浪漫亭随想録「SPレコードの60年」

主に20世紀前半に活躍した演奏家の名演等を掘り起こし、現代に伝える

オールマンデイのシベリウス第1交響曲

2007年11月04日 | 指揮者
シベリウスの交響曲第1番はディーン・ディクソンといふ黒人指揮者の演奏で初めて聴いたのを思い出す。初めて聴く作品にもかかわらず、第1楽章から金縛りのやうな状態のまま聴き入ったのを思ひ出す。今日は、戦前にオールマンデイが録音したSP盤の復刻でこの曲を聴いてゐる。

この時代のシベリウスの理解者と言へばクーセヴィツキかカヤヌスの名が真っ先に挙がるだらう。一方、ヤンキーの国ではストコフスキーとオールマンデイがシベリウスの紹介に力を入れてゐたことは忘れられてゐる。このSPが録音されたのは1941年となってゐるが、ストコフスキが第4交響曲を録音したのはさらに10年ほど前のことになる。

オールマンデイといふ人は名伴奏指揮者、日本で言へば森正のやうな存在なのだとずっと思ってきた僕には、協奏曲以外のレコヲドはとんと興味が無かった。このシベリウスのCDも特に関心があって購入したわけではない。

永らく放置してゐたが、久しぶりの休日となった今日、聴いてみることにした。結論から言ふと、特にどうと言ふこともない演奏だった。ディクソンのお別れコンサートの熱の入ったライブを聴いてこの曲を好きになった僕がこのSPを聴く理由は何もなさそうだ。トスカニーニ全盛時代のきびきびとした音楽さばきの影響がオールマンデイにも見受けられる。整然と統率されたシベリウスはますます冷たく感じられ、奥行きや深さはあまり感じられない。シベリウスといふ作曲家は、表面的には冷たさを装いながらも懐かしさや熱い思ひを深いところで感じさせてくれる、僕にとっては特別な存在なのである。今から70年前に、作曲家が現存する中で、コンテンポラリーな作品を扱ったオールマンデイの精神には敬意を表したい。

盤は、英國BiddulphによるSP復刻CD WHL062。


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