御茶ノ水駅
順礼の道を歩いた翌日、坂本龍馬の足跡を訪ねてみました。
坂本龍馬はテレビの「龍馬伝」で話題になっています。
スタートはJR中央線の御茶ノ水駅でした。
素晴らしい青空が広がっていました。
駅のホームと神田川
右のホームがJR御茶ノ水駅です。
停車している電車は中央線のようです。
左の線路は地下鉄丸の内線です。
下を流れているのが神田川です。
昔は汚れていましたが、かなりきれいになりました。
今は魚も泳いでいるようです。
ニコライ堂
少し歩いたところにニコライ堂があります。
正式には「日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂」といいます。
ロシア正教のニコライ大主教が、明治24年(1884)に
建てたそうです。
日本最大のビザンチン様式の教会です。
ドーム屋根の高さは35m、鐘楼には鐘が8つあるそうです。
すぐ近くに「岩崎弥太郎別邸跡」がありますが、現在
御茶ノ水セントラルビルとして工事中でした。
ビルに挟まれてこんな「そば屋」がありました。
ここは昔、神田老舗街として栄えたところです。
現在はビルだらけです。
ここだけ江戸の風情を感じさせてくれました。
千葉周作の道場跡
神田岩本町3丁目の交差点近くに「玄武館」が
あります。
現在は跡地だけですが、千葉周作は開いた道場です。
千葉周作は北辰一刀流の達人として知られています。
現在は石碑とこんな看板が立っているだけです。
坂本龍馬も江戸に来た時、ここを訪ねて剣術の指南を
受けたそうです。
種痘所跡
安政5年(1858)、天然痘予防のためここに種痘所が
できたそうです。
その後、西洋医学所となり、東大医学部の前身になったそうです。
現在はビルの壁にこんなプレートが貼られてあるだけです。
お玉が池跡
すぐ近くに「お玉が池跡」があります。
茶屋の看板娘だったお玉が二人の男に言い寄られ、困ってしまって
この池に身を投げたそうです。
この稲荷はお玉の霊を鎮めるために建てられた稲荷です。
お玉が池稲荷と呼ばれているそうです。
十思公園
次に訪れたのがここです。
ここは昔、牢屋敷だったそうです。
その後、市ヶ谷監獄所に移り、建物は撤去されました。
現在は公園になっています。
吉田松陰終焉の地
ここは吉田松陰が終焉を迎えた場所でもあるようです。
ここで処刑されたそうです。
左に「辞世の句」が書かれた石碑が立っていました。
椙森神社
十思公園をでて日本橋堀留町交差点の近くに神社があります。
椙森(すぎのもり)神社です。
本殿や神楽殿は関東大震災後に建てられたそうです。
江戸時代に大流行した「富くじ」が興行されたところでも
あるそうです。
境内には「富塚」と大きく書かれた石碑がありました。
境内の片隅にこの神社についての案内板がありました。
今までこの近くを何度も歩いていますが、なかなかこのように
史跡を見ながら歩くことができませんでした。
今回は「ブログ仲間」のお誘いを受けて参加しました。
これから日本橋を通って東京駅のほうに向かいます。
順礼の道を歩いた翌日、坂本龍馬の足跡を訪ねてみました。
坂本龍馬はテレビの「龍馬伝」で話題になっています。
スタートはJR中央線の御茶ノ水駅でした。
素晴らしい青空が広がっていました。
駅のホームと神田川
右のホームがJR御茶ノ水駅です。
停車している電車は中央線のようです。
左の線路は地下鉄丸の内線です。
下を流れているのが神田川です。
昔は汚れていましたが、かなりきれいになりました。
今は魚も泳いでいるようです。
ニコライ堂
少し歩いたところにニコライ堂があります。
正式には「日本ハリストス正教会 東京復活大聖堂」といいます。
ロシア正教のニコライ大主教が、明治24年(1884)に
建てたそうです。
日本最大のビザンチン様式の教会です。
ドーム屋根の高さは35m、鐘楼には鐘が8つあるそうです。
すぐ近くに「岩崎弥太郎別邸跡」がありますが、現在
御茶ノ水セントラルビルとして工事中でした。
ビルに挟まれてこんな「そば屋」がありました。
ここは昔、神田老舗街として栄えたところです。
現在はビルだらけです。
ここだけ江戸の風情を感じさせてくれました。
千葉周作の道場跡
神田岩本町3丁目の交差点近くに「玄武館」が
あります。
現在は跡地だけですが、千葉周作は開いた道場です。
千葉周作は北辰一刀流の達人として知られています。
現在は石碑とこんな看板が立っているだけです。
坂本龍馬も江戸に来た時、ここを訪ねて剣術の指南を
受けたそうです。
種痘所跡
安政5年(1858)、天然痘予防のためここに種痘所が
できたそうです。
その後、西洋医学所となり、東大医学部の前身になったそうです。
現在はビルの壁にこんなプレートが貼られてあるだけです。
お玉が池跡
すぐ近くに「お玉が池跡」があります。
茶屋の看板娘だったお玉が二人の男に言い寄られ、困ってしまって
この池に身を投げたそうです。
この稲荷はお玉の霊を鎮めるために建てられた稲荷です。
お玉が池稲荷と呼ばれているそうです。
十思公園
次に訪れたのがここです。
ここは昔、牢屋敷だったそうです。
その後、市ヶ谷監獄所に移り、建物は撤去されました。
現在は公園になっています。
吉田松陰終焉の地
ここは吉田松陰が終焉を迎えた場所でもあるようです。
ここで処刑されたそうです。
左に「辞世の句」が書かれた石碑が立っていました。
椙森神社
十思公園をでて日本橋堀留町交差点の近くに神社があります。
椙森(すぎのもり)神社です。
本殿や神楽殿は関東大震災後に建てられたそうです。
江戸時代に大流行した「富くじ」が興行されたところでも
あるそうです。
境内には「富塚」と大きく書かれた石碑がありました。
境内の片隅にこの神社についての案内板がありました。
今までこの近くを何度も歩いていますが、なかなかこのように
史跡を見ながら歩くことができませんでした。
今回は「ブログ仲間」のお誘いを受けて参加しました。
これから日本橋を通って東京駅のほうに向かいます。
バカ息子の匂いをかげたような写真をありがとうございます。
この蕎麦屋さん、一度は行ってみたい!という気持ちにさせられますね。
そして、あたしは、素敵な様子のニコライ堂で、日々の行い、懺悔せねば^^でしょうか~。。。。
これから増えるでしょうね。
ニコライ堂は何度か寄って見ましたが、中にはいれないんですよね。
この前テレビのブラタモリで特別に入れて撮影してくれましたので
初めて見ました!
蕎麦屋はほんとに時代を感じさせますね。2階にも上がれるのでしょうか。
座敷に上がって食べればまた味も格別でしょう。
記事で十思が恩となってますね。
それにしても、山小屋さん、日々旅ですね。
主人の会社が神田にあり神田にはその他のことで行っていましたが こんなに名所があるとは知らなくて お勉強になりました
何しろ歴女ではなくそちらには疎い方ですので。
ニコライ堂は先日タモリの番組で建物の中も紹介していて見たばかりでした。
立派な建物ですね。
建った頃はビルがなくて富士山が見えたそうです。
神田川には今綺麗に成ってカワセミもいるそうですね。
坂本龍馬の旅楽しみにしています。
どちらか選べば、いいものを、身投げなんて、
勿体ない。
いまでは、6人もの男を、手玉に取って、あげく
の果てに、殺害して、捨てるのですから、世も
変わり果てたものです。
歩きながら、いろいろなお話ができて良かったです・・・たくさんの綺麗な写真が写せましたね・・・今度私のブログにリンク貼らせて下さい・・・
次回のウォーキングも楽しみにしています!!
そちらは如何でしたか?
1号さんは神保町に勤めているのですか?
ここにはたくさんの古本屋さんがあります。
東京勤めではなかなか帰れないでしょうね。
たまには旅費を送ってあげてください。
東京にこれほど龍馬の痕跡があるとは思いませんでした。
十思公園・・・ありがとうございます。
早速訂正しました。
いつも「恩」を感じています。(笑)
いるのですね。
昔は江戸っ子といえば神田でした。
神田川・・・かぐや姫の歌を思い出します。
すっかりきれいになりました。
ニコライ堂の中は見たことがありません。
テレビも見ませんでした。
今では考えられません。
新聞を賑わせている女性・・・・
ブログで男性を騙したようです。
怖い話ですね。
初対面とは思えませんでした。
どうぞリンクでも何でも貼ってください。
いつかまたご一緒できるとよいですね。
ありがとうございました。