クロマメノキが熟していました。
ブルーベリーの原種といわれています。
このあと、食べましたが甘くて美味しかったです。
オオヒョウタンボクの実です。
花は2個並んで咲きます。
きれいなヒョウタンのような形をしています。
小屋が見えてきました。
キオンです。
紫色のシオンに対して黄色いのでこのように呼ばれています。
シシウドの花後です。
手前の花はゴマナです。
何度も振り返ってみました。
右の焼岳が噴火したように見えますが、雲のいたずらでした。
沢の上部です。
雪渓が幾らか残っています。
タテヤマアザミです。
北アルプスでもある限られたところにだけ分布しています。
花の苞が反り返り、花も横向きに咲きます。
ユキザサも赤い実をつけていました。
葉っぱもこれから黄色く色づきます。
鯉のぼりが出迎えてくれました。
岳沢小屋に到着です。
上高地のバスターミナルから約3時間の歩きでした。
この小屋には2011年10月に宿泊しています。
この食堂はその時のままです。
テラスから上高地がよく見えます。
ここで「ビールを・・・」と思ったのですが、寒過ぎでした。
建物の中で乾杯でした。
奥にもテーブルがあります。
この岳沢小屋は2006年の大雪で壊れてしまい、しばらくはそのままでしたが、
2010年に再建されました。
昔は岳沢ヒュッテと呼んでいましたが、再建後は岳沢小屋と呼んでいます。
きれいな談話室もあります。
部屋は個室になっていて5名で一部屋でした。
布団1枚でゆっくりすることができました。
夕食です。
アジフライもアツアツでした。
この日の宿泊者は我々以外に数名いただけでした。
大きな岩に方向が表示されています。
ここから天狗のコルを通って奥穂高岳に行くこともできます。
かなりハードなコースのようです。
意外とたくさんの花が残っていました。
花をみると心が癒されます。
台風が心配です。
大きな被害がないことを祈っています。
毎日ニュースを見ていたましいです。
山のことは何も知らない者ですが、
御嶽山が3000メートル以上ある山という
こともいままで知りませんでした。
今度は台風が近づいて来ていますね。
また心配です。
気の毒です。
突然の災難なので慰めの言葉もありません。
お心遣い、ありがとうございました。
どの花もきれいでした。
野菜などもたっぷり入っていました。
キヌガサソウが咲いていた時期は
夏ですね。
この時期はもう終わっていました。
**御嶽山で犠牲に成られた.松本市の方は.64歳でした.
山仲間と.涙の別れ.****
写真を撮るのが好きで.美ヶ原や.冬山の写真を撮りに.
出掛けていたそうです.山や自然を愛しての方です.
諦めての言葉で.家族は.好きな山で最期を迎えられて.
幸せだったのかな..紙面です~..
( 御嶽山噴火~.毎日.山小屋さんの事が頭に浮かんで)
ベテランの山小屋さん.山は時として..怖いですね.
<余計な事ばかりでゴメンなさい>
読ませていただきました。
お食事もとっても美味しそうですし
くつろげそうなお宿ですね♪
クロマメノキ、ブルーベリーも好きなので
思わず、注目してしまいました。
自然の甘みに癒されそうですね(#^^#)
今日のお花たちは、どれもこれも可愛らしい。
そして、山の中でこんな風にもてなしてくださる
小屋のみなさんに感謝ですね。ご飯美味しそうです。
いつも暖かいコメントと応援ありがとうございます。
ヘボの大好物なんだ^^
下山で通った道だけど・・・無関心だった^^
岳沢小屋・・中には入らなかったけど・・
景色を眺めながら昼食の弁当を食べました。
キヌガサソウウの群落が咲いていました。
仲間にも教えてあげました。
東名を走っています。
今日は箱根の山を歩く予定です。
富士山は頭に雲がかかっていました。
花や果実の名前をよくご存知で、登山がさらに楽しくなりますね。
きれいに改修されていました。
新宿から高速バスで御殿場に向かっています。
今日は箱根の山を歩いてきます。
素晴らしい晴天です。
ここまで雨に降られなくてよかったです。
昔、ペットボトルの水を捨てて詰めて
帰ったことがあります。
この日は個室でゆっくりできました。
こちらは上高地から3時間で行けるのですね。
いい季節だったようですね。
ここまででいいから行ってみたいです。
なかなか綺麗な環境の岳沢小屋ですね。
夕食も美味しそうです。
歩いてきた後の一杯がまた良いでしょうね。
真赤な可愛いオオヒョウタンボクは初めて見ます。
だったら花にはヘボが来るんじゃないかなあ?
これだけ高いと普通のヘボはじゃなく黄色いヘボ「キオビクロスズメバチ」ヘボの貴婦人です。
主に標高1300m以上に生息しているそうですが未だ見た事が有りません。
ヒョウタンボクの実は見事にひょうたんですね。キレイ!
鯵のフライには目が無いんですよ
前の小屋の創建者の、上条岳人が、前回の再建中に、事故死しました。
無念だったと思います。
岳人は、遠い親戚だったのですが。
毎年、5月のウエストン祭りには、出席しないかと、良く声をかけてくれました。