富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

Special Wedding(スペシャルなウェディング)

2011年04月30日 | Weblog

Will&Kate のRoyal Wedding(ロイヤルウエディング)で
世界が華やいだ一日。
「ロイヤル」を垣間見て、それはそれはスペシャルな
MichaelとElizabethの結婚式を思い出し、その場に立ち会えた興奮と
すばらしい感動がもう早ひとつき前にもなるのに、僕の心に鮮やかに甦りました。
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「ウェストミンスター」ではなかったけれど、シドニーの閑静な場所にある教会は
清楚に白くたたずみ、ただそれだけで心洗われる雰囲気に包まれていました。
ブライドの明るい笑顔、迎えるグルームの優しいまなざし
それはどこかで見た映画そのものに思えて、心がふわっと浮き上がって
その場の雰囲気と儀式の荘厳さに酔うように包まれていた気がします。
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思えば、マイケルが我が家に来たときそれは17年も前の話ですが・・・
出会った瞬間には、お互いの文化の違いに戸惑いながらも(カルチャーショック)
あっという間にその距離を縮めて、心から通じ合えるのに、それほどの時間はかかりませんでした。
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当時15歳だった彼から、僕自身は多くのことを学び、考え方において
一つの転機になるヒントを与えてくれたような気がします。
マイケル以前の僕と、マイケル後の僕は、家族もそうであるように
大きく違った気がします。
人に比べて自分を見るのではなく、自分をちゃんと見つめて
ただ、自分自身のベストを尽くすというあり方は、今僕の気持ちの大部分を占めています。
ともすれば、あの人はどうのこうのと、ちいさく仕切った世間という器のなかに
人も自分も閉じ込めて、物事を推し量るありようは、窮屈でやがて息苦しくなります。
人は違って当たり前で、そのことを自覚すれば、自分自身を大事に思い
自分以外の人格も物差しなしにちゃんと見つめ尊重できるのです。
どうやらそれまでの僕は「・・・あの人しっかりしたはるわ・・・」などという表も裏側もある
どうでもええような言葉につきまとわれかけていましたが、マイケル後に
そんなことがどうでも良くなった自分を取り戻した気がします。
人が自分を評価するのではなく、自分を評価するのは自分自身なのです。
人がどう見るのかということに気をとられる人は、その時点で自分を見失いがちです。
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マイケルは、遠く離れたお互いの家族の架け橋にもなりました。
僕らの子供達とマイケル達の兄妹達はまるで家族のように交流でき
掛け値なしに、僕らにとって、マイケルの両親であるIanとGeniaは心から通じ合える親友です。
今度の結婚は、マイケルへの祝福というのが大前提でしたが
彼らの喜びを、彼らと共に同じ空間で共有できたことが何よりの喜びでした。
彼らと過ごした数日は、かけがえのないすばらしい時間となり、
彼らの暮らし方、彼らの生き方にはいつも素敵な印象持つことができ、
自分たちにとって大きな刺激にもなり、尊敬に値します。
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なかなか立ち上がれないほどの大災害に見舞われ、被災地のみならず
僕らも、ある意味津波をかぶったように、先を見失っています。
今まで、物にあふれた生活に便利ばかりを貪ってきて、その消費によって
経済を支えてきたと今更ながらに振り返る・・・何もかも失ってなお、
みんなが「物を買おう」と口をそろえる・・・
まるで、物を消費することが豊かな生活 の本質だとでも言いたげに・・・
物にあふれた時を取り戻すことが「幸せなこと」の形だとも言いたげに・・・・
唯一無二の被爆国でありながら、便利と裏腹の浪費の挙句に多くの原発を
地震の巣の海沿いに、国策としておびただしく建設し続けた経緯が現実としてある。
どうやら巨大地震と大津波によって、そのパンドラの箱がひっくり返って
どうもしようのない暗雲がこの国にたちこめていて、晴れ間が見えないでいる。
それでも、物を買うことで救われると念を押すセリフがテレビに飛び交う。
それしかないのか・・・となぜか立ち止まりたくもなる。
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彼らの生活に触れて直感的に思うこと、それは家の中に物が少なくて
必要なものを最小限にしていて、けれども一つ一つに意味を持たせていること。
いずれ必要などといって買い置きすることは、一週間分の食べ物以外に見あたらない。
物がないことが貧しく見えないし、むしろ豊かに暮らしが彩られて見える。
今自分にふさわしいものが、基準となって生活を演出する。
決してあれもこれもと飾り立てず、いい物を自分にふさわしい物だけを手に入れて
自分らしさを演出することを忘れず、ナチュラルでいて
それが美しい・・・・・

あっという間に大津波に襲われて、家族の命も家も家財すべてを失って
途方に暮れる・・・失ったものは何なのか、
再生すべきものは、何なのか・・・そう思うときに
僕らが「物を買う」ことで得られるものがすべてではないと思えてくる。

僕がオーストラリアの友人達の暮らしに触れて、見たものに答えがあるような気がしてならない。


画面キャプチャーなら:「Easycapture」イージーキャプチャーがおすすめです。

2011年04月26日 | オススメ

誰にも得意なもの、苦手なものがあるうえに、
ものの使い勝手の善し悪しは、人それぞれに違っています。
食べ物に好き嫌いがあるのと同じように、おいしいと思う感覚は
人に勧められても 同じようには味わえるものではありません。
パソコンについても言えることで、今回紹介する「画面キャプチャー」という種類のソフトについても
僕自身は、大変気にいって使っていて、「オススメ」するんですが
必ずしも、それが皆さんにとって、使い勝手がいいとは限りません。

以前の記事で、パソコンの画面上に表示されたWeb上の地図を「切り取って」使う際に
キャプチャーといわれるソフトが重宝すると書き込みましたが、
パソコンに表示された画面を、あたかもデジカメで写し取るようなこの種のソフトは
文書作りやちょっとしたメモをとったりするのに役立ちます。
Web上にはキャプチャーソフトとよばれるものが、無料の「フリーソフト」の形で、無数に提供されているんですが、
一長一短があって、自分の求めるもの、使い勝手に相違があり、ダウンロードしては
試して納得がいかないときに削除して、また違うものにトライするということを繰り返して来ました。
ようやく出会った一品がこの「Easycapture(イージーキャプチャ)」です。
このソフトは、操作性にも優れている上に、切り取った画像にちょっとした手を加えたり
付箋をくっつけて、文字を書き込むなどの機能がついていて、
サークルで使う素材の説明文作りにもってこいのソフトで、大変重宝しています。
実は、このソフトは国産のものでないので、メニューもヘルプも英語表記なのが難点でした。
ところが、世の中には奇特な方がおられるもので、このソフトを日本語化されているのを
Webで知ることとなりました。正確に言うと「日本語化パッチ」とよばれるものです。
名前は存じませんが、「 mick2web」とおっしゃる方のご厚意に感謝しつつダウンロードさせていただきました。
「パッチ」というと、おじやんがはいてはるのや、パッチワークのつぎはぎを思い出しますが
まさに、パソコンでも同じ意味の「あて布」や「つぎはぎ」を意味し、転じて
プログラムの一部分を更新してバグの修正や機能変更を行うためのデータのことを指します。

このソフトを使うにあたっては、まずプログラム本体をダウンロードし、あわせてこの「日本語パッチ」を
ダウンロードすることになります。手順としては、プログラム本体をインストールしたうえで、
その後プログラムをインストールしたフォルダに、ダウンロードした「日本語化パッチ」を コピーし、
パッチをダブルクリックして日本語化するというちょっと面倒でややこしい手順が必要なので
インストールする際には、ちょっとした覚悟がいるといえば、いります!
そこで、このプログラム本体と「日本語化パッチ」は別々のところからダウンロードせんとあかんので
僕の方で予めダウンロードし、2つをまとめて圧縮したファイルを保存しておきました。
→「Easycaptureの保存場所

ダウンロードできたら「解凍」していただくとフォルダの中身は下記のように2つのファイルに分かれています。
snap1111
インストールは、このうちの「プログラム本体」をダブルクリックして、始まります。
ただし、先ほども述べましたようにこのソフトが国産ではないために、「日本語化」が完了するまでは
英語の表記になるので、しばらくはキライな英語のおつきあいに我慢がいります。
インストール時の最初の画面は、下の図のような画面で
「ほんまにインストールしやはります・・・か?」って聞いてきますので「はい」なら
図のように「I accept・・・・」(異存ありません・・・)というボタンを押し、右下ボタンの真ん中の「Next(次へ)」
のボタンを押します。
Easycap1
すると、
easycap2
このようにプログラムをパソコンにインストールする先のフォルダを聞いてきます。
よっぽど思惑があるのなら別ですが、画面に表示されてるままに、また「Next」ボタンを押して
次に進みます。
easycapture3
上記の画面は、「ほな、いよいよインストールするよってに、よろしいな?」という内容ですので
よろしければ、右下ボタンの真ん中の「install(インストール)」ボタンを押します。
するとプログラムが自動的に、パソコンに必要なファイルをコピーしながら設定されていきます。
下記のような画面になれば、「イージーキャプチャはカンペキにセットアップできましたでぇ」
ということですので、図のように右下の「Finish(完了)」ボタンを押して、
プログラム本体ののインストールを終わらせます。
easycapture4

さて、問題は、ここからです。
少々やっかいですので、落ち着いてコレカラの作業をやり遂げましょう。
いろんなやり方もあるとは思いますが、説明が簡単な方法で書き込んどきます。

【1】まず「マイコンピュータ」を開きます。
※それぞれのパソコンの設定によって、マイコンピュータの中身は、少しずつ違っていますが、これから探し出す
Easycapture」のプログラムがインストールされた先のフォルダは、さっきの設定通りインストールされているのなら
(C)というドライブにありますので、この場合(C)というドライブをダブルクリックして開きます。
Easycapture5
【2】すると、またぞろ人それぞれに内容は異なっていますが、C ドライブの中身が開きます。
様々なフォルダが並んでいると思いますが、この中の「Program Files」という個々の
プログラムが収められたフォルダを見つけ出して、同じようにダブルクリックして開きます。

Easycapture6
【3】今度は、この中から「Easycapture」という名前のフォルダを探し出します。
Easycapture7 
【4】見つけ出したら、同じように、このフォルダを開いてみましょう フォルダを開けたら、
ここで一番はじめにダウンロードしておいたフォルダの「日本語化」という方の中にある
「TEMPFILE」というファイルを、コピー して来てこのフォルダにコピーします。

下図のようにコピーできたら、フォルダの中で、このパッチファイルをダブルクリックします。
easycapture8
【5】日本語化に成功したら、その旨のメッセージが現れます。
これで、プログラムのインストールと日本語化という一連の作業が完了します。
開いたフォルダは全部閉じて、Windowsの元の画面に戻ります。

後は、スタートメニューやデスクトップ上にある「Easycapture」のアイコンをクリックして
イージーキャプチャを起動します。
イージーキャプチャーの操作画面は、下図のような画面で構成され
左横に画像の加工ツールが並び、メニューの下に、キャプチャーの方法を示す
アイコンが並んでいます。ある程度の範囲を指定して、画面を切り取りたいなら
図のような「範囲枠」のアイコンを選択し、マウスを使ってどっからどこまで
と指定すると「キャプチャー」画面に切り取った内容が表示されますので
この画像を保存したい場合は、「ファイル」→「名前をつけて保存」と進み
Easycap11
保存先のフォルダを指定した上で、ファイルに適当な名前をつけた上で、できれば
下図のように「ファイルの種類」を「jpeg」にして保存してください。
easycap10
お気に召しましたならば、幸いです。

 実は記事丸ごと下記のURLに
ブログを引っ越ししました。よろしければ
お越しください。

→  http://tomitapc.blog.fc2.com/


パソコンのエクササイズ(手慣らし):練習問題

2011年04月22日 | パソコンサークル

原発の危機がもたらす深刻な状況は依然として、変わりないどころか
次から次に新しい問題をもたらして、いかにも頼りがいのなさそうな「保安院」の
審議官とかいうひとの、相も変わらぬ見通しもない他人事のような説明に、
もうええ加減あきて聞く気も失せてしまいました。
現地では、同心円にくくられた地域に警戒区域が設定され、一方的に立ち入りを遮断され
自宅に帰れなくなった人、漁に出られなくなった人への説明に
のこのこ出かけていった保安院に「生活の補償の具体的な話もできん連中が来て何を話するん?」
「放射能レベルがどうたらこうたら、そんな話はもう聞き飽きた。どう生きていくかを話したい」
とりあえず「警戒区域」の説明をするなどという手続きなど、被災者にとって問題ではない。
この期に及んでまだ「お役所仕事」しか思いつかない鈍感さに絶句する。

もはや決して遠くもない気もしてきたこの地も、雨が降ったり寒なったり、ほんでもって暖かくもなり
震災と大津波で日本全体に暗雲が立ちこめて、お先が暗い思いに覆われてたけども
それでも、田植えの季節がやってきて、いよいよ農繁期に入ります。
本格的に忙しくなる前に、せめてもの気晴らしに
ネット上から「ワードの練習問題」や「エクセルの練習問題」をこそこそ拾ってきました。
少しの間、サークルの課題にして、この問題をこなしていくうちに
知らん間に「達人」になっていくというような・・・・うまい話ではありませんが・・・・

ダウンロードは、 →「ワードの練習問題
                     →「エクセルの練習問題

解凍して、解答してみてください・・・・


作ってみませんか?:ちょっとした地図

2011年04月20日 | パソコン

少し慣れてきたら、こんなこともできる・・・という意味で
ちょっとした案内図なんかにするために地図を作るということにチャレンジしてみましょう。
ちなみに、エクセルで作ってみましたが、ワードでもラベルマイティでも何でもかまいません。
要するに、そうしたアプリケーションで用意された図のツールを使い慣れるための
エクササイズ(練習)です。

その1・・・手作りの略図
tomitachizu1 
これは、まぁほんとに漫画みたいなもんですが、エクセルのセル幅を
方眼紙のようにシート全体の「列の幅」を1.63と指定しておき
時にはセルを塗りつぶしたり、あるいはオートシェイプから直線や曲線を使って 線引きし
描いた線を右クリックしてその拡張メニューの書式設定や、線の編集メニューにある
いろんなオプションを使って加工します。
さらに「挿入」→「図」→「クリップアート」でネット上からパーツを拾ってきて
様々な細工や工夫が楽しめます。

その2・・・ネット上の地図を利用する。
tomitachizu2

ネットにオンラインしていると、たとえばGoogleやYahooのサイトから
求めたいところの地図を表示することができます。
これを多少著作権上の問題があるとは、心の隅にひっかかりますけども
画面キャプチャーとかスクリーンショットとかとよばれる「キャプチャーソフト」
を使うことで、パソコン上に表示された画面を切り取ってそれを「画像」として保存し、
文書上に貼り付けて、案内図として利用したものです。
キャプチャーソフトの多くは無料で提供されるフリーソフトにありますので
どれか一つダウンロードして、使ってみるのも結構用途が広がります。
気に入った料理の写真の切り抜きとか、記事の切り抜きにも使えますよ

「画面キャプチャー」→「窓の杜
             →「Vector

 

参考までに記事に使ったサンプルのエクセル版は →「Excelの地図」に保存しておきました。


作っておきませんか?:IP電話帳

2011年04月17日 | パソコン

4月1日からいよいよ、従来の有線電話のシステムが京丹波町全体の
ケーブルテレビ網を利用したIP電話方式に移行されました。
中には、移行されたのにもかかわらず、電話線(モジェラーコード)のつなぎ方が
いまいちわからないままに、そのままにしておられる方もおられると思います。
告知端末機にモジェラーコードという線でつながなければ、町内全体の無料通話の恩恵が受けられません。
今一度配線を確認しておきましょう。
告知端末機にNTTの回線をつなげて、従来のNTTと共用することもできます。
こうすることによって、電話機やFAXを2つ置いておく必要がなくなります。
この場合は、告知端末機の背面にLINEというジャックにNTT回線のモジェラーコードをつなぎ
TELというジャックと電話機とをもう一つのモジェラーコードをつなぎます。
IP電話を従来の有線電話のように独立して2つの電話機を使う方は
TELというジャックと電話機だけをつなぐようにします。丹波町時代のFAX機を引き続き使用される方は
器械にさしてあるカードを抜いて使用してください。

さて、つながったらつながったで今度は、電話番号ですが
IP電話は、たいていの場合NTTの番号の市内局番のアタマに「3」をつけて使用します。
今回は、たぶん経費節減の意味もあってか、電話帳の配布がありません。
ところが電話番号を調べようとわざわざイエローページを引っ張り出したものの
中には電話帳に記載されていない場合もあります。事情あって記載を控えておられる方はもちろん
一世帯にもう1台追加された場合は、当然ながらイエローページに載っているはずはありません。

そこで、せっかくパソコンやってるんやから
この際、自分なりの「IP電話帳」をこしらえてみませんか
でんわ兆 
上記の「IP電話帳」は、組の配布用に僕自身が「エクセル」で作ったサンプルです。
エクセルでないとあかんってことはありませんが、
参考までに ネット上に保存しています。 →「IP電話帳」・・・「Sheet3」にあります。
ほとんど罫線だけの表ですので特別なことはありませんが
強いて言うなら、それぞれのセルに書式の設定をしておくと仕上がりが良くなって
入力がしやすくなるかもしれません。とりわけ電話番号欄に工夫が必要です

書式44
たとえば上記の「設内のぞみ」さんの電話番号の入力は末尾の4桁「1114」だけを入力するようにしました。
そのためには、電話番号欄の書式を工夫します。組内の場合必ず局番が
「382」となるものですからはじめから「382-」としておきます。
そのためには、メニュー→「書式」→「セル」→「表示形式」とたどり
その中の「ユーザ定義」を選択し、種類という欄に「”382-“0000」としてOKを押します。

書式

 

 

すると、末尾の4桁だけを入力すると上記の表記になるのです。
できるだけ入力の間違いを少なくするには、こうしたちょっとした工夫も必要になります。


春の伊根湾:Aのさんからの便り

2011年04月16日 | 写真

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久々にAのさんから写真とともにメールいただきました。
東北・関東の大震災から早一ヶ月が過ぎて
なお、国中に覆う暗雲のような気の重さから解き放たれませんが、
桜の開花にあわせて特別雪の多かった冬から、春は足音を立ててやってきました。
穏やかな好天に恵まれて、小旅行に楽しい時間を過ごされた様子がうかがえました。
いよいよ芽吹きの季節です。
お元気でお過ごしください。


私の国の安全神話

2011年04月16日 | 震災

この国を少しの間離れて、この国の方を振り返ると見えてる景色が違っている。
未曾有の国難が大津波として東北や関東の沿岸を襲って
一瞬のうちに家族も家も生活も思い出もすべて、今までの人生ごと
呑み込んで、ぐしゃぐしゃにして蹂躙していった。
残ったものは、気力を振り絞りながらも惨状を前にして、途方に暮れている。
何もないように見える未来は、必死になって探す瓦礫の中に埋もれてはいない。
我々の気持ちを覆うものは、こうした被災者の気持ちに同期していて重たい。

一方海外のメディアは、そうした惨状を心から哀れむと同時に
原発のもたらす地球規模の危機に対して、とりわけ技術立国を標榜してきた
日本という国そのものに疑念を持ち、厳しく注視してやまない。

我々は、原発を中心にした半径20キロやの30キロやのを表す同心円で描かれた
危険地域を何度も見せられて、その円から外れて住むことを不謹慎にも安心の材料としてきた。
考えてみれば水素爆発を繰り返して、めちゃめちゃ壊れた建屋と噴煙をあげながら崩れて思える
原発の事故が、それでも「レベル5」までは行かないという保安院という見たこともない官僚の言葉や
しきりにテレビに登場する「専門家」などという連中の話を鵜呑みにしようとしてきた・・・・
悲惨な映像を目の当たりして疑う思いもどこかにありながらも、「最悪」といわれるのが怖くて信じたかった。
けれども一ケ月たって保安院や原子力安全委員会は、今頃「レベル7」に評価を覆したのだ。
それは、今日に至って深刻さを増したという意味ではない、この事故の内容の評価そのものを
過小評価していたことを、ようやく認めたというお粗末な反省にたってのコメントであり
海外では、汚染水を海に流してしまう以前に、認識されていた事実である。

私たちのありようは、いつも「事なかれ」という思想に支配されている。
「何事もなく・・・」という挨拶は、何もないことこそが第一義であり、責任という「責任」は
自分がとらないで済ませることを責任と考える思いが、どこかにあり
多少真実を曲げても、一員としての立場を守り、迷惑をかけないことが組織に対しての責任だと考える向きがある。
それは子供の頃から植え付けられてきた一つの思いであり
そのために信頼すると言うより信頼したいとついつい思い、安心したいという一心が
時は不条理な理屈や、怪しげな説明までも信じたい思いで人を信じようとする心につながる
もっと言えば、「だまされている」ことの方が、安心できるとさえ思えてくるのだ。
個人としての自立を思う前に、みんなに良く思われたいとおもい、
誰かと比べてみたり、自分がどう思われ、自分の立ち位置ばかりを気にして
自分を作ることの2番目にしてきている。個人の意見や考えは組織や世間の一般論のあとに
位置づけされても見える。たまに個人的見解を述べると押さえつけられて「生意気」な
独りよがりにされるのが常でもある・・・あの人は変わってはると・・・・
変わっているからこそいいという当たり前の論理が通らない

海外では、「Hiroshima,Nagasaki and  Fukushima」と並列して表記もされている。
危機の管理をするときに、たとえ深刻であっても本当に欲しいのは正確な情報とその対処である
ところが、この国から発する情報は常にパニックを恐れて少なく処理されて思える
震災や大津波の直後にパニックにならずに秩序を保ったこの国の人のありようは
確かに賞賛されもしたのだが、一方では操作されて、小さく見積もられた情報に
惑わされているのかもしれない。
海外のメディアでは、事態の深刻さから地震直後にすでに現地に入って観測する
ドイツ気象庁の汚染データとその予報を流し続けている。
一方で我々が知っている地図は風向きが変わろうが地形に変化があろうが
相変わらず、地図上に機械的に描かれた30キロの同心円の危険性を報じていて、そのことを信じてやまない。
ところが、実際は、単にまん丸の円を描いた地図をどこの国も取り上げてもいないのが事実である。
アメリカは、とうにそうした汚染物質の広がりの誤差や危険度を知った上で
原発危機の直後から避難の範囲は50マイル(およそ80キロ)と設定した。それをパニックを恐れてか
しきりに政府は過度な反応として無視をしてきた。
ようやく、今頃になって、同心円以外の村や町までに「避難区域」を設定して広げている。
まんまるの円で描く範囲では意味のないことを認めざるをえなくなったせいである。
これは、下記に示す
ドイツの気象庁の発表している汚染の分布のシミュレーション図にも合致している。
※あくまでもシミュレーションなので、実際の分布とは違っているものだと思うけど
信じたくなくても、最悪のシナリオを見つめて
予報や予測をするのならば、こうした情報に基づいて分析され発表されるべきなのである。

チェルノブイリとは、違うという説明がなされるけども、ここに至っては、にわかにもう信じがたいコメントに聞こえる。
原発の冷却は依然として継続し続けなればならないし、閉じ込めるという段階にも至ってはいない。
一ヶ月を過ぎてなお事態は進行中で改善されることよりはるかに大きな問題が新しく生じてくる現実は
終息の日をこの時点で予測すらさせてもくれていない。
「東京電力」などという一つの会社にゆだねていいほどの危機ではない。
保安院などという組織にいるものの無力が露呈し、彼らは東電の話を聞くより以外の能力を持ち合わせていないことがわかった。
現場で必死の思いで作業を続ける人の努力を伝えることもできていないし、たぶん彼らの安全は
日々大きな危険にさらされていて、事故の責任を一手に押しつけられて過酷な状況は改善されてはいないだろう。
海外のメディア無意味なコメントを言うシンボルとして「なんとか審議官」をとりあげており
その意味で今の日本という国の現実を推し量っている。
海を汚染した事実は地球規模において、非常におおきな危機をもたらした。
もしも他の国がそのような行動に至ったら我々は第三者としてどう反応しただろうか
海の生物は回遊し、汚染物質をより遠くに広げてしまうだろう。同心円どころの規模ではない。

私たちの国は、わずか17年の間に未曾有の震災を二度も経験するほどの危険な区域である
にもかかわらず「オール電化」を標榜してきて、便利をむさぼり必要以上の電気に依存し
無数の原発を沿岸に建設し続けてきた。大小を含めて事故を何度も経験しているのにも関わらず・・・・
広島や長崎とビキニ環礁で3度も被爆してきた事実もありながら、いつの間にか
人類がコントロールできない放射能という絶対の危機に鈍感になってきている。
政治という名の利権を呑み込んで、目をつぶって原発を促進してきた経緯がそこにある
いくつもの反対運動も「便利」や「都合」や「補助金」にかき消され、人類的な危険に耳をふさがれてきた。
原発立地の危険性の度合いは、建設地がもっとも電力をむさぼる大都市を離れて作られている
ということの不条理に正直に現れている

今頃になって、言うのももどかしい。
現政権を批判する自民党も、第三者のようにもっともらしいが、これほどの危機も今回の津波のエリアに
建設された原発は長きにわたって停滞した自民党政権下にもたらされた政策によっている。
官僚は、机上の論理に終始し、何事もないことをこそ第一義に考えていて
実際の危機に無能だと思い知ったし、政府ばかりでなく政治そのものが幼稚であることを実感した。
政治家という人の誰一人として、人間として何かをしなければならないという視点も持ってもいない。

その上でなお、私たちは「安全神話」を信じてきた。信じたいという思いのせいで・・・
給料から税金を天引きされるように、できれば余計なことを何も考えずに何も考えようとせずに
「かしこい」人たちが考えたことを二重にも三重にも安全が担保されているものだと
安心したくて疑念には蓋をしてきた。その大きなツケを支払わされるような現実が国の信用も
信頼も損ねて、津波以上にこの国全体を窮地に追い込んでいる。
海外の現実は想像以上に厳しい、食品どころか工業製品まで車までも
輸入された日本製の商品にガイガーカウンターをあてて、放射線量を量っているのだ。

大津波によってさらわれたものは、かけがえのない命の他にも大きい
自分たちのことを自分たちで考えなければ立て直せないだろう。地震や津波の被害を受けた
被災者ばかりでなく、日本という国そのものが災難の中にある。
あきらめない気持ちは何よりも大切だ。立て直すのは自分たち自身の手でやらなければならないからだ。
そのうえで、失った信用を取り戻すのには
復興にかける時間の数倍がいる。作り上げられた机上の「安全神話」に頼らず
人の言う「安心」に寄りかからず、疲弊した公の力ばかりをあてにせず、
こうした危機の中にあって、何が真実かを自らが見いだし
真実を見つめる目を鍛えて
安心もまた自分が築き上げるという視点を作り上げるという気概がなければ
失われたものを取り戻せない。