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グァダルーペの聖母マリアについて(1) 1531年12月9日土曜日の朝

2021年12月12日 | カトリックとは
アヴェ・マリア!

愛する兄弟姉妹の皆様、

 グァダルーペの聖母マリアについてご紹介します。
***
 アメリカ大陸は、カトリックによって「発見」され植民化され、カトリックの殉教の血が流された。【アイスランドのカトリックであるレイフ・エリクソン Leif Eriksson は、西暦1000年頃グリーンランド経由でアメリカ大陸に到達していた、葡萄酒がよくとれると言うことで、Vinland と名付けられていた。Où est le Vinland?

 聖母マリアは、ルルドでベルナデッタ・スビルーにフランスの方言で「私は無原罪の御宿りです」と言う377年前に、すでにアメリカ大陸で聖母マリアはアステカ族の寡夫にナワトル語(Nahuatl)で「私は完全で終生童貞聖マリア、真の天主の母です」と語られた。

 クアウトラトフアック(Cuauhtlatohuac -- これはアステカの言葉ナワトル語で、その意味は「鷲のように話す者」)は、1524年、フアン・ディエゴ(Juan Diego -- これはスペイン語で意味はヨハネ・ヤコボ)の霊名で洗礼を受けた。まさに、使徒聖ヨハネは、鷹にたとえられているが、「鷹のように話す者」はヨハネの名を受けた。何故なら、黙示録の子供を産む同じ婦人を、フアン・ディエゴは黙示録的な印において見るように選ばれていたからである。

 1531年12月9日土曜日の朝、無原罪の御宿りの八日間の第一日目、ヌエバ・エスパーニャの最初の宣教師たちであったフランシスコ会のあったトラルテロルコ(Tlatelolco あるいは Tlatilolco)の教会でミサ聖祭に与るところであった。

 フアン・ディエゴの住む村クアウティトランから、テノクティトラン(現在のメキシコ・シティ)の北にあるトラルテロルコまで 25kmの距離があった。その日、彼がテペヤックの丘の側を通り過ぎたとき、丘の上でさまざまの鳥の歌のような音楽を聴いた。

「フアンさん、フアン・ディエゴさん!」
 厳しい声ではなく、とても優しい愛に満ちた母親の声で、テペヤックの丘の上から呼びかけられた。ナワトル語で "Juantzin, Juan Diegotzin" と。

 ナワトル語の接尾語 "-tzin" は、敬意と愛情のこもった礼儀正しいニュアンスがある。天は、現代に入りつつあるこの地に向かってアステカの言葉で話しかけた。

「さあ聞きなさい、私の小さな子供、フアンさん、どこに行くのですか?」
 Tlaxiccaqui noxocoyouh Juantzin, campa in timohuica.

 フアン・ディエゴはその若き女性の美しさにとらえられ、こう答えた。

「私の主人、女王よ、私のお嬢様よ、私は、メヒコ・トラティロルコにあるあなたの小さな家にまで行くところです。私たちの主の似姿である私たちの司祭たちによって私たちに与えられ、教えられている、天主を天主とすることに従うためにです。」

Notecuiyoé Cihuapillé, Nochpochtziné, ca ompa nonaciz mochantzinco Mexico Tlatilolco, nocontepotztoca in teoyotl, in techmomaquilia, in techmomachtilia in ixiptlahuan in Tlacatl in Totecuiyo, in toteopixcahuan.

 するとこの女性はフアン・ディエゴにこう言うのです。

「このことを知って、正しく理解しなさい、私の小さな子供よ、
私は完全な終生童貞聖マリア、
命を与える真の天主、全てのものの造り主、天と地との所有主、私たちのもっとも近くにいる主の母です。私は、ここに私の小さな teocalli を作ってくれることをとても望んでいます。」


Maxicmatti, ma huel yuh ye in moyollo, noxocoyouh, ca nehuatl in nicenquizca cemicac Ichpochtli Sancta Maria, in Inantzin in huel nelli Teotl Dios, in Ipalnemohuani, in Teyocoyani, in Tloque Nahuaque, in Ilhuicahua, in Tlalticpaque. Huel nicnequi, cenca niquelehuia inic nican nechquechilizque noteocaltzin,

 ナワトル語の teocalli は、teotl (神) と calli (家) とから合成された単語「神の家」のことである。聖母マリアは、私の[ために](no-)小さな teocalli(=teocaltzin)を建ててほしいとお望みになった。かわいい、ちいさな、という意味の -tzin がついている。

【参考資料】有名なナワトル語の「報告書(Nican Mopohua)」の英語訳はここにあります。
 グァダルーペの聖母マリアとフアン・ディエゴとの対話は、«Nican Mopohua»のお陰で私たちにまで伝わった。これはアントニオ・バレリアノ(Antonio Valeriano)というアステカ皇帝の甥によって1540年頃に書かれた。アントニオ・バレリアノは、1520年生まれで、フアン・ディエゴに御出現があったときには11歳の少年であり、フアン・ディエゴが死んだときには28歳だった。すでに16歳の時、トラテロルコのフランシスコ会運営のサンタ・クルス校でスペイン語とラテン語を習得し、フアン・ディエゴの証言をナワトル語で記録するときには、アルファベットを使用した。バレリアノは、後に同校の教授、次に副校長となった。更にメヒコの裁判官と総督を35年務め、1605年に85歳で亡くなっている。

 「報告書(Nican Mopohua)」のナワトル語とスペイン語の対訳はここにあります。

「そこ(私の小さな teocalli)で、私は彼(命を与える真の天主、全てのものの造り主、天と地との所有主、私たちのもっとも近くにいる主)を見せましょう。私は彼を高め、私が持つ愛によって、私の憐れみの眼差しによって、私の助けによって、私の救いによって、彼を人々に与えましょう。

in oncan nicnextiz, nicpantlazaz. Nictemacaz in ixquich notetlazotlaliz, noteicnoitlaliz, in notepalehuiliz, in notemanahuiliz,

【ナワトル語で Nic- という接頭辞は「私は~するでしょう」、 Note- という接頭辞は「私の~によって」という意味になるようです。】

「私は本当にあなたたちの憐れみの母です。私はあなたの、そしてこの地に一緒に住むあなたたち全ての母であり、私を愛する他の人々の、私に叫ぶ人々、私を求める人々、私に信頼する人々の母です。」

Ca nel nehuatl in namoicnohuacanantzin, in tehuatl ihuan in ixquichtin in ic nican tlalpan ancepantlaca, ihuan in occequin nepapantlaca, notetlazotlacahuan, in notech motzatzilia, in nechtemoa, in notech motemachilia,

「その場所で、私は彼らの嘆きを、彼らの悲しみを、聞きましょう、彼らの全ての苦しみと哀れさと苦悩とを癒し、清め、養うために。
私の憐れみがなされ働くために、メヒコの司教の家に行って、私がどのようにしてあなたを遣わしたかを告げなさい。それは彼がここに私のために teocalli を建てることを私がどれほど望んでいるかを、あなたが彼に知らせるためです。あなたは全てを彼に言いなさい、あなたが見て感嘆したこと、あなたは聞いたことを全て伝えなさい。」


ca oncan niquincaquiliz in inchoquiz, in intlaocol, inic nicyectiliz nicpatiz in ixquich nepapan innetoliniliz, intonehuiz, inchichinaquiliz. Auh inic huelneltiz in nicnemilia in noteicnoittaliz ma xiauh in ompa in itecpanchan in Mexico Obispo, auh tiquilhuiz in quenin nehua nimitztitlani inic tiquixpantiz in quenin huel cenca niquelehuia inic nican nechcalti, nechquechili in ipan in tlalmantli noteocal; huel moch ticpohuiliz in ixquich in otiquittac, oticmahuizo, ihuan in tlein oticcac.

「私はそのことに大変感謝するでしょうし、お礼をすることをよく知りなさい。そのために、私はあなたを豊かにし名誉を与えましょう。そのために、私があなたたちを遣わすそのことをお願いをしにゆく、あなたの疲労、あなたの奉仕に、私が報いるそのやり方にあなたは相応しいものとなるでしょう。さあ、私のいとも愛しい子よ、私の言った言葉を聞きました。行って、自分のなすべきことをしなさい。」

Auh ma yuh ye in moyollo ca huel nictlazocamattiz, auh ca niquixtlahuaz ca ic nimitzcuiltonoz, nimitztlamachtiz, ihuan miec oncan ticmacehuaic niccuepcayotiin mociahuiliz, in motequipanoliin ic ticnemilitiuh in tlein nimitztitlani.
Ocayeoticcac, noxocoyouh, in niiyo, in notlatol; ma ximohuicatiuh, ma ixquich motlapal xicmochihuili.

 すでにスペインの女王イサベラはコロンブスのアメリカ大陸発見の直後から、アメリカ・インディアンたちはイベリア半島に生まれたスペイン人たちと同等の臣下であると宣言し、彼らを奴隷にすることを厳禁した。

 イサベラ女王は、最初にスペインに連れてこられたインディアンたちを保護して解放した(そのうちの一人は有名なラス・カサス神父様が連れてきたインディアンだった)。教皇パウロ三世も、1537年に大勅令 Sublimis Deus を発布し、インディアンたちの救霊を訴えた。1542年、カルロ五世はインディアンたちが王国の自由民であるこという法を発布した。

 そして1531年にはすでに聖母マリアは、アメリンディアンたちに、ご自分を憐れみ深い母親であると語りかけていた。
(続く)

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