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2019年5月18日(土)ドモルネ神父様御説教 “Ecce” “Fiat” “Magnificat”

2019年06月18日 | お説教・霊的講話
2019年5月18日(土)殉教者聖ヴェナンチオのミサ ドモルネ神父様御説教
同時通訳:東京信徒会長

今日は、小野田神父様から短い御説教をするようにお願いされました。ですから、これから致します。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

今日は土曜日ですので、皆さん御存知の通り、土曜日というのは聖母マリア様に捧げられた日ですので、聖母マリア様の聖性について少しお話ししたいと思います。

私たちは天主様によって創られましたけれども、それは永遠に生きる為、それから永遠の幸福を享受する為に創られました。これが私たちの言う、「天国に行く」という意味です。

ただ、天国に行く為には、完全でなくてはいけません。「完全」というのは、「罪の無い状態」で「成聖の状態」にあるという事です。

この「罪から逃れている」という事は、原罪の頃から私たち人間にはできない事となりました。例えば知性ですとか、意志ですとか、情欲に負けるという事なので、これは私たちに天主様の助け無しにはできない事になっています。

それから、「天主様と一緒に永遠の平和になる」という事なのですが、これは私たち人間の性質からできる事ではありません。天主様は御自身で存在しておられますけれども、私たちは創られてのみ存在しています。天主様の生きておられる「生」というのは、私たち人間が何歳まで生きたというその「生」とは、全然違う性質のものです。ですから、私たちが天主様とその「生」を一緒にするというのは、私たちができる事ではなくて、天主様が私たちにそれを分けて下さらないと、できる事ではありません。

ですから、この「成聖への道」というのは、基本的には天主様が私たちに働きかけて下さるという事になります。ですから「聖人になる」という事なのですが、一体どうすれば良いのでしょうか?

私たちは何をしなければいけないかと言うと、「私たちの中に働いている天主様の働きに、共同で参加する」という事をしなくてはいけません。ですから別の言葉で言いますと、天主様が私たちを聖化して下さる、というのに同意して、協力しなくてはいけません。

では、その天主様が私たちの霊魂の中で行なって下さる事に協力して、一緒にする、という事は一体具体的にどうすれば良いのでしょうか?

それはどうしたら良いかと言うと、「聖母マリア様のなさった事、教えて下さる事を真似する」という事です。福音の中には、聖母マリア様が話された言葉で、三語なのですけれども、「天主様のなさるようにして下さい」という言葉が記録されています。この三語というのは、指示でもありますし、モットーでもありますし、戦争の時に「行くぞ!」という勝利の宣言でもあります。

・“Ecce”
・“Fiat”
・“Magnificat”

“Ecce”“Ecce ancilla Domini”「我は主の婢女なり」という言葉と、
“Fiat”“Fiat mihi secundum verbum tuum”「こうなりますように(仰せの如く我になれかし)」という言葉と、
“Magnificat”“Magnificat anima mea Dominum”「私は天主の働きを讃美します(我が魂は主を崇め奉る)」

この三語です。


“Ecce”というのは、「見て下さい。天主様に自分を捧げる」という事です。例えば体ですとか精神ですとか、自分の持っているもの全てを捧げるという事です。この“Ecce”というのは、私たちが天主様に全部自分の、先ほど言ったような体とか精神とかを捧げる事ですけれども、制限なしに、それは利己的な事なしに、「元々天主様のものですから、お返しします」という意味で捧げる、という事です。

“Ecce”と言う事によって、「天主様が準備していらっしゃるものは、何でもそのまま受け入れます」という宣言です。この“Ecce”という言葉の元にあるのが、「謙遜の心」です。


“Fiat”というのは、それに続いてEcceに続いて、「こうなりますように」という事ですから、「天主様の意志が、そういう風になりますように」という事です。

Ecceという言葉で、私たちが「天主様に捧げます」という事ですけれども、“Fiat”というのは、その後で私たちが、「天主の御意志をそのまま受け入れます。受け入れる準備があります」という言葉です。

“Fiat”というのは具体的には、「そうなりますように」というのは何かというと、1つには、「天主様の意志が何であるかというのを分かる」という事です。そして「それを喜んで受け入れて」、「それをすぐに行なう」というこの3点です。

こういう天主様の御意志がどうやって私たちに伝わるかと言うと、十戒もそうですけれども、私たちの身分に従った義務、それから人生の間に起こるような色々なイベントによって、楽しい事も楽しくない事も、天主様からの意志が私たちに伝わってきます。

天主様の事を受け入れる、という事ですけれども、私たちの事を天主様が愛していらっしゃる、それから私たちが天国に行く事を望んでいらっしゃる、というのが福音にもありますし、これは非常に明らかな事です。

また、私たちが“Fiat“と言って、「その天主様の仰る事は何でも受け入れます」という時には、なぜそうするかというと、「天主様は無限に賢い、賢明な方でありますので、私たちの為になる事をして下さる」という事を知っているからです。

それからもう一つ、“Fiat”と言って、私たちが「そのようになりますように」と言う時は、その私たちがそれをできる理由は、「天主様が私たちに、その内的な力を下さる」という事を知っているからです。

ですからこの“Fiat”というその元にあるのは、「天主様の力、知性、良さを信じている」という事にあります。


それから三つ目の“Magnificat”というのは、「天主様に栄光がありますように」という事ですけれども、これは私たちの心の持ちようの事で、「どんな事が起こっても、いつもそう考えている」という心の持ちようの事でもあります。

例えば、私たちがここに存在しているというのは、天主様の贈り物です。それから、毎日生活している、というのも天主様の贈り物です。私たちが天国に行ける、というのも、イエズス様が来て、地上に来て、十字架に架かって下さった、というのも全て、天主様の贈り物という事になります。

ただ一つ、天主様が私たちに下さらないものというのがありまして、これは「天主様の栄光」というのは、私たちに下さるものではありません。ですから、私たちにこんな素晴らしい事を天主様がして下さったのですけれども、その“Magnificat”という事で、「天主様に栄光がありますように」と言うのは、天主様に栄光をお返しして、私たちに慢心が起こらないように、誇りが起こらないように、という意味があります。


ですから私たちは天国に行きたいのですけれども、その為には天主様が私たちにして下さる働きに協力していかなくてはなりません。そしてその一番具体的な方法は、このマリア様が仰った“Ecce”と“Fiat”と“Magnificat”の三つの言葉を実行している、という事にあります。

ですからこの御ミサの間は、聖母マリア様が私たちにこの三つの言葉、聖母マリア様の言葉を深く私たちが理解できて、それを実行する事ができるようにお祈り致しましょう。ですからこの地上でこの三つの言葉を私たちが何度も言って、遂には天国で、マリア様と一緒にこの言葉が言えるようになりましょう。


聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。



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