富田パソコンサークル (Tomita PC Circle)

京都の京丹波町富田の「公民館」をホームに活動するパソコンサークルのブログ。

ニュースの裏側

2007年07月28日 | Weblog
中越沖地震の直後の柏崎刈羽原発の
被害は軽微だという速報から、今は
原発内のうねって、ひずんだ道路を見て感じる不安と、
原子炉自体からの水漏れなど、
それこそ生存すら脅かされそうになった
深刻な破壊、断層の上に建築されている事実

これらの報告にいたる経緯と
日本のトップにある企業の
東京電力の隠蔽体質や、その行動は
企業のエゴだけで、社会的倫理に背を向けて見えます
地元民はおろか、世界中に説得力と責任を欠いています。
これほどの被害と原発の存続はどうなるのでしょうか
果たして、人類は原子力を扱う
資格自体がアルのでしょうか。



アフガンでの「韓国人拉致事件」の卑劣さは
改めて憤りとテロという名の暴力の
深刻さと根深さを浮き彫りにしましたが、
一方で何故、「キリスト教徒」たちのボランティアが
わざわざ戦の絶えないイスラムの地に多くの反対と
イスラム教徒の戸惑いを無視して強引なまでに
立ち入ったのでしょう
起こるべきトラブルであったのではないのですか

理由が明確ではないのですが、
イラクでも感じた異教への侮りと文明への軽視と
ある種の思い上がりが、かいま見えるのです

選挙のことは、さておいて:セキュリティとウィルス対策

2007年07月28日 | パソコン

いっかど分かった顔しているのは実は僕自身でして、
くどくど申し上げましたが、パソコンの話に立ちかえれば
ネットを通して、様々な脅威が
理性や秩序を破壊するように猛威をふるっています。
パソコンの場合のウィルスによる感染は、
例えば個人のデータが破壊されたり、動かなくなるということ
の他に、最近話題になったBot(ボット)のようなスパイウェア
によって、本人がしらぬまに自分のメールアドレスを奪われ
知らん間に多くの人宛にメールを送ったりして
気づかぬ間に乗っ取られているようなケースがあります


たちの悪いことに、ウィルス感染は、自覚出来ないまま
自分のパソコンによって、「迷惑」や「有害」などの悪事に
加担してる場合が多いのです。


これらに対抗するためには、それぞれのパソコンに、
セキュリティという自己防衛策とウィルス対策が必要不可避な現状です。

それらは、Windowsに搭載されたというセキュリティ機能だけでは
実際問題対応できません。
マイクロソフト社の対応は、全く新手のウィルスにさえ
後手後手のその場しのぎになっている有様です。

華々しく登場した Vistaも革新的な技術をうたいながら
必要以上に重装備されたセキュリティ機能は、
実情では、動作の重さの余り
次々と問題を生じています。
鎧を着て、水泳しているようなもので
パソコン自体が動きにくいという本末転倒な現状が見て取れます。


そこで自己防衛策ですが、 2014年までは、
サポートの約束されたXPは「SP2」にとにかく移行しておく必要があります

「サービスパック2」という無償のバージョンアップで
OSのセキュリティ機能をアップさせたものです。
XPの登場からコレまでに生じた問題も
いくつか修正が加えられているのです。


次にウィルス対策ソフトや、セキュリティ一体型ソフトの導入です。

コレまでは、この国のセキュリティソフトはノートンとウィルスバスター
それにマカフィーという 3強が半ば独占的にシェアを競ってきましたが
完全防御をほこっていたはずの「価格.com」のセキュリティが
破られたり、不具合を指摘されて
様変わりが始まっています。

これらの3強の最大のデメリットは、そのソフトが
支配的でパソコンの動作に影響を与えているという
コトでしょうか・・・・

前述のセキュリティがいとも簡単に破られたという事実をうけて、
後発のソフトは、軽さと低価格を売りに3強のシェアを
崩し始めています。

NOD32,カスペルスキー、ウィルスゼロ、キングソフトなど
枚挙にいとまがありません。

これからは、軽さと機動性がセキュリティ選びの基準となるのでしょう
そして、何よりウィルス定義の更新と
ソフト自体の更新期限の問題です。
売値が安く見えても、結局毎年更新料が必要となれば
何が安いのか・・・・それが本当に安いのかはわかりません。

前の記事の続きみたいになりますが
「安さ」ばかりがいいのではありませんが、
セキュリティソフトの導入にあたっては、
ソフトの使用期限が設定されている特別な事情から
使用に関わる「コスト」は大きな要素です

単体の購入もあれば、数台のパソコンに使用が出来る
「ライセンス版」の共同購入という手も一つの選択肢です

いずれにしても、買ったパソコンに
さらにセキュリティというコストが毎年かかるんだという
実情を認識ください。 


雨ニモアテズ:豊かであるということは・・・

2007年07月28日 | Weblog

カナダにいる友人から、日本の記事が
送られてきました・・・・

国の行き先を見つめる選挙を前のこの時期に、
歩き続けてた足が止まるように、
この記事に思い知らされました。

 雨ニモアテズ 風ニモアテズ

 雪ニモ 夏ノ暑サニモアテズ

 ブヨブヨノ体ニ タクサン着コミ

 意欲モナク 体力モナク

 イツモブツブツ 不満ヲイッテイル

 毎日塾ニ追ワレ テレビニ吸イツイテ 遊バズ

 朝カラ アクビヲシ  集会ガアレバ 貧血ヲオコシ

 アラユルコトヲ 自分ノタメダケ考エテカエリミズ

 作業ハグズグズ 注意散漫スグニアキ ソシテスグ忘レ

 リッパナ家ノ 自分ノ部屋ニトジコモッテイテ

 東ニ病人アレバ 医者ガ悪イトイイ

 西ニ疲レタ母アレバ 養老院ニ行ケトイイ

 南ニ死ニソウナ人アレバ 寿命ダトイイ

 北ニケンカヤ訴訟(裁判)ガアレバ ナガメテカカワラズ

 日照リノトキハ 冷房ヲツケ

 ミンナニ 勉強勉強トイワレ

 叱ラレモセズ コワイモノモシラズ

 コンナ現代ッ子ニ ダレガシタ


記事  知ってる?現代っ子「雨ニモアテズ」


 

リンゴの皮を丁寧にむくように
あらかじめ出来るだけの「危険」を避けて
子供達に何もかもをわけ与えて続けて来ました
彼らが望めば、何よりも先に誰よりも前に・・・

痛いという思いをさせることなく、つまずくコトを恐れて
彼らの行く手の小石は出来るだけ取り払い
甘やかせるだけ甘やかして来た
それが僕らの世代のやり方では
ないのかと・・・今思える


そのくせ、私たちの子供の世代やそのまた次世代に
渡すべき社会の有様は、非常に狭い選択肢と
希望などという美辞美麗のかけらもない
行き詰まった世の中に映ってしまう


しかし、何もかも与え続けてお節介に
世話焼き続けて
「おとな」にしてあげた世代には
免疫も抵抗力もあろうはずがありません。
まして、人の痛みまでわかるはずもなく
「克服する」という術を知ることもありません。
子供を責める前に、ここにいる自分たちのしてきたこと
出来なかったコトに思いが至ります。


その遠くの方で、さらにむなしく
この期に及んで「美しい国」などという
ピントはずれな、言葉が繰り返されているのです。


物が豊かにあふれるコトに目がいって
心が豊かであることを
その反対側に置き去りにしてきたような
気がしてなりません。



安いことがいいことなのか

2007年07月28日 | Weblog
膝の痛みと格闘して、つらつら考えては
見るのですが・・・・
この数年、私たちの国にアルものは
安ければそれがいいことなのかという問題です。
それまでは、つまり「コイズミ」的なコトが
始まる前に追い求めていたクオリティ(品質)というもの
ものをよくしようという思いを積み重ねていたし、
物をみる目とか、いい物を作りだそうとしていた発想と
それぞれの努力が今はもう、置き去りにされてしまったというか
もっと言えばそういう考えが否定されたような
気さえするのです。

いっかどわかったような顔をして
コスト削減をお題目に繰り返してた「コイズミ」なるものは
言葉がわかりやすいという評価を得て
受け入れられてはいましたが、結局は
思慮がないという底の浅さと、言葉も単一で
全く説明にかけていたし、人々にビジョンや展望を
示すことなどありませんでした。

今更、「中国」の製品を危険と騒ぐくらいなら
考えてみれば、とにかく安いものを作らせた
のは、明らかに我々だったんだとも思えるのです。

「100っきん」の多くは、そこで作らせ、それを買い込み
それでよしとしてきたのです

「改革」という名の実態は、
「安物」をうみ、安もんで我慢するという方向にしか
働かなかったのがこの数年のありようではありませんか

したがって、政治そのものも薄っぺらく
過去にいたであろう政治家の「器」に匹敵する「大物」も
いなければ、政治家の家に生まれたコトだけで
政治業を家督相続した人の政治が始まり、彼らの言うことは
ありきたりの聞きかじり以外の何もんでもありません。
想像力もなければ、責任感の強さもなく
国民への敬意に大いにかけています。
とても安っぽい・・・・政治とその場しのぎの施策ばかり・・・

安もんを好む経済は、安もんのモラルのない
経済を生み出し、安物を追求し
結局は労働力すらも安さと使い捨てを求め
さらにこのしわ寄せを、次世代に求めて
若い世代に失望感を与えているのではありませんか

技術も物作りも要らない・・・とりあえず、安いことがええことやというように

今私たちの国に次々に起こる問題は
丁寧さや慎重さにかけた問題がその多くをしめています
しかし、年金記録の問題も肉の偽装も
介護の水増しも、ライブドアの粉飾も
断層の上に原発を平気でこしらえた問題も
品質を置き去りにして、適当にその場しのぎでやってきた結果の
ような気がします。「改革」?
進むべき道を示さないかけ声倒れは、結局
「コストの見直し」などといいながら、
実際は安けりゃそれでいい程度のエゴと展望のない場当たり的な
やり方に終始したのです。

国全体の雰囲気がそうなってしまっているのですから・・・

選挙やさかいに、声高に、この国が「成長」するなど
やかましく言ってはおりますが、そんな実感は
正直今のままでは持てません。

捨て去った物の質や量は、この数年の間に大きく
「コイズミ」的な時間が取り返しのつかない
時間に思えるのです。