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昨年の12月27日、大学での仕事が終わった午後に、大学北門からバスに乗って市内のアパートに帰る途中のことだった。バスが発車して10分後くらいに、後ろの方の席に座っていた若い男が、前の方に座っていた私の横に来て立ち止まった。そして、日本語で話しかけてきた。「君は、日本人ですか。---。」と。「そうです。----。」と答えると、かなり・かなり・たどたどしい日本語で次々と話してきた。理解することが かろうじてできた。(文脈から推測しながら)
どうやら彼は、私が勤める「閩江大学」の情報コンピューター学科の4年生らしい。そして、彼の話によると「独学」で小学生のころから日本語を勉強してきたようだ。最初は、「日本のゲーム」を理解したくて始めたが、そのうち「日本のアニメ」や「歌」などから、かなりの日本語会話能力を身に付けてきたようだ。(初級の上➡かろうじて日本人と会話のキャッチボールができる会話能力) 会話では、私のことを「君は」と言うし、自分のことを「俺は」と言ってくる学生だった。寒い日だったが、彼の顔からは汗がたらたら流れていた。日本人と話すのが初めてで、自分の日本語が通じるかどうかとても心配し緊張しているとのことだったが、少しは通じたことが嬉しいようだった。隣に立っていた他大学の見知らぬ女子学生が同情して彼に汗拭きハンカチを貸してあげていた。
バスが市内の中心部にさしかかった頃、「今日、俺はひまだ。君の家に行って いいか。」とその学生が言い始めたので、「今日、あなたが私の家に来る できない。」と言って断った。「また、1月になったら家(アパート)に来てください。」と言って別れた。
それから、4日~5日おきぐらいに彼からメールがくるようになった。そして、1月24日に私のアパートに来ることになった。夕方の6時半ごろにアパートに来た。お土産に、林檎や梨を持参していた。しばらく、話したら「俺、就職が決まったので、もう働き始めました。」「アパートを借りました。この近くです。」とのこと。
市内の日本料理居酒屋に行き、日本料理や日本酒を勧めたら、「美味いです。美味しいです。」を連発していた。居酒屋のオーナーの女性店長(日本語に堪能)から、「先生に対して君は・君はというのはだめですよ。」とたしなめられていた。
隣の「日本式クラブ」で、カラオケやビールを飲みながら話し続けた。最近、長年付き合った大学のクラスメートだった彼女と別れたとのことだった。「俺、彼女のため 一生懸命 がんばった。アルバイト して お金作る、そして就職もがんばった。全部 彼女と結婚する がんばったよ。女は冷たいなぁ。俺 ふられた。寂しいよ。」と話し始めた。日本語がまだ初級段階の彼と、このような複雑な話し合いまでができていることに驚きも感じた。彼のように勇気をだせば、なんとか意志疎通は通じてくるものなんだなあ。
ちなみに、大学生は ほとんどが遠方からきていて寮生活をすごすこともあり、彼氏や彼女を作りたいと言う要求は 日本の学生以上に強いようだ。しかし、大学卒業前に ほとんどのカップルが別れてしまうことが多いようだ。そして、別れはほとんど女子学生の方から言い出すことが多いとも聞いた。
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1月25日(日)に、福建師範大学の日本人教員二名がアパートに来た。津田さんと渡辺さんだ。津田さんは、中国の上海の近くの省で「日本企業」に6年間勤め、大学時代の専攻は中国語。中国語はぺらぺらだ。アパート近くで週末に開催されている数千件の「露店市」に一緒に出かけた。中国生活歴が長いだけに、露店での買い物のかけひきも上手だった。
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昼食に、日本料理店に行った。そして別れた。渡辺さんは26日に日本に帰国した。津田さんは、この冬休み期間は日本に帰国せず、中国の知人などを訪ねて転々とする予定らしい。
26日(月)に、日本語学科の先生たちと昼会食をした、
そして、私は1月28日の夕方、日本に帰国したが、日本はとても寒かった。