浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

あっかるい脳みそ 鋼琴協奏曲「黄河」

2010年09月28日 | 芸能
我が國を代表する洋琴弾き、中村○子が文化大革命のあだ花と称する鋼琴協奏曲「黄河」は、支那の4千年の歴史上最高の傑作と云はれてゐる。どのくらい傑作かといふと、腹の皮が捩れて1回転するくらいけっさくである。

支那ではこのところ要人が世界を敵に回すやうな言動を続けてゐるが、どうして、こうも大人げ無い事をしでかすのか、世界で最も幼稚な國家の一つである。しかし、國民が皆、此のやうに幼稚かといふと、そうではないはずである。確かに道徳心とか倫理観といったものは、國家の教育がなっていないから育つはずも無いが、悪人ばかりではない。我が國は冷静に大人な対応をしなくてはいけない。其の為には支那の事をもっと知らなくてはいけない。

そこで、鋼琴協奏曲「黄河」を聴かれることをお勧めする。此れを聞かずして支那は語れない。此れを聞けば支那の文化的事情は凡そ理解できるはずだ。中○紘子は此の曲を聞いて、『ちゃちで陳腐でひたすらケバケバしい』『聞いてゐると背筋が恥ずかしさにゾクゾクしてくるやうな曲』と絶賛してゐる。にもかかわらず、上海交響爆弾と「黄河」を協演しないかといふ誘いには躊躇なく辞退してゐる。此の感想といい、協演辞退といい、○村紘子の感性は僕たちと通じるものがある。

「黄河」を初演した「なんとか承宗」といふ洋琴弾きは、その後、農村に下放、亜米利加に亡命、次第に誰からも相手にされなくなり、中村○子に「行く手に幸多かれと思わず念じ」させたのであった。

盤は、Z共和国出入国の際に、メンスラ・ゾイリの測定結果があまりにも低く没収され破棄された。


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