富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

地震国2016.04.16

2016年04月16日 | 震災

40年も前、僕自身は1年間熊本に住んでいて、始終見上げた「熊本城」と
阿蘇に広がる草千里の眺望と雄大な自然に心洗われ、心地よい人とのふれあいとともに
その期間が短くとも、今ある自分の中に形作られた精神的な核心のようなものが
ここで作られたことを感じている。
その愛すべき熊本や阿蘇に連なる風景が、巨大地震に引き裂かれ
おびただしい被害の状況をテレビを通して目の当たりにするとき、言葉を呑み込んでしまう。
それはまさに21年前神戸で見た惨状を思い起こさせた。

この国の風土は、入り組んだ渓谷や連なる山々と変化を極める風景と
四季の移ろいを愛でて、自然というものに畏敬の念を抱きながら暮らしをつむぐ風情で
形成されている。
しかし、こうした自然の圧倒的な脅威を目の当たりにするときに
あらためて思い知らされる。

連なる山々のでこぼことした地形や変化がおおきな渓谷こそ
もとはといえば、地殻変動のたまものであり、プレートが衝突してねじれて山脈が形成され
そこに生まれた亀裂に川が流れている。 それがこの国の美しいジオラマの本質でもあるのだ。

阿蘇に連なる草原は、どんな屈曲した気持ちさえも小さくしてしまうほど
その圧倒的な風景が雄大やけど、それも幾たびかの火山の噴火でもたらされた
折り重なる地層がかたどるものの「表面」に見えるものでしかない。

およそ、人類の知恵はいまだに自然の摂理には及ばないものの
この国が幾重かのプレート上に形成された地形と地層で象られたものであり
あわせて多くの火山活動とともに、いたるところに地溝帯とよばれる断層の塊があり
この国のどこにも亀裂のない地層など存在しないことはわかっているつもりでいる。
けれど、結局阪神淡路のときも、東日本の震災ですら、起こったときにだけそのことを肝に銘じて
いずれの時にか「他人事」にしてしまう。

今は、一瞬の地震で命を奪われた人々、その遺族の方々に思いを寄せるとともに
そんな国土に原発を稼働させることの恐怖を思い知る。

ただ、救難の指示をまことしやかに発する総理大臣こそが、「フクシマはコントロールされている」
と世界に嘘をついた張本人であることが、空々しく
また相も変わらぬ懲りない知恵のなさに、寒々しくテレビから流れている。


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