富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

サークルの2018

2018年02月12日 | パソコンサークル

よくよく考えて、今更やけど・・・

このサークルのブログの記事が、去年の始まりで途絶えてて、ずっとサボっているのに気づく
ログインパスワードさえ、記憶の底に消えてる始末。

・・そもそもサークルの会員さん宛の通信手段としてこのブログを立ち上げ、その都度頭によぎる雑感を加えてきたけど
加齢から来る「くたびれ」というか・・・弁解がましいけど、自分の「目の調子」も良くなくて
「ドクターストップ」がかかってることを言い訳にして、記事を書き込むことをおざなりにしてきた。

そんなことやから、このたび長らく会員として、常に前向きに取り組んで来られた一人が
年頭に「退会」の旨を申し出てこられても、引き留める言葉ももてず、
主宰者の責任の希薄さに反省しながら、残念な思いで2018年をスタートしようとしています。

「パソコンサークル」はサークルで、学校のまねごとした「教室」ごっこはしたくないと
自分は、何度も繰り返して、こだわり続けて、
どうしてもその本意が、サークル全体に伝わりきれないもどかしさも未だに感じてはいます。
そのことが、始まった当初にサークルにあった前向きなエネルギッシュな雰囲気を
変質させていることを率直に感じますし、
それはひとえに自分の「ミスリード」であることを
自覚し、大いに自戒の念にかられてもいます。
サークルの現状を、どうしても変えたいとするのなら、
自分が変わらなければならない面と、自分が引き出さなければならないものが必ずあるはずですので
みんなの理解をえて、みんなの協力がなければなしえません。
一方で、パソコンという道具が、一時ほどプライベートな場面で必要性が薄れてきたことも
身にしみて実感します。
少なくとも、自分らの子供からもっと若い世代には、高機能化したスマホなどが取って代わり
パソコンという道具が、化石化しようとしている現実があります。


・・・この国が持つ国民性を持ちだして、あれやこれや論じようとは思いません が・・・・

パソコンというものはあくまでも「ツール(道具)」でしかありません。
それを使って「何かをしよう」ということこそが、すべてであり
それには人それぞれやり方とあり方があります。目的は多様であり、行き着くとこは別々です。
なにかひとつの正解を追うことでは決してありません。
だからこそ、「出来る」とか「出来ない」などと言うことは
まったく問題ではなく、間違ってるとか正しいとかすら本質でもありません。

とかく、この国では何でもかんでも「せんせー」とか「生徒」を作り、生徒という学などと言う名目で
受け身の立場で、自分のことであるのに物事に立ち向かうことを楽にしようとするやり方が、
とりわけ自分らの世代やそれ以前の人たちのやり方にあるのは正直事実です。
こういうやりかたにあっては、「自己責任」という概念は、大抵他人事になり、
しようとしないことの「いいわけ」にしがちです。・・・自分には誰かに比べて才能がないとかどうとか
誰かが問題ではなく、自分がどうしようとしているのかを隣の人と見比べてしまい納得しようとします。
基本的に自分のことに消化できない事例をたくさん見てきました。
だからこそ、教室ごっこして、パソコンを学ぼうとすると行き詰まるのが自明と思っています。
センセーから学のでありません・・・出来る人に聞くことがあっても
自分がやってみて、わからないことが何かすらわからなければ意味もありません。
とにかくやってみることが必要で、「失敗」をすることが恥ずかしいようでは前には進まないのです。

教室ではないこのサークルでは、出来るとか出来ないなどとそもそも考える必要もないので、
「アシを引っ張ってる」などと妙な気遣いすら不要です。
それより、自分が何をやりたいかを思うことを第一義にとらえなければなりません

2018年・・・よくよく考えれば、自分自身も もうとっくに
デジタルな情報を得るのに、PCを使わなくなっていることに思い知ります。
何かを調べたり、誰かと交信するときは必ず、スマホでありタブレットであって
PCは、仕事場や会計などで「書類」をこしらえるときだけに使ってます


そう遠くない時期に、パソコンなどは時代の遺物になっているのかも知れません。
パソコンはデジタルな「データ」を作るときとちょっとした印刷物をつくるときや
CADなどの特殊な作業だけに使われていくでしょう。
Windowsも、もうこれ以上の開発はありません。
そうした中で、これから先に「パソコンサークル」というものがどれほどの意味があるのかを
見つめて、2018年2月14日(水)奇しくもバレンタインデーにサークルを再開予定です。


2017年幕開けです。

2017年01月30日 | パソコンサークル

2017年・・・の最初の記事になりました。
それぞれに苦心や工夫された年賀状が届いて、ほんわかした気分で見てた「正月」があっという間に過ぎて
平成29年が幕開けました。・・・それはそうと、どうやら「平成」と名乗るのもあと2年だけになりそうな気配です。

余談になりますが、昭和から平成になるときに、年号の候補があったという話をお聞きになったことがありますか?
「平成」「修文」「正化」らしいのですが、必ずしも確かな話ではないのですが・・・・
この中から「平成」が選ばれた経緯というか理由がわかりますでしょうか・・・
それは、「平成」だけがそのイニシャルが「H」であり、あとの候補が「S」であることが落選の理由という話で

というのも、よく和暦の年号を表記するときに明治は「M」、大正は「T」、昭和は「S」と
アルファベットで略すのに、「S」がかぶるのが都合が悪いとの理由です。
これは、エクセルでも大いに意味があって、年月日を「S28/8/21」と入力すると
ちゃんと「1953/8/21」と認識される仕組みがあって、重宝してるので
イニシャルがダブるとめっちゃ困ってしまいます。

はじめから、今回限りの「退位」って言うのがありきの議論であって
退屈な「天皇退位論」でしたが、引き続き年号制を維持するのだとしたら
次の年号は「M/T/S/H」以外のイニシャルになるよう決めていただきたいデスね。

一方、ここらの年明けは、何年ぶりかの積雪からくる雪害で、
集落内の道路という道路がマヒして、役場には苦情の電話が殺到。
それでも、除雪はままなりませんでした・・・・
このパニックに至った真ん中にいて、自分なりにいくつかの感想と実感をもったものでした。

一つにはこの町にこうした「災害」に即時に対応できる「建設業」の数が激減している現状です。
そのことから、除雪できる機械とそのオペレーターの絶対数も同時に足りない状況で
数年前と大きく異なって、たとえ行政が早期に手配し対応しようとしても
到底間に合うはずもないのです。
いわゆるこの町が発揮しうる「公助」のスケールは
ここんとこの公共事業費の締め付けによって、廃業や撤退などがかさむ業界にあわせて縮小しているのです。
そこで、本当には、こうした際に最もあてにすべき隣り合う者たちの「共助」というものが
よりどころになり、頼りになったはずです。
すくなくともその用意のあった区や集落では・・・・

けども現実は、高齢化や世知辛い現実と
あるいは、世代間の格差からくる共通理解の不足もあって
たとえば、大雪のあった月曜日などは、本来なれば
早朝みんなが助け合って本業を休んででも集落内の雪かきを一斉にするなどの
思い切った「助け合い」がはじめにあって当たり前でした。
けども、必ずしもどこかしこもがそうではなく、
一方的に、電話をかけては、時には怒鳴り散らしてでも、自分とこの町道や
道路の除雪作業などの「公助」ばっかりを求め、
遅い対応の行政を批判してばかりだったことも目立ちました。
わからないこともありませんが、行政の対応に限界があることを
知っておくべきでした。

余談ですが、たとえばこういう一面もあります
ある政党活動されている議員さんは、広報誌を各戸にくばり
「困ったら、何でも私に言うてください」と声かけられて回っておられると聞きます。
それが、さも「議員」というありようであるかのように・・・

彼らは今回どうだったのでしょう・・・
出動した際に、雪かきにくたびれた住民の一人に「行政は遅い、
同じ税金払うとるに・・・」
「こういう場合は議員さんにゆうたほうが早いんか?」と詰問されたことがありました。

それでは・・・議員さんに言うと、議員さんが来てくれて
「除雪」してくれはるんかと言うと
そうではありません。想像の域にしか過ぎないけど
議員に助けを求める人の多くは、議員からの行政へのアクセスを期待し
議員は、議員で役場に電話するか、時には自ら、出向いて呼びつける格好で
除雪の順番を変えてでも、自分のクレームを優先させ結果、「公助」の連発となることも
顧みずに、自己満足的にこういうことを、「仕事」としてしまいがちです。

私見ですが、議員とか公的な立場で直接的に行政へのアクセスは
広い意味での「口利き」で、逸脱した法令違反にも見えます。
そもそも区という自治会の活動を頭越しに、
一人の議員が、功名を得るように「公」にいきなりアクセスすることが
ええノか悪いのかわかってもおらず、たかだか町議の選挙目当てだとしたら
なおのこと、本末転倒に見えてきます。それを許容する人もまた意識が低いと言わざるを得ません。
こういう風土自体にも、「共助」が醸成されない要因があります。

高齢化にあわせて、人口減少や経済規模の縮小に見舞われて
この町の財政規模がますます小さくなっていく以上は、「共助」こそが
その核になることは、繰り返される「震災」から学んでいるはずです。

たとえば、各区にある除雪の機械への交付金であったり
全額でないにしても、除雪作業への負担に補助を与える仕組みであったり
そうした「仕組み」作りこそが、
この雪害のパニックからクローズアップされた課題だと感じています。

公助は確かに「楽」に思えても、財政上は、もう容易に期待できるほどの容量もなく
合併したことの特別な「プール金」も、とっくに底をつき、
この町にあふれたインフラへの過剰投資が、維持費と管理費という名で跳ね返って来る日が
間近に迫ってきている現実がここにあります。

よく「自己責任」などという漠然とした「押しつけ」がコイズミ以降のこの国にはびこっていますが
それを言う割に、自己責任を保証する手立てが法令化されたりはしていません。
「もう面倒は見ません」ということが増えたのであって
何人かでやろうとすることに実はバックグランドも支援の仕組みもないのです。

だからこそ、「共助」がこうした当てにできない状況を切り開き、
その支援として、たとえば「クラウドファンディング」などという手立てがあるのであって
公助が期待できない以上、それに代りうる手立てや仕組みをこれからどう作るのかが
実は喫緊の課題だとも思えます。
共助を支援する意識が行政にあったとしたら、
住民側にも従来のように、要望という地元へのおねだりに明け暮れることもなく
たとえば試みをクラウドファンディングを募って実現しようという意気が上がってくるだろうと思えます。

・・・・などとエラソーにも、
思いついた遅い年明けが僕の正月後の感想です。

 

相変わらず前置きばっかりがくどいのですが
2017年のサークルは、とにもかくにも
「エクセル」強化を前面に出して、2月8日(水曜)に起動しようと思っています

この記事に気づかれたら会員相互の連絡お願いします。


改めて思うこと・・・サークルとは

2016年11月12日 | パソコンサークル

ひさしぶりに書き込みたいと思いついたのは、
この間のサークルの冒頭で申し上げた自分の思いからです。
メンバーも新しい人が加わって、またあたらしい感じが生まれるのかしらと
漠然と思っていましたが、何とはなしにモヤモヤした「違和感」っていうのを感じるようになり
サークルに対して自然と自分のモチベーションが維持できないこともあったことを告白します。
・・・けども今一度初心を思い起こして、この際思い切って、
自分の思いを述べておかないと
自分自身は何となく今後はもう続かないかなって思うほどでした・・・ので
意を決していうたつもりですが、時に独りよがりに思いばっかりが先走り、つんのめってて、
何を言うてるのかわからなかったこともあったと思います。そのせいで
中には、通じてないかなって思う返答も帰ってきたので、くどいのはわかって
この投稿に至っています。


パソコンサークルは決して「パソコン教室」ではありません。
パソコンを「勉強ごと」にして考えることは、正直僕には受け入れられません。

パソコンは、道具の一つです。文書や表やウェブサイトを閲覧したり
ものを調べたり、困ったときに料理のレシピを検索したり
時に遠くに出かけて変えない買い物したり、あるいは
遠くに出かけるときに宿を手配したり、その場所を調べたり
離れた家族や友とのコミュニケーションの手段としたり・・・

つまりパソコンとは、いわば木を切る時ののこぎりや、もの書くときのペンと同じ
で、何かを作ったりするときのツール(道具)なのでパソコンそのものが
できるかできないかそのことは全く問題ではありません。
車でもそうでしょう。車の運転を覚えようとするのは
どこかへ行くためであり、運転そのものが目的ではありません。

つまりパソコンの操作が、パソコンの目的ではなく
パソコンを使うことによって、それまでは、できなかったことを
できるようになるためのツール(道具)だということです。

僕自身が、この地でパソコンサークルを主宰しようと
志したのは、まさにそこのところで、世代間に横たわる段差のような
隔たりをパソコンを通じて同じ区にいながら、世代も違いそれまで交わる機会のない人が
交流し、様々な人の新しい一面に触れて、また刺激され新しいことに
チャレンジするような機会にすることでした。

だからこそ、この集まりは「サークル」と呼ぶ集まりであり、あくまでも自分が前向きに
なってそれぞれの個性に向き合うことが重要であって、
この国にありがちな「決まり事」のように
誰かに一方的に学ぶというような「受け身」の姿勢で存在する「教室」のような
ありようでは、パソコンを学び合うような機会と位置づけたとしても、
僕自身は、はじめからアレルギーを持っていましたし
パソコンで教室ごっこするのはいやでしたし、画一的で押しつけがましい
「知ったかぶり」では、誰のためにもならないし
結局そういう形では、長く続かないとも考えていました。
それは今も信念として持ち続けています。
現実に「パソコン教室」に通って継続する人はどれだけいるでしょう。
金を払いながら、インストラクターをセンセイと呼び、次々に出される課題に
わからない自分を卑下していては、できないことばかりが増えるだけで
結局続けるモチベーションがなくなってしまいます。
道具を使うのは、自分の工夫であって、人に技能を強いられるものではありません。
自分なりに使えればいいことで、人に教えを請うのは二の次の話です。
自分が自分のために使わなければ、結構なお金を使って買い込んだパソコンも
無駄遣いに終わります。
「勉強」のための道具ではありません。自分に役立つものでないと意味のないことです。
「脳トレ」のつもりでされるのなら、わからないことにばかり時間を費やすのであれば
むしろストレスでその効果は半減します。

たとえば、この国では僕らの世代でさえも、中学、高校と
6年間も「英語」という勉強をさせられます。好むと好まざるとに関わらず
なぜかこの国の大学を受験するときに、必須科目として「英語」の
勉強を強いられます。
英語を勉強にして、習得されたとする「先生」という人たちに教わって...

ところが、それほど勉強しても
この国の英語力は、現実には世界を見渡しても100位を下るほどの英語力だと評価されます。
いまこの国の首相は実にたどたどしい英語のスピーチに終始します。
アメリカの留学経験があるといいながら、あの程度の英語力でしかありません。
英語とは「言語」であって、人とのコミュニケーションのためのツール(道具)であるのに
勉強してきたはずの人々は、「ディス イズ ア ペン」とは書けても
困ってる外国人を見かけても、「May I help you?」と話しかけようとはしません。
交流するといいながら、何が何でも「作り笑顔」だけで済ましているから
彼らは、日本の中で本当の意味の「トモダチ」を見つけられずにいます。
いったいこれは、何のための「勉強」なんでしょうか・・・・
「勉強ごと」にしてしまうと、ついつい人と比べて自分を比較して、そして
人からの評価に気を巡らせ、時に当てにします。
そこからやたらと「失敗」をすることを恐れて、「間違い」というものに
神経をとがらせてしまいます。
やがて、わかっているくせに、間違うことが恥ずかしくてチャレンジしたり
前向きにいることすら、出しゃばりと決めつけて、困ってる人の前でさえも
能ある鷹は爪を見せようともしないのです。
この国には「謙譲の美徳」なるものが厳然としてあり、謙遜するのが習です。
できるくせにできないということが良いことのように、慎ましやかに装います。
できれば人前でミスをしたくないので、予防線をはっているのです。
こういう断言は一方的ですが、僕らが知ってる「教室」とは
ものが使えるように学び合うのではなく、勉強ごとにしてどれだけ知ってるかの
評価を競い合ってるようにしか見えないのです。
それに反して海外の人たちの多くは、学ぶということを現実的にとらえて見えます。
できなくてもやったことがあることを隠しもしないし、少ししか知らないことでも
たどたどしい有り様でも、物事へチャレンジして見せ、その失敗の繰り返しから
自分の経験値にして、自分のスキルを上げることを小さい頃から教え込まれています。

どちらが正直に自分を表現し、物事に向き合っているか自明の話です。
何事も習い事まで「勉強ごと」というものに目的化してしまう、この国の習性がもたらす
最たる「失敗」だと僕は考えます。
元々、この国の「教育」という本質が、「勉強ごと」に終わってしまってることを
学生時代から思い続けてきました・・・ほんまのこというと、自分が勉強をサボる口実ですが・・・
けれども今となっては、結構的確に真実のような気もしてきます。

一概に国民性を論じるのは、はばかれますが・・・・・
人をむやみに「先生」と呼ぶのも、僕には大いに抵抗があります。
中学の時に、僕は自分の家族との関係や家族への不信感を感じて
思い悩んで、職員室の教師をしてる人に相談に行きました・・・・
そして、僕の悩みに対する彼の返答のはじめの言葉が「先生はな・・・」ということに
ものすごい嫌悪感を感じたものでした。自分は自分なりに随分思い悩んで
それでも一念発起して、自分をさらけ出したのに、彼はあくまでも
職員室というか学校側として意見を述べるように、人格のない「先生」と自分を称したのです。
その瞬間に、ものすごく距離感を感じて、「先生」という言葉にも嫌悪感に似たものを
感じたものです。

欧米かぶれの自分ですので、それが正しいことだという意味で述べるのではありませんが
彼らはスクールであろうが、ましてプライベートであって
教師を職業としてる人を「先生」などという呼称で呼ぶことはありません。
ちゃんと名前を呼んでその個性をこそ親しみます。そして
ためらわず、臆せず彼らに問いかけ、自分のスキルを自分で磨こうとします。
そしてチャレンジして犯す間違いを決して笑うこともありません。彼らの話す
日本語などおおよそ、片言で日本人が気にしすぎる「文法」などに照らせば
「間違い」だらけの日本語です。
けれども彼らはひるまずに「オイシイ」「オオキニ」ぐらいの日本語力でも
話しかけること、交流することの道具として懲りずにカタコトの日本語使い続けます。
ここに何のために学んでいるのかの本質があります。
失敗を「恥」とするのか、チャレンジする一歩として、失敗を糧にするのかは
大きな違いです。パソコンに置き変えれば、失敗やミスを恐れて
何もしなければ、道具がさび付くだけで得るものは何一つないでしょう。
ただ、何のためにパソコンを動かそうとするのかを見失うことがなければ
失敗を恐れずに、チャレンジを繰り返します。
そういう雰囲気は、従来の「学校」や「教室」をなぞった有り様からは
残念ながら決して生まれないと断言できます。みんながのびのびとパソコンという
道具を使いこなすのに、サークルという「よってたかる」場所が必要だと思います。
わかることは、すすんで教え合い、わからんことを気軽に聞き合う場所でないといけません。
だからこそ、そこに「センセイ」などというものは必要ありません。
努めてこういう雰囲気を作るのには皆が横に並んでいて醸し出されると思うのです。

それによくよく考えてみれば、この国で「せんせい」などと呼ばれている人の、
結構多数の人が怪しいものでしかありません ・・・センセイ呼ばわりの
最たるものが政治家で、医者を「センセイ」呼ばわりすることにも僕には抵抗があります。

わざわざこのことを持ち出すのも、10年を超えるほど続いてきたこのサークルに対する思いからです。
ずっと長い間、はじめからどちらかというと操作の仕方を「聞かれる」立場にあり
会員のみんなに「課題」を作ってみてといわれてきた経緯からでしょうか・・・・
センセイと呼ばれる方もおられました
その都度、僕は「先生」ではないと言い続けてきました。
けどもパソコンができるということは、仕事をしていれば誰もが仕方なくこなせることであり
自宅で使っておられる方とは、大いにそのスキルに違いがあるのは当たり前のことですし
エクセルやワードができて仕事になるのですから、
それを尊称のように「先生」などと呼ばれると
むしろ違った意味にさえ聞こえてしまうほど、内心ひねくれてもいました。
僕は交流の場であると考えているので僕を勝手に「センセイ」などと持ち上げて
区別されてしまうことも大いに心外なのです。

だからこそ、これを機にサークルのすべての人に改めて
自覚してほしい。サークルは「パソコン教室」ではありません。
パソコンはツール(道具)であって、できるようになったことが目的ではありません
パソコンで何をやったかということがすべてです。
英語のように「勉強ごと」にしてみても、話すことに使わなければ
本来の意味をなしません。
だからこそ、僕自身は僕が「課題」などというものを出すこと自体にも違和感があります。
課題は、できてもできなくても、僕には興味がないのです。
だから作ったとしてもみんながやろうと取り組むきっかけになればいいことで
できたかできなかったかということでもなく、サークルの時間をそのことに使う意味をあまり感じないのです。
それよりか、それぞれの人がまちまちでも、何か新しいことができたとか、こういうことがしたいと思ったとか
聞くことが何より楽しいことだと思います。

サークルが始まった頃は、僕を含めてみんなが、できようができまいが
同じ視線で集って、あぁでもないこうでもないというやりとりがあり、
たとえば運動会でバザーしてみよう、ついでにパソコンでTシャツにプリント
して、とかアイデアが伸びやかに飛び交って
できまいが何かをやってみようと気分が充満してた気がします。

パソコンがツール(道具)である以上、集まった人の目的は
十人十色で違います。それぞれの目的のために手伝いができたらなと考えています。

くどいようですが、僕は「センセイ」などと呼ばれても
心外ですし、僕ではなかったとしても、誰かを「センセイ」として
従来のこの国の習わしを引きずるように「勉強ごと」にして
パソコンサークルを「パソコン教室化」してしまうと本来の意味を見失うどころか
パソコンの操作を覚えることの障害になってしまうと考えます。
みんなが同じことがやりたいわけでないので、同じことを覚える必要もないし
自分ができないということが、誰かの足を引っ張っているなどいう発想に
陥る意味すらありません。

「センセイ」というのが、呼びやすいという人もいるかもしれませんけど
それは結局できない自分を自ら作り上げて、しまっていることでもあります。
何度も繰り返しますがパソコンができないことは、恥ずかしいことでも何でもないんです。
以上の理由で、この際改めて、これらのことを心して
みんなをお互いに名前で呼んで今一度初心に立ち返るように
それぞれの個性に目を向け自分なりのパソコンを使いこなしましょう


課題の途中ですが・・・VLOOKUPとSUMIFという関数。

2015年07月23日 | パソコンサークル

松木さんが亡くなったことを、ミサに参列させてもらいながら
実はまだどこかに「実感」として感じとれない何かがあります。
彼女の死は、それが、神が決め求めた運命だとしても、
やっぱり思い返すたびに、あまりに早く、道半ばに倒れられた断ち切れない無念さを
他人でありながらもこの僕がどことなく 松木さんの死に感じているからだと思います。
彼女ならもっといろんなことが出来たはずだと確信できるからです。
その上で、僕自身、今度の松木さんの死をこれまでサークルに関わってきていただいた多くの人たち
すべてにお知らせできなかったことの悔いがあって、申し訳ない気持ちもあります。

※ブログのカバーの草木は松木さんを偲んでハーブの一種の「レモングラス」の葉を飾りました。
かって不眠を苦にしていた僕に、「松木さん」がレモングラスでこしらえた枕元用の香りのアイテムをいただいたことがあります。
その匂いのそこはかとなく、それでいて根強さが感じられるところが彼女を偲ばせてくれます。

そんな感傷にひたりながら、中途半端な気分のまま昨夜のサークルに出向いたせいか
会員の皆さんに、エクセルの関数の段になって
うまいこと説明が出来ないままに時間を過ごしました。
(・・・それはことさらこういう日に限らず 僕自身の常ではあるけれど・・・・)

実のところ、昨夜のくだりは、今回設定した課題のクライマックスだと考えていたのですが・・・
にもかかわらず、説明が不十分で、みんなに迷惑かけたと思っています。 言い訳にはなりそうないんですが・・・

それは、別表からある条件(検索値)で、該当するデータを探し出してくるVLOOKUP(ヴィルックアップ)という関数と
できあがった表から、特定の条件や検索値をあたえると、その条件に該当するものだけの集計をしてくれる
SUMIF(サムイフ)という関数です。
この二つの関数は、手に入れれば、実は結構「出来た」気になれる代物です。

ここのところは、丁寧に説明したいと思っていますが、とりあえず横着で申し訳なくはあるけれど
とりあえず、このブログで以前に書き込んだ「過去記事」を下記に取り上げておきますので、
参考までに文字をクリックしてして、あわせて読んでいただければ幸いです。

 

VLOOKUP関数:EXCEL(エクセル)

 

エクセルで決算書:「SUMIF(サムイフ)」が決め手


ついでに 

エクセルの極意:IF(イフ:もしも・・・だったら)を極める

 

 

記事は、出来れば新たに再考のうえ、作りたいと考えているには、いるのですが・・・

 



【追悼】・・・「松木妙子」さんを偲んで

2015年07月22日 | パソコンサークル

また大事な「仲間」である人が、逝かれました。
7月19日、サークルの仲間である松木妙子さんは、「間質性肺炎」という病魔と懸命に闘いながらも
治療の甲斐もなく、ついにその人生を閉じられました。
思えば、「富田」のこの地に越されてきて、第2の人生を彼女の思うままに過ごされるはずでした。
美術の先生であった彼女の2つめの人生は「農業」であるとかハーブとか
土に根ざした生き物への憧憬や深い思い入れとともに、そのライフスタイルが築かれはずであり
ゆっくりとして生き生きした生活がそこにあるはずでした。彼女が病にとりつかれなければ・・・・・・・
いずれにしても73歳という生涯は、道の半ばに終わった口惜しさが、この僕をしてこみ上げます。

 

彼女は、群馬の桐生の生まれであり、教職の道を進まれ美術の先生として大阪に赴任されていたと聞きます。
退職後に縁あって、この地に住まいを得られて、我々とサークルでの時間を共有することが出来ました。

思えば彼女は、いつも凜として、そして前向きでおられました。
世の中への視線は、僕自身ともたびたび重なるところもあって、彼女の颯爽とした精神性は
いつも尊敬に値したものでした。

田舎に住むと・・・どうしても視野を狭くして、あの人がどうたら、こうたら
自分を棚に上げて、人のことばかりを口にしてしまうことがあるようです。最近特に思うのは
集落に増え続ける空き家のありようで、それは便利と引き替えに田舎を捨てていくと
都合よく考えがちですが、一方でどうしても「ひとのこと」を口にして、世間を狭くする風土も人を
遠ざける一因ではないのかと、田舎慣れして気づかされるのです。

その意味で、彼女の口からはそうした言葉の一つも耳にすることはなく
僕のお手本でもありました。
彼女の人生を深く知りません。知らなくても彼女は、十分に僕らの仲間でしたし、時には
道を指し示す人でもありました。人への思いやりは決して、ずけずけと立ち入らず今ある人の生き方を
正当に見て、評価する人でした。

けれどもそんな彼女が遠く群馬の桐生から大阪、そして丹波と
変わる人生で、最果ての地となった富田で、こともあろうにこんな難病にみまわれた彼女の人生の不運は、
何も・・・何一つ として彼女の力になり得なかったこの僕を、悲嘆させます。

病院に見舞ったときに、彼女が発した言葉を忘れません。
彼女は死を覚悟してたというよりも、むしろ信仰をよりどころにさらに強く「死と向き合って」おられたことを
思います。時には強がりではなくありのままに、運命の一つとして受け入れているかのように・・・
僕らの哀れみや同情などはるかに超えていると感じて
そのありようは、僕らがマネのしようがないほど気高く、そして強いものでした。

7月21日、園部のカソリック教会で、彼女の子供や孫たちに囲まれ彼女の送別のミサが営まれました。

マリア・ベルナデッタ 松木妙子さん」僕らは決してあなたを忘れません。
あなたは、とても強い人でした。

 


富田夏祭りのポスターの依頼

2014年08月07日 | パソコンサークル

少々個人的にいろんなことが重なって、長らくブログを更新できずにいます。
ご無沙汰しています。
酷暑が続きます。
へとへとになってしまいますね。

ほかでもありません、例年通り「富田夏まつり実行委員会」から
ポスターの制作依頼がありました。
時間が許せば、作ってみて下さい。
こちらでプリントアウトする予定です。

実施要領は下記の通りです。

★開催日時:2014年8月16日(土曜日) 夜7時から
★場所:宇津木寺境内
★催し物:盆踊り、夜店など

その他、例年通りの開催となります。

作品は、ラベルマイティやワード、エクセルなど何でもかまいません。
A4サイズにしていただいて、いつものように僕宛のメールに添付下さい。
ただし、
作った作品の字体(フォント)やレイアウトが崩れるトラブルが起こって
往々にして意図とは違って、作品そのものが、ひらくパソコンやプリンタ次第で壊れます。
できれば、PDFという形式で保存したものを送っていただければ
間違いがありません。
よろしくお願いします。


2014パソコンサークル「再起動」

2014年01月26日 | パソコンサークル

2013年12月に「シャットダウン」していました。冨田パソコンサークルは、
2014年2月12日「再起動」します・・・・ずいぶん長い間のご無沙汰です。

2014-01-26 18-16-24

 

 

その間、たくさんの問題や課題が出来たんじゃないでしょうか?
「楽しみ」にしています。
今年も意欲的に、取り組みましょう。

出来たとしても・・・・出来なかったとしても・・・


「友」の死:板谷さんが逝ってしまわれた。

2014年01月22日 | パソコンサークル

それは、突然の知らせで、思いがけないものでした。年末から体調を壊されたとはいえ、
普段の「元気さ」が脳裏に焼き付いてた自分にとっては、板谷一男氏の訃報に一瞬言葉を失いました。

人は、「物忘れ」を繰り返し、近しい人でさえ亡くなれば、いずれの日にかその名を口にすることが
少なくなり、いないことを気にしなくなる生き物です。
「パソコンサークル」を考えるときに僕はこの人のことを決して忘れることはありません。
だからこそ、自分のためにも「板谷一男」という名前をWeb上に刻んでおこうと思います。
どこかの誰かが、「検索」すれば、いつかこの場所にたどり着くように・・・・・・

思えば、区という小さな範囲の中に「サークル」のような活動を、公民館の活用を目的に
思いつき、「パソコンサークル」などという提案をしたものの、僕自身の人望もこの区の中では
全くないし、あてもないし自信もないまま・・・おそるおそる「板谷」さんちの呼び鈴を押したものでした。
けれども彼の反応は、その僕の不安のような思いを一瞬にどこかへやってしまうほど好意的で
彼の歓迎と協賛はどれほど勇気づけられたことかわかりません。   
今でもあのときのことを鮮明に振り返ることが出来ます。

僕のチカラだけでは、とてもサークルは立ち上がらなかったでしょう。 彼の後押しとリードがなければ始まらなかったのです。
このサークルを起動させた功績の多くは、板谷一男氏の尽力に大いに依存しています。
何かと相談するとき彼は僕を受け入れ、胸襟を開き、年の差を超えて、親しく話せるようにもなりました。

「区」なんていう単位の「社会」は、ほんまにちっぽけな区分でしかありません。
ただ、それほど小さな単位で有りながらも「世代」間にある隔たりは、相当大きく
遠目に「あの人誰?」と訊いて名前を知る人もこのわずか150戸の集落に、「知らない人」が存在して
います。
考えてみれば、パソコンサークルを通じて話すようになり、親しくなった人たちも
それまでは名前は知っていても「どう考え、どういう人か」知らない人たちで近くにいながら遠い存在で
あったのかもしれません。
今は、サークルの人たちとに年代の垣根を感じることなく、親しくさせていただいてることを
つらつら考えるときに、それらの多くが「板谷一男」という人が「きっかけ」だったことを思い知ります。

板谷さんはあの年代で常に前に出ようと「前向き」で、新しいものに臆さず、 アグレッシブに取り組み
チャレンジしてきた先進的な方でした。「気分屋」などと言う他人の評価は、考えてみれば
そういう人を含めて、誰にも当てはまります 。
それより何より、あらゆる世代と分け隔てなく親しく話すことが出来て
積極的な生き方を実践できる人でした。それほどの思いを持ちながら・・・・彼の顔を見ることもなく
まま「行事」を優先して、葬儀に参列して「見送る」ことの出来なかった自分自身に、
どこかに申し訳なさを感じずにおれませんが・・・
あっという間に逝ってしまわれた「板谷一男」という人を、今更ながら若輩の僕が「友」と呼ばせていただいて
このブログでこれまでいただいた好意に感謝しつつ「惜別」の思いを書き残させていただきます。


パソコンサークル2014

2014年01月16日 | パソコンサークル

まだまだ、寒さはこれからが本番…「温暖化」ということが、むしろ極端な寒さをもたらす・・・というわかったようで
わからん話・・・「戦争で尊い命を失われた方々の安らかな・・・」という祈りを捧げたと言いつつ・・・
何かと論議を呼び、戦時中の日本の占領と侵略のシンボルである「宗教法人」ヤスクニに
わざわざ、自分の我をを通して、参拝し隣国の騒乱を引き起こした張本人・・・安らかにを願うのなら
明らかに別の方法がある。・・・・国益を損ねてまで「やってしまう」ことが、ほんまに危うい・・・
オリンピックの「会長職」にこともあろうに、かっての派閥の長を選んだことを見ても、底が知れる。
あんな人のどこが「オリンピックの顔」であろうはずがない・・・オリンピック招致の席上で、
今頃もてはやされるパラリンピックの美人アスリートが彼と近しく話してる様子を見て、そもそも笑顔を振りまいた
スピーチに僕自身は、天の邪鬼にも「違和感」を感じたものだった。
スポーツは、政治から離れたものでなければならない・・・のに、もっとも古くさい「政治屋」を人選したことがやっぱり「矛盾」している。

 

BSEA_072

てなてな、ぼやき癖が全く変わらないまま
2014年が明けてしまいましたし、もう2週間過ぎてしまいました。
正月は、何かとあって、サークルの始動は来月からと考えています。
Kこちゃんが楽しみにしてる「新年会」とやらは、今年もスケジュールが後回しになりそう。

 

今年のサークルでは、積極的にを合い言葉に・・・いろんなことに挑戦しましょう。
パソコンの周辺では、今年の4月9日に大いなる「転機」が訪れます。BHOB_003
環境が大きく変わるターニングポイントになるのでは・・・・という予感があります。


2012年度のサークル予定表

2012年04月23日 | パソコンサークル

暖かくなった昼下がり・・・思いがけなく汗ぶるぶるのT上くんに出会いました。

 

そしたら、さらに・・・思いがけなく・・・「サークルの日程表がこのブログにアップされてない!」
との指摘を受けてしまいました・・・・・
そういや、そんなことを口から出任せに???ゆうた覚えがあるような・・ないような

 

そんならと・・・、区にもちゃんとした予定表ださんなんわけですし、この際作っておこうと考えて
★一年分の第2・第4水曜日を取り出す数式から、エクセルで下図のような予定表シートをこしらえてみました。
・・・ちょっとした「味付け」としては、もしも開催日が25日(集金常会の開催日)に重なるようなら
翌日に順延する仕組みと、そうなった場合その日を強調すべく・・・灰色にセルを
塗りつぶす仕掛けを作ってみました。

入力は、「年度」のところにその年の西暦を入れるだけで、後は全部、自動的にこしらえます。
開催月もまた、自動的に罫線を区切る仕組みにもなってます。
多分来年も再来年も、数字だけ変えれば、使えるはずなんですが・・・・・

★作ったシートは記事の最後にアップしておきます。

→  「サークルの予定表」


パソコンサークルの課題?・・・

2012年04月23日 | パソコンサークル

今度のパソコンサークルは、第4水曜日の予定でしたが・・・あいにく4月25日(水)はどこの組にも
集会の予定があるようですので、4月26日(木)に順延させていただきます。

前回のサークルでは、やや支離滅裂気味で、何となく、「おもんない」思いをされた方も多く
不満の声をお聞きしました。素直に反省しています

言い訳がましいことこの上ないんですが、誰にもやりたいことがあり、人の数だけやりたいことが違っています。
そのうえ、持ってる器械も、バージョンも違ってもいます。 同じことをやるということにそもそも無理があります。
それこそが、パーソナルという意味での「パソコン」というものの本質ですが、それにしても、ただただ、ばらばらでやってても
ピントが合わないし、それならそれで、わざわざ寄ってすることもない・・・というのも正直な思いもわいても来ます。
かといって
サークルはあくまでもサークルで、「教室」などと言うもんでもありません。僕自身は絶対に
「センセー」などというもんでも、さらさらありません!
ですから教えるなどというのは、全く次元の違う話やと思ってもいます。僕も又
パソコンを通じて何かやってみたいという純粋に、同じ立場でいるつもりです。

けども、もう少し踏み込むとみんなであれやこれややってこそ、わかることが多くて
そこに集まって、パソコンを通じて何かをやることの意味も見えてきます。・・・
ただ、パソコンといういわば取り扱いの小難しい道具を、もうちょっと使い勝手よくするのにも、
パソコンで新しいことに取り組むには、もう少しサークルとしての工夫も必要になってきます。
好き勝手とはいうもんの、何か取り組むことの実例や課題がないと・・・実のところ、何がわからなくて
何が出来るのかを知る手立てがないのも事実で、結果として、全く焦点が合わずに
ばらばら、のダラダラに陥るのです。
そこで、何となく「課題」のようなものをこしらえて、それに取り組むことによって
わからんことやわかってることを見つめてみようと・・・・「課題」なるものをこしらえてみました。
それこそ、「教室」じみていて・・・本意ではないんですけども・・・

課題として取り上げてみたのは、
ワードの練習例とエクセルの初歩のようなもの(罫線の引き方)と関数を使った実例の3種です
どれでもええし、あるいはこれだけでは、物足りない方もおられると思いますが、それぞれがやりたいと思われるのを
選んで、取り組んでいただけたらというようなことを思いついた次第です。
やってもええし、やりたくなければやらないでもいいような代物です。

これが結論めいたものでもありませんし、こういうのがサークルのすべてというもんでもありません
何か打開策はとない知恵を絞ったあげくにせいぜい思いついた1点でしかありません・・・
今後のサークルの運営については、みんなの意見を取り入れて、より楽しいもんにしていけたらと思っています。

課題のファイルの置いてある場所は、下記のリンクをクリックしてダウンロードしてください。   

→「課題作成」


メンバー募集!・・・・(nanaco作)

2012年03月18日 | パソコンサークル

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親バカちゃんりんですが・・・わがむすめはんにチョチョイノチョイぐらいのノリで作ってもらった「メンバー募集」のチラシです。
なかなかの出来映えで気に入ってます。早速、区で配ってみようかなって思ってます。

なんやったら、これを目にとめられた方・・・・「富田区」なんてちいちゃい枠にとどまらず
来られそうやったら、声かけて、この際メンバーに加わってください。
メンバーも様変わりして、リニューアルオープンすべく
新しく再スタートを切るつもりのサークルの7年目
出来ないと思う人も、むしろ出来ると思う人も
パソコンばかりではない活動をも目指しています。


曲がり角?

2012年03月17日 | パソコンサークル

もう7年目になるんかな・・・パソコンサークルが始まって・・・

そんな中で、相次いでサークルの活動から少し離れるとの意思が二人の方から告げられました。

・・・「ちゅうこ」さんと「こりん」ちゃんは、創生期から、自宅でも公民館でも、ともに熱心に取り組んで来られ

時には相談に乗ってもらったり、いろいろな面で助けてもうたり、何かとお世話にもなってきたし、

中心的メンバーと考えてきた人たちですので、「離れる」と告げられた時には、正直感慨深いものがありました。

・・・考えてみれば、開設当初からは、二人以外にも多くの方が参加を断念されても来ました・・・

そのたびに一抹の寂しさを感じながらも、一方で年齢などの理由から無理強いこそプレッシャーを与えるものだと自覚し

いつでもだれもの参加を歓迎するという姿勢は、規則に縛られず自由に参加でき、しんどなったら

離れることももちろん自由な訳で・・・それはメンバーの一人でもある僕自身にもいえるわけで・・・

無理することは、結局パソコンも何も楽しめないし、そもそもパソコンがすべてではないし・・・・

てなことを、じーんとなる気分もありながら・・・あれやこれや考えたりもしています。

こうなっていくことは予期されながら、何か手を打つこともせずにいた責任もどこかに感じてもいます。

やっぱり一つの曲がり角に来たんやと思いつつ・・・ただそれでも、むしろこれから先に前を向いて

サークルを盛り上げていこうとすることこそ、離れていくことになった人たちのメッセージなんだと思い直しつつ

遅まきながら、まだ続けていく意思が一人でもあるのなら、ここで改めてリスタートしていくことが

必要です。たとえサークルを離れても、ここで築いた縁は離れるものでもありませんし

いつまでも「仲間」という意識は変わることはありませんので、僕に出来るサポートは

変わらずに続けても行くつもりですので、何かあれば遠慮なく変わりなく・・・ゆうてきてや


もうじき、春ですね


今更なんですが、手始めに「nanaco」に、サークルメンバー募集のチラシ作りを頼んで

近々、配布予定です。


パソコンサークルのありようを考える。

2012年02月12日 | パソコンサークル

思いもよらぬ「メール」が届いて、今更ながらにしみじみ「サークル」というものを考えています。

 

もう始まっておよそ7年の月日を迎えようとしている「富田パソコンサークル」ですが
一つの曲がり角というか、変わり目に今たっていることを実感します。

思えば創設期から意欲的に取り組んでこられた方々
パソコンというものを手にして、使い慣れてネットを自由に見聞きできるようにもなり
年賀状は言うに及ばずポスターなど自在に作ることもでき、家計簿にしろパソコン使って
しようかと思いつくまでになってこられました。
そういう意味でも一定の進化を遂げつつ、みんなの中にパソコンが定着もしたように思います。

実際、初めの頃から誰もが見違えるほどの成長ぶりで、
それぞれのやりたいことが違ってきた事を受けて、正直これから何を どうしていこうかと、
自分の中に迷いを感じてもいました。

その中で結果として「公民館」に舞い戻ってサークルをしていると
寄る年波などというと、余計な角が立ちますが・・・実際、わざわざ夜の8時になって
公民館に出向くと言うことが、体力的にもあるいは気持ちの上でも「しんどくなる」のは
よく理解できます。
そうして、開設当初から参加いただいた幾人の方々の参加が途絶えて来た事実もあるし
現行のサークル開催も少人数での開催が続いています。
サークルには意図的にも「決まり」という制約を設けたくありません。これは始めたときからの意志であり
来られるときに来て、来られないときは来られない。
できることには挑戦し、できないことを悔やまない・・・・できてもいいし、できなくてもいいという
精神につながっています。

ですから「退会」という手続きをわざわざとらないのも、また来られるときには来てという思いもあります。
またサークルで知り合い、サークルの活動を通して共有した時間を思うときに
サークルの参加がかなわなくなった方々は、やはり今でもサークルの「仲間」としての思いが今もありますし
及ばずながらも、サポートをさせていただくつもりです。

それぞれの事情や感情、体力的な問題・・・一人一人につきまとうものは、様々です。
それぞれに理解できます。
来られなくなった理由は、ヒトの数だけ存在するので、強要もあるいは引き留めもかなわないでしょう。
また、パソコンだけではなく一定の活動もしてきた中で今後も続けていく以上
新しい仲間をもっと増やしていくことも求められます。

曲がり角を曲がるときに、景色が少し変わって、その先が急な上り坂になってたら、ちょっと一息つかないとあかんし
一気に下り坂を下るには時間というものを味わうことができません。
なるようになるっていうのもあるし、何かせなあかんという焦りにもにた思いが混じるし
もうちょっと、ちゃんと向き合って「サークルのありよう」ってもんを考えずに来た反省をしています。