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山小屋だより

山歩きや街歩き、そこで出会った花や風景を紹介しています。
ぜひ、一緒に歩きましょう

中山道(16-8)

2010-01-10 | 中山道

ライン下りの船

橋のたもとに船が置いてあります。
昔ライン下りに使われた船のようです。
内部に水が溜まっていて自転車やゴミが無造作に
投げ込まれていました。

太田の渡し場跡

渡し場の跡のようです。
こちら側が太田の渡し、向こう側が今渡りの渡しです。
昔の収入に比べたらかなり高額だったようです。
このあたりの木曽川は穏やかでした。

木曽川

木曽川の下流です。
暖かいのか遠くの山が霞んでいます。
川に沿って遊歩道があります。
散歩するにはよさそうです。

岡本一平終焉の地

こんな碑が建っていました。
岡本一平は岡本太郎の父です。
大正から昭和初期にかけての漫画家として知られています。
ここで病に倒れたそうです。
お墓は東京の多摩霊園にあるそうです。


太田宿

太田宿に入ってきました。
宿場らしい雰囲気ですが、ガラスが立派過ぎます。
ここはおみやげ屋のようでした。



宿場の中です。
すっかり道路が拡張されているようです。
古いまま維持するのはたいへんなようです。
住んでいる人の話では若い者は一度出て行ってしまうと
戻ってこないそうです。
仕事もないようでした。



ステキな暖簾がかかった家がありました。
「中に入ってお茶を飲みませんか?」と女性が声を
かけてくれました。
コーヒーなども飲めるようです。
みんなどんどん先を歩いているので、丁重に断って
後を追いました。


標識

石でできた標識です。
まだ新しい標識でした。
これなら長く後世に残りそうです。




しばらく進むと道が狭くなり、カーブしています。
少しは街道の面影が残っていました。
右の建物は改築して旅館業を営んでいるようでした。


祐泉寺

大きなお寺がありました。
臨済宗の古刹だそうです。
祐泉寺として親しまれているそうです。
観音堂などもあるので、別名:滝観音とも
呼ばれているそうです。

播隆上人の墓

境内には松尾芭蕉の句碑などもありました。
これは播隆上人のお墓です。
播隆上人は北アルプスの槍ヶ岳を開山した人として
知られています。

槍ヶ岳はアルピニストにとっては憧れの山です。
夏には渋滞が起きる山で、頂上直下には上りと下り専用の
長いハシゴがあります。
頂上は狭く、あまりたくさんは立てません。
小さな祠が鎮座していました。



お寺をでてまたひたすら歩きます。
ここは車道と歩道がキチンと区別されていました。
このようにしてあると歩く人も安心して歩けます。
車もあまり通っていませんでした。
もう少し太田宿の中を歩きます。



中山道(16-7)

2010-01-09 | 中山道

廃線跡

田んぼに沿って幅広い空き地がまっすぐに伸びています。
ここは旧名鉄の八百津線が走っていた跡のようです。
八百津線は岐阜県可児市の明智駅から岐阜県加茂郡八百津町の
八百津駅まで7.3キロを結んでいた単線電車です。
2001年10月に廃止になりました。
のどかな田園風景の中を走る電車だったようです。

伏見宿本陣跡

歩いている反対側に伏見宿の本陣跡がありました。
建物はなく碑だけが建っていました。
後ろに見える建物は公民館です。


道路標識

道路標識です。
可児から八百津まで立派な道路ができています。
この道路ができたため、八百津線は廃止になったのでしょう。
新可児から御嵩まで乗った電車も乗客が少なかったです。
我々はまっすぐ進んでいます。

分岐

国道から分かれて細い道に入ります。
右に大きな建物がみえます。
パチンコ屋さんでした。
客が少なくなったのか、閉店していました。


標識

道路脇にこんな標識がありました。
このあたりは道路の整備がされていて中山道も消えて
しまったようです。
しばらくはまた国道に沿って歩きます。

分岐

分岐があります。
国道は右に曲がっていますが、ここは左に入ります。
伏見宿も宿場らしい面影があまり残っていませんでした。

弘法大師堂

道路から木曽川に向かって降ります。
ここには弘法大師様がお祀りしてあるようです。
赤い橋が目立ちました。


さざれ石

すぐ近くに「さざれ石」がありました。
さざれ石とは小さな石が固まってできた岩のことです。
「君が代」に歌われています。
これはかなり苔むしていました。
国歌ですが、あまり歌う機会がありません。
来月行なわれる冬季オリンピックではたくさん聞きたいものです。


今渡りの渡し場

弘法様から少し左に行くと渡し場の跡がありました。
ここは今渡りの渡し場として利用されたところのようです。
橋がない時期には川を渡る貴重な手段だったようです。

木曽川

すぐ近くに立派な橋が架かっています。
この橋ができたため、廃船になったようです。
我々もこれからあの橋を渡ります。

太田橋

この橋は「太田橋」と呼ぶそうです。
車道と歩道がキチンと分けられています。
これなら安心して渡れます。


歩道

気持よい歩道でした。
大勢で歩いているとつい道一杯に広がってしまいます。
ここでは自転車がきませんでしたが、自転車がくると
後ろから「自転車!」と大声で注意します。
話に夢中になっていると後ろまで分からないようです。


日本ライン下り

橋を渡り終えたところにこのような看板がありました。
この奥似に「日本ライン下り」の乗船場があるようです。
昔乗ったことがありますが、流れが激しいところでは
しぶきがかかって歓声をあげていました。
船頭の「木曾節」が懐かしく思い出されました。
まもなく太田宿に入ります。

中山道(16-6)

2010-01-08 | 中山道

ワンマン電車

翌日は新可児駅から御嵩駅まで名鉄で戻りました。
この電車は御嵩駅から新可児駅の間を往復して
います。
ワンマンカーでした。
2輌編成で1輌に乗っているのは我々だけだったので、
経営は苦しいのかも知れません。


御嵩駅

御嵩駅です。
駅の中に観光案内所があります。
切符売り場は自動券売機が1台あるだけです。
前日は人数が多く、自動販売機から切符がなかなか
出てきませんでした。
観光案内所の人に話しても対応してくれません。
止む無く切符なしで乗って新可児駅で支払いました。
同じ屋根の下にいるのですから、もう少しうまくやって
欲しいと思いました。


シラカシの木

最初にすぐ近くにあるお寺に入りました。
庭に大きな木がありました。
「シラカシ」の木です。
市の天然記念物になっているようでした。

蟹薬師

このお寺は正式名:願興寺と呼ばれ、天台宗の古刹です。
薬師如来が蟹の背中に乗って現れたのでこの名がついた
そうです。



かなり古いお寺です。
正月には竹を切った筒の中にロウソクを灯して
通路を飾るそうです。
古い仏像もたくさん安置されていて「美濃の正倉院」と
呼ばれているそうです。

紅白のナンテン

蟹薬師をでてしばらく歩いていたら、道の脇に
紅白のナンテンがありました。
ナンテンは「難を転ずる」といわれ、昔から庭などに
植えられています。
この時期は特に赤い実が目立ちました。


御嶽宿

御嶽宿の中を歩きます。
宿場はすっかり近代的な家になっています。
昔の建物を維持するのはなかなか難しいようです。




静かな街並みです。
カーブミラーの下には無人の販売所がありました。
お正月に使う榊の枝が桶の中に入っています。
神棚にあげて神様を迎えるようです。


鬼の首塚

鬼の首塚という遺跡がありました。
昔、ここに鬼が住んでいて暴れまわっていたそうです。
それを取り押さえ、首をはねて京に運ぼうとしたのですが
重くて動かなかったため、ここに葬ったそうです。
その後、守護神として祀られているようです。

一里塚跡

一里塚の跡だそうです。
すっかり低くなって塚らしくありません。
周りにはヒガンバナの葉っぱが青々と茂っていました。

分岐の標識

これから伏見宿に入ります。
伏見宿は中山道69次のうち江戸から数えて50番目の
宿場です。
このあと、宿場の中を通ります。









中山道(16-5)

2010-01-07 | 中山道
標識

耳神社を過ぎて牛の鼻かけ坂に向かいます。
牛の鼻かけ坂とはおもしろいネーミングです。
どんなイワレがあるのでしょう。


落ち葉の道から急に明るいところに出ました。
冬とは思えない日差しです。
この先に坂がまっているようです。


案内板

牛の鼻かけ坂の説明文がありました。
あまりの急坂なので牛が鼻を地面にこすり付けて鼻がなくなった
そうです。
こちらからは下りでしたが、確かに急な坂でした。


田園風景

坂を過ぎると静かな田園風景が広がります。
ここにも休耕田があるようです。
春の田植えの頃ここを訪ればまた違った風景があるようです。


和泉式部の碑

田んぼの脇にこんな石碑が建っていました。
和泉式部は平安時代の歌人で百人一首にも登場する人物です。
恋愛遍歴も多かったとされています。
この碑には「ひとりさえ渡れば沈む浮き橋にあとなる人はしばし
とどまれ」と刻まれているそうです。




全体ではこんな感じです。
東海道を目指す旅に出てここで病に倒れ没したとされています。
しかし和泉式部にまつわる伝承は全国各地にあるようです。
ブログ仲間の二人も熱心に見ていました。

御嶽宿

御嶽宿の入り口です。
もう昔の宿場の感じはありません。
すっかり道路も整備されているようです。
西日がかなり低くなっていました。

御嶽富士

遠くに三角形をした山が見えます。
地元では「御嶽富士」と呼んでいるようです。
全国に○○富士と名のつく山が多くあります。
やはり富士山は日本人の憧れの山のようです。



御嶽宿の中を通過中です。
町は「御嵩町」と書きます。
どちらも「みたけ」と呼びます。


御嶽宿商家

昔の面影を残す建物がありました。
江戸時代の建築様式を残す商家だそうです。
なかなか保存状態もよいようでした。



竹で作った囲いのようなものがありました。
この商家は「竹屋」と呼ばれているそうです。
竹以外にもいろんな商いをしていたのでしょう。
御嵩町の指定有形文化財になっているそうです。

新可児駅

御嶽宿に大勢で泊まれる宿がなかったので、この日は
新可児駅近くのビジネスホテルを予約しました。
可児と書いて「かに」と読みます。
名鉄御嵩駅から電車に乗り15分くらいのところです。
この夜はイタリアンレストランでクリスマスパーティを
行ないました。
それぞれが持ち寄ったプレゼントの抽選会なども行い
大いに盛り上がりました。

中山道(16-4)

2010-01-06 | 中山道
鴨ノ巣一里塚

鴨ノ巣一里塚です。
江戸へ93里、京へ41里とあります。
このあたりの一里塚は道を挟んで両側に造られています。
開発によって消えているところも多いですが、ここには
比較的きれいな姿で残っていました。




反対側の一里塚です。
ここは瑞浪市なので、瑞浪一里塚とも呼んでいるようです。
春になれば草で覆われるようですが、この時期は草も枯れていて
塚の姿がよくわかります。


案内板

このような案内板もところどころにありました。
現在地が一番左にありますから、京から江戸に向かう人の
ためのようです。
我々が歩いてきたルートを振り返るのに役立ちました。
この日は誰にも会いませんでしたが、部分的なハイキング
コースになっているようでした。


ヤママユ

足元にマユが落ちていました。
ヤママユ(ヤママユガ)のようです。
天蚕(てんさい)と呼ばれ、このマユからきれいな色の
絹がとれます。
幼虫はクヌギやコナラの葉っぱを食べて成長します。
このあとも数個見かけました。




左の竹林が日差しを浴びてきれいでした。
竹は大きくモウソウダケのようです。
タケノコをとる人もいないようでかなり荒れていました。




落ち葉を踏みながらの道が続きます。
冬枯れの落ち葉は気持よいものです。
但し、落ち葉の下に何があるかわかりません。
歩く時には注意が必要です。


唄清水

唄清水という水場がありました。
昔の旅人がここで喉を潤して唄でも歌ったのでしょうか?
現在は「飲めない」そうです。

一呑の清水

すぐ近くにも名水がありました。
「一呑の清水」というそうです。
パンフレットには皇女和宮も賞味して大いに喜んだと
書いてあります。
やはり現在はそのままでは飲めないそうです。


標識

我々は右に向かっています。
耳神社とは耳の悪い人がお参りすると治るそうです。
この先の高台にありました。
小さな祠だけがある神社でした。



謡坂石畳

石畳がでてきました。
謡坂の石畳と呼ばれています。
旅の途中で苦しさを紛らすために唄を歌ったので
「うとうざか」と呼ばれているそうです。

石畳

かなり長い石畳です。
京から江戸に向かう時には上りになります。
やはり唄でも歌いたくなりそうです。
雨が降ると滑りやすそうです。
左に空き地がありましたが、昔は家が建っていたようです。
今はその面影も残っていませんでした。

中山道(16-3)

2010-01-05 | 中山道
奥之田一里塚

弁天池を過ぎて30分ほど歩くと「奥之田一里塚」
がありました。
ここも小高く土が盛られているだけです。
やはり道を挟んで両側にありました。



反対側には案内板がありました。
街道を図示してあり、現在地が示されています。
岐阜県内には17の宿場があるそうです。
標識も立派に整備されていました。


庚申堂

歩いている右奥に「庚申堂」が見えます。
1800年の初めに建てられた古い建物だそうです。
内部にはたくさんの石像や石仏が並んでいるそうです。

皇女和宮

ここは細久手宿です。
公民館があったのでトイレ休憩です。
壁にこんな絵が描かれていました。
皇女和宮の行列を描いたもののようです。
実際には細い山道ですから、こんな立派な行列では
なかったと思います。
まさに「夢街道」のようでした。


大黒屋

すぐ近くにある旅籠です。
「尾州家定本陣大黒屋」とありました。
現在でも旅館を営んでいるようです。
岐阜県の観光課で発行している「中山道ぶらり歩記(あるき)」
というパンフレットの表紙の絵にもなっています。
壁にその表紙を拡大したものが張ってありました。
我々もこのパンフレットを参考にして歩いています。

門松

大黒屋さんの正面玄関です。
立派な門松が飾られています。
かなり古い建物のようですが、よく手入れされているようです。
玄関の大きな扉が往年を物語っていました。




冬とは思えない暖かい日差しが降り注いでいます。
時間があれば腰を下ろしてコーヒーでも飲みたいところです。
ネパールのエベレスト街道もよかったですが、この歴史街道も
なかなかのものでした。


田園風景

広い田園風景が続きます。
人も車も通っていません。
休耕田も多くありました。
一度荒らした田んぼを元に戻すのはたいへんだそうです。
国策か後継者がいないのかわかりませんが、もったいないと
思いました。

分岐

分岐がありました。
左に行けば「土岐(とき)」、右に行けば「御嵩(みたけ)」です。
我々は御嶽宿に向かいます。



この先は緩やかな登りになっているようです。
民家はありますが、人の姿がありません。
子供の姿も見かけませんでした。
街道は山道は楽しいのですが、アスファルトの道は
あまり楽しくありません。
ただ、黙々と歩くだけでした。


灯籠

大きな灯籠がありました。
秋葉山と書かれています。
秋葉山は火防せの神様として知られています。
静岡県の浜名湖の奥に秋葉山があります。
一度登ったことがありますが、誰にも会わない山でした。
その下の秋葉神社は12月中旬に「火祭り」が行なわれます。
「秋葉山」と聞くと当時を懐かしく思い出します。
ナンテンの赤い実が日差しに輝いてきれいでした。


山道(やまみち)

再び山道に入りました。
やはりこのような山の中が歩きやすいです。
「中山道は一日中山道(いちにちじゅうやまみち)」という
本があります。
中山道をテクテク歩いた人が書いた本です。
勧められて買いましたが、まだ読んでいません。
題名がおもしろいと思いました。
もう少しこのような道が続きます。

中山道(第14回)

2009-10-24 | 中山道
唐松岳の翌週、早月尾根から剱岳に登りました。
1度東京に帰り、翌日から中山道を歩きました。
忙しい週でした。


今回は上松から中津川まで歩きました。
その時のようすをデジブックに収録しました。
ぜひご覧ください。




この日、初めてブログ仲間の「どらさん」にお会いしました。
初日、我々を見つけて途中から一緒に歩きました。
2日目は馬籠の展望台で待っていてくれました。
ここから中津川の駅まで一緒に歩きました。
遠いところから車で駆けつけて頂き、本当に嬉しかったです。
次回は今月30日~31日と中津川から先を歩く予定です。


今日はこれから北八ヶ岳の天狗岳に行きます。
本沢温泉に泊まって天狗に登り、明日の夜帰る予定です。
みなさんのところにもご訪問できないと思いますが、ご容赦ください。


中山道(13-7)

2009-06-26 | 中山道

和田峠からは長い下りが続きます。
このあたりは本当に山道でした。
かなりガレていて歩きにくい道です。
足元を確認しながら慎重に降りました。



しばらくすると西餅屋跡という広い場所にでました。
和田峠を挟んで力餅を売る店が両側にあったようです。
ここは店の跡だけが残っていました。




更に下って行くと一里塚と書かれた石碑が建っていました。
江戸より五十三里とあります。
昔はここにも大きな木があったのでしょう。
更に下ります。



かなり厳しい山道です。
ここを大名が通るのはかなり難しいようです。
今にも崩れてなくなりそうな場所が何ヶ所かありました。

ナルコユリ

途中で花を見つけました。
茎を触ってみたら、丸かったのでナルコユリとしました。
似た花にアマドコロというのがあります。
こちらは茎に綾(りょう)がありますので、触ればすぐに
わかります。
花が2個ずつ整然と並んでいました。



しばらく国道を歩き、この先から再び旧道に入ります。
やはり歩くには車がいない旧道のほうがいいですね。
中山道も大きな道ができると消えてしまっているところも
あるようです。





こんな標識がありました。
下諏訪大社まで7.1キロとあります。
あと2時間半くらいかかるようです。




やがて浪人塚というところにでました。
水戸の浪人達がここまできたそうです。
近くの石に名前が刻まれていました。



浪人塚から約1時間くらいで朝立ち寄った木落し坂につきました。
東餅屋を出発してから約3時間でした。
ここでお昼にしました。
下諏訪大社まではもう少しのようです。



木落し坂の下にこんな標識はありました。
残り1時間ちょっとで下諏訪神社のようです。
自然に足が速くなりました。

下諏訪大社春宮

途中に春宮があったので、寄ってみました。
来年の予定が書いてあります。
7年に一度のお祭りだそうです。
ここでは寄付も受け付けているようでした。



春宮の後ろはすっぽりと工事用テントで覆われています。
大きな改修工事がなされているようでした。
右奥に仮の祭壇があります。
ここでお参りしていました。
ここからは下諏訪までは僅かのようです。
もう少し歩きます。








中山道(13-6)

2009-06-25 | 中山道

3日目の朝はよい天気でした。
朝食まで時間があったので、諏訪大社まで散歩しました。
ホテルから歩いて数分のところにありました。
境内には誰もいなく、静かな雰囲気が漂っていました。




本殿の裏のもう一つ神殿がありました。
下諏訪秋宮と呼ばれています。
彫刻が素晴らしく豪華でした。
春宮というのもありますが、ここから少し離れています。



表通りに出てみました。
これが入り口にある大鳥居です。
ゆるやかな階段を上って行くと一番最初の本殿につきます。
観光客がぞろぞろ入って行く場所です。



2連泊したホテルはこの赤い橋で神社と繋がっています。
まるで神社の境内に建っているようでした。
今回は我々の人数が多いということで、特別料金で泊めてくれたようです。
しかもマイクロバスでの送り迎え付きです。
温泉もなかなかよかったです。



部屋から諏訪湖を眺めてみました。
正面奥に道路がみえますが、中央道です。
建物のある場所がPAのようです。
夏の「諏訪湖花火大会」の時には駐車場が朝から満車になるそうです。
このホテルからもよくみえそうでした。



再びマイクロバスで前日の東餅屋まで送って貰います。
運転手さんが「おんばしらの木落とし坂を見て行かないか?」
といって案内してくれました。
この坂を威勢良くおんばしらを落とすそうです。
傾斜は45度くらいありそうです。




古いおんばしらが置いてありました。
まだ見たことがありませんが、かなり危険を伴う祭りのようです。
毎回怪我人がでるそうです。
来年行われるそうですが、使われる木は既に切られて山の中に
置いてあるそうです。



力餅

東餅屋についたら、前日のおじさんがもう来ていました。
前日は食べるのに夢中で写真を撮り損ないましたが、
力餅のサンプルを撮らせて貰いました。
御餅が2個とおしんこがついて¥350です。
お餅にはアンコが入っていましたが、甘さは抑えてありました。



東餅屋で身支度を整え、いよいよ和田峠に向けて出発です。
ここから幾つかビーナスラインを交差するようです。
車が時々通るので、注意して渡りました。



入り口にはこのような標識が立っていました。
歩いていて標識があると助かります。
距離が書いてあるので、大体の時間も計算できます。
このあたりの旧道は新しい道路で寸断されてしまったようです。




道路よりやはりこのような山道が歩きやすいですね。
まだ朝早い時間帯だったので、みんなの足取りも軽いようでした。
時々ウグイスの声が聞こえました。
鳴き方がかなり上手になっていました。



これもビーナスラインの一部です。
車はまだ少なかったです。
カラマツの芽吹きがきれいでした。



程なくして和田峠に到着しました。
峠にはこんな案内板がありました。
今はほとんど利用されていない道のようです。




峠には石碑が二つ建っていました。
これはそのうちの一つです。
昔の旅人はここでこれを拝んでから、次に向かったようです。
我々もここで小休止してから、次に向かいました。

中山道(13-5)

2009-06-24 | 中山道
道祖神

道祖神は「夫婦仲良く」という意味が大きいようです。
従ってこのような姿のものが一般的のようです。
夫婦で旅をするといろんなことがあります。
そこで旅の道中にこれを見て「仲良くしなければ・・・」と
思ったのでしょうね。

和田宿本陣

やがて和田宿本陣と書かれた門がありました。
皇女和宮の降嫁時に幕府の助成金で建てられてそうです。
その後、解体修理して居室棟が残っていました。




門の中はかなり広く、建物は資料館になっていました。
ここの庭先を借りてお昼にしました。
館長に話すと快く了解してくれました。




建物の中にあがると有料です。
いろんな資料が展示されているようです。
時間の関係であがりませんでした。
トイレを借りて次に向かいました。

ベニサラサドウダン

道端に真っ赤な花が目を惹きました。
ベニサラサドウダンのようです。
サラサドウダンより濃い色をしています。
園芸種だと思います。

シロバナオダマキ

真っ白なオダマキが現れました。
オダマキにもたくさんの種類があります。。
これは透き通るような白でした。




このあたりは車の往来も激しくきちんとした歩道がありません。
後から「白線の外にでないように!」と声をかけながら
歩きました。
おしゃべりをすると横に並びたくなるのが人間の習性のようです。
時々、後から車の音がすると注意を促しました。
街道歩きで自動車道を歩くのが一番危険です。


シロバナアメリカオニアザミ

道のところどころには赤いアザミが咲いていました。
これは真っ白いアザミです。
アメリカオニアザミの白いタイプのようでした。
アメリカとついていますが、ヨーロッパ原産の帰化植物です。



危険な道路から山道に入ると標識がありました。
東餅屋まで5.3キロとあります。
和田峠には車が入れません。
かなり疲れた人もいたようなので、この日の終点を
東餅屋に決めました。


ワチガイソウ

足元に小さな花が風に揺れていました。
実は和田峠に多いとされる「ワダソウ」に会えるかと
密かに期待していました。
ワダソウは花びらの先端が深く切れ込んでいます。
みんなと遅れるのを承知で観察しました。
残念ながら深い切れ込みは確認できす、ワチガイソウと
判断しました。
似た花にヒゲネワチガイソウというのがありますが、こちらは
花びらが5~7枚あります。
ここではどれも5枚でした。
ワダソウはどこに行ってしまったのでしょう。



静かな山道です。
この両側にワチガイソウがたくさん咲いていました。
新緑が雨に濡れてきれいでした。
遅れを取り戻すべく急ぎました。




ここにも一里塚があったようです。
唐沢一里塚と書いてあります。
昔の人はこのような一里塚を目標に歩いたのでしょう。
やはり目標物があると元気がでます。




やっとみんなの姿が見えました。
古い建物が見えますが、廃屋になっていました。
昔は茶屋になっていたようです。


クリンソウ

道のところどころに赤い花が現れました。
クリンソウです。
花が下から順番に輪生に咲きます。
五重塔などの一番先端にある「九輪」に似ているので
このような名前になりました。
この時期、山でよく目立つ花です。




「何時ごろどこに着くか?」
迎えをホテルに電話する約束になっていました。
ホテルから約1時間はかかります。
先行として私ともう1人が東餅屋まで行って連絡することに
しました。
途中にこのような石畳があり、滑ってなかなか歩けませんでした。


東餅屋

東餅屋で電話を借り、ホテルに連絡しました。
このあたりでは携帯は通じませんでした。
ここは「力餅ち」が有名だそうです。
ここでこのお餅を食べて元気になって歩いたようです。
みんながくるまでの間に食べてみました。
1セット¥350でした。
1時間ほど待って迎えに来たマイクロバスでホテルに
向かい、2日目も無事終了しました。
途中かなりの雨でしたが、ホテルに着いたら止んでいました。
山の上だけ降っていたようです。
温泉に入り、ビールを飲んでこの日の疲れをとりました。








中山道(13-4)

2009-06-23 | 中山道
昨日、カナダから無事に帰国しました。
留守中、たくさんのコメントありがとうございました。
旅のようすは後日ご紹介いたします。

中山道の旅を再開します。

松尾神社

翌日、ホテルの車で松尾神社まで送って貰いました。
この日は再びここからスタートです。
小雨が降っていました。



休日だというのに静かです。
まだ朝が早いからでしょうか?
このあたりの中山道はすっかりきれいになっていました。
建物の白い壁が何となく昔を忍ばせました。

長久保宿

やがて長久保宿に差し掛かりました。
この建物は昔のまま残っているようでした。
格子がきれいでした。
内部は資料館になっているようでした。



静かな田園風景が広がっています。
雨のせいか、山には雲がかかっていました。
田植えの終わった稲には恵みの雨でしょうね。
カエルの声が聞こえていました。



歩いてきたほうを振り返ってみました。
水が張られた田んぼが光っていました。
車もあまり通っていないようです。
農家の人も雨の休日なのでゆっくりしているようでした。




ここの集落の名前のようです。
長久保宿は江戸から数えて27番目の宿場です。
旅籠は43軒と長野県の中山道では2番目に多いそうです。
今はほとんどやっていないようでした。




おもしろい建物があります。
バス停の待合所になっていました。
萱葺き屋根がよい風情でした。
このあたりのバスは1日数本しか走っていないようでした。



みみず道祖神と書いてありました。
みみずは土地が肥沃でないといないそうです。
また、みみずは土壌改良にも一役かってそうです。
夫婦の姿が微笑ましく感じました。




これは「まつり道祖神」のようです。
獅子舞と子供が踊っています。
楽しそうな雰囲気が伝わってきました。
見ていても楽しくなる道祖神でした。


若宮八幡宮

歩いている右側に神社がありました。
「若宮八幡宮」と書いてありました。
大きな杉の木が歴史を感じさせてくれます。
ここには道路を潜る地下道がありました。



ガードレールの奥に建っていました。
江戸より四十九里とあります。
まだ新しい石碑でした。

是より和田宿

いよいよ和田宿に入ります。
和田宿は中山道最大の難所である和田峠の手前にあります。
参勤交代の大名なども必ず宿泊したそうです。
今は旅籠も少なくなっているようです。
我々もここに宿をとりたかったのですが、人数が多くて
泊めてくれる宿がありませんでした。



昔の宿場のようすはまったくありません。
現在では訪れる人も少ないようです。
キクとルピナスの花の植え込みがきれいでした。
人に会わないのが不思議でした。

和田八幡宮

道路から少し上がったところに萱葺き屋根の
神社がありました。
天徳3年、国主であった源満仲が京都の岩清水八幡宮を
基準に造営したそうです。
本殿の前には土俵があり、毎年相撲大会が行われるそうです。
萱葺き屋根の神社は維持管理がたいへんだと思います。
何とか後世に残して欲しいと思いました。

中山道(13-3)

2009-06-15 | 中山道

ここから芦田宿です。
江戸から数えて26番目の宿場です。
本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠6軒と比較的
小規模な宿場だったようです。

ヤエキンポウゲ

ヤエのキンポウゲが咲いていました。
以前はヒトエのものをキンポウゲと呼んでいましたが、
今はヒトエのものはウマノアシガタと呼んでいます。
山で咲いているヤエの花をキンポウゲと呼ぶようです。
これは平地で咲いていましたから、園芸種のようです。
雑草化して群生していました。



芦田宿の本陣です。
熱心に何か見ているのは仲間です。
体より大きな荷物を背負っています。
昔からマラソンを走っている元気一杯の女性です。


本陣の入り口です。
中まで入れるようです。
切り妻造りの豪壮な建物が残っています。
庭がきれいに整備されていました。

ルピナス

ルピナスの花が迎えてくれました。
この花にはいろんな色があります。
その姿から別名:ノボリフジと呼ばれているようです。
ニュージーランドに行った時、テカポ湖の周りに雑草の如く
群生していました。
エメラルドグリーに輝く湖との対比がきれいでした。
色の中でもこのムラサキ色が一番強いそうです。


オニゲシ

これも道端に咲いていました。
細かい毛があります。
花は10cm以上ありました。
栽培していた種が何かによって運ばれてきたようです。
栽培禁止のケシには毛が生えていません。
園芸店で売られているケシはほとんど問題ないようです。




ここから右に入ります。
笠取峠まであと2.3キロです。
天気は何とか持ってくれました。



笠取峠に差し掛かりました。
ここには長い松並木があるそうです。
どのくらい残っているのか楽しみです。



江戸時代初期に小諸藩が750本以上の赤松を植えたそうです。
現在はかなり数が少なくなったようです。
でも1キロくらい続いていました。



笠取峠にはこのような大きな碑がありました。
昔の旅人はこの峠で一休みしたのでしょう。
茶店は残っていませんでした。
現在は一帯が公園になっているようでした。



笠取峠から先はダラダラした長い下りです。
下りが終わったところに松尾神社がありました。
今回の初日はここで終わりです。
塩名田から約17キロ、5時間の歩きでした。
ここで宿から迎えに来ていたマイクロバスに乗り込みました。




今回2連泊したホテルです。
下諏訪神社に近いところにありました。
マイクロバスでの送り迎えもお願いしました。
なかなか立派なホテルでした。



松尾神社からホテルまで来る途中、かなりの土砂降りにありました。
ホテルについたら雨は上がっていました。
山の上だけ降っていたようです。
部屋の前には諏訪湖が広がっていました。
翌日も天気はよくないようですが、予定通り歩きます。


まだこのシリーズは続きますが、しばらくブログお休みします。
今日からカナディアンロッキーに出かけます。
何もなければ22日に帰国する予定です。
梅雨の日本を離れてカナダの自然を楽しんできます。
しばらくみなさんのところにもご訪問できませんが、
健康に気をつけてお元気でお過ごしください。
       See you again!





中山道(13-2)

2009-06-14 | 中山道

街道沿いには時々このような標識があります。
これから笠取峠に向かいます。
まだ11キロもあるようです。
このあたりは「中部北陸自然歩道」にもなっているようです。

ニセアカシア

白い花が目立つようになってきました。
ニセアカシアの花です。
トゲがある木なので「ハリエンジュ」とも呼ばれています。
房状にたくさん咲いていました。



近くでみるとこんな感じです。
マメ科独特の姿をしています。
甘い香りが漂っていました。
この花は天ぷらなどにして食べられます。
木の皮には毒があるので、動物も食べないそうです。



のんびりした田園風景が広がっています。
田植えが終わったばかりのようです。
このあとは草取りや水の管理がたいへんなようです。
八十八回も手をかけて美味しいお米ができるといわれて
います。

ヒレハリソウ

別名:コンフリーとも呼ばれています。
明治時代にヨーロッパから薬草として入ってきたそうです。
一時は各家庭でもたくさん栽培されたそうです。
ブームが終わって今ではすっかり雑草化しています。
有毒なので間違った使い方をするとひどい目に会うそうです。

双体道祖神

道祖神がありました。
二人いるのを双体道祖神というそうです。
道端にあって旅人の安全を祈ってくれているようです。
これはお酒で旅の門出を祝っているようでした。


しばらく歩くとまた別の道祖神がありました。
男女仲良く手をとって肩を組んでいます。
「仲良く旅してください」といっているようでした。
微笑ましい姿ですね。



やがて一里塚跡がありました。
ここは瓜生坂と呼ばれているところのようです。
少し山の中に入ってきました。
中山道には山道がよく似合います。

アマナ

草むらの中から白い花が顔を出していました。
アマナのようです。
葉っぱが細くてノビルのような姿をしていました。
葉っぱが広くて真ん中に白い筋があればヒロハノアマナです。
かなり群生していました。


瓜生坂を過ぎると望月宿に入ります。
8月の満月の日に朝廷に名馬を納めたので望月の名がついたそうです。
本陣跡には歴史民族資料館が建っていました。
ここで小休止です。



建物の外に木を二つに割って中をくり貫いたものがありました。
これを幾つも繋いで水を流したそうです。
木は建物だけでなくいろんなものに利用されたようです。



また違った道祖神がありました。
昔の旅人もこんな姿をみて元気付けられたのでしょう。
なかなか微笑ましい姿でした。



望月宿を過ぎて次の宿場に向かいます。
この頃から雨がポツポツ降り出しました。
大雨にならなければよいがと気になりました。
道の両側には相変わらずニセアカシアの花が咲いていました。




茂田井は宿場と宿場の間にあった村だそうです。
それで「茂田井間の宿」と呼ばれたようです。
ここには昔からの建物も多く残っています。
これから芦田宿に向かいます。








中山道(13-1)

2009-06-13 | 中山道
中山道歩きも今回で13回目になりました。
前回は上松まで歩いていますが、途中の塩名田から下諏訪までの
和田峠越えが残っていました。
今回は3日かけてこの区間を歩きました。
先月末のことです。


JR佐久平駅

集合は長野新幹線の佐久平駅です。
新幹線が通るようになって新しくできた駅です。
駅前の噴水では鯉が大きく跳ねていました。
佐久は鯉で有名です。



今回は17名の参加です。
バスで塩名田宿の入り口まで行きました。
今回はここがスタート地点になります。
本陣跡は標識だけでした。

イチリンソウ

近くにイチリンソウが咲いていました。
ニリンソウと比べて花が大きく、葉っぱの姿も違います。
名前はイチリンですが、花は必ずしも1輪とは限りません。
たくさん咲いていました。



しばらく行くと川がありました。
千曲川です。
大きな石が幾つかありますが、昔この石に舟を繋いで
橋の代わりにしたようです。
それで「舟つなぎ石」と呼ばれています。
手前の草むらの中にある石に黒く穴が見えますが、
舟をつないだ穴だそうです。



現在は橋で千曲川を渡ります。
ここは車道と歩道が分かれていました。
歩道のほうが新しくできたようです。
安心して渡れました。

大日像

道から少し奥に入ったところにお地蔵さんがありました。
江戸時代初期に造られた大日像だそうです。
長い間、ここを通る旅人を見つめていたようです。
白い帽子と前掛けが印象的でした。



田植えを終えた田んぼに山が映っています。
静かな田園風景でした。
天気は下りのようです。
もう少しすると雨になるかも知れません。



やがて八幡宿に入りました。
大きな電柱の脇に標識が建っています。
うっかりすると見落としそうな標識でした。



八幡神社高良社です。
流造(ながれづくり)、こけら葺き構造で500年前の
姿を今に伝えているそうです。
国の重要文化財に指定されています。



境内には大きなケヤキの木がありました。
これもかなりの年月を経ているようです。
表面の皮が剥がれていました。
渦巻き模様がきれいでした。




八幡宿の本陣跡です。
皇女和宮の大行列がここに宿泊した際に残した錦の小物や
席札といった貴重な資料が所蔵されているそうです。
入り口の門は固く閉ざされていました。


オダマキ

道端に淡いピンクをしたオダマキが咲いていました。
園芸種のようです。
花の姿が、糸を紡ぐ糸巻きに似ているのでついた名前です。
別名:イトマキソウとも呼んでいます。
山で咲くミヤマオダマキはきれいなブルーをしています。
夏山の岩陰で出会うと何故かホッとします。



中山道(12-最終回)

2009-05-11 | 中山道

トンネルを抜けてしばらく歩くと神戸御嶽遥拝所というところがありました。
少し高台になっていました。
ここから御嶽山が見えるそうですが、木が邪魔してよく見えませんでした。




少し歩いたところから木曾御嶽山が姿を現しました。
少し春霞がかかっているようで、ハッキリはみえません。
まだまだ雪が多いようです。
頂上まで仏像が導いてくれる山でした。




沓掛一里塚とあります。
ここも一里塚の姿はなくこのような石が置かれていただけでした。
「京へ六十六里」と書いてあります。
あと260キロくらいでしょうか。




木曽川です。
川が少しずつ大きくなってきます。
水がきれいでした。



「木曾の桟(かけはし)」だそうです。
応永七年(1400)から14年かけて木曽川沿いに新道を造ったのが
始まりだそうです。
現在の石垣は1648年に尾張藩が完成させたもののようです。



国道沿いは車がびゅんびゅん通っています。
桟(かけはし)から旧道に入ることにしました。
ここのほうが交通量も少ないようです。



旧道に登ると、「木の桟(かけはし)」がありました。
道路にあるガードレールも木でできていました。
車だと素通りしてしまいます。
桟(かけはし)とは険しい崖などに造った橋だそうです。
小さなサクラが咲いていました。



歩いている左手に木曾駒ヶ岳が大きく姿を現しました。
真っ白に雪を抱いています。
なかなか姿が素晴らしい山でした。




赤い橋を渡ります。
ここを右に行けば「赤沢林道」です。
オオヤマレンゲが咲くことで有名です。
ナツツバキに似たきれいな花です。



橋の隣に赤く錆びた橋が残っていました。
赤沢森林鉄道に使われていたようです。
鉄道は昭和50年に廃止されたそうですが、橋だけは残して
あるようです。
錆びだらけでペンキの補修もしていませんでした。




やっと上松(あげまつ)駅につきました。
駅前に赤沢自然林の大きな看板がありました。
宮ノ越を出てから約6時間の歩きでした。
季節外れのサクラが楽しめた街道歩きでした。

次回は今月終わりに行います。
塩名田から下諏訪までの和田峠越えが残っています。
ここを2泊3日で歩く予定です。
またどんな出会いがあるか、楽しみです。


◎付 録

コデマリ

小さい花が丸く集まって咲いています。
テマリのように見えるので、コデマリと呼んでいます。
かなり長く垂れ下がります。
次々と咲くので長く楽しめます。

オオデマリ

こちらは花が大きいのでオオデマリと呼ばれています。
今年は花のつき方がよいようです。
枝が折れそうにたくさん咲いていました。

セイヨウシャクナゲ

園芸種のシャクナゲです。
山ではまだまだ蕾です。
現在、見られるシャクナゲはほとんどこの花だと思います。
蕾の姿がかわいいですね。

トキワマンサク

春先に咲くマンサクとはかなり姿が違います。
白い花びらがたくさんつきます。
一年中葉っぱが青々しているので「トキワ」とついています。
花はもうそろそろ終わりのようでした。

レンゲツツジ

オレンジ色が鮮やかなレンゲツツジです。
野生のものはもう少し淡い色をしています。
自生地では湯の丸高原が有名です。
開花時期にはたくさんの登山者が訪れるようです。
太陽にキラキラと輝いていました。