富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

地震国2016.04.16

2016年04月16日 | 震災

40年も前、僕自身は1年間熊本に住んでいて、始終見上げた「熊本城」と
阿蘇に広がる草千里の眺望と雄大な自然に心洗われ、心地よい人とのふれあいとともに
その期間が短くとも、今ある自分の中に形作られた精神的な核心のようなものが
ここで作られたことを感じている。
その愛すべき熊本や阿蘇に連なる風景が、巨大地震に引き裂かれ
おびただしい被害の状況をテレビを通して目の当たりにするとき、言葉を呑み込んでしまう。
それはまさに21年前神戸で見た惨状を思い起こさせた。

この国の風土は、入り組んだ渓谷や連なる山々と変化を極める風景と
四季の移ろいを愛でて、自然というものに畏敬の念を抱きながら暮らしをつむぐ風情で
形成されている。
しかし、こうした自然の圧倒的な脅威を目の当たりにするときに
あらためて思い知らされる。

連なる山々のでこぼことした地形や変化がおおきな渓谷こそ
もとはといえば、地殻変動のたまものであり、プレートが衝突してねじれて山脈が形成され
そこに生まれた亀裂に川が流れている。 それがこの国の美しいジオラマの本質でもあるのだ。

阿蘇に連なる草原は、どんな屈曲した気持ちさえも小さくしてしまうほど
その圧倒的な風景が雄大やけど、それも幾たびかの火山の噴火でもたらされた
折り重なる地層がかたどるものの「表面」に見えるものでしかない。

およそ、人類の知恵はいまだに自然の摂理には及ばないものの
この国が幾重かのプレート上に形成された地形と地層で象られたものであり
あわせて多くの火山活動とともに、いたるところに地溝帯とよばれる断層の塊があり
この国のどこにも亀裂のない地層など存在しないことはわかっているつもりでいる。
けれど、結局阪神淡路のときも、東日本の震災ですら、起こったときにだけそのことを肝に銘じて
いずれの時にか「他人事」にしてしまう。

今は、一瞬の地震で命を奪われた人々、その遺族の方々に思いを寄せるとともに
そんな国土に原発を稼働させることの恐怖を思い知る。

ただ、救難の指示をまことしやかに発する総理大臣こそが、「フクシマはコントロールされている」
と世界に嘘をついた張本人であることが、空々しく
また相も変わらぬ懲りない知恵のなさに、寒々しくテレビから流れている。


6月25日(水曜日)は・・・・

2014年06月22日 | 震災

第4水曜ですが、サークルは翌日26日(木曜日)に変更します!

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6月25日は、コロンビアとの予選最終戦の日です。 
そのせいでと言うわけではありません・・・区の集金日25日に重なったからですが・・・
たまたま、重要な日になってしまいました。

日本時間4時40分・・・・僕は結果を求めません・・・こうなった以上
「絶対に勝たなければならない」とも実はもう思いません。

自分らが追求し、自分らがやってきたことそのことを表現し、ひたむきに前見て
自分らしくやってくれること、そのことが自分らの「代表」の意味でもあると思っています。
失うことをおそれず、っていうか失敗をおそれるあまり何もできないで「失った」ことは大きい 

悪い意味で、すぐにメディアも・・ひょっとしてこの国に住むものみんながついつい使いがちな
「国民性」・・・そもそもひとりひとりが違うのに、十把一絡げにして語るのを僕は好みませんが
・・・それでもこの国に住んでると、サッカーの代表に限らず、冒険しないこと
勇気を持って、全部かけずに、ちょっとだけとっとくこと、貯金を一番に考えること
あらかじめ悪いことばっかりを想像して、結果の善し悪しに対処しようとすること
実は足を踏み出さずにいるくせに、先のことばっかり思案して暗い気持ちになること
失敗することを恥と思うこと。みんなで仲良くしようと無理にでも教え込まれたこと
・・・・いっぱい思い当たります。
   
サポーターのすばらしいマナー、戦争を放棄した国是 そのことを信頼されてきた事実
震災を耐え抜こうとする精神性、細やかな配慮  
震災後の原発事故、その対処、平和というものを享受してきたここまでの道のりと
それを急旋回させて、平和というものを根本的に見直そうという経済至上主義
っていうか国家的財政優先主義というべき単なる増税主義

実はそれらをすべて含めてイメージされて、国の名の下に ありながら個としての
自分らしさを表現する機会こそワールドカップという舞台に与えられた
特権です。サッカーという世界共通言語を通じて・・・

一方で

これまでの国のありようを検証もせず
実はたいしたこともない得票率のくせに府会議員より狭い範囲の「小選挙区」制度の
おかげで大量の議席を獲得したにすぎない
おごった現政権のすることは
原発の検証もできないでいるくせに海外に売り込み、武器を得ることも容認し
果ては、カジノを許可して、何でもかんでも・・・っていうかこの国の美徳としてきたものさえ
壊してでも求めているのは「ゼニカネ」の話。
なんでも「金」に換算して、経済だけを優先するのかと思いが行く ・・・・

自分らが率先し守るべき憲法を 身勝手に解釈して、
集団的自衛権などというものを認めようなどというのは
たぶん彼らが政治家の家系に生まれ育ち
一人の戦死者もいないことに由来していて、どんな浅はかな教育を受けたらあぁなるのか
守ろうとするのは彼らの祖先の失政隠しかと疑念を抱く。
そもそも読んだ教科書が違ってる気がする。
政権側の中にも疑問符を抱くものが多いはずなのに逆らうことをおそれて口をつぐむ
都議会で下劣なヤジを飛ばしたやつもやつなら、知ってて言わない奴らも同罪で
そのことと同じで流れに逆らうことの無しに発言しないこともまた相当罪が重く、無責任な行為だ。

3年前に政権交代させたのには、その古くささと世襲政党の硬直性にあって、民主党に
失望したからと言っても
これほどの大事に対して委任状を与えるほど、信用もせず信頼もせず、ほかの選択肢がないから
渋々投票したことを肝に銘じてもいない。

憲法は、議員が考えるものではなく、決して変えるものではない
主権の主体である国民が作り上げるもので
議員とは、その憲法に則って、政策を立案し実践すること
そのことこそが「立憲主義」というもので
何があろうとなかろうと、守るべき憲法を勝手に解釈すること自体が憲法に違反している。
どいつもこいつもそこんとこが全くわかっていないので、信用できないし、悪いことに
護憲の意思を持っていても、後援者の顔色伺いながら、口をつぐんで
議員の身分に甘んじてる誰もが気にしているのはこの国の安全とか危機ではなく、議席の維持にだけ気が行ってる。
これが政治の現状なら、嘆かわしいと言ってるレベルではない。

自分が何をするために「代表」に選ばれ、自分が何をすべきか
失うことをおそれて、何もしないのならここまできた道を放棄し、これから先に目をつぶる
てなことを、人にえらそうに言えた訳でない自分がここにいて
それでもどこかで何とかせなあかんという気持ちはまだ失わないでいる。

そんなこんなをないまでにして、6月25日のコロンビア戦を早起きして見ることにする。


くどいですが、6月25日は、区の集金日になっており、次回サークルは
6月26日(木)に日程が変更されています。


4号機の巨大なリスク・・・

2012年03月21日 | 震災

不毛な議論を提起する政府といい、不手際とええ加減さが目立ちすぎる東電といい
一息ついてるように、装っているけれど・・・
誰もが忘れていない事がある。
いかにも拙速で、軽々しい「終息宣言」をした後に、政府関係者が
「実は、250km圏内の避難を求める最悪のシナリオも考えた・・・」などと言い放ち、過去形の話にして見せたことを・・・

かって福島第一原発と呼ばれた、放射能を吹き出す廃墟は、
終息どころか、おびただしい放射能のために必死の覚悟で格闘する作業員の力さえ及ばず
その収拾は先が見えずにいる。
それどころか、危機は新たに増幅して恐怖を倍増している。

義妹に教えられたドイツのTV局の制作した「フクシマの嘘」をみるまでもなく
アメのようにひん曲がった建屋の跡形と人目には決してさらされることのないはずの格納容器が
見え隠れしている様は、映像でみるだけでも信じがたい光景であり、
廃墟は依然として手つかずで、あの日から何も変わってもいない。
給水と称して、莫大な量の放水や水を浴びせて続けていて・・・その汚染水の行方を
知りながら、知らせようともしていない・・・・空中に放たれた放射能よりもはるかに膨大な海洋汚染は
底が知れないまま太平洋を浸食してやまない・・・・・

僕らは、4号機の危機を知る。
水素爆発によって破壊された4号機の建屋は、他のどれよりも損傷が大きく、建屋そのものが傾いている。
悪いことに、そこにある燃料プールは、他の原子炉の使用済みの燃料棒の保管場所であって
どの原子炉よりも多くの核物質に満たされている。そのプールの破損が激しい
僕らはある意味で、原子力を過信する人たちに、はぐらかされてきた。
「核燃料」という言葉である。・・・・核物質は、石油とか石炭のような「燃料」などではない!
いつか燃え尽きて燃えかすのようになるのではない・・・人類がコントロールすることの出来ない融合を繰り返す「核」物質であり、
核融合とは、人為的に核分裂をおこし巨大なエネルギーとともに、人類や生物のあらゆるものを一瞬にして死滅させるほどの
放射能をまき散らす触りがたく押さえきれない途方もない化学反応で人の手に負えるものではない。
・・・それほど空恐ろしい物質で、使用済みなどと言いながら、いったん原子炉で核融合させて
それを止めたというだけの代物を、「使用済み燃料」などとはぐらかしているだけなのだ。
核物質は、変質もしない。その威力は一端封じ込まれて見えても、減少すらしない。
被爆国のこの国では、身をもってその体験をしていたはずである。

他の原子炉の数倍を超える量をため込んだ、4号機の燃料プールは
東電が補強したしたという梁の支えで、傾いた建屋の中で今はかろうじてそのバランスを保ってはいるのだろうが
頻発する群発地震の前触れは、不穏な事態を連想させる・・・地震が近く福島直下に起こったときに
燃料プールは崩壊する。しかも燃料プールは格納容器と違って、核物質を厚い金属で覆っているわけではない
何度も事故直後の解説で、それはただ水で冷やす水槽に過ぎない事をわれわれは知っている。
崩落とともに燃料棒が溶解し、メルトダウンの引き金をひき、再臨界への道をたどったときに
科学が予想した「シナリオ」をはるかに超える規模の現象をもたらすのではないかと警鐘を鳴らす科学者が存在する。
それこそが、最悪のシナリオであり、事態は収まるどころかますます深刻さを大きくしているのではないかと危惧する。

傍目にみても、国民には言うに及ばず海外からの信用すら
原子力行政にも、東電にもない
彼らは、おざなりの行政責任の範囲と、きわめて甘やかされた独占企業の利益の論理の中の
想像力でしか対処の方法を見いだせない。

一日も早く東電を国有化して、国の統治下と国際的監視の下
利益などを排除して、人類の英知をもって対処しなければならないのではないか・・・・・

パニックを恐れてか、リスクを小さく見せようとする姿勢は憶測が憶測を呼び、
ますます、信用を失い・・・現場の作業員の命を縮めていく。
誰がこの途方もない後始末を何世代にわたって、処理をしていくのかそれすら見えないままに
フクシマから離れた場所で、原発の反対運動の気勢がトーンを上げ、したり顔の政治家や有識者が便乗する。
その前に向き合うべき危機と知らなければならない今目の前の事実がある。
そして、なんとしても見いだすべき対処がなければ未来をみて語る意味は今はない。
この際は、ありとあらゆる事象を公開し、ありとあらゆる可能性とリスクを考えて
みんなの前にさらすことこそ、政府にも東電にも原子力にぶら下がる権益者たちに道はない。
地震の周期は、一段とその速度を速めてもいる。

最悪のシナリオが始まれば、この国のどの場所も「フクシマ」は遠くない・・・逃げ場はどこにもない。
「除染」などという幻想をひけらかす前に、ここに述べた話が
ただの心配性の戯れ言の聞きかじりの話なのか・・・真実はどうなのか
事実を加工せずに、今ある危機に向き合ってる本当の事実をさらけ出してほしい。

 


3.11 レクイエム

2012年03月07日 | 震災

あれから1年・・・瓦礫すらまだその姿をあらわにし、海岸沿いから家並みが消え去ったままで
何も始まらず、すべてが消え去った事だけは依然ととして被災地の景色であり続けている。
しきりにテレビでは、3.11を間近にして、元気を取り戻した様子ばかりを映し出すけれども
それはたぶん、テレビに映して差し支えないところだけを切り取った映像に過ぎないことを想像する。
政治の空白と無力さは、そのまま行政の手を止めて、被災地のすべての人を救い出すことなど全くできてもいない。
奪われた多くの人の命とともに、まだ多くの人がその日から時計を止めたまま
もう一年にもなるのに、まだ一年にも足りない実感がより遠くなった未来の展望に、
震災直後にもまして、失望しているように思えてくる。
それはそのままこの国自体の憂鬱につながって、次世代へ未来をつなげずにうろたえている気がしてしまう。
3.11は大きな意味を持って、1年を迎えようとしています・・・
今更しみじみ思う事がある。学校という場所で、毎年毎年同じ事を黒板に機械的に書き綴ってきた教師の
教科書の棒読みを、きくともなしに・・・あるいは試験のためだけにうすらぼんやりと記憶に残る知識に・・・
地政学的に言えば地球の太平洋のプレートと大陸のプレートがぶつかり合って
せり出した地球の「しわ」のような所で、しかもそれ故にあちこちに火山が口を開いている場所がこの日本だと
教えられ、さらに現代史の中で、唯一の被爆国である事実を認識していながら・・・
それは実際はこの国に住むものとしての教訓などと意識もされずに、ただクイズの答えのように薄っぺらい知識の
一つぐらいに覚えてきたような話にされてきた。・・・

そのあげくに、結局逃げ場もない狭いこの国土に50基の原発をこしらえてきた現実は、「想定外」などという適当な言い訳で
ごまかしようのない想像力の欠如であって、取り返しようのない愚行であったことを思い知らされる。
この大津波で知ることになったとはいえ、少なくともこの国に核などと言うものをコントロールできうるものは、
誰一人としていない事実も改めて露呈した事を含めて、今更悔やんでも意味がないほど
我々は、何にも責任を持たずに、なにも考えようとしなかったことをも思い知る。
今原発をなくそうとしても、今ある原発の廃炉と、核廃棄物の処理には、福島第1原発跡地の処理の
数十倍のコストと手間もかかる事実もある。やめるにしても、「やめる」という前に
我々には我々の後の世代に引き継ぐべき膨大な責任が、原発事故の以前からあることを自覚して
誰もの無責任を反省して取り組むべきなのだと改めて思う。
誰かが作ってきたのだが、作らせてきた責任は誰にもあるのが、実は「事なかれ」で責任を曖昧にする
全体的主義の国民性のなれの果てでもあるのだから・・・
自分たちの子供たちに、原発の後始末と核廃棄物の処理を託し、その仕事を引き継がねばならないということを
自分だけのエゴを離れても伝える責任が少なくとも現世代にはある。
それは東北のおびただしい瓦礫を受け入れることを拒否する前に
その現状と十分な検証に対する知識もないままに過剰なまでの放射能に対する反応と
地域エゴだけでは物事を進められない現状にも重なり合う・・・
福島にあった原発は、東北の人たちが使っていたわけではない
あれほど危険なもののであればこそ、首都圏の人間はコストにだけ目をつぶり、ありあまる電力を使い尽くしてきたくせに
結局は、自分らが避難できうる場所に作り付けて、被災まで押しつけた今の事実を正視していない。
そして、平和に鈍感にあった我々は、ちょうど内戦に苦しむ国家のように
これから戦地に向かう兵士と同じ、ひょっとすればそれ以上に厳しい任務を背負わす人材を作らねばならないのだ。

これから先、どう生きて行くか、どう責任を果たすのか
何をすべきか、何を考えるべきかを問い続けて、ここを岐路に変えていかなければならない
ターニングポイントにありながら、結局今までの延長線上にただ過ごしてきた1年であったことも
自分を含めて、情けなくも思う。

そうしたことにまともに向き合うほどの思考も想像力もないことに
たとえば、一政治家の「勇ましい改革論」についつい寄りすがろうとするけれども
「維新」などという相当に古くさいセンスと旧来の日の丸信奉まで持ち出してはばからない姿勢には首をかしげる、
彼らが目指す社会の有り様は、多様な価値観に支えられた新しい地域社会にはとても想像ができない。
この大きな分岐点に立って、考えているにも思えず、本当の民意に支えられているかも怪しくて
彼は万能でもなく、彼の視野は全方向に向いてるほどの器量もない・・・
一人のカリスマを作り上げて、寄りかかるムードは危なっかしい・・・

この国に住み、この国に生きて、この国で子を育てていく覚悟とは
こうした「大震災」が必ずくるということを前提に考えていかねばならない。どこに暮らそうが何を仕事にしていようが
震災は必ず来ることを前提に、暮らしを立て、生き方を思わねばならない
明日に思いを積み残さない暮らし方は確かに厳しい。
それが一人一人に突きつけられたことを「東北の他人事」と済ますほどのんきに受け止めていては進めない。
我々が生きて行く上で、明日にも大地震が起こりうるという考えの上に成り立つ社会
それにつながりうる未来はどういう考えとどういうものかを考え出すこと、それでも前向きにいて
今をどう生きるかにつながっても行く。・・・それが無理なのだろうか

一人一人が心の中のともすそれぞれの「鎮魂のろうそく」に手を組んで、祈る日がやってくる。

 


温度計のはなし

2012年02月15日 | 震災

そもそもいつまで、壊れた原発の跡を、「福島第一原発」などという「過去の名前」で呼び続け
その後始末を、一企業のしかも事故を引き起こした当事者である東京電力に丸投げして
とても人類の危機を背負っては見えないあの無表情で淡泊なしゃべりのスポークスマンの話に寄りかかっているんやろか・・・
東京電力が負う賠償責任は、どう考えても、
たとえこれまで、独占的な殿様商売でどんだけ暴利をむさぼってきたにしても
とっくに会社の規模を越えている・・・
事実あのオッサンの説明は終始、原発跡地の敷地内の話に
限られていて、たとえば敷地外の周辺に降り注いだはずの放射能への責任とその後の後始末など
全く関知していないような、「知らぬ顔」を決め込んでいる。
だからこそどこか、他人事に思えて、あの顔を見るたびに、聞くたびに嫌悪感すら感じる。
「あいつら」は、100年いやひょっとして千年単位をかけてようやく浄化の道にたどり着く、この恐るべき事故の
顛末など、見るよしもなく、どうせ息絶えるはずで、せいぜい自分の退職までの間の責任だけを果たすつもりでいる。
なぜなら、彼らはこれからの気の遠くなる壊れた原子炉の後始末を誰がどんな形でするのかをいまだに示せない。
示せないどころか、そのことは彼らの責任外の事にしているのだろう。

福島の「原発の跡」にあるものは、決して開くことがあってはならないパンドラの箱で
あの日、「想定外」という言い訳とともに、この世に「悪魔」を放ち、人類には実は手に負えない負の遺産をもたらした。
四の五の言わず、とっとと「東電」自体を国有化して、まずはこの地獄の釜の蓋をしなければならない。
さらには、これほどの危機に際してもなお、自らが主導できない政府とか原子力行政が当てにならないのなら
あの地を国際的機関の統治のもとにおいて、そのコストをこの国が負うところまで行き着くべきだ。
そうでもしないと、原子力事故の話を、政府であれ東電であれ聞いたところで、疑念はいつもぬぐえない。
これほどの危機を、世界のスケールで取り組まなければ、終息の兆しなど決して見えてこない気がするし
第三者機関のコメントや分析こそ、せめてもの気安めになり得るのだと思う。
国有化は、今まで国有化して企業が成功したことがないなどという
経営的な見地の話ではない。この国の犯した責任と未来の世代へ果たすべき今ある世代の宿命の方策である。

温度計の3つのうち、一つが異常値を示すので2つの方が正常で、結果一つの方が壊れているという
東京電力の見解をにわかに信じるわけにはいかない。今までならその論理にあえて、寄りかかりもしたが
そもそも「想定外のあり得ない津波」などと言い逃れてきた連中の「想定」の内側にある論理など
信用に値しないことを思い知るべきだ。むしろ都合のいい数値を表している2つが異常で
異常な数値を示す一つだけが、壊れた原子炉の実態を表しているのかもわからない。
・・・・その想定こそが、これほどの犠牲を払って得た教訓であり
実際は正常な状態で稼働する原子力発電所しか知りもしない東京電力というたかが「電力会社」が
原子炉を破壊して、核がこの世にむき出しになった計り知れない大事故の後始末の方法など
初めから知るよしもないのではないか・・・・東京電力の発表がことごとく気安めにもならない現実が
それでもかろうじて期待したいこの国に住むすべての人々の失望を買う。
あれは、もう電気を起こす原子炉ではない。核が熔解した地獄の釜である。
しかも、破壊し尽くされた原子炉にだれひとり近づけないで、だれひとりその現状を知るものなどいない。
・・・・それでいて、まだ2つが正常値を示しているので一つの温度計が壊れているとしか考えられないなどとコメントする。

たった一本の温度計のせいにして、いつものように矮小化して事故を小さく見せてるけど
手に負えない溶解が進行し、再臨界への分岐点に立っているかもわからない状況にあって、
人類的危機をそんな連中に託して、救われるなどと言うのは幻想に過ぎないと思うのは、僕だけではない


福島原発事故収束宣言に思う

2011年12月18日 | 震災

そもそも、この人類的な危機にありながら、いまだに「東京電力」などいうきわめて小さな1企業に
事態の対処のすべてを任せきっているこの国の政府も政府機関もあまりに、知恵がなく何よりも心許ない・・・
あれほどめちゃくちゃに壊れきった原発の「跡形」を、いまだに原子力発電所呼ばわりして、
稼働している原発と同じ扱いにして、今後大きな事故に至る危険性は排除されたという・・・・
そんなことを丸呑みにできるはずがない・・・なぜなら政府自身が、稼働中の浜岡原発をもっとも危険性が高いと
停止させた事実と今回の事故収束宣言は、我々が信じたいと思う安全という意味から明らかに矛盾しているからだ。
もう大きな当面の危機は去ったというのなら、なぜこの時期に健全な状態の原発を止めたのか、
廃炉まで数十年かかるというこれからの時間に、危険は去った訳ではなく第二第三の危機を恐れるからではないのか・・・
とても人間が近づけない状態で、原子炉の現状が確認できるわけでもない。
誰も溶け落ちた核物質の現状を知らない。メルトスルーしているのならとっくに建屋のコンクリートなど突き抜けて
地下に至ってやがて地球規模の汚染に至るのではないか・・・それこそがチャイナシンドロームのもっとも恐ろしいシナリオである。
本当に何が起こって、どうなっているかもわからずにいながら・・・
それでなお、「一区切りがついた」などといえることが受け入れられない。

「冷温停止」といっているのは、原子炉に取り付けられた温度計の計測値に過ぎない。
そもそも福島の原子炉はとっくに壊れて、健全な原子炉ではない・・・核燃料が溶け落ち、格納容器も
原子炉のカバーをできているわけではない。通常の毀損のない原子炉と同じ方法で求めた計測値を公表するのは
事故を過小化したい東京電力の企業の思惑にすぎず、彼らはいつも無表情なスポークスマンを通じて
順調な工程表の成果と程度の軽さばかりをアピールする。
そのたびに悪いことしてないのに、生まれた場所を追い立てられ 困窮して未来を失ったまま
途方にくれる住民への思いと
本当のことを知らされない放射能の「被曝国」のこの国に住むものの気持ちを逆なでする。

通常の原子炉の廃炉にさえ、30年かかるという。
福島の原発の廃炉に100年もかかるとすれば 誰がその責任を担うのだろう。
いっかど殊勝な顔で、一生懸命やってるポーズの現東京電力の幹部たちは
本当の意味での「収束」した原子炉をみることなしに、この世にはいないのである。さらに言えば
東京電力という会社自体の存続など想像もできない。
これは、もうとっくに国家の責任として、取り組むべき負のテーマである。
けれども一年の政策にも一貫性のない政治からは、そうした覚悟もビジョンも示されているわけではない。

今毎日死の恐怖と戦いながら、収束の可能性のために日夜労苦を惜しまない作業員の途方もない仕事を
次世代またさらに次世代に引き継がれるとすれば、 誰にそれを託せるというのだろうか
放射能汚染を恐れて避難する若い世代がそんなリスクを担えると思っているのだろうか・・・
「おまえがそれをやれ」といえる親はいないだろうし、
とても今の世代が次世代にそんな危険な仕事をすすめたり、後押しできるはずもない。
誰がそれを担っていくのか・・・小さな1企業の東京電力にそんな気概どころか
ビジョンがあるはずもなく、責任感のかけらもないだろう。まさか作業員の子孫に継がせる約束が結べる訳でもない。
けれどもなんとしても、誰かがそれをやらなければならない。

だからこそ、深刻だ。
何も明らかにせず、何もこれからの重たい未来に対するビジョンもないままに
たとえ、政治家のパフォーマンスにしろ、いつの間にか東電の側にたって東電の側の弁明に追われ
発電所でぬけぬけと「ありがとう」などと言うような政治家が発する「収束宣言」などにどれほど意味があるというのだろうか

それよりも海洋汚染の実態、放射能汚染の事実
一説にヒロシマに落とされた原爆の数十倍ともいわれ、あるいはチェルノブイリ規模にして原爆数百発といわれる
放射能量に等しいのか超えてしまっているのか・・・
空恐ろしい事実をどこまで、隠そうとするのだろうか・・・・
気安めに過ぎないような一過程の話など、本当は気が安まることなどない。
我々が知りたいのは 我々が背負った重たい事実とこれからの重い未来への対応と心がけなのだ。


情報の確からしさ:電力不足の宣伝に踊る

2011年10月30日 | 震災

集会所のストーブを買い替える必要があり、ぼちぼち探しに行こうかと思っていたら
新聞の折り込みにあるお目当ての「対流型」の石油ストーブの値段が、16,800円となっています。
あろう事かホンの何週間かで、一気に4,000円も値上がっていました。
「コメリのやつめ、足もと見てるな」と思い込み、ここはお得意のネット検索で、「対流型 石油ストーブ」と入力して
価格.comを手始めに、AmazonからYahooショッピング、楽天果てはヤフーオークションまで手当たり次第に
探しまくったんですが、「取り扱いできません」「売り切れ」の表示にばかりぶち当たり
あったと思えば、20,000円をとっくに超える値段がついています。
在庫が切れて、生産が追いつかない状況らしく値段はどんどん急騰して、それこそ足下につけ込むほどの勢いで
例の「メーカー希望小売価格」を凌ぐほどの過熱ぶり、中古を出品しているヤフオクでさえ、10,000円を超える金額で
競り合っている悪のりぶりです。結果的にコメリの価格が「最安値」になって、慌てて丹波店にまで出かけたところ
案の定売り切れ、取り寄せすら年内の確約が出来ないと切迫した返事に、あきれてしまうほどでした。
Y朗ちゃんにそのことを告げると、一昨日までは園部店で見かけたという耳よりの情報があって、早速電話すると在庫はなくなったけど
展示品が残ってるとの返答がかえってきたので、取るもとりあえず飛びだすように園部店まで買いに走りました。
いやはや、この程度のことに何で踊っているんやろかと自戒を込めて、しみじみ思う一日になったのです。

そこで、ふと思うのは、テレビや新聞がしきりに冬の電力不足を唱えて
節電や省電力をうたって「石油ストーブ」がもてはやされ、あちこちで先物買いに走って踊らされている
過剰で過敏すぎる消費者の「我先に」という心理の現状があります。

落ち着いて考えてみると・・・・果たして、この国は電力不足なのでしょうか・・・
特権を与えられた電力会社と行政責任の欠落した経産省と電力会社の政治資金にむさぼりつく政治家たちの
過剰な喧伝に過ぎない真実を垣間見る気がします。

この夏国家的規模であれほどの「危機」を訴え続け、結果みんなの節電意識のおかげでと持ち上げて「電力危機」を乗り切ったなどと言うけれど
果たして実態は、とてもピークと設定した数字にはほど遠く、黄色の信号をともした日でさえたったの2,3日にすぎなかったのです。
昼間の電力の余裕が残っている上に、本当は電力は特に工場などの消費の少ない夜間の電力は、
ダムへの揚水にほんの少しだけ利用してるに過ぎず
24時間の稼働で、作った電気を捨てているに過ぎないのです。
もっと言えば原発を止めたところで「危機」などという切迫した状況が訪れるのではなく
電力会社の都合で作り上げた「いざという時のための電力の余裕」に支障を来すという話なのではないかと勘ぐっています。
実はここんとこ特に呼びかけている節電や停電による経済の停滞などという宣伝こそ
「原発」の延命や存続の既成事実化にあるように見えてなりません。

「いざという時のために」資源のない国として、唯一の被爆国でありながら、新たなクリーンで経済効率がいい電力開発の名目で
容認してきた原子力発電は、結果的に福島に起こった現実を考えるとき
「いざという時に」
私たちの国ばかりか地球規模で 致命的な損害を与えてしまって、間違いなくこの経済に大きな暗雲をたちこめてしまい、
何より今、この国に住むものの生活を危機的に追い詰めています。
廃炉を含んで放射線処理には数百年あるいは数万年の時間を要するとなれば、原子力そのものが
およそ、人類のチカラで扱える技術ではなく、「原子力」というものがパンドラの箱のように知ってはいけない分野の技術だったのではないかとさえ
この間の遅々として進まぬ対応で、疑いを濃くしてしまいます。

新たな電力として「原発」をもてはやす前に、あるいはまだまだ心許ない自然エネルギーから電力を作るという前に
夜間に捨てざるを得ない無駄にしている電力の「蓄電」という課題に向かって英知を注ぐべきだと思えてくるのです。

跳ぶように売れている石油ストーブでさえ、考えてみれば石油やガスの「化石燃料」をあてにした暖房具だから
それこそ、タイやニューヨーク、和歌山・奈良で起こった災害を思うときに一刻も早く対処すべき
地球温暖化の対策にとって、逆行する動向なのです。それに目をつぶって「我先に」買いに走るのが我々にとって有益とも見えません。

情報の操作を実証するすべを持っているわけではないけれど、ちょっとしたことでさえ
右も左も一斉に過剰放送してしまうテレビを信じ切ることなく、新聞を一方的に信じるのではなく
いままで殿様商売してきたそれぞれの「電力会社」のええ加減な実態も
それにぶら下がる政治家の実態も見えてきた今、彼らの都合が見え隠れする情報があることを
九電のメール問題ややらせ討論会の実態が明らかにし、小出しに福島原発の事故処理や
放射線の情報が出てくる現実は、情報自体にさじ加減がされていることを表しています。

一つ一つの情報の確からしさを冷静に見て、ちゃんと分析しないと我々がテキトーに「踊らされる」し
踊らされ続けているのでは、ただ疲れて、馬鹿を見るのは結局「消費者」と呼ばれる我々の常である。
切羽詰まってどうしてもという事情がない限り、石油ストーブを買うのは、ほとぼりが冷める
来季に買うのが賢いやり方です。・・・・史上最高値で推移する「円高」にかかわらず
灯油の値段は未だに「高値」で一斗缶で1,600円を超えてる経済の異常さは改善されてないことを「イットカン」とあかんし・・・

 


災害列島・・・台風12号

2011年09月04日 | 震災

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せっかく予定していたサークルも、「ひだまりの感謝祭」に引き続き、台風直撃でまたまた延期になってしまいました。
ただ、今回に限って、ここいらだけは、収穫前の「稲」以外には、想定されていたほどの大きな被害を受けてはいないと今は思います。

・・・冒頭の写真?は、我が家の小屋の現状です・・・
タイムリーに紛らわしいンですけど・・・ 台風のダメージではありません。
これは、一種のシャレで・・・写真をアップしています。
・・・雨漏りと老朽化、とりわけ屋根の状態がひどく、取り壊し工事を依頼していて
たまたま台風の襲来時に、「壁がはがれて骨組み状態」・・・が重なった訳です・・・・不謹慎ながら、あしからず


それにしても、「よかった」などとはいっていられません。とりわけ紀伊半島の被害たるや
東北大震災にも匹敵するほどの厳しい現実を目の当たりにして、言葉もありません。
ここ数日に降った1,800mmなどという降水量は、京丹波町の年間降水量をはるかに上回ります。
降り止まない豪雨は、川をあふれさせ、山々の急斜面を痛めつけて
「山津波」のように集落を襲い、映像から見る、音を立てて流れる濁流には、あの大津波を想起させます。

ついこの間まで四季の移ろいを愛でて、美しい国土と信じ切っていたはずが・・・
海沿いに津波の危険、かといって山あいには「土石流」の恐怖
原発危機とあわせて、「災害列島」となったこの国から「安住の地」が消え去ろうとしているかのようです。


哀れなクレーマー

2011年08月07日 | 震災

僕自身、人に言えたもんやないほど、何かと身の程知らずに「いちゃもん(クレーム)」をつけることが多いし
冗談にせよ、人の気持ちを逆撫でして時に傷つけていることに気づかずやり過ごしていることもある。
批判の多い、根っからのクレーマーを自覚する・・・けれども

これほど情けない話は気が滅入るほど、全身の力を奪われた。
「東日本大震災で津波になぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪(まき)を、
京都の伝統行事「五山送り火」の大文字で燃やす計画が中止になった。」という記事で
「放射性物質は大丈夫か」「灰が飛んで琵琶湖の水が汚染される」などと不安がる声が、
保存会や京都市に電話やメールで数十件寄せられ、結局この企画を中止することになったというニュースだ。

何が「がんばろう日本!」なんやろか ・・・・被災地に向けて気持ちを寄せ合う一体感があったとしても
自分よがりの「ホンネ」とやらを、あらわにしたら、全部を見せかけの親切心にしてしまう。
復興を願うどころか自分以外の被災を
他人事にしてしまう無神経さに、いやにもなる。

ちゃんとした知識や反論もなしに、なんとなく心配やっていうこの種のクレームを
とにかく口にしてしまう浅はかさと、垣間見える稚拙さが
同じ京都に暮らすもとして、恥ずかしい・・・・情けない
陸前高田が放射能汚染地域を外れているという些末の問題ではない。
「震災地」を差別の対象ととらえる狭小な気持ちが情けない。

五山の送り火は、亡くなった人への鎮魂の行事である。花火大会みたいなただの観光行事とは違っている。
たとえ薪に放射能が含まれていたとしても、この国に住むものが
これからの、あるいはこれまでの思いを込めて、送り火にして見送るべき世界的イベントである。
この僕でさえ見入ると荘厳な思いに駆られる。

京都の「大文字保存会」に呼びかけて、震災で亡くなった家族や復興への思いを書いた薪を、
五山の送り火で燃やそうと準備を進めていた人がいる。
薪は陸前高田市内の避難所や旅館などに置き、被災者がメッセージを書き込めるようにした。
話を聞きつけた人たちが市外からも訪れ、400本ほど集まったという。
「いつまでも空の上から家族を見守って下さい」「お袋殿 オヤジと仲良くやってくれよ」。
1本1本に、亡くなった家族の元へ届けたい思いがフェルトペンでつづられている。
「遠くからわざわざ来て『天国に伝えて欲しい』という方もおられたと聞く。
どれもがうちひしがれても、亡き人への思いは誰よりも重く大きい

にもかかわらず、自分に降りかかることを差別とともに、
どういう結果をもたらすか想像もせずに、無責任にクレームとして送ったものが心から情けなく思う。
陸前高田の人たちの心をくだき、復興への思いも表向きでしかないことをさらし
伝統の行事自体を「建前」のもとに、結果として被災地の思いに背くような
無情の行事に塗り替えた罪は大きい

僕もクレーマーやとあえて、自認し自戒をこめて・・・・ちゃんとした裏付けと
ちゃんとした調べもないままに、言えばいいってもんやないこの種の
程度の低い「いちゃもん」は無責任きわまりない恥だと言い切りたい。
自分が「災難」にあわないでよかったぐらいの小さい気持ちぐらいで
この大震災を乗り越えられるはずもない・・・この国を覆う閉塞感、経済の行き詰まり
政治の貧困、それはたとえ離れていて「よかった」などと胸をなで下ろしたところで
自分の足もと、生活そして、自分の家族ですら大きな影響を受けている
誰もがこの震災をある意味で共有しないと、乗り越えようがないことに自覚して
一人一人が戦後を復興させたときの状況に立ち戻れない。
そして、いつかは近い将来に我が身に降りかかる災難をどう考えていいのか
一人一人がみんなが自分のこととして、決して見失ってはいけないと思う。


レンホーさんってば・・・

2011年07月20日 | 震災

何やっても後手後手、すっかり色褪せたレンホウさん・・・
事業仕分けというのは、いっかど勇ましいやり口ではあって、期待持たせたものの、結局は
そうしてみせただけのパフォーマンスに終わっただけの感も強く、言うだけで実行しないことに
国民に気づかれた今となっては、
もう神通力もききそうにないし、今にも崩れ落ちそうな内閣の一員では
「レンホー」の名も昔の名前になりそうです・・・・・・・
彼女もご多分に漏れずに、そこらの政治家と同じように、「なでしこ」にあやかって、ちょっとは
人気取りも考えてか、彼女の「ツィッター」に早速「なでしこ」を褒め称えるメッセージを発信したところ
意に反して、かって事業仕分けで「スポーツ予算」の粛正をやり玉に挙げたことを知っている
多くの人たちから、「おまえが言うな!」と非難囂々の反感を買ってしまったと聞きます。
その中の、まことにウィットがきいて聞こえた一言・・・・

「2位じゃだめなんです!」・・・・・


今、とても気になること・・・

2011年06月27日 | 震災

政治のニュースを見たり聞くたびに、とっても無駄な時間を過ごしてることにいらだってしまう。
たぶん僕以外の誰もがそう思ってるに違いない。

【汚染水】
東電の記者会見のたびに、コメントしている本部長代理とかいう人の
あまりに機械的なコメントは、一方でなんの責任感も感じさせず次々に起こる
「不測」の事態にも淡々と現象を述べるだけで、その言動に世界が注視し
彼らの対応が世界の危機に直面している切迫感を感じさせない・・・そして
それは避難を余儀なくされた人々の心を逆撫でして見える・・・

世界の海を汚すだろう「汚染水」の話は、あのチェルノブイリでさえなかった危機である。
ところがとても気になるのは、「汚染水」の問題が東電のたどたどしい対応とともに
福島原発の敷地内の話にだけ限定されて語られていることだ。
「ホットスポット」とは、近頃急に使い倒されている新しい言葉であるが、話はそれるけど
この国の風習みたいに、危険なこと危機的な場合にパニックを恐れてか、核心に触れることをあえて避けて
なんでいつもこんな観光ガイドに出てきそうなカタカナ言葉にして、危機や危険の本質を曖昧にするんだろう。
原発事故のホットスポットは遠く離れた場所でも放射能の凝縮した場所を指すのだが、
それならば原発周辺の土地や河川はいうに及ばない。しかも梅雨時の雨期に入ってもいる。
循環水のシステムで汚染水の問題を乗り切るなどという話は、原発の敷地内の話に過ぎず
周辺の河川から放射能汚染による海への放流の措置をとっているなどという話を聞いたことがない。
行政も政府もわかっていても実は対応しようがないので、知らん顔しているのか・・・
何もしていないのなら事実上「放射能」汚染は海洋に広がっているのではないのか・・・・
大体いつまでも、これほどの危機を依然として、能力のつきて見える東電ごときに任せきりということこそ
無責任で、事故処理を国の問題として、世界の英知にコストかけても東電以外でやる必要がある
でないと、福島の問題は、東電的企業の対処に終わって、この深刻で人類の犯した危機を
原発敷地内の問題に矮小化されて、世界の汚染が止まらない・・・

【一定のめど】
そもそも一定のめどそのものが、なかなかつけられへんので「やめろ」といわれた人が
「やめる」というたことが、せめても「一定のめど」ぐらいにしとかなあかんわ
確かに誰に変わったところで、なんにも変わらへんやろけど・・・やめる・やめろって
暇に任せて大のオトナががなるのだけはやめにしといてくれといいたい。
ただ、「うるさい」だけ

【羽のない扇風機】
ダイソンの羽のない扇風機、写真やウェブサイトでみたことがあるんやけど
あれ、気になりますわ・・・何で風が吹くんやろ・・・・涼しいっていうんが不思議やね
羽もなくなって、飛びようのない総理は毎日みるけど、ただ暑苦しい・・・

【はんしん】
金本の実績は確かにすごい・・・それは認めるんやけど、「リン」ちゃんは近未来のクリーンアップやろ
記録に縛られへんのなら、「リン」ちゃん使わなあかんやろ・・・昔の名前で、出過ぎなんは
あの日「巨人」がたどった道を「はんしん」が歩いてるように見える
勝あじ覚えたこの頃の阪神ファンやけど、そないなりふり構わんと
勝ったり負けたりはしてほしいない気もするんやけど

【韓流と中華】
明らかにテレビでは、韓国に先を越された・・・品質そのものも・・・貧富差が激しいみたいやけど
それはもうよその国だけの話やなく、日本も同じ・・・「物作り」そのものを
次世代に伝えたかという点で、遅れをとった。テレビもゴルフも
ところで中国の発表した「超特急」・・・あれはどう見ても「新幹線」のまるまるコピー
げに恐ろしい、国家的著作権侵害・・・何でもありやな・・・
誰がみても考えてもベトナム沖の海は「南のシナ海」ちゃうで、あれはベトナム沖やフィリピン沖で
あれを領海といってはばからない中国のやりようは
人口爆発とともにやがて・・・ていうかもうすでに世界の火種になってる
震災で確実におくれをとらされてしまってる。
それがそのまま、この国の不景気を増幅させてしまってる・・・気になる

【節電】
NHKが堂々と、夜をローソクで過ごすことにした家族を取り上げて「節電一家」と持ち上げてた。
あほな・・・って思えた。夜間の電力は明らかに余っている。
ローソクではキケンがアブナイで、火事のもとやし、節電の効果もないのに勘違いも甚だしい
オオサカのハシモトが指摘したのもこの点で
電力ピーク時の昼間2時から5時までの節電をどうするかという一点に節電の意味がある
勘違いの始末は、結果として経済も縮小させるのだろう・・・それを望むのであれば
それはそれで、その程度のちまちま具合では、心許ない・・・

やっぱり政治をまともな連中でやらな、打開策がない・・・
そんなこんなで、できればこの月中にやめた方がええのは、総理ばかりでなく
暇をもてあました国会議員全員でいかがでしょう。
無策のままなら無政府でも同じ意味やし、国会開くたびに一日7億円もかかるんやて
自分でいうなっていいたいけど、節電より節税効果になるし・・・


なにやってねん!・・・政治という名のお粗末

2011年06月21日 | 震災

やめるといってやめないとか・・・やめろといってやめてもらえないとか
やめんと話にのったらへんわとか・・・
ほな、やめたらどうするのか・・・やめるんやったら誰がどうするのかもない
誰も手を挙げないことをええことに、やめないことも、やめるってことが
どういう意味なんかの説明もなんにもない・・・しかもたちの悪いことに
こいつらは全員東京を離れずに、東京の自宅から通って、相も変わらず
くだらん政治ごっこに終始している。それを飽きもせずに取り上げるマスコミもマスコミで
テレビを見るたびに、腹の底から「くだらん!」という声がわき出て
未だにがれきに覆われる被災地の苦しみに思いがいって、その後この国の「オワリ」が見えてきそうな気がする。
何をやらなあかんか・・全くわかってないし
こんなことやってるごとに、無駄な時間が過ぎていく。
這い上がろうとしてる人たちの、我慢してる我々の足を引っ張っている足手まといが政治だという絶望

総理が辞任したら「ひまになる」といってはばからない幹事長がいて
野党面をええことに政局ごっこ以外に何もしていない国会議員がうじゃうじゃしてる。
ついでに、与党にも何にもせずに「ヒマにしてる」のがぎょうさんいるということを示してる。
「やめるといった首相を世界の誰もが相手にしない」「国益を損なう」などという声もある。
一年ごとに首相の首がすげ変わるこの国の総理大臣の話をまともに取り合ってる
海外の首脳などとっくの昔にいないし、世界の誰も日本の首相の名前など知ってはいない。
そもそもそういうのを全く恥じない連中のやってることが信じられずにいる不幸が
止まらない放射能とあふれ出した汚染水とともに、この国を覆っている
国益を損なうというのは、この国にこの程度の与党と野党しかないことだ。
やめて代えたところで結局は同じことやないかにしか思えない。

このリスクも原発と並んで大きい。

福島の原発で、派遣されて働く作業員たちの現状は過酷を極めている。
思えばこの「ハケン」をこの国に生み出したコイズミとタケナカのボタンの掛け違いが
震災のショックをさらに大きくしてしまってもいる。大体これほどの危機、国家的いやすでに世界の危機を
未だに一塊の東電という会社にゆだねていることにあきれ果てる・・・
世界の英知を表に出して、世界中の技術で取り組まないと
もう手の打ちようがなくなってしまう・・・会社の持つ知恵など所詮限界があって、実際東電も
何かをやるたびに起こる問題に追われて、苦し紛れに開き直っても見えたりもする。
これほどの危機の根本を丸投げにしていればこそ、役職がなければ「ヒマになる」と発想するんやろう。
現状では、政治も官僚も誰もそういうことにも責任がないように、困窮を極める被災地に手を打たない
自分が役職を解かれても被災地でやることは、山のようにあるのに・・・「暇にしている」連中にいいたい
即刻東京を出て被災地に住んで被災地に通い、政治が何をすべきかを実践することだ。
せめて「国難」というのなら東京を離れて、復興庁も民主党の本部も自民党の本部も東北に移すことが
町や村ごと避難させられて、大きなリスクを抱えた住民に直接応える手立てだと思うし
政治が示すせめてもの誠意だと思える。
政治が被災したもの、あるいはリスクを負った国民に示すものが
具体的でないのなら、その意味すら感じない・・・今のままでは
政治はまったく機能していないし、誰も頼りになるはずがない


リスク(その危険性)

2011年06月06日 | 震災

2011年3月11日を境に、この国の状況は一変した。
それまではいっこうに上向きにならない経済の不況下にありながらも
まだ「景気回復」などという及びもつかない夢を、口にしていたものだが
そんなのんきな思いは大地震と大津波によって一瞬に打ち砕かれ、今は東北や北関東のみならず
国全体が、暗い雲の下にあって、大きなリスク(不確実な危険性)を抱えることになった。

原発危機
もうまもなく、まるまる3ヶ月を過ぎていながら、未だにその終息の日を全く予感させない。
あけてもくれても他人事のような記者会見では、あきれるほどの問題が明るみに出て
新しい問題が起こるたびに、「モグラたたき」のような応急処理に追われて、
肝心の事故の本質の処理には全く手がつけられない。一般のものも含めて、大方のいわゆる「専門家」の見方に相違ない。
それにつけても、原子力保安院などという役所は、一体何のために存在しているのだろうか・・・
世界に類をみない原発事故とそれを唯一の被爆国で起こしたという事実は計り知れないくらいに深刻だ。
比べられているチェルノブイリの5倍もの原子炉に異常を来しているという危機に際しても、なお
第三者のごとく「東京」で東電の報告のままに、その伝え聞きのままの記者会見をするためにあるのだろうか・・・
あの、「ニシヤマ」という審議官の他人事のような態度に、見える無責任さは
ただ、原子力行政のつじつまあわせを、しどろもどろに説明しているに過ぎない。
彼らこそ、いっかいの東京電力という会社に任せきらずに、原子力行政の担い手を辞任するのであれば、
今すぐ全員が現場に行って危機回避の作業の責任の一端を担ってしかるべきである。
またどうやら「原子力安全委員会」なるものも、実は原子力の安全だけをPRする組織であって、
危機の際には何の役にも立つ存在でもなさそうだ。
東電も保安院も誰もが組織の方をだけ向いていて、勝手に情報を加減しながら、組織のリスクだけを推し量っている。
・・・飛散し続ける放射能のリスクもさることながら、原発危機の責任が
現場の作業に携わるものだけに押しつけている現実がこの国の危機であり、世界にとっての大きなリスクである。

携帯電話の電磁波の発がん性
今頃になって、WHO(世界保健機構)が携帯電話の高周波の電磁波がもたらす脳腫瘍などの発がん性を指摘し
そのリスクを否定できないと発表した。実はこの問題は携帯電話が普及しかけた頃から
とりわけヨーロッパで指摘されていた問題でもある。今になってこの時期の発表には、
「何で今なんやろう?」という思いはあるけれど・・・
実際、高音域の着信音や、耳に入る電話の音の高さが脳に与える刺激自体も決して楽観できない上に
案の定、電磁波と発がんとの関わりは否定できないと公の機関が認めたという事実は決して小さくない。
「スマホ」という持ち運べるパソコンの機能を上回る新しい次世代の「ケイタイ」が大きく市場を拡げて、
ますます携帯電話を離せなくなった現在の人間にとって、重大な指摘だけども
一方で世界中の携帯電話会社や日本の会社は、「心配には及ばない」と会見し発表している。
現在の電磁波の量は抑えていて、耳よりも口元に近いところにアンテナがくるように設計されており
そのリスクは少ないという・・・であるのなら、やっぱり従来の携帯電話にはリスクがあったということであり
念のため携帯の使用はメールを主にして、耳に近づける時間を減らせというのなら、
暗にこのリスクを認めたということである。
近頃の母親は、そうでなくても便利さ故に小さい年頃からケータイを子供たちに与えることが多い。
過敏過ぎるほど、放射能を恐れるのなら身近な危険を子供に押しつけることもやめた方がいい。

トランス脂肪酸

以前にもこの問題はこのブログでも取り上げたけども、日本ではなぜか声が小さい。
製油の過程で異常で不健全な結合で生まれるこの「狂った脂肪酸」と呼ばれる物質は、
脂肪の分子中の炭素と水素の結びつきに変化が生じたものをいい
身体の細胞の細胞膜の中に入り込み、細胞膜及び細胞の働きを狂わせ、
また体内でビタミンなどの栄養物質を食い荒らしたりします。
とりわけコレステロールのバランスを崩し、心臓疾患や心臓病を引きおこす原因となります。
生まれつき心臓などに弱みを持つ者にとっては、危険を増幅させてしまうでしょう。
この悪玉の脂肪酸は、マーガリンやショートニングに用いられている植物性の油の生成品に含まれています。
「植物性」などという、何となく健康にいいいいような響きとうたい文句にだまされて、
動物性の「バター」よりも健康的などと思い込むのはとんでもない話で、
植物油や魚油は、融点(融ける温度)が低い不飽和脂肪酸が多いため、常温では液体でなければなりません。
これに対しラード、ヘッドといった融点の高い動物性の脂肪は常温では固体です。(飽和脂肪酸)
多くのマーガリンの原料は植物油ですが、植物油そのままではあのように固体の硬い脂肪にはなりません。
つまりマーガリンは、自然には、あり得ない製法でこしらえられた「化学反応の落とし物」なのです。
この製造過程で、副産物として生まれるのが「トランス脂肪酸」なのです。
世界ではこれらのものを使って作る食べ物の訴訟が相次ぎ、とりわけマクドナルドやケンタッキーや
日本でいうミスドあたりのファストフードの大きな消費が問題になり、この訴訟に負けたこともあって
現在使用を軽減している現状です。ヨーロッパの市場からはとっくに「マーガリン」は姿を消しているのも実情です。
長生きしたければ、「マーガリン」などというものには手をつけず、バームクーヘンやケーキもほどほどにすべきやし
孫をファストフードに連れて行くのは控えめにしとかなあかんって思います。
ましてや小さい子に生肉のユッケを食べさすなんてのは、論外ですが・・・・

というような様々な大きなリスクを抱え込んだ上に、この国では、政治が「あほ」すぎて話になりません。
「いったかいわなかったか」そんなことは論外で、
現首相と前首相が辞めろとか辞めへんわという話をしたという事実こそが問題で、
それが、またあまりにも幼稚すぎる。・・・どれほど幻滅させられたことか・・・
あんだけ、不信任案に賛成するとテレビの前でいった張本人が本番を欠席をするという姑息さが
政治不信を増幅させた責任を感じないのか、言葉に対する責任など彼らには全くない。
その一方で、暇に任せて、この時期東京くんだりで自分らが推進してきた原発推進の政治もどきがもたらした責任を棚上げして
いっかどそうに、こんな政局ごっこにばっかりに興じていて野党も、
結局、この危機のさなかにゴルフしてて懲罰的に役職を解かれた連中とどう違うのか・・・

何にしても政治にの現状には、期待も信頼もできないので、せめてオザワ、ハトヤマ、カンあたりはゆうに及ばず
何の役にも立たなかったタニガキ、イシハラあたりの二世議員もとっとと国会議員そのものを
辞めることが、この国のいく末にあるリスクの一端を回避できるせめても手立てと思われる。
彼らはその言葉と行動とともに、この国の足かせになっているのに気づきもしていない。
政治は国民の未来を道ふさぎしてるに過ぎない・・・これを政治というのだろうか・・・

3月11日以来、記事に書き込むのはこんなことばっかりでぼやきに終始してしまう。
正直、自分の中に暗い雲がはびこりだした気もする・・・自分がしっかりする以外に
もう手立てはないのに・・・・


私の国の安全神話

2011年04月16日 | 震災

この国を少しの間離れて、この国の方を振り返ると見えてる景色が違っている。
未曾有の国難が大津波として東北や関東の沿岸を襲って
一瞬のうちに家族も家も生活も思い出もすべて、今までの人生ごと
呑み込んで、ぐしゃぐしゃにして蹂躙していった。
残ったものは、気力を振り絞りながらも惨状を前にして、途方に暮れている。
何もないように見える未来は、必死になって探す瓦礫の中に埋もれてはいない。
我々の気持ちを覆うものは、こうした被災者の気持ちに同期していて重たい。

一方海外のメディアは、そうした惨状を心から哀れむと同時に
原発のもたらす地球規模の危機に対して、とりわけ技術立国を標榜してきた
日本という国そのものに疑念を持ち、厳しく注視してやまない。

我々は、原発を中心にした半径20キロやの30キロやのを表す同心円で描かれた
危険地域を何度も見せられて、その円から外れて住むことを不謹慎にも安心の材料としてきた。
考えてみれば水素爆発を繰り返して、めちゃめちゃ壊れた建屋と噴煙をあげながら崩れて思える
原発の事故が、それでも「レベル5」までは行かないという保安院という見たこともない官僚の言葉や
しきりにテレビに登場する「専門家」などという連中の話を鵜呑みにしようとしてきた・・・・
悲惨な映像を目の当たりして疑う思いもどこかにありながらも、「最悪」といわれるのが怖くて信じたかった。
けれども一ケ月たって保安院や原子力安全委員会は、今頃「レベル7」に評価を覆したのだ。
それは、今日に至って深刻さを増したという意味ではない、この事故の内容の評価そのものを
過小評価していたことを、ようやく認めたというお粗末な反省にたってのコメントであり
海外では、汚染水を海に流してしまう以前に、認識されていた事実である。

私たちのありようは、いつも「事なかれ」という思想に支配されている。
「何事もなく・・・」という挨拶は、何もないことこそが第一義であり、責任という「責任」は
自分がとらないで済ませることを責任と考える思いが、どこかにあり
多少真実を曲げても、一員としての立場を守り、迷惑をかけないことが組織に対しての責任だと考える向きがある。
それは子供の頃から植え付けられてきた一つの思いであり
そのために信頼すると言うより信頼したいとついつい思い、安心したいという一心が
時は不条理な理屈や、怪しげな説明までも信じたい思いで人を信じようとする心につながる
もっと言えば、「だまされている」ことの方が、安心できるとさえ思えてくるのだ。
個人としての自立を思う前に、みんなに良く思われたいとおもい、
誰かと比べてみたり、自分がどう思われ、自分の立ち位置ばかりを気にして
自分を作ることの2番目にしてきている。個人の意見や考えは組織や世間の一般論のあとに
位置づけされても見える。たまに個人的見解を述べると押さえつけられて「生意気」な
独りよがりにされるのが常でもある・・・あの人は変わってはると・・・・
変わっているからこそいいという当たり前の論理が通らない

海外では、「Hiroshima,Nagasaki and  Fukushima」と並列して表記もされている。
危機の管理をするときに、たとえ深刻であっても本当に欲しいのは正確な情報とその対処である
ところが、この国から発する情報は常にパニックを恐れて少なく処理されて思える
震災や大津波の直後にパニックにならずに秩序を保ったこの国の人のありようは
確かに賞賛されもしたのだが、一方では操作されて、小さく見積もられた情報に
惑わされているのかもしれない。
海外のメディアでは、事態の深刻さから地震直後にすでに現地に入って観測する
ドイツ気象庁の汚染データとその予報を流し続けている。
一方で我々が知っている地図は風向きが変わろうが地形に変化があろうが
相変わらず、地図上に機械的に描かれた30キロの同心円の危険性を報じていて、そのことを信じてやまない。
ところが、実際は、単にまん丸の円を描いた地図をどこの国も取り上げてもいないのが事実である。
アメリカは、とうにそうした汚染物質の広がりの誤差や危険度を知った上で
原発危機の直後から避難の範囲は50マイル(およそ80キロ)と設定した。それをパニックを恐れてか
しきりに政府は過度な反応として無視をしてきた。
ようやく、今頃になって、同心円以外の村や町までに「避難区域」を設定して広げている。
まんまるの円で描く範囲では意味のないことを認めざるをえなくなったせいである。
これは、下記に示す
ドイツの気象庁の発表している汚染の分布のシミュレーション図にも合致している。
※あくまでもシミュレーションなので、実際の分布とは違っているものだと思うけど
信じたくなくても、最悪のシナリオを見つめて
予報や予測をするのならば、こうした情報に基づいて分析され発表されるべきなのである。

チェルノブイリとは、違うという説明がなされるけども、ここに至っては、にわかにもう信じがたいコメントに聞こえる。
原発の冷却は依然として継続し続けなればならないし、閉じ込めるという段階にも至ってはいない。
一ヶ月を過ぎてなお事態は進行中で改善されることよりはるかに大きな問題が新しく生じてくる現実は
終息の日をこの時点で予測すらさせてもくれていない。
「東京電力」などという一つの会社にゆだねていいほどの危機ではない。
保安院などという組織にいるものの無力が露呈し、彼らは東電の話を聞くより以外の能力を持ち合わせていないことがわかった。
現場で必死の思いで作業を続ける人の努力を伝えることもできていないし、たぶん彼らの安全は
日々大きな危険にさらされていて、事故の責任を一手に押しつけられて過酷な状況は改善されてはいないだろう。
海外のメディア無意味なコメントを言うシンボルとして「なんとか審議官」をとりあげており
その意味で今の日本という国の現実を推し量っている。
海を汚染した事実は地球規模において、非常におおきな危機をもたらした。
もしも他の国がそのような行動に至ったら我々は第三者としてどう反応しただろうか
海の生物は回遊し、汚染物質をより遠くに広げてしまうだろう。同心円どころの規模ではない。

私たちの国は、わずか17年の間に未曾有の震災を二度も経験するほどの危険な区域である
にもかかわらず「オール電化」を標榜してきて、便利をむさぼり必要以上の電気に依存し
無数の原発を沿岸に建設し続けてきた。大小を含めて事故を何度も経験しているのにも関わらず・・・・
広島や長崎とビキニ環礁で3度も被爆してきた事実もありながら、いつの間にか
人類がコントロールできない放射能という絶対の危機に鈍感になってきている。
政治という名の利権を呑み込んで、目をつぶって原発を促進してきた経緯がそこにある
いくつもの反対運動も「便利」や「都合」や「補助金」にかき消され、人類的な危険に耳をふさがれてきた。
原発立地の危険性の度合いは、建設地がもっとも電力をむさぼる大都市を離れて作られている
ということの不条理に正直に現れている

今頃になって、言うのももどかしい。
現政権を批判する自民党も、第三者のようにもっともらしいが、これほどの危機も今回の津波のエリアに
建設された原発は長きにわたって停滞した自民党政権下にもたらされた政策によっている。
官僚は、机上の論理に終始し、何事もないことをこそ第一義に考えていて
実際の危機に無能だと思い知ったし、政府ばかりでなく政治そのものが幼稚であることを実感した。
政治家という人の誰一人として、人間として何かをしなければならないという視点も持ってもいない。

その上でなお、私たちは「安全神話」を信じてきた。信じたいという思いのせいで・・・
給料から税金を天引きされるように、できれば余計なことを何も考えずに何も考えようとせずに
「かしこい」人たちが考えたことを二重にも三重にも安全が担保されているものだと
安心したくて疑念には蓋をしてきた。その大きなツケを支払わされるような現実が国の信用も
信頼も損ねて、津波以上にこの国全体を窮地に追い込んでいる。
海外の現実は想像以上に厳しい、食品どころか工業製品まで車までも
輸入された日本製の商品にガイガーカウンターをあてて、放射線量を量っているのだ。

大津波によってさらわれたものは、かけがえのない命の他にも大きい
自分たちのことを自分たちで考えなければ立て直せないだろう。地震や津波の被害を受けた
被災者ばかりでなく、日本という国そのものが災難の中にある。
あきらめない気持ちは何よりも大切だ。立て直すのは自分たち自身の手でやらなければならないからだ。
そのうえで、失った信用を取り戻すのには
復興にかける時間の数倍がいる。作り上げられた机上の「安全神話」に頼らず
人の言う「安心」に寄りかからず、疲弊した公の力ばかりをあてにせず、
こうした危機の中にあって、何が真実かを自らが見いだし
真実を見つめる目を鍛えて
安心もまた自分が築き上げるという視点を作り上げるという気概がなければ
失われたものを取り戻せない。