富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

これで最後のサッカーコラム(1):日本完敗

2014年06月29日 | サッカー

ぐうの音も出ないとは、こういう状況を言うのだろう。    テレビを始めあらゆるメディアを通じて
あおりにあおりたてた「サムライブルー」は、世界のサッカーの前に全く歯が立たずにあっけなくブラジルをあとにした。
戦いそのものは、この国で、いっかどそうにサッカーを語ることも気はずかしくなるほど、世界のレベルとはあまりにも違いすぎた。

・・・そのためにもうサッカーのことを記事にするのは、これで終わろうとおもう。 
自分の知ってると思っていることもまた同じように「井の中の蛙」の戯言にしかないと思い知らされたから・・・

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すべての言い訳は、結果の前にむなしい。
多くの反省の弁から「自分たちらしいサッカーができなかった」というものの、
では僕らが自分たちのサッカーがどんなものかと言えるほど
僕らは代表の試合からそれを一度もはっきりとは、見たこともない気がする。
中には選手の一人のコメントに「記録のためにゴールキーパーの交代したことは屈辱的だった」というのもあったけども・・・・
振り返ってみれば、そういえるほどの 自分たちの側にそれだけのスキルがあったのかというと、今となっては身の程を知らない話だと思う。
あの程度の守備を相手に決勝トーナメントのシュミレーションにもならなかったわけで
逆にコロンビアの側に言い返されても仕方ないほどの レベルでしかなかったことは、映像が物語っていた・・・・・    
攻撃は通じなかったし、守備は情けないほどに遅くてもろかった。

所詮は、大手スポーツブランドのサッカービジネスによって、日本の「作られたスター」はいずれもあの程度だったか・・・
ミランの10番も、マンUのユニフォームも結局こうしたビジネスライクのセールスパフォーマンスだったことに気づく。
彼らが今は、クラブではベンチにいることの意味を納得する。

胸筋も体格も違う。突破するときのスピード、スピードに乗りながら止まらないステップとドリブル、
選手のすべてが局面ごとに共有できるパス。
正確なシュート、パワーにあふれたミドルシュート、守備と攻撃が一体化したアグレッシブな本当の意味での連動
想像力 メンタルの強さ、瞬時の判断力と沈着さ、自立した個の力・・・・どこにも比べるものなどなかった気さえしてくる。
パスは、常にただ放たれているだけの無責任な球離れにさえ見えた。
コロンビアの戦い方は、我々が見てきた「日本代表」の「自分らしさ」などと言う思い込みごと、すべてを粉砕した。

体育の延長線上のサッカー・・・わかったような顔して解説する、かっての実業団世代の信じて疑わない
システムという名の「サッカーの教則本」、おもしろさと相容れない大学スポーツの決まり事のようなサッカー
サッカーのおもしろさを知らない旧世代の仕切るサッカー協会
基礎とか言いながら、スポーツの精神の基礎をまだわかっていない育成という名の押しつけ
・・・一から作り直さねばならないものがいっぱいある。

長らく高い壁だった「アジア予選」をカズやラモスによって、ようやく突き抜けるメドがたったこの国のサッカーの実力は
残念ながら、Jリーグ20年を経ても、実はそれほど進化していないのが本当のところだった気がする。

ただサッカーは、この世界では英語と並んで共通の文化である。
コートジボワールなど言う国の文化にしろ歴史にしてもサッカー以外に触れることなど普段の生活にはない。
だからこそ、「代表」という意識の中にサッカーだけは国の文化を背負うものだと、もう40年以上ワールドカップを見てきて実感する。
「国民性」などというものを語るつもりはない、一人一人が違うのに、人間を十派一絡げにして語る文化は世界にはない。 
意識が違って思えた。 背負うものの大きさがよその国とは大きく異なって思えた。
震災後の「なでしこ」にははっきり見えたそういう意識が、まだ3年しか経っていないのに今度の代表には見えなかった。
  
この期に及んでまだ、懲りずにと自分らの知ってる物差しでワールドカップを解説している
「オカダ」や「ヤマモト」たちが今は哀しく見えてくる。 彼らが評論するすべてがむなしく響く。
予選での日本に「敗因」などなかった。ある意味で当然の帰結のような今は気がする。

自虐的に言えば、あれほど知ってるような気でいたくせに、負けた日でさえ渋谷でハイタッチしていた「にわかサポーター」
帰国した選手たちに  「夢をありがとう」などとぬけぬけと言える連中と同じように
ひょっとしたら勝てるかもしれないと、結果的にメディアに踊らされていた自分がやっぱり気恥ずかしい。
足下を見つめ直して、やはり「アジアで一番」を目指すところから戻るべきではないかとまで思う。

実は・・・あらためてこのブログで「サッカー」というカテゴリでわかったようなことを書いて来たことを読み返してみたら
今から8年前の2006年に、全く同じことを書き込んでいた・・・自分が繰り返していることも
あきれてしまうけど・・・・なんも変わってないことに、またショックが倍加された気がしてくる。

「これが日本代表です」2006年6月23日

ここに、ただ唯一日本のサッカーの本質を見ていた「セルジオ越後氏」のコメントを引用させていただく。

【セルジオ越後コラム】負けたからこそ得るものがある

怒りと失望、あるいは2戦に比べればよくやったという反応もあるかもしれない。コロンビアに1─4で惨敗し、
日本はブラジルから去ることが決まった。ファンのみんなには様々な感情が浮かび上がっていることだろう。
この4年間を振り返れば、1分け2敗という結果は、起こり得るべくして起こったものだと思っている。
これが現実。それを改めて突きつけられたということだね。
日韓W杯が開催された2002年以降、日本代表におけるビジネス的要素はどんどん比重が増していった。
泥臭く、低予算の中でW杯出場を夢見ていた時代は終わり、日本代表は文字通りドル箱になった。
メディアは煽り、スポンサーは群がった。純然たる強化試合よりも、日本より弱い、
それも2軍、3軍を平気で送り込んでくるやる気の低い相手を国内に呼び、その勝利にメディアの一面が踊る。
代表戦はまるでコンサート会場のようになった。
そのツケが回ってきたということだね。非常にドメスティックで、知らず知らずのうちに井の中の蛙になってしまったんだ。
海外組はブランドになり、選手は神格化された。W杯に出れば、対戦相手はみんな“海外組”だというのにね。
その中で、代表チームは実態以上に大きくなり、期待は必要以上に大きくなってしまった。
井の中の蛙がW杯に出て、惨敗するべくしてしたのだ。試合に負けたのは、選手たちだけの責任ではないね。
協会にもメディアにもファンにも責任がある。みんな反省するべき時がきたんだよ。
負けた今だから言っているのではないよ。僕はずっと言い続けてきた。それが辛口だなんて言っている時点で甘かったんだ。
この日感じたことを次に生かさなければならない。負けたからこそ、得られるものもあるはずだよ。


これが最後のサッカーコラム(その2):Round16 ここからがワールドカップ本番

2014年06月28日 | サッカー

日本が勝ち点1をやっとさ拾って、予選ラウンドのグループリーグが終わった。

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大半のにわかサポーターたちのワールドカップも実はもうここで終わり・・・サッカーを見ることもないだろう。


だがしかし、ワールドカップはここからが本番・・・やっとさクリアした国を除いて
多くの強豪国は、全く違うやり方をしてくる「トーナメント」こそが本番で、これまでは試運転・・・
イエローカードのクリアとともに、戦術も姿勢も変えてくるだろう。
だからこそ、スペインやイングランドやイタリアそしてポルトガルの面目もない。

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ナスリという才能を切り捨てたデ・シャン率いるフランスは、直前にリベリーという絶対的存在を怪我で欠いたのに
むしろそのことを逆手にチームを危機感を盾にして強化することに成功した。
攻守の一体感はそのスピードとともにすばらしい。ドイツとの戦いが大いに見物だ。メキシコもまた同じようにすばらしい
オランダとて、その切れ味は脅威になるし、どちらにもアドバンテージがないほど強い。
この2チームはいずれも地区予選で近来まれに見る苦戦を強いられ、プレーオフからやっとさ出場できたチームである。
その立て直しが見事である。
ブラジルは、ネイマールという名前に踊らされるが、強固なデフェンスが機能しているダビド・ルイスとチアゴ・シルバ以外に
むしろパウリーニョとルイス・グスタボというボランチの潜在がネイマールのスペースを与えているとみている。
アルゼンチンのメッシは、見ているだけで魅せられる。彼の才能は比類ない・・けども僕にはデ・マリアというプレイヤーの
技にこそ目が行く。彼のようなプレイを日本人に求めたい。マスケラーノ一人にに守備の負担をかけてはならない。
チリは、前回の大会で目を奪われた攻守に切れ目なく、まさにサンチェス一人ではなくすべてのプレイヤーの一体感とともに
ひたむきで圧倒的にタフだ。初戦の相手のブラジルも簡単には勝てないすごみはまだある気がする。
日本と同組のコロンビアのサッカーも南米的でありながらその戦術が洗練されて魅せられる。
とりわけ、ハメス・ロドリゲスの攻撃的センスはかなりの才能を感じてしまう。ベスト4でブラジルと当たっても対等な戦いができるに違いない。
ドイツはいかにも手堅い・・欲を言えば、エジルという存在よりもクロースが目立つほど、本来のゴール前のスペクタクルに欠けて見える
ただし、ノイアーというGKはもうこの大会を代表する安定感があって、存在感が絶大だ。
オランダは、今度は直前にストロートマンという切り札を失うことによって、なりふり構わずウィークポイントを
5バックという奇策でカバーした。守備的に思えるけど、ファン・ペルシとロッベンとスナイデルというたった3人の
攻撃陣だけで相手を崩せる自信がバックボーンにある。組み合わせからしてBEST4を得るだろう。
直前のテストマッチで日本に敗れたはずのコスタリカは今大会最大のサプライズで注目される。
彼ららが見せるパフォーマンスは、あのときとは全く違って力感とスピードにあふれ、ヨーロッパの強豪をねじ伏せた。
守備的なギリシャの先手さえ奪えば、彼らは踊るようにピッチを跳ね回るに違いない。
スアレスは、もうサッカー選手ではない・・・ためらいなく人を傷つけることの精神状態をうたがう。これまでの行状といい
追放されることに異存はない。たとえ、たぐいまれな得点能力があったとしても・・・
これを持ってしてもウルグアイは、これ以上の勝ち残りには残念ながら値しない。フォルランもカバーニも
ウルグアイの国民もスアレスの才能を弁解せず人間性を恨んでも致し方ない。

サッカーはアジアの甘ったるいサッカーを一掃して、しかもここんとこ一目置かれていたスペインの「tiki-taka」というパスサッカーを
「パワーサッカー」が文字通り一蹴した。
ドイツ大会のようにパワーサッカーがトレンドになったように思えるが、それをさらに進化させて
ゴール前の技術、スピードに乗ったドリブルという個々の能力において、すばらしく向上している
それは少なくとも日本では目にすることのできないもので、
100mに換算して10.28秒のスピードになったというロッベンと一瞬のスピードに乗ってキックフェイントまで繰り出す
メッシには目を奪われる。ファンペルシやベンゼマのゴール直前の判断もすばらしい。ハメス・ロドリゲスがゴール前で
魅せる冷静な判断と技術に22歳という年齢とともに驚かされる。

決勝トーナメントには引き分けがない、これからがワールドカップの本番です。
それでも僕は、全部見るつもりです


王国のW杯

2014年06月05日 | サッカー

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暑さ、蒸し暑さが繰り返しているうちに、「梅雨入り」となったわけですが、
近年のありようと違って、今年はオーソドックスに梅雨らしいのは・・・むしろ
これからの気候変動を予感させて、不敵な雰囲気を感じてしまう。

個人的には、この2014年6月は、4年を待ちわびたフットボールの特別な年・・・
なぜか「まぁるい地球」でありながら
ことサッカーに関してだけは、ヨーロッパに偏ってしまう昨今で、
もっといい季節を選んでやればいいと思うのに、おかげでこんな暑さ厳しい時期に
4年に一度の祭典が欧州サッカーのスケジュールの都合で開催される羽目になった始末です。
そして、たぶん競技時間もヨーロッパを基準にして日程が組まれたとも想像できます。
アジアにとっては、都合の悪い時間にライブ放送で、しんどいけども

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それでも、大いに楽しみにしています。

ペレ、クライフ、マラドーナ・・・サッカーの神が「才能」与えたもうた「きら星」達に
肩を並べているはずのメッシの近頃は どことなく異変がみられて、
彼だけは今度も、W杯というステージにその輝きを曇らせてしまうのか ・・・
「汚れたストライカー」のスアレスは、結局回復してるのか・・・
ネイマールは、その重荷を振り払うのか
さすがにイニエスタもシャビにもピークを通り越したのか・・・Cロナウドは孤立しないでいられるか

王国ブラジルの経済には、BRICs(ブリックス)ともてはやされた頃の盛り上がりはもうない。
アメリカのマネーゲームは、この国の貧富の差を広げるだけ広げて
ワールドカップを高見の見物しようとしている。
サッカーの現状もまた、ほとんどの選手はヨーロッパのクラブにいて、王国のリーグは閑散として
危機的状況にある。だからこそ、本来なら王国のW杯は、この上ない場所での開催でありながら
冷や水をかけるデモがあちこちに吹き出している。
老若男女がこぞって、リフティングがうまいと思えるほどのサッカー王国のブラジルでありながら・・・・

けれどもブラジルが母国で6回目のW杯をその手にする可能性は高い。
スペインもさすがに、メンバーが4年前と活性化されずに、連覇を果たせるほどの勢いがあるわけでもなく
ドイツは堅実だが南米で勝てるとも思わないし、オランダはやっぱりバックスに大いに不安が残る。
アルゼンチンは、メッシの出来がトーナメントの時点で鍵を握る。
チリのサッカーは、前回は、最も刺激的で目を奪った・・・4年経ってそのひたむきにアタックし続けるサッカーが健在なのか
C.ロナウドはポルトガルというナショナルチームで輝きを放つのか・・・
新たなヒーローを生み出せなかったイングランドは、D組自体を勝ち残れるのか
ナスリをこともなげに切り捨てたデシャンのフランスは、運を味方につけられるのか・・・・
いつも堅実に勝ち上がれるアメリカは、死の組を這い出るのだろうか・・・

ネイマールばかりに焦点をあて、サッカーと言えばゴールシーンだけをクローズアップする
日本の甘ったるいメディアの評価は二の次にして
ブラジルの核心は、ダビド・ルイスとチアゴ・シウヴァのセンターバックとパウリーニョとラミレス
というボランチの有能な才能にある。
サッカーは守備から・・・などというような、ちんけなセオリーを言うのではない・・・彼らのディフェンスは
オフェンスと直結する展開力にあふれている。ただ攻撃力それ自体は、若干の迫力に欠けている。

一体化した展開と守備、そこがデフェンスがあまりにもおぼつかない日本代表に欠落している核心でもある。
だからこそ、ザックは攻撃陣に多くを配したのであって、彼が想定する「守備力」を
日本サッカーからは、期待できないことを確信したのだと思う。
ただし、そこに4年前に守備偏重に舵をを切って、心底つまらないサッカーを世界に示した
あの凡とした岡田の判断と決定的に違うことに期待をしたい。

この前のテストマッチでのパフォーマンスは実に目を見はった。
とりわけ香川の技術とスピード、イマジネーションはもう世界に互して遜色がない。
彼の唯一の弱点は、4年前にすでにその才能を輝かせながらも、全く器も見る目もない
岡田というものに選から外され、マンチェスター・ユナイテッドの世代交代時に同じように目のくらんだ
モイーズというものに出場を阻まれた「監督運」のなさにあるとも言える。香川は確実に
W杯で、世界の衆目を集めるだろう。長友は言うに及ばず内田も大久保も柿谷にしろ岡崎も山口も遠藤も青山までも
そのスピードと技術と展開力は、世界を見据えて一泡吹かせてやろうという意欲にあふれていた。
ただ、本田を除いて・・・・

僕にはとても深刻に思えた・・・彼自身のスピードのなさは、とうから気にはなっていたが
それをなんとか予測の早さに隠そうとして、時にそれが功を奏してたびたび中心的活躍に映ってはいたけど
今度の場合は、それすらもなく、ボールが彼を経由するたびに
日本代表のスピードが奪われ、彼の存在は明らかに足かせになっていた。
もう10日、スター扱いは意味がない。彼がエンジンとは思えない。
彼のスタメンにこだわり続けるのなら・・・日本の「良さ」そのものが失われるだろう。
彼に与えられたポジションというものがあるのなら、今なら大久保がそれを担うべきで
客観的に見て、本田は現時点でサブのメンバーに位置させることが最善のように思える。

我々の代表は、優勝を口にはするが、本当のところ 結果ではなくて
世界を「あっと」驚かせてほしい!ヨーロッパ偏重のフットボールの現況に
アジアの力を見せつけてほしい。
そのために何が自分らの持ち味で自分らの力なのかを分析し、
自分らの120パーセントを発揮してほしい。
W杯は、フットボールの頂点にある。
この期間だけは寝ても覚めてもサッカーの毎日になりそう・・・

ゆうとくけど、コートジボワールのドロクバもヤヤ・トゥーレにしても、ただ者ではない。
日本のディフェンスが束になっても止められないだろう。
ギリシャにしろ日本が苦手な 守備的布陣からのカウンター攻撃を基本にしている。
コロンビアは南米でもブラジル・アルゼンチンと肩を並べる強豪で
ファルカオがでないと言ってもバッカやマルティネスにしろ注目すべきストライカーがうじゃうじゃいる。
予選突破は並大抵の力では太刀打ちできない。

オーストラリアの不運を慰められるほど、我々の「C組」は決して甘くない!


何とかもぎとった銅メダルとせいぜい銅メダルの違い

2008年08月23日 | サッカー

アメリカも出てないのに・・・っていうけど400mリレーが必死でもぎ取った銅メダルは
痛快で爽快やったね。バトンリレーって思いっきり早ければええってもんでもないらしい
・・・けど、ジャマイカの驚異的な世界新をさしおいて、「銅メダル」に脚光浴びせるのも
なんともナショナリズムの匂いぷんぷんっていう感じがするけども
とにかくすかっとさせてくれた。


一方で言うまいと思えど、「野球日本代表」には正直失望した。
世界の中での実力は柔道と同じように、程度の低いマスコミによって
作り上げられていた気さえしてくる。戦いはどれもおされ続けていた。
彼らをマスコミは「星野JAPAN」と呼ぶ、そして本人たちもまた
それを否定しない・・・「長嶋JAPAN」とはやし立てている頃から
ものすごく違和感があった。長嶋のものでも星野が戦うものでもないのに・・・
「監督」という存在が、そのチームの冠になってしまうほどの比重に対しての違和感が
強く感じられた。いまだに「オーエヌ」をもてはやし、
イチローさえも昔ながらの「オーエヌ」時代と比較しようとする
古びた幻想を感じる。

・・・少なくとも「プロ野球」はプロであって今回の結果に
同情の余地はない。彼らは野球で高額な報酬を得るプロで
ファンの期待にこたえてこそ、真価を問われる
チームはファンの期待にこたえるために結束し
決して「監督」の「旗」のもとに集まるものではない
監督もまた選手と同じ側にあってプロとしての責を問われる立場でもあるのだ。
残念なことに、野球ファンのためにという視点が欠けて見えたし
気概も、戦略も全くなかったように見えた。

さらに、プレイするのは選手たちで、チームをコーディネイトしても
勝利や敗戦の実感を味わうのはあくまでも選手であって、それぞれの個性と
プライドが前に立つものである。戦う前から
「Hoshino」だけが表に出ていて、彼がえらんだという
「Morino」や「G.GSato」の顔など僕は見たこともなかった。
サッカーの代表もまた、我々の知る選手が代表なのかというと
名前すら聞き始めのマニアックな人選があったりする・・・

結果論といえばそれまでやけど、
そのチーム全体のニックネームを「ナデシコJapan」と公募して結束した
女子代表は局面の冷静さとファイティングスピリットで4強を勝ち取り
ソフトボールの場合は「日本代表」を飾らずに、ひたすら目的意識を明確に
それぞれのモチベーションで能力をそれぞれに発揮して
チームとして結実していた


「星野Japan」と命名されたチームが
なにをモチベーションにしていたのだろう
星野がいうから金メダルの為に戦ったのだろうか、星野が旗印なのか
それぞれの目標とプロ意識、球界を代表する責任・・・
監督ってナンなのかな・・・


「黒澤明」の映画、とりわけ「世界のクロサワ」となってしまうまでの
彼の映画は完璧だ。それぞれの俳優にかなったシナリオは、どこも欠落していない
その頃の彼の映画作りはそれを織りなす俳優たちの個性を引き出して
その個性にかなった台詞が見事だったし、演技も同じように思えた。
端役でさえも彼や彼女でなければならないほどの完成されたものだった。
彼が演出したのは、俳優とシナリオとカメラワークと裏方と
一体となって見事だった。彼だけの仕業ではないことを
彼自身がわかっていたからだ。


が、後年「クロサワ」となって、彼の映画は質が変わり
あろう事か「クロサワ」ばかりをクローズアップして
俳優たちも彼の機嫌にあわせているように見え、
その後の作品に僕自身は満足できない

監督とはナンだろう・・・それほど前に出るものだろうか
自分の友達だけを信じるようなコーチの人選をしていいほどの
適当なわがままが通り、彼自身一発勝負の「日本シリーズ」で
一度も勝ちを経験していない勝負弱さを同居させながらも
誰よりまず「表」に出るほど大きな存在なのだろうか、彼が戦略的とも思えない
そして、彼が選択していい範囲はどこまでなんだろう。


今回「銅メダル」にさえ届かない現実って言うのは
「星野JAPAN」と呼ばれ、そのまま甘受してきて、
今度の結果は、彼の失敗であって
彼の失望でしかないように見える。
いかにも男気でいさぎよく
「すべて俺の責任」といってはばからないけど・・・
星野にとってショックやったかも知れないけれど
それは、世界の現状に無知やったせいで、そんな個人的なことよりも
代表は野球を代表したのであって、彼の私物でもない
なんと言われても、国技にも近い「野球」への失望もあわせて感じたファンが多いことも彼は忘れてはならない


明らかに今回の結果はサッカーと同じで、次世代の
「野球の未来」に暗雲を招いてしまったのだから
野球には、もう五輪で再戦する機会すらない最後のチャンスだったはずで
「精神論」みたいな古めかしい旗だけで出て行くテーマでもなかったのだ。


同じ意味の「岡田JAPAN」という呼び名にはものすごいアレルギーを感じる
彼はカリスマでも指導者の資質もない
とりあえず、彼を監督にという余裕がこの国のフットボール界にはない
先ほどの親善試合に出てきた「代表」は中身も
メンバーも国を代表して戦う戦力も能力においても欠けているものが多い
我々はドイツから立ち直っていないどころかもっと失っている。
のにかかわらず「岡田」でいいはずがない


こうした雰囲気はこの国の独特の社会性が作り上げたものであることは
世界のどの国にもない風習であることから証明できる
監督がゲームを支配したりはしない・・・選手たちそれぞれの個性がぶつかり
気迫で格闘するのがスポーツなのだし・・・
あくまでも選手それぞれの顔や個性が前面に出なければならない
アルゼンチンを引っ張っているのはあくまでもメッシであり、リケルメなのだから


彼が今後も「大きな顔」しないでくれればいい
「星野阪神」の頃から僕の中には違和感があった。タイガースの基礎は
野村が監督の時代に培われ、星野の時に優勝しただけで
星野が優勝したのではない。タイガースが勝ったのだ


その本質は大きい・・・「野球」によって都合良く作り上げられた
縦割り社会の悪しき風習がいつの間にか
世の中にそぐわないのに、野球の戦略に無知だとしても
スター選手の監督ばかりをもてはやしている。
「野球」だけがベースボールとかい離して、個性を封じ込まれた
日本代表の個々の選手たちは、どこか窮屈で
韓国にもキューバの選手たちのムキだしの個性に太刀打ちできなかったと感じられてならない。
日本ではスター選手以外に監督になれそうもない・・・
その上彼らが野球界を牛耳っている・・・
彼らは、星野を含めて現役時代に好きにさせてもらっていたということを忘れて
チームをどうのこうの言い過ぎる・・・
彼らに育成や戦略的な才能があるとはとても見えなかった。
コーディネイトすることはプレイヤーとは違った才能だ
無名のコーチが監督できる土壌こそ「プロ野球」の再生につながるだろう


球児も矢野も新井まで奪われて、こんな結果だと言うことのタイガースファンの
失望は大きい
「サッカー」もまた、いつまで「岡田」を使うのか・・・W杯に出られないのなら
取り返しがつかない・・・
彼がこの国のフットボールの未来を見ることが出来てるなんて
とても思えない


うわぁ~Euro2008 始まってもうたぁ~

2008年06月10日 | サッカー

といいながら、「WOWOW」契約解除したし
これが見とうても見られへん・・・ある意味で
ナショナルチームの戦いでは、その全体のレベルでは
Wカップのレベルを超えてる気がするので、見たい試合ばっかり

リベリーやら、ロッベン、セスク 若きスターも頭角を現している。
チームとしてなら「オランダ」からは目が離せない何しろお気に入りやしね
チェコはどうなんやろ?ロシツキがいないとか聞くし、ネドベドはもう去ったし
ヒディングが、道草してるロシアは問題外やとは思うけど
ドイツは再生したのか、もうあんな味気もないただ守るだけの
ギリシャのサッカーは勘弁してほしい

もちろんC.ロナウドの高速ドリブルも見る価値があると思うし
リベリーのターンは常識を越えている。
ジダン後のフランスが見えてもきた。
オランダのサッカーは、ファンバステンのもとに輝きを取り戻したし
ピッチにいるオランダのダイダイ色のユニフォームは
久々に鮮やかに目に映るはずだ。
個人的に言えば「イングランド」がいないことも幸いしている。


・・・興味は尽きない


Euro2008

・・・悪いけど、どうしても「おかだ」が、
まだいる代表の試合より、こっちの方が気になってしまうし、はっきりゆうて
フットボールファンの胸を高鳴らせる。
そこにフットボールの神髄が見えてくる。

・・・とても今のままでは、クオリファイをクリアできそうにもない
代表の試合よりも・・・


グッドニュースとバッドな話

2007年11月27日 | サッカー
ピクシーことストイコビッチが、名古屋の
監督になって帰ってくる。
卓越したアイデアと想像力、攻撃的なポテンシャルと
たぐいまれなキックのセンス
戦略的なパスワーク・・・彼がこの国のフットボールシーンで
刻み込んだ全てのプレーに、あらゆる意味で
魅了された。
おもしろいこと、楽しいこと、勝つと言うこと負ける意味
フットボールの本質を知り尽くしていたように思えた
きっと、彼の存在が大きな意味を持ち、再びこの国の
フットボールシーンを刺激してくれるだろう


という「グッドニュース」に反して
「岡田に代表監督再要請」という報道が流れる
どこをどう解釈して、今また、「彼」を選択するのか?
私たちはフランスのWカップで、彼の器量の底を見ている

またふたたび、フォーメーションサッカーなる
決まり事の「ままごと」を見せられるのだろうか
彼はまだ古びた「サッカー」という教則本から抜け出てはいない
そして、彼を選ぶ協会の中身も同じアナのムジナに見える。


フットボールは、明らかに変質した

「日本サッカー協会」という名称すらも
あえて、「フットボール」に改名する時期が来ているのに・・・


この期に及んで、岡田を選ぶぐらいなら、「キング・カズ」こそ
カリスマで求心力も、我々の「旗」にもなりうる。

デ・シャンは?ベンゲルは? ナンならピクシーは?


ドイツで味わったAsianSoccerの落日から
私たちは、どう立て直し、どう立ち向かうのか
・・・フットボールの再構築のために


この選択をしたところで、たとえ最終予選をくぐり抜けても、
ナニを見せることが出来るんだろう



代表の観戦記:Vs モンテネグロ

2007年06月03日 | サッカー

久々に代表の試合を見た。

案の定、稲本の出し「オシム」で、
テレビはベンチの稲本を
映し出していた。

だいたい、どうでもええ解説を、
あの「タケダ」やら「ジョー」が
いっかどの見識をしゃべっている事だけで
ちゃんちゃんらおかしかった。
彼らの音声はテレビ観戦するには、
耐えられないノイズでしかない。
態勢をくずして苦し紛れに
ふかしたシュートが枠をはずれる
それを、かつて何度も自分たちがゴール前で
外し続けたことを弁解するように
二人が「すばらしい」とほめる

ドイツのワールドカップで辛酸をなめた
我々のサッカー観は
彼ら二人には通じてはいないようだった。
「枠をはずれても、シュートで終わる」みたいな
念仏をとなえるのも、はずれたシュートほめることも
僕らはとっくにあきてます。

さて、代表の試合は、始まりの15分を除けば
代わり映えのしない同じリズムの展開と
戦術論にばかり縛られて、ポジショニングにこだわる
選手達に一体感を感じとれることもなく
誰もを自分を表現することも、
その意志を伝えることもなかった。
それは、かつてドイツで見た「ナカタ」のいたJapanから
ただ、ナカタがいなくなっただけでしかナカッタ
(※我ながら、しょーもないけど)

「展開」とは戦術に依存しすぎず、
詰まるところは、個人の「アイデア」であり
フットボールの本質は、
結局「ゲーム」という楽しさなのであって
日本語の「試合」というような苦難ではない。

「ケンゴー」ですら、サッカーで表現するというよりも
与えられたものを「こなす」ことに
一生懸命のように見えた。
戦術をこなすのではなく、
個々人の違った個性と技術を集積し
ゴールをこじ開ける「アイデア」を感じたかった・・・

楽しさを満喫するためには、技術と戦術眼と
体力と「オシム」の場合は「走力」を求めている

走力とは、瞬時にターンオーバー出来る
意志のある「走り」であり、守備の背面に攻撃への
意志を求めている
ナカタ的呪縛の解けた「イナモト」と「シュンスケ」は
どうなんやろ?

いかにも皮肉な物言いの「オシム」だが、
彼が世界にはびこる「パワーサッカー」に対して
作り上げようとするアジアンサッカーは、
アジア人的特性を利用しようとしてるようには見えものの
その道は、まだ遠くに思える。

オシムに「個人プレー」に走る
連中がいると揶揄された「プレイ」とは、
アジア的体躯では、「ヨーロッパ」流の
パワーサッカーは出来ないと観念した「オシム」にとって
苦し紛れのロングゲインのパスや
力ないロングシュートが、
「チャンピオンズリーグ」のまねごと
に見えたということなんだろう。
「アイデア」と意志に満ちたパスに活路を見いだす
それが、アジアンサッカーのエッセンスだと
断言するように・・・・・

それについては、賛同する
6月5日のコロンビア戦に
「Inamoto」を出すのなら、
彼のいう「代表」のゲームをもう一度見たい

 


 


久々にInamoto

2007年05月31日 | サッカー
ゲンキンなもんで、封印してたはずのサッカーネタです。

明日はキリンカップで「日本代表」みようかな
というのもひいきの「Inamoto」が
フランクフルトに移籍が決まり
トルコから帰国したと思たら、
緊急に代表に招集されて、っていうか
稲本にとっては、オシムになってから
初めての代表復帰になるのかな・・・・

なんにしても稲本が出るのなら
それだけで、見るだけの理由があるし、
久々にテレビの前で、ぎゃーぎゃー
やってみようかな

中村のどっちかゆうと「ケンゴー」って
いう方の選手にも興味あるし・・・

タイガースも景気が悪いこっちゃしぃ・・・
ここは一番、やっぱりサッカーで楽しみます

ほんで、「稲本」出るんやろね?
代表の監督さん!
稲本を試合に出し「オシム」のやめてや!

キングカズ

2007年05月18日 | サッカー

「参議院選を前に自民党が、カズに立候補を打診した
そして、カズはそれを断った」というニュースが
母親を切り刻んだとか、夫婦げんかで立てこもり
あげくに、機動隊員の若い命を奪ったなどと言うような
目も耳を覆いたくなるような、気分の悪いニュースに
かき消されようとしています。

日本のサッカーを語る上で、40歳をすぎてなお、
Jリーグでピッチ上に立つ、「キング・カズ」は
サッカーファンならずとも、その存在は際だっており
特別なものです。

サッカーがもたらす、文化をここまで築き上げた
彼の功績は、語り尽くせないほど大きいものがあります。
そして、なおプレーヤとして表現し続ける姿は
この国の若い世代に多くの勇気と精神を語り続けています。
少なくとも安もんの政治家の
その場しのぎの「声明」や公約より
意味のあるコトを、前進する強さを
実践し、語り続けています。

その我らの「キング・カズ」に立候補を打診した「自民党」というヤカラは
何を目的に、今現役の彼に近づくのでしょうか?
およそ普段に彼の考えや生き方も知りもしないくせに・・・

せいぜい彼を集票のシンボルとするための動機と
「サッカー」というスポーツ文化への軽視が
彼らの「党利党略」の下世話な話に見え隠れします。

今、2世議員の小物達が寄り添って作り出した
安物の市場主義は、そのための社会整備も
教育の自立もないままに
一人のアメリカかぶれの学者の言うがまま
彼らの信奉するアメリカ市場主義
のコピーを実践し、この国の資産を
まんまとビッグマネーにさらけ出し、
みんなの資産が彼らにもてあそばれるシステムが出来ました。

そのあとを引き継いだお坊ちゃまの総理は、
そんなコトは疑いもなく、覚え立ての理屈を繰り返し
年のわりにゆうてることは、30年も前の
「美しさ」であり「新しい国」みたいやし、
大好きなおじいちゃんの仲間達の
「ネオコン」の受け売りと官僚のマニュアルの
語尾すらはっきりしない棒読みやないですかね・・・・・

「憲法改正」?自民党?

憲法って政党が作るもんやとまさか本気で
思てるん? 
憲法は国民が作るんでしょ
国民の責任で国民の権利と義務のために

議員なんていうものは、憲法に基づく、
選挙して選ばれるんです
「選挙」で選ばれた人間達が、自分の都合で作るんちゃうでぇ!
いっかど、立法府がどうのって言うけど、
国会が作ろうとする法とは、憲法に基づいた法律のコトであって、
国是の「憲法」とは違います。思い上がりもは、なはだしいし、
基本的なコトが間違うてるとしか思えへん。

同じ意味で、政治がスポーツを支援することがあっても
スポーツに政治が介入するなんてコトは、
かのキムの「北の国」だけで十分やろ

自民党の勝手で、私たちから「キング・カズ」を
とりあげるなんて、思い上がりもええとコやわ。

政治が、
もっと辛辣に言えば
政治ごっこしてるだけの「政治やさんちの息子ども」に
カズの生き方は、なんも見えてるはずないもん。

よくよく考えたら、2世議員のボンボン達の
国会ごっこの延長に「憲法論議」があることの方が
敵対視する「北の国」にそれほど変わらないという意味で
近頃のニュースや事件より身の毛のよだつことかも・・・・

カズよ! あなたがいるべき場所は、サッカーの
ピッチです。
そして、サッカーという文化を通して
ものの考え方や生き方を見せ続けて欲しい


クラブカップはバルサには、わたらなかった。

2006年12月18日 | サッカー
12/17 Yokohama Club世界一決定戦

それは、ある意味当然の結果だったのかも知れない。
地球の反対側から勝負しにやってきたインテル・ナシオナルと
リーガの栄光とヨーロッパの威信に後押しされて
フットボールのスペクタルを演じるために、来日したバルサには
ファイナルという舞台へのアプローチが違いすぎていた。

セミファイナルでのリズムに酔ったバルサは、
デコとロナウジーニョという二人のブラジル製のフットボーラを
躍動させていた。それは、相手がそのリズムに乗っていたからで
一つのステージで一つのサッカーというドラマを
演じてるように見えた。相手のチームを含めて

が、決勝でナシオナルというブラジルチームは、
ブラジルの誇りとは、ほど遠いコンセプトを見せたのだ。
デコにロナウジーニョにも張り付いたマーカーは、
彼らにボールが廻るたびにもう一人のバックアッパーと
二人がかりで、無骨に体ごとボールにアタックして
バルサからリズムを奪う方策に終始した。
そして、それは明らかに自らのサンバのリズムも封印していた。

フットボーラの競演とは縁遠いほど
局面の勝負にこだわり、パスワークもなく
フェイクの妙もなく、この王国のサッカーの変異形のサッカーに
リズムの失せた勝負は、
次第に妙味が薄らいでいくのを感じていた。

バルサのゲームに全くのらずにナシオナルは、
ひたすらにカウンターに、ワンチャンスに
決する勝負に賭けていたのだが、
それでもいつものリズムを取り戻そうとするバルサは、
シャビまでも投入し、パスの出所ばかりを
こしらえようとするのだが、もがきすぎて
ハイポジションのデフェンスラインをいびつにさせられていたのだ。
デコもロナウジーニョも封じられているのにかかわらず
いつものリズムを求めるのは、もう相手が乗ってこないのに
無理というものだった。

バルサの負けは、当然だったのかも知れない。
ブラジルのチームの変質を、予期は出来なかったからだ。
南米のチャンピオンをして、この日ナシオナルには、
多くのブラジル人を失望させることを覚悟で
7人ものディフェンダーを配していたのだから・・・

あれは、ブラジルと絶対に違う あんなんと絶対に違う

FIFAクラブワールドカップ

2006年12月12日 | サッカー

サッカーというスポーツの本質を語るとき
クラブというあり方を忘れてはならない。全世界に
広がるサッカーは、それぞれの国に根付き、無数のクラブが生まれ
それぞれの地にスポーツの文化を花を咲かせています。

私たちの思うプロスポーツとは、野球に代表される球団の経営ですが、
このクラブというものは、本質的に企業というのではなく
多くの会員の出資で支えられており、
サッカーのクラブといっても単にプロのクラブチームではなく
ジュニアの育成や教育、あるいは他のスポーツ、リクレーション
を意味し、おおよそハチマキ太鼓でドンガン応援するというありようでは
ありません。むしろ自分たちがクラブ会員となり
スポーツそのものを生活のあるいは文化の一つとして
とらえて自分たちも楽しみクラブそのものの主体となっているのです。
残念ながら、Jリーグが目指すこのような方向はまだ緒についたにすぎません。

いま、日本の野球は、とりわけプロの野球は一部のオーナーの
私物化でファンのみならず選手の野球離れを引き起こしています。
そこには、企業の論理だけがあり、ただ与えるという単方向の
観るスポーツでしかありません。
チームは一人の権力者や金持ちのステータスではありません。
サポーターが愛し、育てる環境や意識がないと
根付かないし、巨人のように「よみうり」などという冠をつけて
独りよがりシテいると、もうファンすら離れて行くものです。

ある意味で楽しみ方を考えて行かないと、やがて
多くのスポーツは、人々の関心は離れて行くににちがいありません。

従来から日本のスポーツは企業のカンバンの役目を負って
あらゆるスポーツが存在してきましたが、
企業のリストラでもっともこの部分がターゲットにされてる現状が
今の日本のスポーツの停滞を引き起こしてもいます。

そこに、クラブというあり方のヒントがあります。

というと、いかにもサッカーの聞こえがいいのですが
これは、僕の身びいきでしかありません。
近頃は、ビッグクラブの金に物言わす横暴と
コマーシャリズム、そしてビジネス化はサッカーのあり方を
変質させています。

スペインのリーガエスパニョーラの一方の雄
FCバルセロナが、日本で始まったFIFAクラブワールドカップ
にヨーロッパチャンピオンとして来日しました
バルサのコンセプトはスペクタルサッカーという見せるサッカー
だと僕はいまだに信じています。あのクライフの時代からずっと

また、サッカーっていわんといて
ある意味でクラブ世界一っていうのは、国別対抗のワールドカップより
毎日サッカーしてる仲間同士なのですから
ミックスされた異文化のしかもスターの華麗なプレイを楽しめます。

人間離れしたロナウジーニョのエラシコは、人間離れした
人相とともに日本のファンを魅了するでしょう。
メッシはけがで出ないんですけどね・・・
デコがいるし、タレントに事欠きません。


これがワールドカップ最後の記事です

2006年07月08日 | サッカー
新星の登場とロナウジーニョをはじめとするファンタジスタ
の華麗なプレーものみこんで、パワーサッカーが幅をきかした
2006ワールドカップもさながら欧州選手権になり
ある種期待からは遠ざかった思いもありますが、
いつもなら見る意味もないはずの3位決定戦は、ドイツにも
ポルトガルにもモチベーションが残っているはずなので
それなりに楽しめるのでしょう。
ファイナルは、フランスに肩入れするつもりはありませんが
イタリアが惨敗する夢を追い求めたいと思う。

さて、個人的にはアルゼンチンが見せたサッカーがそのタレントといい
プレーそのものも印象に深く刻まれました。
アジャラ、リケルメをそれぞれの中心に据えたサッカーは
多くの魅力的なシーンを作り上げ見事なボールゲームでした。
本来勝ち上がるべきチームであったと信じます

個人に言及すれば、ひいきのオランダのロッベン、ファン・ペルシー
スイスのバルレッタ、アルゼンチンのテベス、メッシ、フランスのリベリー
彼らは、2010年の中心にいるはずです。
ガーナのアッピア、エクアドルのテノリオ、デルガド アルゼンチンのクレスポ
かれらの能力は身体にマッチしていました。

残念ながら、アジアの選手はことごとく190cm近くの体躯で
やたら強引もっといえば傲慢なサッカーにそれこそ一蹴されてしまいましたが
メッシもサビオラもテベスもアジャラも
体格に恵まれてもいなかったではありませんか
アジアのサッカーは、
確かにヨーロッパのエイジェントたちの目を引くことはなかったはずですが、
球さばきの一点においてひけをとることはありません。
南アの大会には、パワーサッカーのオーストラリアを退けて
アジアンサッカーを開花させてくれることを願います。


わずかな希望もふみにじり,イタリア見参

2006年07月08日 | サッカー
あえていえば、この大会がイタリアのためにあったとなれば、
なんともいいようのない思いがこみ上げる。
ユベントスもACミランもどこもかしこも汚れているのに
アズーリに勝利をもたらすのであれば、この大会の意味に疑いを覚える。

しかし、カンナバーロが築くカテナッチオをジズーにしても、
アンリにしてもやすやすと崩せそうにもない。
彼らほどしたたかに、システマティックにまるで植え付けられた守備本能があるかのごとく、
彼らのディフェンスには罠が仕掛けられている。
峠にさしかかった ジズーもマケレレ、ビエラ
そして本能丸出しのリベリーが、刃向かったとしても通じるものでもない。
この守備へのアタックを繰り返せば繰り返すほどに自陣の陣形にスキがうまれ、
したたかなピルロは、ひたすらにその一瞬の縦パスをねらい続けている。
サイドアタックをまるでおとりに使いながらテュラムらの強固なディフェンスすらかいくぐり、
ワンチャンスにかけるアタックは、すべてのアズーリの標的である。

直角2方向からのプレスは完全にジダンの最後に花を飾らす事はないだろう。
ビエラにもマケレレにもジズーを擁護できるほどの甘い相手ではない。
守ることだけをとればアズーリは、マシンに近い

カップを持ち帰ったとしても、飾るとこもないイタリアのサッカー宮殿は、
かつて歴史が繰り返した帝国のおごりのようにさえ思われる。
その手をよごしたリッピにやすやすと栄誉が与えられていいものだろうか
MVPはカンナバーロの手に渡り、そして彼の所属チームはきっとセリエCに陥落するはずである。
ネスタもブッフォンもデルピエロもガッツーゾでさえ居場所が消え失せるのだ。

アズーリは、しばらくはチャンピオンズリーグからも遠ざかり光を取り戻す事はないだろう

マスコミは「ジダン」の花道に光を当てているけど
舞台から消えるのは、むしろアズーリそのものではないのか
惨敗を喫するシナリオがファイナルに用意されているのだろうか
パワーサッカーは、フットボールになにをもたらし何を消してしまうのだろう。
汚れたアズーリがカップを高々とかざして
多くの世界中のサッカー少年の目に何を焼き付けるのだろう。

最新の記事に

結局、ヨーロッパでは・・・・

2006年07月02日 | サッカー
ワールドカップの一つの決まり事のみたいに
ヨーロッパで開催される大会に南米のチームが
勝ち上がることはありませんでした。

というのかマッチごとに、
ことごとく個人的に応援するチームが
負けるので、おもしろさが
次々と薄らいでいく実感を覚えた大会です。

体躯に物言わす、パワーサッカーは足下のフェイントさえ
余計な動きのように思わせて、アルゼンチンもブラジルも
撃破してしまいました。

アルゼンチンは、サッカーの質で明らかに上回り、球際の
一歩の見事さそして、選手のそれぞれのベクトルや
アイデアが連動しているという意味でもっとも
進んでいるサッカーに思われましたが、
地元の勢いの前にドイツに
PK戦まで引きこまれていきました・
少なくともドイツのサッカーに
いま学ぶものはないと思われるというのに。

ブラジルの敗退は、結果論に過ぎないでしょうが
明らかに「ロナウド」という選択肢が間違っていました。
彼は、この時点での出場など不要な状態にあったと思います。
少なくとも、限界点を振り絞った
ジダンほどに能力を発揮できる状態にほど遠いのであれば、
アドリアーノ、ロビーニョこそが、あらゆる意味で
一時代の終焉を迎えたフランスへの対抗策だった思う。
サッカーにも「たぶん」はないとは思うけど、
「得点記録」のこだわりだけに
存在しているように見えた「ロナウド」は、
セレソンにマッチはしておらず、
「孤軍奮闘」と評された「ヒデ」にも似て
それは、要するにチームに
フィットしていないことのように思われた。

「アズーリ」の思い上がりは、僕には目に余る。
まして青のユニフォームに金色の背番号はないやろ! 
って思う。
僕の意に反して彼らは、まるで体にもとから
与えられた本能のように、誰も彼もがデフェンスの
システムをほぼパーフェクトにこなし、
ピッチに全体に広げて見せる。
あえていえば彼らには無用の勝利ばっかりを集めている。
たとえドイツであろうと彼らの敵ではないと思う。

デコ、コスティーニャがピッチに戻るのであれば、
ティラムらのもう10年の長きにわたるデフェンスも
イングランド戦には不発だったかも知れない
サイドからの崩しに成功するかも知れない
ジダンは彼らが包囲するからだ。

決勝はイタリアVsポルトガル  

ネスタ、カンナバーロ、ブッフォン 結局彼らデフェンスの
要を際だたせ、「ユベントス」の大いなる罪と
イタリアのサッカーが背負う闇を希薄にしながら、
イタリアにカップが渡るシナリオが
今度の「サッカーの神」の思惑なんだろうか
どっちにしてももう遅い
少なくともイタリアがベスト4に名を連ねたことで
僕の願いは潰えているのだから・・・・


いよいよベスト8の激突

2006年06月29日 | サッカー
ワールドカップで見るもんやないといわれる3位決定戦はともかく
ある意味で「ベスト8」の激突は、国を代表するチームにとっての
命運を握る最大の難関といえるでしょう。

前評判を覆して勢い余るドイツに、全てのパフォーマンスに
納得できるアルゼンチン 
どうしてもなんとしても勝ち続けるイタリアとここから先は
すべておまけみたいなウクライナ
ええのか悪いのか相変わらず一本調子のイングランドに
主力をかきながら戦う羽目になったポルトガルの幸運はいつまで続くのか
ブラジルとフランスの戦いはもう祭りというのかセレモニーのようにも
感じられます

ボクの興味は勝負だけを言えば、いつイタリアは姿を消して
世界のサッカーに対して真摯に、懺悔に入るのかという点にあります。

パワーサッカーは、2002年を経て、今大会で一応の進化を遂げています
湿気と蒸し暑さと時差の中でことごとくコンディショニングと
モチベーションを失わされた2002年の欧州勢は
骨格に物言わせてパワーサッカーに磨きをかけて、
思いがけず苦渋をなめたアジアのサッカーを見事に打ち破り
2002年ワールドカップを記憶から消し去ったようにも思えるほどです。

さてイタリアは根源的な問題を抱えながら
このパワーサッカーに対しても
抜群のデフェンスをもっています.
シェフチェンコ一人の能力では、崩せるもんでもありません。
あらゆる場面での対応は、度を超して強固に出来ています。
どこでもいいけど、絶対イタリアに先制点を与えるなという
一点に絞って注目しているのです。