富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

何これ・・・

2012年02月05日 | フットボール

サッカーの男子五輪代表がシリア戦に負けた。
正直、GKのミスが直接の敗因ではあるけれど、
初めからこのチームの想像力の欠如と個人個人だけの競り合いに終始している
余裕のなさと浮き足だった戦いぶりには失望して何もときめかない。

日本代表は彼らすべてがJリーグに所属するプロであって
政情不安を抱える相手に、サッカーで飯を食ってる選手はたったの一人だけである。

にもかかわらず、これほどの凡戦は、仮に引き分けていても
テレビで衛星中継するに値したのだろうか

女子の五輪代表チームのなでしこジャパンに比べると情けない気もする。

結果は間違いなくチームとして何も生み出せなかった監督の更迭と
選手の入れ替えを余儀なくされただろう。それほど、大きな失望を与えてしまった。

 


サワ ホマレ:なでしこのホマレ

2011年07月02日 | フットボール

所詮女子だとか、レベルが違うなどと言わせない
WomensWorldCup(女子W杯)サッカーで見せる「なでしこ」のサッカーは
まさにフットボールで、痛快だった。
アグレッシブ(aggressive)とは、侵略的だとか攻撃的という元々の意味があるけれども
彼女たちが見せるフットボールには、いわゆる前向きの意志があって、
その意志をかなえる想像力が、一連につながっていて誰もが技術に優れ
局面で慌てない自信もみせて、プレーそのものが楽しかった。

男子のサッカー界のストライカーには、キングカズが君臨していて、そのまた昔に
レジェンドとなった釜本邦茂という得点王がいる。
その男たちの代表での通算ゴールをこの日、軽く超えた一人の輝かしいプレーヤーがいる。
その名を「サワホマレ」・・・しかも3点をたたき込んだ。
今は2列目から時に3列目にさがってのポジションにいながら
彼女は見事にチームをコントロールして見せ、そしてアグレッシブに前へ前へ
ボールも人も進めて見せる。局面で全く動じることなく、技術に優れて自信にあふれている



メッシでもシャビでもイニエスタでも、ロナルドでもない・・・「沢穂希」は
戦略的で冷静で、積極的だった・・・そして圧巻のハットトリックは閉塞感に沈むこの国の
フットボールファンならずとも、大いに勇気づける結果をもたらしてくれただろう。
彼女は男女を問わず、日本が生んだ最高峰のフットボウラーである。

たかだか女子などと侮ることは許されない。
彼女や彼女たちのプレーは確実に、世界のトップクラスにあって
スペクタクルにあふれるパスプレーは、たぶん女子サッカーで世界を凌駕する。
ベスト8、ベスト4に値するチームであり、その核となるキャプテンシーの持ち主の
沢穂希は、日本のフットボール史に残る戦いの真ん中にいる。

たかだか女子と侮るなかれ、
サッカーを男のスポーツと決めつけて
女子のサッカーをコピーと見下すのは間違っている
想像以上に進化していてよっぽど、スペクタクルがあって、アグレッシブで
女子Wカップサッカーは、おもしろい!

 

 


Asian Cup QATUR2011 :優勝!

2011年01月30日 | フットボール

明け方までテレビにかじりついて、久々に「フットボール」に興奮した。
とてもエキサイティングな120分だった。

このレベルで、いいのかとか、たかだかアジアのタイトルだというハナシとかそういうのではなく
掛け値なしに、このアジアカップでの優勝は
その道のりが楽しかったし、久しぶりにわくわくもした。
サッカーファンならずとも、名前を聞いてもピンとこないプレーヤーが何人かいても
それぞれがその個性において、活躍しW杯までの4年間を乗り越えて見えた。

soccer
それが「優勝」という結果がなおさら、サッカーというものの「おもしろさ」を際立たせる。

何も信用できない政治と迫り来る「ジャパンシンドローム」で
どっかの格付け会社のハナシやないけども・・・この国の衰退が始まった
っていうのが、真に迫って毎日伝えられるご時世に
爽快な思いを運んでくれもした。
金縛りに遭ったようなオカダたちのような創造性のない決まり事だけのサッカーから
解き放たれて、一つ一つの動きが連動して見えた。負けずに立ち向かうという姿勢が
前向きなプレーを生んだといえるし、それは十分に観客に伝わってきたのではないかと思う。
始めにシステムありきの南アの時とは違って、一人一人が意志をつなげて自在だった。
無論まだまだ世界のトップレベルに相対するには、一人一人のポテンシャルは足りないし
朴智星(パク・チソン)にはほど遠い。

ただ・・・まるでバスケットの練習のように、繰り返しロビングをあげるだけの
オーストラリアのサッカーに負けるわけにはいかない試合だった。
韓国もまた、さすがに朴智星は両チームの誰よりも際立っていたけれど
チームとしての攻めはいつもワンパターンのようにも見えて、
創造的ではなく、僕には退屈な印象があった。
それでも日本代表は、忘れもしない南アでBest16に残りながら、失うものなどないはずなのに
失うことばかり恐れてあほらしいほどに守備的にシステムにこだわった惨めにも見えたありようから脱却できて
以前のように臆することなく、それらに勝ったことの値打ちを感じる。あのときを乗り越えたと感じさせてくれた。
体力・体格では明らかに見劣りし、コンディションは韓国戦の後半が限界だった上
ゴール前でアイデア繰り広げていた「香川」のいない「代表」がその中で
アジアカップを手にした意味は大きい・・・コレまで失った4年を取り戻せる可能性を感じて
いよいよ日本も「フットボール」の道に足を踏み入れることができるかもしれない。


観戦記:SouthAfricaW杯2010

2010年06月19日 | フットボール

ずいぶん長い間このブログを放置し続けている間に
相も変わらぬ政権の投げ出しがあり、「選挙」ポスターの掲示板があちこちの辻に
立てられている。この国の閉塞感はきわまってさえ思えて、
経済的悪化は身の回りの 深刻さをいっそう際どく感じさせる。

一方で心待ちにしていた南アのW杯も開幕し、テレビの前で
メッシやフォルランなどの創造的なフットボールに わくわくさせられ、
強固なセルビアのデフェンスに感心もさせられた。チリやウルグアイのサッカーは
スペクタルがあって、おもしろく、一方でアフリカ勢がなぜかことごとく
期待はずれのパフォーマンスであり、ヨーロッパの強国の出来が
必ずしもよくない・・・・確かにこれはグループリーグであって
多くの強国のゲームマネージメントや視線は、その先のトーナメントにあるのだが、
フランスは言うまでもなくスペインもイングランドもイタリアもポルトガルも
南米勢との違いははっきりしている。韓国に完敗したギリシャがその象徴であった。


眠い思いをしながらテレビ観戦し続けてはいるけれど、
日本の試合もオランダ戦を含めてグループリーグはもう2試合を終わってしまった。
直前のテストマッチのふがいなさと、指揮官の悪いイメージで
決して盛り上がりもなかったこの国のサッカー熱も
1戦目の思いがけない勝利で急にあつくなり、・・・なったところで結局点もとれずに2戦目を落とした。
正直、1戦目の勝利には釈然としない感慨を感じずにはいられなかった。
あれほどなりふり構わずにただ無意味にクリアするだけの守備は、歯がゆさと
裏切られたとさえ思えるほど、「蹴る」ことだけに終始して見え
ただただつなぐこともないクリアが見るものの感動を呼び起こしたとも思えない
カメルーンの試合以前のチーム的崩壊とふがいなさを目の前に、
誰一人勇気も創造性も見いだせない有り様は、一度の決定機に珍しくゴールを獲れたものの
この4年の月日とこれからこの国の「フットボール」のために
それだけでは、決して夢を与えられる結果でもないように思えた。
僕らの意志に反して呼ばれる「OkadaJapan」というものの勝利ではあったかもしれないが
日本のサッカーにとって大きな勝利とは思えなかった。
ここまでの道のりをまるで時計を逆回しにしたように、ただ守るだけで、拾った勝点と感じられた。
1戦目に見せた韓国の戦いと比べると、
多くのヨーロッパの論調を待つまでもなく、エトーを無意味にしてしまった
戦略なきカメルーン共々、マン・オブ・ザ・マッチのいない
たぶんここまでの最低のゲームだったといえる。

2戦目も「惜敗」と呼ぶには、正直レベルの差は依然として大きく勝てそうにはない試合であり、
その中身は1戦目に大差ない守備偏重のただシステマチックな ありように変化はなかった。
直前の強化試合の結果は、それまでのいわゆる「コンセプト」たらゆう
いっかどの看板をおろさせて、「世界を驚かす」などという意気込みを、完全に心変わりさせたのだろう
Hondaは一度も機能せずに、一度もキープできなかったし、Shunsukeに至っては
案の定もう通用しないし、彼のところに球が行くたびに何もかもが遅れてしまう。
彼らが3戦目のピッチは踏まないものと思う。
オランダそのものも他のヨーロッパ勢と同じように「予選リーグ」のパフォーマンスは
決してできがよく見えなかった。
ファン・デルファールトやファンペルーシ、スナイデル、エリアだけに攻撃を任せて
引いて見せても・・・日本は決して攻めてこずに、ずっと自陣に引きっぱなしの姿に
ある種戸惑いもあったのだろう。体力の消費を抑えるように
繰り返し2列3列と寄せては返しもせず、右左にポジションを動かし続けることをすることもなく
あれは明らかにいつものオランダではなかった。カメルーンの2の舞を回避して
彼らのシナリオは、せいぜい結果通りの1-0にあったのかもしれない。
そのできのよくないオランダの球を奪い取れるシーンはなかったし、そもそも球をとってもそこからの
アイデアは日本には、たぶん皆無だったとも思える
2戦目もまたテレビの前で、こみ上げてくるものを感じなかった。
「惜敗」と呼ぶにはその内容に偽りがあって、惜しかったと呼べるものがない


政権公約のほら吹きとええ加減さに少々嫌気がさしていたが
同じような意味で「ベスト4」などと途方もない言葉を口にした指揮官を未だに信用できないし
創造的に次につながる「フットボール」へのあこがれを見いだす試合を次にできないのなら
サッカーの祭典も、一時の「ゆめ」に終わって、フットボールの未来を裁ち切りかねない。
誰もが求めてやまないのは、今までとは違う確かな創造性なのだ。
それは政治もサッカーでも 同じことに思える。
確かに日本人的な精神性から言えば、この「勝利」はうれしいし 敗戦は悔しい
行き詰まった政権から変化した新政権にも期待したい、しかしそれもただ目の前の
対処やただ勝ちさえすればいいのではなく、次に伝えるべきメッセージがあり
夢を見ることのできるビジョンがなければ
その先が見えない我々の心を動かせるはずもない。

サッカーは楽しくわくわくさせて、「フットボール」の醍醐味を与えてくれる
それを成し遂げてこそ、たんなる目の前の勝ち点ではない未来へのあこがれと
「夢」を作り出せる・・・3戦目はなりふりかまずに、前を向いて、いつも獲れない「点」を
取りに行く本来のサッカーを体現してほしい・・・


クライフそして、2010ワールドカップ

2010年05月22日 | フットボール
カウントダウンが始まったワールドカップ
にも関わらず、この国の盛り上がりと話題性と歓声が届かないし
悲しいくらいに小さく感じてしまう。
それはとりもなおさず、「スペクタクル」というか
サッカーそのものの「おもしろさ」を体現できずにいるこの国の代表のせいだと思われる

テレビに映し出された「ヨハン・クライフ」は1974年ドイツでみた
オレンジ色の14とは、大きく違って見えたけども
間違いなくクライフであり、彼が語る「フットボール」そのものの本質は
今もなお「おもしろさ」にあふれて
私たちが見失った「サッカー」の醍醐味を今更ながらに思い起こさせた

彼は、間違いなく不世出のフットボーラーであり
彼が体現させたフットボールそのものは、それを目の当たりにした
あのときの感動のまま、僕の「オレンジ」のオランダカラーへの
あこがれを色あせさせたりはしない

一方で僕らの代表は、たぶんこのままでは歯が立たず、
「理論」などいう幻想を口幅ったくゆうヘッドコーチの足かせで
24日の韓国との練習マッチでさえも
夢などというもの期待という形を示すことは
もうないのかもしれない・・・・期待にかなわないのなら
本番前に退陣させてしまうのも、いっそ最後の手段だと思わずにいられない

一つ覚えのように、僕らは「シュンスケ」や「ウチダ」などというような
とても世界では通用しそうもないメンバーが固定され
そのことが期待感を失わせるのが予期されてならない。
我々が目指す我々らしくおもしろいフットボールを体現し
我々を魅せることができるのは、どう考えても彼らのような気がしない
にもかかわらず、我々の代表監督は彼の「理論」とやらで、彼らばかりを重用し
結果、
ワールドカップ直前にして無残なゲームばかりを見せられてきたのだ。
そこを解消しなければ始まらないのに・・・・
我々は決してフランスで何一つ結果を残すことのできなかった
「臨時監督」を代表監督にしてはいけなかったことを
くどいほど言っておきたい。

けれどもワールドカップはいつもいつも大きな楽しみである

大いなるブーイング:何やってんのん?

2010年04月07日 | フットボール

ホームで0-3 コレは、1年も先の話と違う
我々は、何度惨敗を見なければならないのだろう・・・
W杯目前にあって、不甲斐ない試合が続きながら
沈滞していても、不見識な日本のマスコミのいういい加減な評論に
かすかに希望を持ち続けたサポータの眼前で
相変わらず、いともかんたんに、ゴールを打ち破られた。
玉際のスピード、アタッキングゾーンでの意思の疎通
デフェンスの巧みさ、フィジカルのすべて、
あらゆる意味で見劣りし、すべての面で勝てる要素もなかった。


ここまでの時間をかけて、この時点でまだ試したいという神経と
ここまできて確信のかけらももてないオカダがそこにいる
この時期に来て大学生を呼ぶなどというのは、迷いとゆうより
打つ手を全く見失っている証拠だし、
そのことだけでも、Japanに集まるもの、Japanを見つめるものの
顔を背けさせる。我々の代表は我々のプロの代表である。


我々は、冷静に考えねばならない
オカダになって、Japanのあげた勝利の少なさと
負けの多さと、ここに来て惨敗ばかりと言い訳と結局
ありもしない幻想と、いつまでも「反省点」ばかりを見つけては、
いつまで待っても、何も解消せずに、結果何も作り上げられず
おもしろさをそぎ落としたみたいな「球技」という名の思い込み
と、体育みたいな何も伝えられない味気なさを・・・
いやというほど、見せつけられてる気がする
フットボールの本質を、オカダは絶対に知らない気がする。
我々が見たいもの、それはおもしろいフットボールであって
我々が楽しいと思うものである。

そして、たくさんのサッカーファンの期待を裏切って
世界を驚かす前に、サポータを失望させた現実に目を覚まさねばならない。

なにより今日のように、相手にだけイニシアチブをとられて
攻めも守りも相手のペースにあわせて、戦わず戦えず表現しきれない自分・・・
意思もなく、ただ、ターンオーバーの繰り返しで
疲労だけをためこむ無駄走りを続けて
時に触れ大切なのは「連動」などと、ことあるごとに唱える呪文は
イマジネーションとは、別物で、たぶん定番の「横パス」と同義語のように思え
単に習慣的に繰り返しているにすぎない時間の無駄遣いにさえ見える。


ドイツで味わったパワーサッカーの前に我々の横パスサッカーは
完璧に打ちのめされたはずなのに、何も変わらないばかりか
もっと以前のサッカーに戻って見える
速さは、もっと違う意味で表現されなければならない
パスにも走りにも、戦略にもリズムの強弱もなく
明らかに背の高いDFの陣取りの中に、サイドからのロビングは
どれも無責任に放たれて、意思が見えない。負けていても挑戦しない
頭を使って打開しない。次はこうするという決めごとに縛られて
極端にミスをおそれて、結果的にミスが連動する。
それは、楽しく切り開くアイデアを期待もさせない・・・・

ここに来て、こんな試合を見せられて、Wカップをどう希望をもって
見られるのだろうか・・・沈滞した世情にやれば出来ることを見せたいなど
うそぶくのなら、その証を見せてこそ伝わるものだ。
このゲームは、その逆像を見せつけた・・・・
オカダの出来なさが失わせたものは、結局大きい
フットボールへの興味さえ色あせさせる。
せめて退陣して、この時点でコーチが変わるというハプニングに
一縷の期待を持とうと感じることの方がよりましに思えてきた。


・・・凡戦と失望と

2010年02月11日 | フットボール
ワールドカップイヤーの代表の試合となれば
多くのあこがれと、期待と希望と興奮と楽しさにあふれていなければならない。

相手は、アマチュアの香港で東アジア選手権(どんな意味があるんかしらんけど)

これがフットボールなのか・・・
パスの道筋にまで決まりがあるように、局面局面に驚きとひらめきがない
選択肢も一つしかない・体力に乏しい日本型FWがなぜあれほど
守備的に意識してしまうのだろう。彼らはこぞって
観客ではなくベンチのスタッフに向けたプレーを意識しているようにさえ思える。
この程度のオフェンスにアマチュアの彼らにさえ、デフェンスは容易だった。

フットボールの本質はOkadaのいう「システム」とか
コンセプトでは絶対にない・・・一人一人が持つイマジネーションが
その瞬間を作って、それを連ねるひらめきに
驚きと感動と達成感が生まれていく。切り開く個人技の連続で・・・ところが・・・

どこに誰がいて、こういう時にこうして、フォーメーションの崩れだけしか
目に入らないヘッドコーチのせいで、へとへとになって、
楽しいはずの「ゴール」に必死になってことごとく・・・フカシテしまう
これがフットボールなのか・・・これが代表のフットボールなのか
これで、子供たちをわくわくさせているとでも思っているのか
「前半はシュートの意識がない・・・」などと
まだ、そんな使い古された言い回しが薄ら寒い
シュートの意識が欲しいのではない・・・ゴールの興奮とゴールの楽しさに感動したいのだ。
まるでS級ライセンスを取ったものだけが
「サッカー」をわかっており、サッカーとは専門的戦略がわかっていないと
わからないとでもいうのだろうか
僕らはわかる。これがつまらないのか、楽しいかぐらいは
見てるだけでわかる・・・見てるだけでわかるものに
感動を与えられるのが「プロ」なのだと思うし、「代表」の誇りだと思う。

一人一人に決められた役割と・・・コンセプトなどというわかったようでわからない
縛りのために、どのプレーヤーからも何も感じない
こんなシステマチックなクラマー時代の
体育的発想の「教則本サッカー」は
とっくにフランスやドイツ大会で踏みにじられて、粉砕されたはずだ。
なんの楽しみも期待感も観客に与えることもできない「監督」のコメントに
未来をふさがれた思いがする。
期待とわくわくする思いを与えられなくて、「代表」などと呼べない

こんな「凡戦」をわざわざ放映する意味がどこにあるのか
ここまで来てこのありようで、本当にいいのか
とにかく岡田では時間の無駄でしかないし、時計を逆回しにして
フットボールファンをどんどん失うだろう。

もうええんちゃうか・・・こんなおもんない「サッカー」

2009年06月17日 | フットボール

結局、スペクタクルが全くないし、当たり前のように
オーストラリアに負けて、何もないどころか
一時期、「サッカー」というものへの期待感すら消してしまった気がする
岡田そのものが、「スペクタクル」やもっと言えば
フットボールのおもしろさそのものを、全く知らないと思える


相も変わらず、ポジションとやらにとらわれて
唯一見せる松井のドリブル以外に、決めごとの数々
ああいう場合はこういう風にといった見え見えのありようと右往左往
オーストラリアは、片方のサイドに集まりスギと言うけれど
ターンオーバーの瞬間に全員がゴールへ向きを変えていた

この程度のメンバーが代表ではないはずだし、彼らがこの国の
サッカーシーンをリードできる素材には、思えない
「残念」ではすまされないほど、フットボールの現状は厳しい
実際代表戦にくる観客の減少は、深刻だ
この程度でベスト4などという認識が、むなしい・・・


失ったものは大きい、ポジショニングなどという形式張った言葉に
踊らされて、知恵のない想像力のかけらもないありようは
フランスの時を思い起こさせ、テレビの前の関心を失せさせて、
せっかくのワールドカップの出場を色あせてしまった。
岡田ごときにこの国の「フットボール」の未来を託せるはずはない
今からこそ、再構築させてワクワクするフットボールを築いていかないと
芽吹いたフットボールの若木が枯れ果てる


5点取られても4点取れるサッカーの方がまだましだ
ゼロにして、とにかく今までの時間をクリアして
ワクワク出来るサッカーで、期待感を今一度持ちたい

岡田よついでに「あそー」にもいえるけど、
あなたがこの国のフットボールの場ふさぎしないように、
この程度の結果を思い知って、一日も早くその場を去って
次世代のサッカーをおもしろくできるスタッフで
おもしろいメンバーでやり直そう


オカダ・そして世襲制限

2009年05月21日 | フットボール

すごく悲しい気分になる。あれほど我を忘れて見入った
代表のフットボールに、関心を持とうとしないボクがいる。
それはひとえに「カリスマ性」のかけらもなく、もう遠くに消え入りかけた
「メキシコの残照」に未だに浸ってるような世代の「オカダ」が監督に居座るせいだ
彼には、ぬぐいきれない「フランスでの無様なスプリットのないゲーム」の責任があり
そして、決してそこを抜け出られないほどのフットボール観のなさが彼のすべてだと思える


守備ということは、パスコースを断ち切り、献身的に身をテイすることと信じているのだろう
オシムのあとに就いたときに、「ラグビー」の戦法を持ち出したときに
あきれ果ててしまった。日本ラグビーは、身を殺す連続の守備陣形を是としてスローフォワード
を否とする陣地取りのゲームに近く、大局も局面も
ターンオーバーが支配するフットボールの対極にあるセオリーが占めている

我々が、代表に求めるのは何度もゆうようにくだらない戦術論などではない
国際語に等しい共通言語の「フットボール」を通して何を表現するか、何を伝えるか
というコンセプトが見たいのだ・・・・少なくとも彼にそれを見るチカラそのものがない
したがって、彼が選んだという「代表」の信憑性が疑わしいし
日替わりメニューのようなぽっと出の代表候補に、ほとんどボクなどは認める才能を見つけることが出来ない


そのことが最終予選にいたった現時点でもなお、目を背けさせる
それは、代表への多くの関心を奪っている実情が物語る・・・もう青色に
コクリツが埋まることなどないのだ
いつまでも消えて久しい「メキシコ五輪の栄光」をポケットからひけらかした世代が
協会などいう組織ばったシステムにこだわっている場合でもなく
才能もないヒトをいつまでも、この国のフットボールの「かお」にしておくことこそ
未来をふさぐ、こんな事をゆうのも口幅ったいけども彼の顔そのものが代表に似つかわしくない


同じような釈然としない思いが「世襲制限」などとぶち上げた「マニフェスト」なるものと
この国の「政治家」と自称する怪しげな連中に感じる
我々が「世襲」を嫌うのは北の国に例を見るまでもなく、内閣や要職を2世が占めている
寒々しい現状である。そして、2世は2世を担ぎ上げ平気でこの国のトップに仕立ててきた。
口先だけで、思慮もなくアイデアもなく、ただ坊ちゃん顔のアメリカかぶれの金融第一主義者の
学者くずれに国策を丸投げして、あげくに国の政治の後釜に平然と次男を世襲させるコイズミや
政権を軽々と放り投げた「アベ」やの「フクダ」、世界中にこの国に赤っ恥をかかせた「ナカガワ」に
字も読めず人権意識のかけらもなく10%程度の支持しか得られない「アソー」らの情けないありようを
見せ続けられてきた。それは「キタノ国」とどう違うのかとさえ思うほどだ
そのすべてが世襲であり、それを「毛並みの良さ」などうそぶいて
その周りに派閥やグループと称してたかり続けるどいつもこいつもが
国政をにない政策を立案するものとして、アイデアにかけ
資質としても欠格しているという認識が世間を覆っている現実・・・
けれどもそのええ加減さと安直さが国政を劣化させた責任を全く感じていない
鈍感さ・・・言い換えれば世襲ゆえの無能さ、無気力、無関心さが結果、
いつも、官僚ののさばりを許して「財政」という政治主導など足蹴にされてきたのだ。
ところが「世襲制限」の対象にこれらのおびただしい現職は含まれないといい、
2世の2世だけが対象になるという「茶番」が、あまりにもばからしいし悲しい。
その上で抜け道というか、2世を公認せずに無所属で立候補させて、
当選後の党への所属は認められるという・・・
それは選挙民への裏切りではないとぬけぬけと断言する
その見識の低さと、どうでもええようなあきれ果てた政治感覚・・・・
本来、世襲を禁じて立候補を制限すべきは、そうした数々の醜態と無能をさらした「今ある世襲議員」のすべてであり
5人が5人とも、あるいは金まみれ体質野党党首に至るはずで、
彼らの無能ぶりからも、現職の首相でさえためらいなく立候補が制限されて、
結局オザワも議員引退となるはずではないのか・・・少なくともボクは
そうあってこその「世襲制限」という意味をなし、
それぐらい反省できていないともう世の中が前に行きそうにないとさえ思う

けれども、どっちもどっちの「実力者」気取りの人間たちが記者インタビューに
答えている様は、「器も度量もそして、哲学そのものが小さく、
視野も狭すぎて国民感情からは遠すぎる・・・このままでは
政権交代で起こるとしても「想定の範囲内」のさざ波が立つぐらいなのではないのか・・・
国会議員の半数を超える小粒な2世議員をそのままに放置するのだから・・・
「代表のゲーム」と同じように「総選挙」自体に希望など持てそうになく関心すら薄れて
やがて、「閉塞感」があたりを覆いそうな気がする・・・


こんな絶望的な見方してるんは・・・ボクだけやろか・・・


W杯最終予選[日豪戦]:色あせて・・・・

2009年02月11日 | フットボール

代表が見えた・・・ドイツで無惨に打ちのめされた時より以前の
フランスで目の当たりにした何もない「サッカー」に時間を巻き戻されたように
思えるほど、喪失感さえにじむゲームだった気もする


私たちは、ホームで負けなかった事を受け入れるべきなのか
オーストラリアを「世界の強豪」ととらえて受け入れるかの選択を迫られているのではない
もうこの国の「フットボール」に対する関心すら薄らいでいて
フットボールをみて、胸を躍らすことを共有しにくい現状が
喪失感を覚えてしまうのだ
指揮官らしき人は、「よく戦ってくれた」というけれど
彼のために代表が存在しているわけではない、彼の満足など今なんの意味も持たない。
勝たなければならない一戦はあらゆる事を前向きにして
この閉塞感を打ち砕くために、負けなど考えずに勝ちに行かなければならない。
引き分けに終わって「よく戦った」では、この先が実は閉ざされてしまう


終始、局面でそれらしい決まり事を作ってるように見える
ありようは、いもしない味方へのパス、あわててふかすゴール
イメージも想像力にも欠けているのに、ふかして頭を抱え込む
また、変わらない繰り返しで、はずしたシュートに
いっかど、ポーズはしている選手やベンチに反して
みているものには、それほど興奮も落胆もしないですんだ。
それがおきまりのパターンに見えるほど、誰もが攻める姿勢に腰も引いていた
今そんなものがみたいわけでもない・・・
観たかったのは、「ベスト4」を目指すという攻撃のスペクタルであり
守備のアグレッシブさであって
それどころか、ここが「ホーム」だという気迫と意気込みにかけていた


ShunsukeもEndoもプレースキックのときにだけ、その存在を
知るだけの、淡泊で希薄なゲームに思え、相手に見切られた攻撃は
ゴールを固め尽くした相手を脅かすに足りていないし
どきどきすらもなく、見せつける技もなく、みるものを引きつけてはいない。
オーストラリアのチームがとても強豪などとは思えないありようであったのに
「ベスト4」などと語るに足りない


危機は、その失って、分け合った勝ち点にあるのではない
この国の「フットボール」の行く末に希望がもてなかった結果にある


日本代表:「岡田の限界」

2009年02月01日 | フットボール
もはや、岡田が監督でいる意味も彼が代表の練習に
つきあっている意味もない
「バーレーン」での敗退は、とっくに彼が代表監督の器量を
持ち合わせていないことを、はっきりさせている
というか、はじめからわかっていた話なんやけども
「フットボール」そのものを教則本頼りに
やってるみたいで、イメージやらアイデアも
クリエイティブでない・・・・彼は化石燃料の撤廃を叫ぶ
エコキャンペーンに「あて職」で名を連ねているけども
彼自身が、サッカーから本質的に変化した「フットボール」に
対応できないでいる・・・協会にまだはびこる「大学サッカー」という名の
「サッカーの化石」の一つに見える

未だに決まり文句の「組織」だという戦略がはじめにありながら、
実際は、徹底的に、スキルに欠ける「内田」を使い続けてまんまと
格下の「バーレーン」の「戦略」にハマったようだ・・・・・
何を戦略というのだろうか 崩し方の練習に明け暮れて
実戦に必要なのは、結局遠藤や俊輔の個人技だという・・・
いっかど「コンセプト」を語るけど、コンセプトにあわせるのでなく
日々変わっていくものこそ、「代表」が見せるコンセプトでないと意味がない
彼のいう「サッカー」はフランスでは情けないほど通用しなかった

それよりも、この試合のテレビ放映がないことをとらえ
「テレビに映らなくても関係ない」と発言している

彼は、この国のフットボールの代表監督であって
僕らを含めてフットボールファンの希望の先端にいる立場である
我々が、今、目にしたいのはすっかり落ちかけた
フットボールへの関心や未来を希望に替えて払拭するはずの代表の「生の闘い」である。
・・・どんな意識でやっているのかと
大いに失望した・・・単なる勝ち負けをこえて
フットボールの未来をも背負うという自覚すらないのなら
さっさと、その場を速やかに立ち去って
危うい最終予選を乗り越えるために、「場ふさぎ」しないでもらいたい

「ばんざい!」GANBA大阪の天皇杯優勝

2009年01月01日 | フットボール

正月には、暖冬を予想してた割にフタをあけたら、全国的に
「寒波」がおおってます・・・・ってワケやないけど・・・
・・・正月早々「だっしょもない」洒落で悪い気がするけども
寒波やのうて、「ガンバ」が天皇杯を制しました。・・・よっぽど
さっぶいオハナシで・・・ごめんやけど

生涯に一度は行ってみたいし、あこがれの「元日のサッカー」と「国立」
どっちかゆうと「レイソル」のイエローが目立つスタンドやったけど
「パナソニックブルー」も際だってた・・・・
(円高でパナソニックがブルーになってるせいでもないし、
  日立に黄信号がともってるせいでもないやろに・・・)

ゲームは、考えられへんほどの試合日程をおして、ここまで勝ち上がった
ガンバにはホンマに酷な状況やったし・・・準決勝のマリノス戦をみて
天皇杯とACLへの切符を手にするのは
相当しんどいもんと想像できた・・・
「二川はおろか遠藤にも明神も橋本」も
ガンバの「ダイナモ」はとっくに限界点を超えてしまっていたからだ。
世界クラブ選手権やACLのころのピークに見せたパスワークやスピードには
遠く及ばない状況やったし・・・
破れかぶれのレイソルに分があるにさえ思えていたものだ。


案の定開始直後のレイソルのパワープレーで15分間はおされ続けて
球際の負けが目立ち前に向く姿勢にばらつきと反応の鈍さが気になる立ち上がり
・・・・がしかし、
結局はその15分間だけがレイソルがイニシアチブをとれただけで
個人技、イメージ、戦略でさえどれもが勝っていた・・・
っていうかレイソルには「勝者」にはなれないレベルの差を感じてました。



・・・余談ですけど・・・山本っていう人の解説・・・途中で副音声にしました
「アタッキングサード」とかちょっとやそっとで聞き分けられない
サッカー教則本用語をテレビの解説にしてみせる・・・
たとえば漫才をまじめな顔で分析していたり、ナンも才能がないくせに
「たけし」や「ひとし」気取りで理屈ぶる鼻持ちならない爆笑問題みたいで
あぁいうのが「オカダ」にしろサッカー協会っていうもんにはびこり
代表のサッカーを停滞させたんやろって思う。
まったく、アマチュアの視点から抜け出てないよね・・・
・・・僕も僕で、こんだけわかったようなこと、ぎょうさん「ゆうよねぇ~」

だからこそ、きわどいシュートがありながらも負けそうな感じは、受けずに
ただ、引き分けてPK戦っていうのだけは「いややな」ってどこかで思いはじめて
一方的にボールを離さない延長戦をみてはいたものだった。
その矢先の播戸のゴールは痛快で、
思わずテレビの前で「ごっつい声」が出てしもた

年の初めに縁起がええこと・・・このぶんやと「タイガース」も優勝やで

と、天気が悪い割に案外「インガソン?」で
穏やかな元日でおまんにゃぁわぁ~~~


フットボール観戦記:「GAMBAサイコー」

2008年12月18日 | フットボール

フットボールでいう5-3というスコアは、本来なら決定的なスコアに違いない
けれども試合後のM・Uの選手、Ronaldoもファーディナンドの
誰よりファンデルサールの疲れた表情に
GAMBAのしでかした攻撃の意味を見いだせる

マンチェスターユナイテッドにとってこの試合は
従来から「トヨタカップ」の前座の練習試合の意味合いでしかなかったと思うし
たんなるウォーミングアップの一環で時差ぼけ解消程度の「顔見せ」やったかも知れない
けども「池のメダカ」やないけども・・・・
「これ以上やったら・・・本気になってまう」ほどに、
彼らの息を切らして見せたガンバの飽くなき前向きな試合運びは痛快やった
M・Uのプレイヤーもファーガソンも内心穏やかなはずはない
あなどったしっぺ返しをして見せられたのだ。
オバマ・コハマやないけども・・・「Yes,We can」でっせ


ガンバがそれぞれの個人的レベルで局面で見せた
球際での余裕は、むしろ流れとしてM・Uを上回って見えた
相変わらず単調にターンオーバーだけを繰り返すイングランドサッカーに対して
フィジカル面で劣っていても、意味あるパスの精度とアイデアは
たぶんアジアを蔑視していたファーディナンドをあわてさせもしていた。


確かに5点を取られたことは、決定的に世界の差を感じる
Jとプレミアのトップとの距離は月ほど遠くにも映る
ルーニーのゴール前の「精神力」とフィジカルも
我々の側に見いだせることはない
けれどもガチンコで3点を取れる攻撃を久しく目にすることもなかった。


「オカダ」なるもののいう「組織」ではない
もっといえば、小手先の局面にとらわれるポジショニングでもない
「フォーメーション」という呼び名の建前でもセオリーでもない・・・・
S級ライセンスの教則本に照らして動いたわけでもない。
それらは、たまたま負けずにすんだ結果だけを積み重ねてもこうして
テレビの前に釘付けにはしない。



点を取る一体感とアイデアと個人技とパスそれらがみな融合して
前を向いて、あきらめず、自信を失わず
ひたすらにボールを奪い、奪ったボールに対してのチームの方向が一致していた
ガンバがこじ開けたゴールは私たちが長らく感じることのなかった
フットボールのワクワク感とスペクタクルにあふれて思えた


アジアの「プロサッカー」が目指すものの一つが
この20本を超えるシュートに現れている・・・ホンマおもろかったで
こういうのが、人を引きつける
こういうのを代表もやって欲しい・・・
「予選突破」などいう「ちんけな」目先だけに目標を置かずに
見ものに対して、何を伝えるのか
スポーツを通して、子供たちの気持ちを
揺り動かすおもしろさを見せて欲しい
やがて、本気でかかってこないと本気で倒せるだけの
フットボールを磨くために・・・・


ガンバ快勝:アジアチャンピオンやじょぉ~

2008年11月12日 | フットボール

皆さん申し訳ありません
今夜のサークルは、気もそぞろ熱が入っていなかったことを
そっと、告白します

今夜オーストラリアのアデレードで決勝の第2戦がありました
5日のホームで3-0で快勝してたんで、
よっぽどのことがない限り・・・って思てたんやけど

ホンでも気が気やなかった
結果は圧倒的スコアで「アジアクラブチャンピオン」に輝きました
敵地で2-0は文句ありません
アジアチャンピオンで今度の世界クラブチャンピオンシップに
念願かなって出場します

うれちい

代表は相変わらずパットせぇへんけど
フットボールでこんなにうれしい気分になれたのは
いつ以来やろか

タイガースがあんなことになったけど
ガンバが帳消しにしてくれたわい!