膝の痛みと格闘して、つらつら考えては
見るのですが・・・・
この数年、私たちの国にアルものは
安ければそれがいいことなのかという問題です。
それまでは、つまり「コイズミ」的なコトが
始まる前に追い求めていたクオリティ(品質)というもの
ものをよくしようという思いを積み重ねていたし、
物をみる目とか、いい物を作りだそうとしていた発想と
それぞれの努力が今はもう、置き去りにされてしまったというか
もっと言えばそういう考えが否定されたような
気さえするのです。
いっかどわかったような顔をして
コスト削減をお題目に繰り返してた「コイズミ」なるものは
言葉がわかりやすいという評価を得て
受け入れられてはいましたが、結局は
思慮がないという底の浅さと、言葉も単一で
全く説明にかけていたし、人々にビジョンや展望を
示すことなどありませんでした。
今更、「中国」の製品を危険と騒ぐくらいなら
考えてみれば、とにかく安いものを作らせた
のは、明らかに我々だったんだとも思えるのです。
「100っきん」の多くは、そこで作らせ、それを買い込み
それでよしとしてきたのです
「改革」という名の実態は、
「安物」をうみ、安もんで我慢するという方向にしか
働かなかったのがこの数年のありようではありませんか
したがって、政治そのものも薄っぺらく
過去にいたであろう政治家の「器」に匹敵する「大物」も
いなければ、政治家の家に生まれたコトだけで
政治業を家督相続した人の政治が始まり、彼らの言うことは
ありきたりの聞きかじり以外の何もんでもありません。
想像力もなければ、責任感の強さもなく
国民への敬意に大いにかけています。
とても安っぽい・・・・政治とその場しのぎの施策ばかり・・・
安もんを好む経済は、安もんのモラルのない
経済を生み出し、安物を追求し
結局は労働力すらも安さと使い捨てを求め
さらにこのしわ寄せを、次世代に求めて
若い世代に失望感を与えているのではありませんか
技術も物作りも要らない・・・とりあえず、安いことがええことやというように
今私たちの国に次々に起こる問題は
丁寧さや慎重さにかけた問題がその多くをしめています
しかし、年金記録の問題も肉の偽装も
介護の水増しも、ライブドアの粉飾も
断層の上に原発を平気でこしらえた問題も
品質を置き去りにして、適当にその場しのぎでやってきた結果の
ような気がします。「改革」?
進むべき道を示さないかけ声倒れは、結局
「コストの見直し」などといいながら、
実際は安けりゃそれでいい程度のエゴと展望のない場当たり的な
やり方に終始したのです。
国全体の雰囲気がそうなってしまっているのですから・・・
選挙やさかいに、声高に、この国が「成長」するなど
やかましく言ってはおりますが、そんな実感は
正直今のままでは持てません。
捨て去った物の質や量は、この数年の間に大きく
「コイズミ」的な時間が取り返しのつかない
時間に思えるのです。