富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

今更聞けそうにもない疑問:エクセル

2010年02月15日 | エクセル

PC手にして、もうとっくに何年かくれて、それなりに
使い込んで、「まぁこういうもんや」ぐらいの思い込みでやり過ごしてきたけど、
ほんまのことゆうと基本てゆうか今更人に聞けへんこともないではありません???


エクセルを使って、自分なりにセルの大きさを変えたり、結合させたり
動かしたりできるけども、そのときに列や行をいじるときに、ちらっと
表示されている列幅や行高の数値がどういう数値なんかは、その意味がはっきりとわかってなくて・・・
それでも、エクセルの「列の幅」とか「行の高さ」は、マウスで動かしたり
メニューの「書式」の「」とか「」のところで指定できるのは何となく知っている・・・
・・・・数値の意味まで、わからんでも使えるわけで、それを知らんからゆうて
エクセルが使えへんわけでもないし、わからんままに
ほっといたまま、書式のメニュー上で列幅なんかの指定をするときに、半分「勘」を働かせて
テキトーに数字をいらってるというような人が、少なからずおられます。


エクセルでは、一つ一つのセルの「行の高さ」の標準は「13.5」、「列の幅」が「8.38」となっています
何でこの数値が行と列で、そもそも違うのか・・・それぞれにどういう意味があるのか
・・・わざわざ疑わなくても・・・そういうもんやからという人もおられると思います。


そもそもエクセルで、特別、設定を変えなければ「標準」のフォント(字体)11ポイントの大きさに指定されています。
列の幅は、一つのセル内で、この標準フォントを使って表示する「半角英数字」の文字数を表しており
行の高さは、同じく標準フォントを使った場合にセル内に収まる限界の文字高の数値を示しています。
従って、標準フォントを使った時の列の幅は、初期設定では
半角英数字で、8.38文字(何とも中途半端ですが)が表示できるということで、
たとえば、書式のメニューでこの数値を「11」に変えたとしたらセル内に11文字が表示できるようになるということです。
ただし漢字やひらがなのように全角の文字を使った場合は、1文字で半角の2文字分を使うことになります。

一方、行の高さは、全く違う意味になります。
通常文字の高さは、0.35mm程度を1ポイントと換算します
従って、標準フォントが11ポイントとなっていますので、
標準フォントが入りきる高さは、0.35×11の高さなので、「13.5」という数値になるのです。

これらは以上の理屈から、使う文字を、大きな文字にすれば、収まりきれず
長い文字や、桁の多い数値は必然的にセルの大きさを変えてやらないと
セル内に全部を表示できないということになります。


ところで覚えておられますか?
エクセルのシートを方眼紙のように使うと文書作りに大変便利だと記事を書き込みました。
エクセルの行・列が交わる左上角の空白を押して
シート全体を範囲指定しておき、「書式」→「列」→「幅」と進んで
列の幅を「1.63」と入力すると方眼紙ができあがるという話です。
これは、まさに標準フォントがぎりぎり収まる13.5という行高に
見合う列の幅は、標準フォントの半角文字1.63文字分やでということを示しています。
試しに、そうして設定した行や列のそれぞれの境界線に
マウスカーソルを近づけると列幅、行高の数値とは別に
ピクセルというもう一つの単位が表示されていて、
行も列も同じ数値になっていることに気づかれるはずです。
このピクセルの数値が同じということが、セルの縦横(行高・列幅)が同じだということを
表しています・・・


今更聞けない話が、結局小難しい話になりましたが
そんな意味を持っていることも、ちょっと小耳に挟んどきましょう


・・・凡戦と失望と

2010年02月11日 | フットボール
ワールドカップイヤーの代表の試合となれば
多くのあこがれと、期待と希望と興奮と楽しさにあふれていなければならない。

相手は、アマチュアの香港で東アジア選手権(どんな意味があるんかしらんけど)

これがフットボールなのか・・・
パスの道筋にまで決まりがあるように、局面局面に驚きとひらめきがない
選択肢も一つしかない・体力に乏しい日本型FWがなぜあれほど
守備的に意識してしまうのだろう。彼らはこぞって
観客ではなくベンチのスタッフに向けたプレーを意識しているようにさえ思える。
この程度のオフェンスにアマチュアの彼らにさえ、デフェンスは容易だった。

フットボールの本質はOkadaのいう「システム」とか
コンセプトでは絶対にない・・・一人一人が持つイマジネーションが
その瞬間を作って、それを連ねるひらめきに
驚きと感動と達成感が生まれていく。切り開く個人技の連続で・・・ところが・・・

どこに誰がいて、こういう時にこうして、フォーメーションの崩れだけしか
目に入らないヘッドコーチのせいで、へとへとになって、
楽しいはずの「ゴール」に必死になってことごとく・・・フカシテしまう
これがフットボールなのか・・・これが代表のフットボールなのか
これで、子供たちをわくわくさせているとでも思っているのか
「前半はシュートの意識がない・・・」などと
まだ、そんな使い古された言い回しが薄ら寒い
シュートの意識が欲しいのではない・・・ゴールの興奮とゴールの楽しさに感動したいのだ。
まるでS級ライセンスを取ったものだけが
「サッカー」をわかっており、サッカーとは専門的戦略がわかっていないと
わからないとでもいうのだろうか
僕らはわかる。これがつまらないのか、楽しいかぐらいは
見てるだけでわかる・・・見てるだけでわかるものに
感動を与えられるのが「プロ」なのだと思うし、「代表」の誇りだと思う。

一人一人に決められた役割と・・・コンセプトなどというわかったようでわからない
縛りのために、どのプレーヤーからも何も感じない
こんなシステマチックなクラマー時代の
体育的発想の「教則本サッカー」は
とっくにフランスやドイツ大会で踏みにじられて、粉砕されたはずだ。
なんの楽しみも期待感も観客に与えることもできない「監督」のコメントに
未来をふさがれた思いがする。
期待とわくわくする思いを与えられなくて、「代表」などと呼べない

こんな「凡戦」をわざわざ放映する意味がどこにあるのか
ここまで来てこのありようで、本当にいいのか
とにかく岡田では時間の無駄でしかないし、時計を逆回しにして
フットボールファンをどんどん失うだろう。

エクセル:データの並び替え

2010年02月08日 | エクセル

何でもパソコン使うのがええ訳でもないし、パソコンで何でもできるなんていうのは
思い上がりの思い違いです。
むしろできあがったものから感じとる手のぬくもりや、味わいは
とうてい手作りにかなうものではありません。


けれども、使いようによってはパソコンで「データ」化すると
手書きのレベルでやってたことが、嘘のように便利に使うことができるのです。
とっておくといったような作業になると
それをエクセルなど使って、ちょっとしたデータベースもどきの
資料やら計算書を作れば、それを下地にいろんな活用に広がっていきます。


ただ問題は、エクセルを開いてデータそのものを入力するのが、
誰しもの悩みで、とりわけ几帳面な人は
丁寧にパソコン入力の前に、整理した上で時間をかけてデータ作りをされたりしています。
そこに費やしていく時間とやらんとあかんと思い立つ気持ちが
PCを使ってすることを「おっくう」にさせてしまう原因でもあるのです。
ところが、たとえば金銭出納帳であれ、名簿であっても
必ずしも、日付順やあいうえお順に入力しておかねばならないなんてことはありません。
データが日付なり数値なり名前なりとしてそれぞれの意味をなして入力されていれば
後から「並びかえ」ができるんです。
こういうんを知っておくと、結構気楽にパソコンでの表作りが身近に思えると思います。



たとえば何の変哲もないこんな名簿を
男女別にしたり年の順にしたり、北の方から南の方から
あるいは男の年齢順、女の若いもん順なんて複数の条件での並び替えが可能です


エクセルのメニューの「データ」→「並び替え」と進みます
後は下図のようなダイヤログの「最優先」「2番目」「3番目」などというキーを使って
「昇順」「降順」のキー選択で、自在に並び替えられます。


※ここでは、範囲を選択し、あらかじめ仕分けする対象が表の「タイトル行」か
エクセルのシートのデータ、いわゆる行とか列の指定をしておくのかを
下の方の欄でチェックしておきましょう。




これは今度のサークルで、ぼちぼちやってみたいと思ってます。


引き際

2010年02月04日 | Weblog

「アサショーリュー」の引退は、当然といえば当然で驚きもない。
相撲を国技ととらえて、文科省に法人格を認められ、補助を得て保護されて
何よりも我々の税金が投下されている特別な世界となれば、
一連の行状を看過できない・・・しかし、このたびの不始末は
モンゴル出身の類い希な才能の力士のせいばかりではない
むしろ、多くの海外力士に門戸を開いておきながら、日本的文化を理解広めることなく
格式であり、しきたり、習わしといった相撲文化をちゃんと伝えて
ちゃんと指導すべき相撲協会にこそ責任の所在があって、
そういう意味で、一連の問題では、幹部の「アサシオ」の責任も大いに問われてしかるべきで
いっかど、罪をなすりつけるなら両者に引退勧告をすべきだと思われる
閉鎖的な親方制度自体にも制度疲労が目に余る

今や、かっての相撲人気も凋落の一途をたどっている
そもそも、ここに至った理由は、ある意味「若貴」ブームの影響がおおきい
はじめのミーハー的な人気に乗じて、二人だけがとんとん拍子に出世を果たした。
その後、それが作られたものだとする「八百長疑惑」そのものもうやむやにされ
あげくに、引退後は目も当てられない骨肉を争う家族間の見にくい中傷合戦にはうんざりさせられた。
多くの相撲ファンも、辟易してスポーツなどと呼べる内容でもなく
ファンはそっぽを向いたのだ。ワカタカもまた相撲そのものの醍醐味に傷をつけたことは否めない。
にもかかわらず、ここに至った張本人の一人である「タカノハナ」をまるで
ヒーロー気取りで、「理事」に担ぎ上げて「改革」というのにもまた違和感を大いに感じる
彼は、相撲の再生を担うべき人物では、あり得ない。むしろアサショーリューに連なる
相撲凋落の元凶にも見えてならない。


道義的責任というのは、「罪科」を問う前に生き方として感じる感覚がなければ
リーダーとしての資格はない。まして、道義はちゃんとした政治が形として作り上げ
立法府というものは、その道義を果たすものが、法律を作り上げるところである。
法を作るもの執行するものが、法の網をくぐって、ぬけぬけと法に触れていないという
本末転倒の弁解が、はなはだあほらしい・・・・聞いてもいられない。
これが「政治」で、「豪腕」?・・・政治には金がかかる・・・政党助成金
それすら、ポケットに入ってしまう理屈が、許せない
・・・自分だけがよかったらいい「銭の虫」でしかない。それも税金を平気でむさぼりながら
「オザワ」が、それでも作り笑顔をさらし続けて政治などというのに
この後も関わるということが、政治不信の何ものでもない
政治が毅然としないのなら、税金を払う値打ちもこの国にないと感じてしまう。


ワールドカップイヤーの幕開けの「ベネズエラ」戦の中身もさることながら
代表戦の観客のまばらなことに愕然とした。
にもかかわらず、こうした「テストマッチ」の感想をして
「オカダ」はいいトライアルができて、収穫があったなどと
まだ独りよがりに、つまらないコメントをいう
そうではない・・・・代表は、我々の代表であって
ワールドカップは、我々フットボールファンにとってかけがえのない
最高のイベントであり、そこに行く代表と一体になって楽しみ興奮するものだ。
代表が、まさか「オカダ」の私物でも、「オカダ」にとっての自己満足のおもちゃなどではない
古びた「サッカー論」ばっかりで、何も訴えられない「サッカー」を繰り返して、
わくわくすらさせない試合、楽しそうにも全く見えない・・・せっかく盛り上がった人気を
ここまで「凋落」させていることに気づくなら、
もう一度この国の「サッカー」を再生するために
道ふさぎや、後ずさりせずに、とっとと
「引退」「退場」して欲しい。「オカダ」は決して
日本代表をリードする器では絶対にない。
本番前でもなんでもいい、日本サッカーのために今すぐにでも彼はやめるべきだ。