりも先に寿命がつきることになったVISTA
わざわざXPからVISTAに買い換えたヒトなどにとっては、何とも割に合わない話です。
またWindows7に移行と言っても、実は現行の機種がある程度古いものだと
ただOSを買ってきて、グレードアップできるかというとそれほど、かんたんではありません。
持ってる機種の能力によっては、パソコン自体を買い換えざるを得ないケースも大いにあり得るのです。
Windows7はむしろ現行のXPSP3の方が相性がいいとさえ思えるくらいなのです。

そもそもユーザーが悪いわけではありません。
元はといえば、不完全なVISTAを発売したMicrosoftにあり、これからはVISTAですなどと
よくわかりもしない勉強不足な電気屋が、無責任に売りつけたことに端を発しています。

こんな身勝手が許されてええもんやろかね・・・・
だからこそ、慌ててパソコン買い換えずに、これからは「スマートフォン」の時代が必ず来ます。
僕ならいっそスマートフォンをオススメしたいですね・・・スマホだってなれれば
パソコンなみにできることもあるし、むしろパソコンにはできないことをたくさん持ってるし
何よりどこでも持ち運べるし・・・・
Windowsのパソコンじゃない選択肢をもって、スマートに対抗しましょう。


12月15日(木曜日):パソコンサークル本年最後の開催日

2011年12月12日 | パソコンサークル

僕自身の曖昧な返事のために、この間の12月7日の開催は行き違いがあり
会員さんの中には、開催そのものがないものと思われた方もおられるようでした。
ひとえに、僕自身のせいです。申し訳ありませんでした。

そこで、次回の開催は本来なら第2水曜日の12月14日の討ち入りの日だったはずですが
会員のKよこちゃんたっての希望で、12月15日の木曜日に変更させていただき
本年最後の開催にさせていただきます。
何から何まで、身勝手を申し上げますが、以上のこと、ご了承願います。  

                                               敬具

 


デジカメ写真入り年賀状:ラベルマイティ編

2011年12月11日 | パソコン

年賀状をパソコンで作るのが「当たり前」のようになったご時世ですが・・・
それというのもたとえば写真入りの年賀状作ろうとすると、一昔?前には、写真屋さんに、持ち込んで作ってもらうのが
常識で手間とコストがかかった上に、ひな形の少なさに選択肢が限られていたものでした。
けれども最近は、素材と撮ったデジカメ写真があれば、写真をはめ込んだ年賀状が結構手軽に家で作れます。
そこで、Aちゃんのリクエストに応える形で、デジカメ写真を使った年賀状の作り方の手順をおさらいしてみましょう。

そもそもここで取り上げるデジカメ写真をはめ込むためのひな形(テンプレート)とは、写真をはめ込む部分をくりぬいて
空白にした「背景」になっています。もちろん手間と時間をかければオリジナルの背景は作れると思いますが
ここでは、市販の素材を使って、そこんとこの手間を省略して時間を節約することにします。

使うソフトはこうしたことに長けている「ラベルマイティ」をその使い勝手の良さでおすすめします・・・・
ワードでもエクセルでもできるはずだし、もちろん正月前に、電気屋さんで年賀状ソフトの「筆」なんとかを買ってくればいいのでしょうが
そんなコストをわざわざかけずに、使い慣れたラベルマイティで挑戦してみましょう。

まずは、ラベルマイティを起動します。一口にラベルマイティにも、いろんなバージョンがあると思いますが手持ちのラベルマイティと
大きな差はないと思いますので、起動できたら「用紙から選ぶ」を選択します。

用紙は、左側の欄の「定型」を選び、中央の欄からは「ハガキ」を選択して、用紙の置き方は通常は「縦置き」となっていますので
横書きにしたいのなら、右の欄の上の方に90°傾けるボタンを選んで、用紙の向きを決めておきます。
これらの設定は、作業中に変えるることもできるようになっています。



で・・・OKしたら・・・いよいよ編集画面です。早速素材を呼び出してきて、仕事に取りかかるのですが、
さっきも述べたようにデジカメ写真用の年賀状の「素材」は、写真の部分をくりぬいた「背景」であり、これらはほかの素材とともに
全部イメージのデータであり、パソコンの中では、写真と同じ「画像」に過ぎません。
従って上の画面にあるようにラベルマイティのメニューボタンの「絵や写真」というボタンをクリックして、素材を読み込みます。



ボタンをクリックした段階で、上の画像にあるように、右側にタブが現れますので、その中の「フォルダから」というタブを選択して
使いたい「素材」のあるフォルダを見つけ出して、その左側に個別のイメージファイルの「プレビュー」を確認して
目的の素材を選びます。選んだ素材をダブルクリックするか、「貼る」というボタンを押すと左側の編集画面に貼り付けられます。
この時点で画像の周りに黒い点があり四角で囲われているのは、編集状態にあるということですので「確定」する前の
段階ということですので、この時点で右の選択画面から別の素材をクリックすると画像が入れ替わったりします。
貼り付いた画像が少し小さいと思われる方もおられると思いますが・・・・実はここのところがオススメのポイントです。
ラベルマイティでは大きなサイズの画像も小さいものもこの状態では編集しやすいように縮小表示してくれるのです。
たとえばワードやエクセルをお使いになった方は、経験があると思うんですが、近頃のデジカメで撮った写真のサイズは「ばかでかく」て
読み込んで貼り付けようものなら、画面をはみ出す大きさで、編集するときにやっさもっさして縮小しなければならず
いらいらが募ったりするものです。ラベルマイティはこの点でよく考えられていて、編集がしやすく感じられます。
とはいっても、このままではあきませんので、貼り付けた画像を「右クリック」します。
すると「拡張メニュー」が現れて、いろんな項目が出てきますが、その中の「ラベル全面サイズにする」を選びます。
と、下のような画面になり、この例でいうと矢印で示した2つの枠が、写真をはめ込むための枠になっており
画像の空白部になっているのです。



素材が決まったら、いよいよこの枠に写真をはめ込む段取りに進みましょう。
はめ込む写真は、素材選びの手順と全く同じで「絵や写真」のメニューで、右側の欄の「フォルダ」というタブを選択して
目的の写真のあるフォルダを選び、貼り付けたい写真が決まったら、「貼る」か写真のダブルクリックで編集画面上に貼り付けます。
この例では、再びあのかわいいHugoとTaiseiに登場してもらってモデルになってもらいます。
まずこれやと写真を決めて貼り付けると下図の右側のように背景の上に写真が重なって貼り付きます。



ところがこのまま貼り付けるのでは、味も素っ気もないわけで、Aちゃんも望んでいるように
たとえば顔の部分だけ取り出すとか余分な部分を切り取ってしまいたいわけです。
パソコンの写真などの編集ではこの作業を特別に「トリミング」と呼んでいます。ラベルマイティにもこの機能はちゃんとあって
しかもトリミングした部分を自動的に拡大してくれたりするので、ほかのソフトよりも親切な配慮がなされています。
オススメしたい2つめのポイントでもあります。
編集したい写真を、「背景」の時と同じように右クリックすると拡張メニューのなかに「トリミング」という項目がありますので
これを選択します。するとトリミング専用の別画面が現れます。




するとはじめは画面全体に「編集枠」が現れるので、カーソルを操作してその枠を縮めて必要な部分だけをクローズアップし
決まったら「OK」を押すと、余分な部分を取り除いたクローズアップの写真にしてくれます。
これを貼り付けたいところに持って行って、さらに編集で適当な大きさにのばしたり縮めたりして調整します。
この作業は少し手間がかかるところですが、あれやこれやとこだわりつつ、それもまた楽しいもんです・・・
写真自体は、少し枠よりも大きめしておくと、どうせ余分は隠れてしまうので、余白がなくなっていいのかもしれません。
トリミングのできた写真は、貼り付ける場所まで移動しておきます。


それができたらいよいよ最終的段階です。枠まで移動させた写真をまたまた「右クリック」して
拡張メニューを表示させ、今度は「枠を一つ背面へ」という項目を選びます。すると・・・どうでしょー

まずは一丁できあがりです。
この要領で、Taiseiも同じ手順で貼り付けてみましょう。
Mちゃんはええとしても、Gは余分やし、とっととトリミングで削り取り

Taiseiのトリミングができたら、画像を選択したらハンドルを使って
                            「回転」もできるので、今度は少しちょこっと写真に傾きを加えて
                            同じように「枠を一つ背面へ」をします。


こんな具合に完成しました。

もう子供は子供どころやなくなって、ひねてしまい、かといって年賀状に貼り付けたい「孫」の顔はまだ見られませんし
いまんとこデジカメ写真入り年賀状の作成予定は僕にはおまへんけど・・・・
それにしてもHugoもTaiseiも・・・・かわいいな


ヒューヒュー!ヒューゴ(飛吾)

2011年12月04日 | パソコン

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カナダから2年ぶりに大切な友人一家が帰ってきました。聞けば「休暇」が取れて、およそ半年この国滞在するそうな・・・
半年もいれば生まれて5ヶ月の弟の「Taisei」もさぞや大きくなるやろね・・・国が違うとはいえ・・・この国じゃ
震災からもう9ヶ月になろうとしてるのに、相も変わらず、つぎはぎの政策を並べて、あげくに自分らの作った「法律」の網に足を取られて
昨日今日の対応ばかりで、一月先のことでさえ、はっきりわからへんし、プランもない。それにくらべるまでもなく彼らの生き方には
時間と人生をちゃんと考えられる選択肢とスケールの大きな視野をもてる、うらやましさを素直に感じることができます。

2年前くりくりの瞳が印象的で生まれたばっかりやった
あのヒューゴが2歳になって、訪ねてくれました。
まるで、「孫」のような彼は、あっという間に「おっちゃん」になれて、ここ一月で覚えた関西弁を流ちょうに操って見せました。
彼は、父のジェラードの話すエイゴにはちゃんとネイティブな英語で返し、僕らには京都弁で返事をする
それをごく当たり前に、自然にやってみせる芸当は、とびきりの笑顔と瞳の愛くるしさとともに
僕らをとりこにしてしまいました。

そのうえ、なんとバターと「納豆」にめがない・・・オドロキ!やね
オッチャンなんか、納豆がどうしても受け入れられなくて、I Can ナットゥ eat  Natoh・・・やったんやでぇ~
ほんのこの間からやっと食べられるようになったいうのに・・・もうその味がオイシイとわかったはるやなんて・・・

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彼を日本人とカナダ人の「ハーフ」と呼ぶのもそれはそれでいいのでしょうが・・・そもそも
多民族国家を否定しない「カナダ」にあって、ジェラード自体がオランダ系カナダ人ともなると、
日本的発想の「半分半分」という意味でのハーフなどという言葉がおかしくもある。
「ハーフ」を差別的にとらえる向きもあって、
今頃は「ミックス」という言葉のほうが文化や言語を半分ずつではなく、両方を取り入れる意味でよく使われるようですが・・・
けれど彼らはそんな区別や区分けを否定も肯定もしない次元にいます。
混じり合うという意識を超えているのです。純血などというこだわりは、世界にあっては、この国特有の「特別視」で
肌の色で黒人や白人などといっているのも、もはやこの国だけの話でしょう。
「何人?」とか、「我々日本人は・・・」と、ひとりひとりをひとくくりにいいたがるのは、確かに悪い癖です。
アフリカ系の日本人がいてもおかしくないし、もうそろそろ「日本人」などという「枠」自体を超えて物事を考えないと
穴ぐらから世界をのぞいているようで窮屈に見える。
実際ヒューゴは、「大塚飛吾」であり、ヒューゴ・ベーカーでもあって、日本の国籍もカナダの国籍もあり
二重の国籍ではなく、多国籍なのです。

その意味で、近頃の女系天皇の認知だのやたらと、血統を意識するこの国の議論が僕には違和感がある。
天皇家の血筋を、この国の文化そのものと思いたいのなら、そもそも南北朝に分かれたあの時代に血統は保たれたのか
あるいはさかのぼって、この国を統治した権力者そのものが、大陸から渡来したものであるのなら
元々が「ハーフ」なのであって、天皇家などと血筋にこだわる根拠に論理そのものが存在してるのか・・・・
男系であるとか女系という議論も遠くに感じる。家系というものが そもそもどれほどの意味があり、
人の生き方にどれほどの関わらねばならないのか・・・・
であるなら、家族というあり方を従来型の家族制から、今のようなあり方に
選択したのは、今の我々の世代であって、自分の子供に同居や家督の相続を求めてもいない。



なんにしても・・・文化や言語、暮らし方は様々・・・何かを基準に善し悪しを判断するものでもなく
それぞれの生き方を尊重するという意味で、彼らの来訪は今一度僕らの目を覚まさせてくれた。

ひとの生き方を自分の物差しで測る意味もない。
人それぞれの生き方が、ヒトの数だけあっていつも自分らしくあること・・・ヒューゴとタイセイが
その象徴のように生き生きしてて、僕はいえば、つかのま「オジイチャン」の疑似体験して大変満足した時間でしたわ・・・