Credidimus Caritati 私たちは天主の愛を信じた

聖ヨゼフ、我らの為に祈り給え! 聖ヨゼフの特別聖年(2020年12月8日〜2021年12月8日)

ヴィガノ・テープ質問4と5「2007年にベネディクト十六世が教会に復活させた聖伝の典礼を廃止するという決定は他と関係のない出来事ではなく、より広い視野に立って考えなければなりません。」

2021年10月19日 | カトリック・ニュースなど

【参考情報】ヴィガノ大司教(ビガノ大司教)は、カトリック教会の大司教でバチカンの高位聖職者で、在アメリカ合衆国の教皇大使も務めました。聖ピオ十世会の大司教ではありません。ヴィガノ大司教は、インサイド・ザ・バチカン誌の編集長(これは聖ピオ十世会の雑誌ではありません)のインタビューに答えています。ヴィガノ大司教の言葉は厳しいものです。フランシスコ教皇が私たちに求めているパレーシア(はっきり言う)を実践していると理解しています。愛する兄弟姉妹の皆様に参考情報を提供するというためだけにご紹介いたします。

ヴィガノ・テープ:教令「トラディティオーニス・クストーデス」
質問4

The Vigano Tapes : The Decree Traditionis Custodes
Question #4

【質問4】最近の教皇の教令「トラディティオーニス・クストーデス」(Traditionis Custodes、聖伝の守護者)は、世界レベルで起きていることとどのように関連しているとお考えですか? 言い換えれば、教皇フランシスコは7月16日に、千年以上の歴史を持つ教会の古い典礼を取り消すという、驚くべき予想外の教令を発表して、こう言っています。「私たちはこれから、唯一の典礼、1960年代に書かれ、導入された典礼を持つべきです」と。多くのカトリック信者は、古い典礼との深いつながりを持っているため、心を痛めました。大司教様は、教皇フランシスコのこの決定と、グレート・リセットにおける、この新世界秩序に教会が味方する準備をしていることとの間には関連性があると考えておられます。教会の祈りがグレート・リセットとどのように関係しているのか、説明していただけますか? 大司教様のご意見では、最近の自発教令「トラディティオーニス・クストーデス」は、世界レベルで起こっていることの文脈にどのように適合しますか?

【回答】2007年にベネディクト十六世が教会に復活させた聖伝の典礼を廃止するという決定は、他と関係のない出来事ではなく、より広い視野に立って考えなければなりません。ベルゴリオは二つの戦線で行動しています。一つはイデオロギー的な戦線であり、新しい公会議の道の失敗に関する反対意見の表明を防ぎたいというものです。もう一つは霊的な戦線であり、ミサの聖なる犠牲という客観的な善が広まるのを防ぐことを目的とするものですが、その理由は、このミサが新世界秩序(Novus Ordo Sæculorum)、つまり反キリストの支配の確立に対する恐るべき障害物だとみなす人々を支持するためです。

ベルゴリオが自分の決断がもたらす結果を明確に理解していない、とは思えませんし、教会から使徒継承のミサを奪うことが、キリストの敵と悪魔自身への援助であることを理解していない、とも思えません。それはあたかも、戦闘の真っ最中の師団長が兵士にパチンコで戦車と戦えと命令するようなもので、敵に勝利することのできるであろう最も効果的な武器を捨てることなってしまうでしょう。

私は、聖伝のミサという問題が、単に典礼に関する意見の相違ではないことを、信者や多くの司祭、一部の司教が理解し始めていると確信しています。そういうわけで、彼らが疑問に思っていることは、ベルゴリオが千年以上前の神聖な典礼に対してこれほど激しい怒りを示すことは、それを自分が支持するグローバリストの計画の実現への脅威とみなしていない限り、あり得ないのではないか、ということです。天主の恩寵により、教会の運命はこのアルゼンチン人の手中にはありません。すでに彼の遺骸の上を、バチカンのハゲタカは飛び回っています。

ヴィガノ・テープ:「袋小路に陥る」
質問5

The Vigano Tapes: “Trapped in an Impasse”
Question #5

【質問5】ヴィガノ大司教様、大司教様は、典礼を変更し、古い典礼を廃止するという決定が、この全面的な危機と新世界秩序に関係があるとおっしゃっています。教会の外にいる人々によって組織された計画に、教会がますます適応しているように見える状況に対して、教会の中の人々はどのような反応をすべきでしょうか? 市民や信者の反応はどうあるべきでしょうか?

【回答】私たちは、袋小路、行き止まりに陥っており、それが何なのかを認識しない限り、それから抜け出すことはできません。もし私たちが、現在の危機が、あたかも相対的に正常な状態にあるかのように、世俗的あるいは宗教的な権威に訴えることで解決できると考えるならば、この危機の責任が、まさに権威を持つ人々が実行した裏切りにあることを、私たちは理解しないでいるということになります。

私たちの権利を侵害した人々を断罪すべき裁判官が彼らの共犯者であるならば、私たちは自分が苦しめられた不正行為に対する正義を求めることはできません。政治家らが、自分にお金を出したり、自分を脅迫したりする人々に従っているせいで、議会でこれらの侵害に有利に投票しているならば、私たちは、政治家に頼んで、私たちの基本的な自由の侵害を取り除いてくれることを期待することはできません。また、司教たちやバチカンが、私たちの要請を自分たちの持つ権力や擁護する破綻したイデオロギーに対する脅威と考えているのであれば、私たちは司教たちや、ましてや聖座に、信者の権利を守るように求めることはできません。


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