富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

いちにちカフェ

2009年06月30日 | Weblog

会員の中から出てきた「いちにちカフェ」の企画は
村おこしなどと息巻かなくても、
この頃向き合って話する機会がめっきり減った
ここらの暮らしに、ちょっとした涼風になるかも知れない予感がする

「ひだまり」というスペースを開放してもらって
縁側で、外履きのままで腰掛けて話し合う姿を
再現するというアイデアは、とてもいい感じがする

あえて、目的もテーマを求めずに
気軽に気楽に、そしてそれがサークルの活動だと
決めつけず、やりたい人がやり、寄りたい人が
寄り集まる時間と場所で、
なんやったらちょっとした手作りの持ち込みと
軽く飲み物囲みながら・・・半日でもいい時間を持ちましょう。


小さな、他愛のない会話・・・
人の話を聞くということ、人と話すと言うこと・・・
こそこそしないで、ひそひそ話やのうて、ええやないですか
みんなで時間を共有することは、たまにあっても
決して無駄にはならない「寄り道」に思える

はっきり見えてもいない先ばっかりを焦らずに
こうした「ゆっくり」来た道を振り返りながら一服することを
みんなが、ほんとは探してる気がします

・・・ぼちぼち企画を練って、そろそろ何をしよか
腰を上げましょか・・・有志たちの皆さん・・・アイデア待ってます


 


ナンで、「そのまんま」ごときに振り回されてるんやろ

2009年06月27日 | Weblog



MJが死亡した話は、ない知恵集めて、理念も志のかけらさえ見えもしない
「解散」話よりも、ずっと意味深いニュースである

やたらめったら、「地方分権」を振りかざす目立ちたがりの
テレビ知事たちに、振り回されて情けない2世議員ばかりの与党と
突然のいっかどの出馬話に、右往左往する3世議員の野党党首
考えてみれば、ちょっと前に「2世議員」の世襲がどうたらこうたら
言い合ってた話が、今頃はたち消えている。

あの手の話はどう見ても滑稽で、論理がなってなかった
要するに、今現在の4割をしめるという現職の2世議員にこそ問題があるという話
であるのに、今度の選挙に立候補してくる初顔にだけ限定した問題にすり替えた
ええ加減さと東京都知事の衣を借りてこそ存在する息子議員など
「選挙区」が違うと言うだけで2世議員でないと平然と・・・ぬけぬけとテレビで
言う様は、論外であった


んなもんやから、テレビに取り上げられてええ気分の
支持率の高い知事たちが調子を張り上げる声に右往左往して
国政が振り回されている・・・カエル顔のナカガワなにがしなどは
その典型だ

けれども、実際はだからといって地方自治を唱える知事たちに
この国の何を任せていいのだろう。
宮崎の名産のセールスは適当に上手に見えるかも知れないけど
あれは、テレビに出ずっぱりの知名度のせいやし、マニフェストも公約も
付け焼き刃のそしりを免れない・・・彼の当選は
前職の失態につけ込んでなされたことを、事実として認めないと
今はいっかどそうに言うけれど、
結局宮崎の県政のシステムが彼の手によって
どこまで変わったというのだろうか、怪しい話でもある。
テレビに取り上げられているのは、週に3日しか地元にいない
彼の知事室だけで、そんだけ留守にしていても不足なく動いているシステムは
元のまま「そのまんま」の役人主導でないと、理屈に合わない気もする。
「大阪」にしろ財政を切り詰めた予算の話しか耳にしない・・・
ひとりで変えられるほど、柔軟でないのが「官僚国家」のゆえんである。
やっぱり、支えるに足る考えと哲学
ちゃんとしたブレーンと目標を共有する大きなグループと
理念が揺るがない活動を通して、みせて欲しい

彼らは、週末はほとんどテレビに出ずっぱりで、テレビを利用し
テレビという虚像をうつす媒体に利用もされて思えてしまう。
僕らが求めているものは「雰囲気」ではない、変わっていく事実である。
片手間に、見た目の知名度に期待している余裕もない。
そういえば、彼らがタレント業だけをやってるときに
いつ、「弁護士」業をしているのかと、不思議に思った事を思い出す。
同じように、地方自治で、どんだけ暮らしの足下を変えているのだろうか・・・

合間を見つけて、かいま見せる「政治論」は
レッドカーペット的な、瞬間芸的「ええとこ撮り政治」報道にしか見えない
任期を全うもしない実績のなさから感じるものは、結局はかれらが中央と同じで
県政・府政の実務は「官僚」によりかかった仕事しかできていなくて
地元に金をぶんどってこいという声に後押しされた
地方分権などとうそぶいても、財政配分だけの論理しか見えないでいる
それに彼らが「行政」の長という仕事を
放り出して、立法にまわろうとするのは、あのアベやらフクダに
どれほど違うというのだろうか・・・・・
「地方」とばかり念じていて、彼らに実感できているのは
おらが地元の窮状だけではないのだろうか・・・
立法府への解釈は、2世議員並に「ちいさすぎ」はしないだろうか
国政はもっと外交などの課題を理解し、国の未来に視野が開けていないといけない。

どっちにしても選択肢ではないし、テレビにうつるもんが決して
純粋で正しいものだと信じられない
せめて、「総裁候補」を真顔で論じるのなら、
政治として何をやり遂げたかを語るべきで、そうでもないのにマスコミは浅はかに
それを報じ、結果その程度の(ちょっとだけ大学に通い直して得た論理の)
知事ぶったもののレッドカーペット的コメントを、
政治の真ん中のニュースにして真顔に論じる羽目に陥ってしまった
与党などという輩も相手するはずの野党も、軽々しいし
地方にいながら、ロケに来ないのならせっせと出向いて
テレビのカメラ目線ばかり気にして、テレビにばかりものを言う
声高な地方分権の暗唱といつまでも保っておきたい知名度
実は、それもそれと・・・思えて仕方がない。

「解散」というのなら
いっそこの国のシステムのなにもかもをチャラにして解散すべきだと思うのは・・・

絶望的に過ぎるのだろうか・・・


MJ死す・・・

2009年06月26日 | Weblog
マイケルジャクソンは、泣く子も黙る「マイケルジャクソン」で
たとえば、「まいけるじゃくそん」と、キーボードたたけば
例外なく「マイケルジャクソン」と変換され
バスケが好きな人をのぞけば、「MJ」は「マイケルジャクソン」を意味します

※MSは「マイクロソフト」って事になるようですが
個人的な話ですけども、「マイケル・サリバン」を指すのがボクの事情です※

ところが、このエンターティメントの一世を風靡した
「マイケルジャクソン」の突然の死を報道するNHKのアナウンスに
ものごっつい違和感を覚えたのはボクだけではないはずで
この一大ポップスターの死を告げるアナウンサーは
しきりにNHK内の内規というか下らんマニュアルを厳守して
「ジャクソンさんが・・・」と何度も繰り返す

マイケル・ジャクソンという言葉そのものが
時代を象徴するという認識がない・・・少なくとも
彼の死は、「ジャクソン家」の誰かが死んだという程度のニュースではなくて
バブルに明け暮れて、何かを作り出すことのなかった「80年代」という
ただ「ポップ」なだけの時代のシンボルである
「マイケルジャクソン」の死は同時にその時代そのものの終わりを
意味して思える。
それにもかかわらず、「ジャクソンさんが・・・どうしたこうした」
と繰り返すNHKという放送局の紋切り型の官製放送の「質」を疑ってしまった。

MJそのものをボク自身は、特に好んで聞いたり見たりしなかった。
ボクが信奉するBeatlesやBobDylanのように
精神や文化を創り出す核になる「精神性」を持ち合わせなかったし
存在そのものはあくまでもエンターティメントでしかなかったとも言えるかも知れない
けれどもダンスやマスクで、この地球(ホシ)にすむ
何十億のうちの何億の人間の目を瞬間振り向かせる不思議な
魅力を持ち合わせてはいたのだ

マイケルの死に直面して、程度の低い話を聞かないでもない、
根拠もない「白人にあこがれて」皮膚を漂白したなどと・・・
人としてあるまじき人種差別めいた話を持ち出すのは
考えとしてあまりにも、はしたないし、情けない
そもそも人間をさして、黒人とか我々黄色人種などという区別こそ
はなはだ低次元の論理でしかない・・・彼の見せた「すべて」をみるにつけ
彼がそんな程度のエンターティメントであるのなら
これだけの人を振り向かせることは出来るはずがない。
「コクジン」などという侮蔑が、ナンの意味も持たないことを
心底身にしみるべきだし
この期に及んで「彼は黒人として・・・」などと
わかったような・・けど結局見下げた評論ごっこは
それこそ、げすな言葉と恥じなければならない。
彼が魅せた事全部が、彼そのもののエンターティメントであって
肌の色などナンの関係もない話なのだ。

一方で彼の理解しがたい美学は、彼だけが持ち得た美学だったが
突然その死を告げられて思うのは、理解は及ばないけれど
それはまるで「甘い毒」のようにすべてが魅力にあふれて
好き嫌いや趣味の問題を通り越して
善悪や差別やそういう人間の持つ矛盾を歌と踊りに表現して
見事だったと感じる・・・・・


イメージ:パソコンでいう「画像」

2009年06月24日 | 写真
結構,勘違いしやすいっていうか・・・・逆に言うと難しくなってしまう話に
パソコンで扱う「画像」というものが存在します。
デジカメで撮ったものは、確かに写真で、ネット上から
ダウンロードしたり、ペイントソフトでこしらえた絵やイラストは
イラストそのものに思え、スキャナーで取り込んだ画像はスキャン画像であり
それぞれが違って思え、一方でパソコンで見る分には
ほとんど変わりなく、例えばワードで扱うときには
あまり問題なく「貼り付け」て使用もできたりします。

ここで、思い違いしてしまうのは、いかにもパソコンが
こうした画像のそれぞれを区別していて、それなりに表現して
見せてくれているようですが、実は写真とかイラストとかで
作った手順や仕上がりをわかっているわけではありません。

パソコンが認識しているのは、そのファイルの保存されるときの「形式」に過ぎません
いわゆる「拡張子」というので表現されるファイル形式で
一般にデジカメで撮影した写真は「JPEG(ジェイペグ)」というファイル形式で
保存され、ファイル名の末尾に拡張子を「.jpg」で付されて名前が付けられます。
例えばペイントソフトで描いた「絵」を保存する際に
「.jpg」を選んで保存しておけば、パソコン内では写真と区別無く保存されます
つまり、パソコンでは画像というイメージは
できたものの有り様や手段など関係なく、保存されるファイル形式だけが
その区別でしかありません。
それが写真であろうがイラストであろうがものの有り様は、
我々が考えているほどの区別などないのです。

ここんとこが、理解するミソで・・・これがわかってしまえば
この「ファイル形式」が、例えばワードで扱えるか
デジブックでも使えるか、ラベルマイティでもOKかというコトがわかってきます。
そして、何かを作ったときにこうした保存形式を考える手だてにもなります

文書であれ、あるいは画像を扱おうとするときに
そのフォルダを開いたら、フォルダ内の表示形式を
いつも「縮小版」にしてばかりしていたら、
たまには表示のカタチを「詳細」にして
そのファイルがどういう形式で保存されているのかを確認してみてください
そして、そのファイルが今から使おうとするソフトで「開ける」のか
あるいは「扱えるのか」を確認します。
面倒くさいし、わかりにくいかもしれませんが
「拡張子」とか「ファイル形式」を理解すれば、
それがワードで作られたとかエクセルであろうが実のところ意味が無いとも言えます
どういう形式で、保存されたかが問題なんです。
そういう風に考えられたとしたら、ぼんやりしていたパソコンという
「やっかいなもん」のおおかたが見えてきますよ



「看護師」さがし

2009年06月17日 | Weblog

我々のサークルにリンクするカタチで存在する
デイサービス「ひだまり」については、
会員の皆さんがそれぞれの思いで自発的に多くのサポートを
いただき、とても感謝しています

オープン以来、早3ヶ月を過ぎようとしていますが
日々の課題とは別に、ひだまりの核のメンバーである
看護師の「はら●●」ちゃんに「おめでた」という寿ニュースは
もう周知の事とは思います。

そこで、「ひだまり」ではスタート間もないとはいえ、後任の看護師さん
を探しておられます

 「ひだまりHP」求人ページ

何分開業間もない状況であり、求める人材は
「ひだまり」の理念を共有できる方が何よりの条件です
このブログを読んでいただいた方々の中に
あるいは、そういった方にお心当たりがあるようでしたら
是非「ひだまり」までご一報下さい

少なくとも自分が、わかかりし頃に「介護」など言う言葉は
身の回りに存在していなかった気がします。
時代がかわって、家族のカタチに変化が生まれ
やがて「介護」という制度と言葉が生まれましたが
どうも、この言葉の堅苦しさに運用する側と
それを受け止める側も知らず知らず振り回され、必要以上に
重く受け止めざるを得なくなり、
「介護を受ける」と「まだ介護を受けないですむ」
などという線引きが心の中に存在して思えます。
しかし、その区別に人としての存在を置いていいものでしょうか・・・
あえて言えば、「介護」ではなく「かいご」ぐらいの意識であるべきであって、
むしろ、今より先の自分の人生をどう過ごすかという誰もの考え方・生き方の
延長線上にそういうものがあり、「デイサービス」という場所が存在しています

利用者の方々の掘り起こし、拡大も大きな課題です。
どうか気にとめておいてください


もうええんちゃうか・・・こんなおもんない「サッカー」

2009年06月17日 | フットボール

結局、スペクタクルが全くないし、当たり前のように
オーストラリアに負けて、何もないどころか
一時期、「サッカー」というものへの期待感すら消してしまった気がする
岡田そのものが、「スペクタクル」やもっと言えば
フットボールのおもしろさそのものを、全く知らないと思える


相も変わらず、ポジションとやらにとらわれて
唯一見せる松井のドリブル以外に、決めごとの数々
ああいう場合はこういう風にといった見え見えのありようと右往左往
オーストラリアは、片方のサイドに集まりスギと言うけれど
ターンオーバーの瞬間に全員がゴールへ向きを変えていた

この程度のメンバーが代表ではないはずだし、彼らがこの国の
サッカーシーンをリードできる素材には、思えない
「残念」ではすまされないほど、フットボールの現状は厳しい
実際代表戦にくる観客の減少は、深刻だ
この程度でベスト4などという認識が、むなしい・・・


失ったものは大きい、ポジショニングなどという形式張った言葉に
踊らされて、知恵のない想像力のかけらもないありようは
フランスの時を思い起こさせ、テレビの前の関心を失せさせて、
せっかくのワールドカップの出場を色あせてしまった。
岡田ごときにこの国の「フットボール」の未来を託せるはずはない
今からこそ、再構築させてワクワクするフットボールを築いていかないと
芽吹いたフットボールの若木が枯れ果てる


5点取られても4点取れるサッカーの方がまだましだ
ゼロにして、とにかく今までの時間をクリアして
ワクワク出来るサッカーで、期待感を今一度持ちたい

岡田よついでに「あそー」にもいえるけど、
あなたがこの国のフットボールの場ふさぎしないように、
この程度の結果を思い知って、一日も早くその場を去って
次世代のサッカーをおもしろくできるスタッフで
おもしろいメンバーでやり直そう


エクセルのデータ入力:ささいな工夫

2009年06月16日 | エクセル

「わかってます」という方もおられるとは思いますが
エクセルの表作りに、たくさんのデータをセルに入力するときに
セル→「Enter」→右横セル→「Enter」→「さらに右横セル」と進んだら
今度は、データを入力する欄が変わるために
その下の行をクリックしてセルの位置を移動させて「・・・何となく面倒くさい」
思いしたはる人からの、もうちょっとええやり方聞かれたもんですから
補足的に書き込んでおくことにします


根本的に、ある程度のデータを入力するときは、いっそ縦の列に入力していく
方がしやすい感じがします。・・・人の常として・・・
けども今度は、表の見栄えにこだわると、横の行に項目が並ぶ方が
見やすいし、いわば、「表」らしくもあります。

仮に行の横並びに、名前・年齢・性別と座取りした表があり
このシートにそれぞれのデータを入力する場合、何もしなければ
前述のように一つ一つのセルに入力して、「Enter」を押すたびに、セルは下のセル
に移動してしまいます。これは、何も変えなければデフォルト(初期設定)として
セルの入力後の方向が「下」に設定されているからです
(※ツール→「オプション」→「編集」のタブで確認することが出来ます。)
そこで、少々腕に覚えのある人は、エクセルでデータ入力する時に
データ入力のセルの移動する方向によって、使うキーを変えておられると思います
下に移動するときは、データ入力後「Enter]を
横に移動させたいときは入力後「Tab]キーという具合に・・・・・


そこまで、手慣れていない人には
下図のような手順が便利だと思います




A・B・C列の一行目には、それぞれ名前・年齢・性別の項目欄があり
2行目からがデータを入れていく欄になっています。
そこで、データを入力する前に、図のように
A2の先頭のセルからデータ入力範囲をドラッグして、「範囲指定」しておきます
その上で、A2のセルからデータを入力して「Enter」を押すと図の矢印の方向に
移動し、性別のところまで行き着くと自動的に次の行に移動してくれます。
これは、以前にもお伝えした方法ですが、「初めて聞いた」と言い張る方は
だまされたと思って試してください。

ちょっとしたデータ入力の便利技ですよ。


パソコンは継続なり・・・・・

2009年06月14日 | パソコンサークル

この間のサークルは、いろんな事情もあったり、農繁期を迎えて
日中の暑い中の作業疲れもおおいにあったりして、いつものメンバーの顔が
見えなかった事が寂しくも感じられました。


富田パソコンサークルは、単に「パソコン教室」などという
パソコンを習い、覚えなあかん場所などとは思っていません。
したがって、誰が出来て、誰が出来ひんという事には全く興味がありませんし
そんなことよりも、誰かが「パソコンでこんなん作ってみた」とかっていう話には
大いに興味と関心が集まります。

「富田パソコンサークル」では、パソコンという道具を使ってもちろん文書や
それだけでなく絵や写真を使って生活にアクセントを生みだし、
ネットを使って、検索したり買いもんしたり
メールしたりして、家にいるだけでは味わえない「冒険」をしています。


ちょっとばかりエラそうにゆうと、
パソコンを使って、今までの自分に加えて、さらに新しい自分自身を開拓していこう
という「前を向いた」自分自身のチャレンジ(挑戦)ですので
人生の到達点なんていうもんがどこにもないように、
サークルに「卒業」も「中途入学」などというものは存在しません


パソコンサークルでの時間は、新しい自分にトライしながら
パソコンを通してみんなとワイワイ言いながら、明日のことを
考える時間やともいえるんです。

ですから、来れないことを悔やむことは必要ありませんし
来なければあかんという話ではありません。
ただ、なんで、パソコンをやろうと思ったかをもう一度思い起こすとき
せっかく高いお金出して、自分に投資されたのですから
来る来ないにかかわらず、パソコンを通しての新しい自分の挑戦は
継続して行って欲しいと思うんです。
あちこちの家で、カバーをかぶって寝込んでしまったいくつかの
「ぶら下がり健康器」や「マッサージ器」のように
放り出したりせずに・・・

パソコンサークルのもう一つの意義は、こうして集まって
仲間を励みに「続けていく」ことをサポートする機会とも思えます。
僕らは胸はって言えます
何年かかってもいつでも「初心者」ですが初心者だからこそ
新しい発見にちょっとした感動をいつも味わえる喜びがあります。
けれどもこんだけ続けて来ました。

そういう意味で、新たな参加に制約も条件も遠慮も尻込みも要りません、
新しい人の参加はいつでも大歓迎しています。

これはもう、ボクだけの「反省」ですけども・・・・
少々自分の思いこみが過ぎて、課題を提供しすぎて
ちょっと小難しい域に行きすぎたとか、それぞれのわからへんこと
やりたい事にもっと目を向けて行かなあかんかな・・・と今更ながらに
思ったりしています。

今は休会されてても、きっと帰ってきやはるやろし
休んでて、「さっぱり・・・遅れた」って言うんは禁句です・・・
富田パソコンサークルは進んでるとか遅れてるなんてことに興味はありません
パソコンやってこんなこと発見した、こんなことが出来るようになった
たとえ自分よがりでも誰に比べることなく小さなことでも
昨日の自分に今日の自分には何かが加わって、明日に前向きになった
ということが唯一の「目的」やからです。

・・・・ええことゆうやろ・・・・自画自賛やけど
・・・・自分で言うとかなね・・・・こういうのも一応・・・前向きの姿勢・・・ということで・・・

たくさんの仲間がいて、また新しい人も加わってもらえばもっと楽しくなると思うんです
その人の数だけ・・・パソコンは継続です
何回も同じ繰り返しやと悔やむことに意味はありません
進歩なんて必要ありません。文書打てたらそれでええねんと
自分に見切りをつけて、それで終わる事よりも
一本指で、何回も繰り返しやし、忘れたことが多いという分だけ
「継続している」証やから、パソコンの操作の善し悪しやなく
よっぽど「自分を進歩」させていると思います。


消してしまうと不便なこともある:Wべさんからの話

2009年06月07日 | インターネット

ひょっとしてWべさんの電話からの問い合わせに、むしろ
反対の答えを伝えたかも知れないと気づいて、蛇足になるかも知れない話の
記事を書き込んでおきます


この間の話では、いちいちネットの履歴やら、アドレスバーやら検索バー
の履歴やら、オートコンプリート機能までキレイさっぱり消すことを
特集させていただいんですが、ネットの履歴という話は時にはそれを消してしまうと
またいちいち入れ直さなあかん面倒くささのために、かえって手間をとらされる
思いを持つこともあります。
もし、パソコンを第三者や不特定の人に決して使われないセキュリティと
他人に盗みとられないパソコン上のセキュリティに自信が持てるのなら
「cookie(クッキー)」やら一時ファイルを残すのも確かに一つの手ではあると思います

※けど決してオススメしているわけではありません。
便利なように作られた機能ですけども、無線でネットにつないでいる以上、
他人に情報を盗まれるリスクは、依然として残ってしまうのです
この記事は履歴などを残す話ですけども、いわば逆説的に、
それを消す理屈を理解するという意味で解釈してください


インターネットオプションで、「フォーム」や「パスワードのクリア」を押さなければ
今まで入力して「パスワード」などを自動的に覚え込ませた内容は消さないですみます
その上の、3つのボタンは、全部チェックを入れておくと
オートコンプリート機能の対象になって、一文字入れると以前の入力した
内容から推測変換リストが出てきます


次にWべさんが使っておられると思う「LunaScape」では
メニューの「ツール」→「LunaScapeの設定」と進んで下図のようなダイヤログで
セキュリティの欄の「個人情報」という項目を開いて
図のように、cookieと一時ファイルのチェックを外しておくと
終了時に「クリア」されることはありません




ただし、これはあくまでも、逆説として履歴やらを残すやり方で
面倒くささを排除したのに過ぎません
ボク自身の思いから言うと、ネットの履歴や入力の内容などは
定期的に消して当たり前の一時ファイルであるという考えにたちます

残念ながら、便利さの裏側にはびこる悪意のウィルスは、
新型インフルと違って下火になることがありません。この場合は
用心にこした事がないと思えるからです
「履歴」であれ、「cookie」にいたる「個人情報」を残しておくという事に
神経質であって欲しいと思うのです・・・