富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

雑感:年越しに

2009年12月31日 | Weblog


 


雪がはらはら舞ってきた大晦日・・・真っ白な景色と
吐く息さえも純白な元旦も
心洗われる思いで迎えられそう・・・です・・・・か?

ところで、年があらたまるごとに、また一つ「年をとる」などと悔やんだり
ため息付いたり・・・

ようよう考えてみると、年齢があがるというものの言い方には
結構いくつもあります。
そもそも・・・「年をとる」という割に、その数がどんどん増えてきて
もうとうに、両手両足どころかそろばんが・・・
ないとちゃんと年が数えられへんし・・・
(※電卓とかパソコンって、いわんところが古いんやけど~)・・・
おっとろしい話ですけども、百までなんぼっていう方が
近く感じて・・・ぎょっとさせられたりしますけどもやね、
年をとることがさも「悲しい」事のようにいうけども
それはちゃいますやろ・・・絶対に!


ほかにも「年を寄せる」っていうのがあって、「年寄り」の語源やと思うけど
寄せる?っていうんがなんとも妙な言い回しで・・・・
あぁそうか・・・寄せすぎて、そのぉごちゃごちゃってなって、・・・
ほんで・・・ぎょうさん、しわがいくんか・・・って自問自答するような・・・わかったようで
わからん感覚です
「年がいく」・・・っていうんもありますね・・・「年がいったわ・・」って
いわはったら、「どこへ?」っていいとうもなります。
「いく」ゆうのがなんでやろね・・・



「あれが、ほら・・・そのぉ~ほれほれ」
やたら物忘れが激しくて、いらついて抑えきれないほどの感じで
時間ばかりが、早く過ぎるんですが、
出そうで出ない・・・そこまで出てるのに・・・ってゆうんは
たいてい、出てきたりはしません。
けど、あきらめたり、情けなく思うこともありません。
年にかかわらず、どこの誰にもいつでもあることですから・・・

「年を重ねる」というええ感じの言い回しがあります。
確かに出来てた事ができんようになったことは、ありますけども
年を重ねてこそ、「わかる」事が増えた気もします。
見えなんだ事も見えたり、明らかに身の回りに孫子の声がして
風景も変わってきました。いつまでも
おんなじ景色であるはずもなく、自分も変わってきているし
周りもみんな変わっているはずです。
いつまでもあんときのままってことがあるはずがない。
せやせやあの頃は・・・って思い出す事も多くなってきたり・・・



ほんでこの年の暮れに
何が言いたいのか、・・・それこそわからんようになってきましたけど
過ぎ去ったことの「過去」にいつまでもこだわらずに
未だ来ない「未来」に目を向けてこそ、ここまで年を重ねた意味があって
ひょっとして、分別できてこそ、ここからが始まりやないか
っていう気がしてきません?・・・か
「年取った」って悔やんで腰を下ろしてる場合やない・・・

と、どうでもええよな話して、この投稿が終わる頃には
また一つ年を重ねているんやろな・・・重ねすぎると
動きにくくもなるんですが・・・ね


高速起動

2009年12月31日 | エクセル

いろいろな事があった「2009年」もうカウントダウンに入り
ワールドカップサッカーイヤーの2010年まであとわずか・・・
自分なりに願ってた「オカダ」の退陣は、金まみれのソーリとカンジチョー
とともに、依然として居座り続けるようなので、
半ばあきらめ加減なんですが・・・やっぱりどちらもこの国を代表して
選ばれた人間でいる以上、自分が作り出すモノへの責任感とアイデア
実際にやるチカラ、表現力
も少しちゃんとした考え方、あるいはリーダにふさわしい人格を求めたいもんです・・・


で、そんなぼやきよりも気ぜわしく年末の準備を終えて
「まだかまだか」と急き込んでしまうのは、たぶん年のせいです。
年を重ねるたびに、「待ち時間」というモノが短くなって
何かにつけて「遅い」とか「重たい」という不満が口をつき
それほど困るわけでもないのに時間を早めて、
ほんの数分でさえ待ちきれない気分になって、何事も急いでしまいます


エクセルの起動をするときに、「おそっ」と口をついたら
その症状が現れていると自覚していいでしょう。確かに
「エクセル」でっせというような例のロゴは、いらついていないにしても
不要に思います。

ここになんてことはない「フリーソフト」があります
その名も「Excel高速起動」というソフトでダウンロードして解凍したら
そのアイコンをガチャガチャすると、ちょっと早くエクセルが開く仕組みです。
ついでにワードもあるようです・・・


 Excel高速起動    Word高速起動


※サイト上の「ダウンロード」ボタンを押して適当な場所に保存して
「解凍」して下さい。

実はこういうのって、ショートカットにちょっと小細工をすると
上記のソフトのように「ロゴ」を飛ばして早めの起動をすることが出来ます。
もしそちらにチャレンジする気なら、動画形式で説明されているこのサイトがオススメです。


 aotem「ワードスナックテック」


いつか時間が出来たら、どっかで試してみて下さい。
最初のうちは、ちょっと早くなった感じがうれちいですけども・・・
時間が経つと元の木阿弥で、「遅い」って感じるようになると・・・思います
これは、もう年のなせるワザというよりしゃーないですが・・・・

それではええお年を・・・・ってゆうても
ええ年こいてという意味ではありません
純粋にお互いに佳き年でありますように・・・2010年もよろしく


2010年賀状コンテスト

2009年12月28日 | パソコンサークル


 


今頃、ようやく自分の年賀状の印刷ができました。
というても、練りに練ったできばえなんてもんじゃなく
いつもいつでも、「年賀状」はその気にならないと作れないもんで
いつもいつものごとく、結局「えいやっ」って作るもんやと
体に染みついています。

作るにあたっては、裏面はいろいろ編集がしやすい「ラベルマイティ」で
宛名書きは、ずいぶん前の「筆まめ」を利用させていただきました。
使い勝手に慣れてるほうがずっと、仕上がりが早いしね・・・


で、終わった後で何か忘れもんしたみたいな感じがしたら
なんのことはない、例年恒例の「年賀状コンテスト」の開催と募集を
忘れてたことに気がついたんですわ

これをやらんことには、サークルの年が明けません
いつもよりだいぶ遅いお願いになりましたが
皆さんの力作の応募をお待ちしています。




※「著作権」の話しましたけど、みんなのお持ちの年賀状素材の
DVDは、個人的に使うことはフリーですので
安心してご利用ください。

また、人それぞれにいろんなソフトを使って作られていると思いますので
応募の際にはどんなファイル形式でもかまいませんし、何点でも応募を可とします。


また例年通り、コンテストの上位の得票を得た作品には、賞品を考えています
実は暮れのキャッシュバックの際に予算が余っていますので
こちらに流用させていただこうと考えています。
新年会の時に発表・表彰させていただきますので
よろしくお願いします。


違法ダウンロードに厳罰:2010年1月1日

2009年12月27日 | インターネット

2009年の終わりに、こんな話はどうかって気もしますが
2010年1月1日の幕開けと同時に
「改正著作権法」が施行されるんですが、改正された内容では
特に、ネット上で横行してきた著作物やコンテンツの
違法性を問う対策が大きく強化されています。


かなりの数の利用者が世代を問わずにネットを利用している現在
善悪を織り交ぜて、ますます利用が広がっていますが
反面、トラブルやウィルスなどの攻撃が後を絶たず
悪意がはびこっています。そうした中でも
従来から、問題視されてきたのが「違法ダウンロード」というもので
とりわけ、我々アジア社会では、著作権というものの軽視から
おびただしい違法ファイルを社会に蔓延させてきました。
音楽ファイルのコピーや映画などのファイルを違法と知りながら
配信し、ファイル共有ソフトを使って「ダウンロード」してる数は
「億」を超えています。その分遺失した経済的な損害も相当なもので
権利の侵害も、経済の行き詰まりにあわせて
とても看過できない状況に陥ったのです。
そこで、当局の対策として
今までは、比較的「配信する側」の罪を問い続けて摘発してきましたが
今度からは、違法なダウンロードをする「受け手」の罪も同様に摘発の対象になります。


細かくいうと、違法とわかっている動画をYoutubeで視聴することそのものは
罪を問われませんが、それをハードディスク上に保存すれば
そのことは「違法」となって罪を問われます。
そもそも、我々は、違法だとわかって、
ダウンロードし続けていた確信犯だったわけで
CDを買うことなく音楽ファイルを使い、DVDをけちって配信側に
損を与えてきました。
今後はそのことが否応なく「罪」の対象になることを肝に銘じて
引用文やその「コピペ」を含めて、便利に乗じて軽々しく「人のもの」を
盗み取る低意識をこの際戒めて、反省し
あらゆる場面での著作権の意識を高めていかねばなりません。


期待と期待はずれ

2009年12月21日 | Weblog

世の中というものは、期待すると期待が外れ
期待していなかった思わぬええことは、・・・・これは案の定起こったりしません・・・
なんやかんやで、民主党の政権に変わって3ヶ月
近頃特に鼻につくのが、わかったような政権批判で、
立場が入れ替わって、イシハラなにがしとかコイズミなにがしの
相も変わらぬ親がかりの七光り当選組の2世・3世議員を先頭に
見るに堪えない同じ穴の2世のイシバに至っては、
あの目つきが中身を物語っていっそう気味が悪い
やたら、声を張り上げてやかましいし、いっかどわかったように、
調子こいて、どこかの聞きかじりの言葉を連呼する
あげくの果てに、自分らがやってきたようにやってたらええねん
とまでゆうてる。それはとっくに破綻して、我々が否定した話やのに
ようよう考えたら、ここに至る閉塞感は、物事を自分らで
考えたり、責任を持とうともしなかった自公政権が
生み出したものに他ならず、いけしゃーしゃーと責任投げ出しといて
おまえらがよぉいえたもんやとあきれ、
特にイシハラなどというすねかじりに至っては
聞きかじりの話の講釈はいっかどゆうけども、どこにいても
なんの役にも立たなかったと承知している
誰がゆうてもええんやろけど
おまえらだけはいえへんやろと思うのは・・・僕だけでしょうか

50年もの月日が経って、政策などは、官僚任せにしとけばよくて
歌舞伎の役者のように、政治を世襲化して、権威ぶり
政治家の家に生まれたもんだけが「政治家」と呼ばれているうちに
ここまで来てしまっているわけで、それは選挙する側にも
応分の責任はあるのは百も承知だけど
たかだか3ヶ月で行き詰まった政治の50年を取り返せるかっていうと
染みついた慣習のような状況を変えていくというのは、エネルギーがいって
それはそんなにかんたんな話ではないと思う。
歌舞伎といえば・・・
事業仕分けのあとで、歌舞伎の団十郎までが歌舞伎への補助を削るなと
官邸まで出向いていたニュースを見たけども、このご時世で
あんたらの豊かな暮らしぶり見ていて、「補助」がまだ必要か
そんならどんだけ、苦しいの?って僕には正直思えたけど・・・

けれども一方で、世にはびこるこうした今までの体質を
根こそぎに取り崩そうと思えば、よっぽど
信念を堅く突き進まないといけない覚悟が必要なのに、声高の
昔の顔に気後れしている、「ええとこの子」がかいま見える民主党の連中も
ずいぶん頼りなく思えるのは、たぶん僕だけではない



ただ、ダイナミックに変わったのだし選択肢がなかったとはいえ
「変わる」ことを選択した以上
やる方のせいだけにせず、やる方まかせではなく、
こっちの見る側も物差し変えて考えも見方も、やり方も変えたうえで
自ら変革した上で「期待」と「期待はずれ」を
それこそ「仕分け」して見るべきやと僕は考える・・・・
何となく、「期待」をもって
民主党の方に「かた」を持ちたいとは思うんやけども・・・

1,500万毎月もらっておいて、知らなかったという人が
「1円でも削る」など言う言葉には全くリアリティというものがなく
そういう資質こそリーダーとして疑うし
自民党政治を変えるなどと言う政党の幹事長の有り様は
どう見ても自民党のにおいがぷんぷんして、傲慢やし、
政治はきれい事ではないなどと開き直ることこそ、「悪」だと断言できる。
金集めと力頼みが「ダーティ」過ぎる
さらに、亀井などというものを我々は決して支持などしていない。
彼らの小党は選挙で国民の支持は受けてはいないのに、
なぜそれほどに横柄にも横やりを入れ、かびた論理を振りかざし
政権がそれほどに受け入れる必要があるのだろうか
社民党を含めて、そこの論理を受け入れようとすること自体が
マニフェストを逸脱することも思い知らねばならない気がする
肝心かなめの部分が、それこそ壊さねばならない古くさ~い本質で
ハトヤマもオザワもカメイにフクシマなどというのは
正直我々が支持している本質とは全く逆のものと思う。
そこに頼ることが間違っているし、そこが表立つのが間違っている。
彼らも今日の閉塞感を作り出してきた一員の中にいるのである
そこのところを、レンホーもエダノも
多くの民主党を代表すべき連中が、ちゃんと仕分けして
退場させるべきは退場させ
政治を解体して再生しないと、何をしたいのか全く見えてはこない
政界の再編は一方で同時に進めないと実は政権交代の意味もない
我々は積極的に支持したわけではない
少なくとも自民党とそれに連なるものを否定して
次にかけているのであって、この政権がだめなら元に戻るというような
そんな話ではない。そこんとこを全く鈍感な自民党や
コーメートー、あるいは民主党に潜む旧来型の人間が
誤解している



政権にたいして、期待はずれと断じるのには、まだまだ早すぎて感じる
踊るマスコミはレベルが低くて依然として物事を従来の目で見て、
これまでの枠から政治を語りすぎているし
実際、政権交代後に政治がよく見えてきた効果は明らかにあるとは感じる
かといって、逼迫した一人一人の暮らしに余力がないこの時代に
期待をもって、ただ待っている時間など国民側にはない
もっとメッセージというか、ちゃんとした新しいやり方と考え方を
早く伝えて、やると言ったことをやってみないと
期待はずれなどという悠長なことゆうてる場合やない国民は
政治と言うものそのものをこの国から否定すると思う。

戦争しかけた当事者の国の大統領にノーベル平和賞は
ないやろという理不尽さにぞっとした上に
行き場を失ってしまいそう


ありがとうございました。

2009年12月20日 | パソコンサークル


今年も残りわずかになりました。
暖冬の予想を裏切って、冬の帳尻を合わすように雪が舞っています。
会員の皆さんには、何かとご協力、お世話になり本当にありがとうございました。
ずいぶんと、ご無理をお願いし振り返るときに
自分自身の至らなかった点に思いが行きます。


にもかかわらず、いつものことながら
会員の皆さんには、心遣いいただいて、感謝しています。
むしろ普段から元気をいただいているのはこっちの方ですのに
ありがたく頂戴しました。ありがとうございました。


寒さも厳しくなります。くれぐれもお体大切に
暮れの忙しさを乗り切って、いい新年を迎えましょう。


 


Heattech(ヒートテック)

2009年12月14日 | Weblog


天気予報は、大げさ加減に・・・明日にも、冬将軍がやってきて、
暖冬に幕を下ろすように雪が積もりそうやとまで、ゆうてますがな・・・

そういや、今日下界からは遙か山並みの稜線には、木枯らしが音を立てて
あたりの落ち葉を巻き上げて、防寒に身を固めていても
あたり構わず、芯から体を冷え冷えにしていきました。

実は、昨日のおみやさんの「大祓」から
ものの試しに、ウワサの「Heattech(ヒートテック)」を着込んでみました。

ヒートテックというのは、ことさら申し上げるまでもなく
不景気風にあおられた日本の国で唯一の「一人勝ち」にある
あのユニクロの大ヒット商品で、薄手でありながら
体から出る水蒸気を繊維に蓄えて、放熱せず、汗は発散
静電気を押さえ、形状記憶型の体にぴたっとくる・・・ここまでゆうと
ちょっと「万能」も過ぎる感じで言い過ぎがいやみやけど・・・

半信半疑で試したのですが、
自分自身の期待がたっぷりで、思いこみもあったせいもあるけど
これがなかなかのもんで、結構「ぬくい」気にさせられ
自分の「お気に入り」に追加してしまいました。
さすが噂の「ヒートテック」って感じで、この冬は手放せないかも・・・


ひょっとしたら・・・年賀状のどうでもええ話?

2009年12月12日 | Weblog

「賀詞」の話って言うだけで、「ガシッ」っていう音の響きが
堅苦しく感じさせますけども・・・いきなり、しょーもない出だしですが
たまにくる年賀状の「頌春」っていう「賀詞」をみて
まぁ何となくめでたいことゆうたはるんやろな・・・ってただ漠然とおもていたところ
ある日ちょっとした好奇心の芽が吹き出て・・・
小骨が喉につかえるような気がして、どういう意味かなって思い立ち
「こうしゅん」ってタイピングしてみても、変換されません。
何でやろ・・・なんて読むん?
実はこの僕もこの文字が「しょうしゅん」って読むことを知ったのは
割合最近の話で、結構そういう人いるんやないかって勝手に思ったりしています。
こんな具合ですから、年賀状の「賀詞」というても
人の目には触れても、案外人の気持ちには残ってしまわない
儀礼的な言葉ではあります。


だからこそ、どうってことない「こだわり」で、
こだわらなければどうってことない話なんで恐縮なんですが・・・
届いた年賀状に「賀正」とか「迎春」とか見るときに
・・・そらまぁそうやって妙に納得するものの・・・「初春」だけでは
ほんで何が言いたいのかわからんわ・・・って気になる人もいるんやろと思います。

それこそ、そういう意味を含めて
かたっくるしいマナーを言う人にすれば、こうした2文字の
年賀状を決して「目上」の人には、
出さないようにすべきだと指摘する人がいらっしゃいます。
「迎春」は、言葉通り春を迎えたっていう自分事の意味しかなくて
相手を尊び、敬うのであれば、「謹んで新年のお祝いを申し上げます」
という意味の「謹賀新年」であり、「恭しく新年のおよろこび申し上げます」
てな「恭賀新年」を使うのが礼儀である。
それは、ある意味で正しい指摘のような気がしますが、一方で
こうした「こだわり」もなく出す人もいて、無意識に年賀状を作った人も
実際、そうしたマナーにこだわらず、年賀状印刷を商売にしている側にも
臆することなく年賀状を作って、
いっときの「作法」にこだわらないご時世というものも現実になっています。
普段の生活で「うやうやしく」なんていう礼儀をとっくに
ゴミの日に一緒に出してしまっているんですから・・・
ですから、「二文字の賀詞」をけっして「間違い」だと
言い切るには「こころ」が狭すぎるのかもしれません。
ただ、こうした「こだわり」を大事にしておられる方もいらっしゃる事情から
気にさわることを避けたければ、「目上」の方に出す年賀状の「マナー」として
こうした二文字の賀詞の禁則を知っておくのも、
これはこれで「間違い」ではありません。


実際言葉も時代とともに様変わりし、それどころか
目上やの目下などという「うやまい」らしき区別が、若い世代を中心に
とっくに消滅しはじめている時代になってきており
言葉へのこだわりは、時代に足踏みにして見られる傾向すらあるのも
残念ながら事実です。・・・・

・・・賀詞が重複してるのも、なんか変に思います。
「謹賀新年」と大きく書かれた年賀状に
さらに「明けましておめでとうございます」・・・という賀詞を
そえてあるのにも丁寧と言うよりも、くどい感じがしてなりません。
「謹賀新年」っていう言葉こそ、謹んで新年のおよろこび申し上げます
っていう意味の4文字ですのに、
その上にもうご丁寧に「賀詞」重ねずともええと思います。


もうちょっと、こだわると・・・・
「新年明けましておめでとうございます」って言うのがあります。
これもなんか違和感あるんですよね・・・
年が明けてこそ、「新年」なんですから・・・
「明けましておめでとうございます。」で十分で
「新年」など余分な言い過ぎを感じてしまいます。
「馬から落ちて落馬した」みたいなくどい感じが・・・してしまいます。
ものすごくへりくつを言えば、「湯が沸く」というのさえ、時々こだわりを感じて
・・・「水がわいてこそ湯」やから「水がわいた」が正解ちゃうん?
・・・みたいなっていうか・・・
ほんまは、「旧年、明けましておめでとうございます」の方が
本来の使い方ちゃうのんっていうとこまで行き着きそう・・・
こだわりすぎですかね・・・「ビョーキ」に近いかも・・・


どっちにしても、「こだわり」でしかありませんので、気にするほうが
どうかしてるんでしょうけど、世の中には僕のような「ヘンクツ」や
日本語に「こだわり」を持っておられる方の存在だけは、ちょこっと認識しておいた方が
ええような・・・どうでもええような


※ちょっと洒落て英語表記にして「A Happy New Year」とする人が
タマにいますが、あれは「間違い」です。
正月に出す日本の習慣の年賀状ではあくまでも「Happy New Year」が正解です。
頭の「A」は不要です。なぜなら年賀状は、「New Year」になって届くものだからで
頭に「A」や「a」をつけるのは、まだ明けていない時期に来たるべき
新年を表現する場合です。英語圏では、年明けの年賀状はまれで
クリスマスの時期に送る「グリーティングカード」に使われている表現を
誰かが勘違いして使っているんだと思います。


年賀状ソフトの宛先入力:郵便番号辞書の更新

2009年12月02日 | パソコン

以前にも記事にしていたと思いますが、宛名書きソフトは
毎年更新されて、夏・冬にそれぞれ新しいバージョンが発売されています。
「筆まめ」やの「筆王」、「筆ぐるめ」などがその代表格でしょうか・・・

かといって、我々はそのたびに買い換えなアカンかというと、
それはあまりにも商業ベースにのみこまれすぎで、もったいないし
バージョンが変わるたびにちょっとずつ違っている画面に慣れません。
毎回毎回、特筆すべき機能が追加されるわけでもなく、
来る年の「干支」をモチーフにしたデザインやイラストとそれに
宛名書きの際の「郵便番号辞書」がリニューアルされているぐらいが「最新版」の中身です。


デザインやイラストは、市販されているのものや、あるいはネット上からも
ダウンロードすることができますし、
宛名書きの際に、少しずつ機能や見た目が変わった画面よりも
以前から使ってるソフトの方が使い勝手という意味で、
なれてる分だけ便利だと思って差し支えないでしょう。


ただ、問題なのは、相手の住所が市町村合併などで新しい表記の住所地になっている場合
古いソフトの、宛名入力の手順をそのまま使うと、そのソフトに組み込まれている
郵便番号辞書を使うことになって、昔の住所に戻ってしまいます。
残念ながら、この手のソフトは、郵便番号から住所を変換できる辞書だけを更新する
ということは、ソフトの売れ行きに関わることですから、絶対にしません。


そこでこっち側の対抗策としていくつかの手が考えられるわけです。
以前の記事では、「エクセル」に住所データを変換し、エクセル上で手直しし
その更新されたデータを再び宛名書きソフトで読み込むなどという
なかなかの手を紹介しました。が、これも聞くだけでやっかいそうな話なので
もうちょっと、手っ取り早い方法を紹介しておきましょう。


郵便番号から住所を変換する機能は、宛名書きソフトの特別な機能ではありません。
IMEという日本語変換ソフトにも備わっています。
ワードやエクセルなどパソコンの全部のソフトが、入力した文字を
日本語に変換する際には、このIMEにお世話になっています。
このIMEの「郵便番号辞書」機能を使って、郵便番号から住所に変換できます。



●操作手順●

下図のように
IMEツールバーのティッシュの箱のような
[ツール]ボタンをクリックし、メニューから[プロパティ]を選択します。



  1. Microsoft IMEの[プロパティ]ダイアログボックスが表示されます。
  2. [辞書/学習]タブをクリックし、[システム辞書(D)]
    [Microsoft IME 郵便番号辞書]にチェックを入れ、[OK]ボタンをクリックします。
  3. 7桁の郵便番号を入力してスペースキーで変換すると、町名までの住所に変換されます。

これで、宛名書きソフトの「宛先入力」画面にある、
郵便番号から住所変換できるボタンは無視して
直接住所入力の欄にキーボードを「全角入力のモード」にして、
全角で郵便番号を入れてスペースキーを押すと、住所が表示され
住所入力の省力化ができるのです。
ただし、この場合も郵便番号辞書が、パソコン買った当時のままでは
やっぱり、古い住所のままになってしまいます。
そこで、マイクロソフトのサイトに行って最新版の「IME」用の
郵便番号辞書ダウンロードして、手に入れたファイルをダブルクリックして
辞書を更新しておく必要があります。


※実は、もうすぐ、エクセルやワードなどのOffice(オフィス)のバージョンが
Office2010と新しくなって登場します。これにあわせてIME2003を含む以前の
IMEのサポートが打ち切られていました。・・・・
マイクロソフトのサイトでもっとも新しいIME2003用の郵便番号辞書は
下記の通り1年前のまんまです。


 Microsoft IME 2003 郵便番号辞書更新 2008 年 11 月版

悲しいかなちょっと古い気もします・・・けども「捨てる神あれば拾う神あり」で
うふぃ.net」さんというところに、無料で最近の更新ができている
郵便番号辞書(IME2003用)が用意されています。


  Ufuidotnet IME2003・2002 郵便番号辞書 --- 2009年11月版


更新の仕方が、少し違っていますので、解説文を熟読し
ファイルをダウンロードさせていただき、使わせてもらってください。