今回は映画「Lion25年目のただいま」について。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f1/cf9499c07edc4ae643bdeba4fbf6fddf.jpg)
アカデミー賞でもノミネートされていましたが、予告編を観てとても観たくなりました。事実に基づいた話ということで、この男の子に何かあったのかをとても知りたくなったのです。
ここで内容を・・・
インドのスラム街。5歳のサルーは、兄と遊んでいる最中に停車していた電車内に潜り込んで眠ってしまい、そのまま遠くの見知らぬ地へと運ばれて迷子になる。やがて彼は、オーストラリアへ養子に出され、その後25年が経過する。ポッカリと人生に穴があいているような感覚を抱いてきた彼は、それを埋めるためにも本当の自分の家を捜そうと決意。わずかな記憶を手掛かりに、Google Earth を駆使して捜索すると……。
と書いてあります。
前半はサルーが兄の仕事についていきたくなり、ちゃんと仕事できるって言っていたのに、夜中の仕事だから寝てしまって。兄は仕方なく駅のベンチに寝かせて、「戻ってくるまでそこにいなさい」と言うのですが、誰もいないホームで目覚めたサルーは不安になり、ホームに入ってきた回送電車に乗ってしまい、そこから1600キロ離れた街へと行ってしまうのです。
ここから、サルーの人生は一変してしまいます。
インドでは、子供の失踪や行方不明が年間8万人とも言われているって後で出てくるくらい数が多く、子供だけで親がいない状態がさほど不思議ではないということ、そして、1600キロ離れた街の周辺でしか、サルーの両親を探す新聞広告がでなかったこと、サルーがうろ覚えだった故郷の町の名前が間違っていたこと、サルーのお母さんは文盲だったこと、本当にすごい偶然が重なってサルーは自分の町に帰ることができなかったんです。
スラムドックミリオネアの時にも、ストリートチルドレン達を使って商売している悪い大人が出てきましたが、当然この作品でも出てきます。でも、それをなんとかうまく切り抜けるサルーの生きるための本能みたいなものを感じました。
あとサルーは本当に運が良く、オーストラリアの養父母のもとにいくことができました。多分こんなに恵まれた環境に行く子供たちはすごく少ないのであろうと思います。
後半は青年となったサルーが自分が迷子になった場所から自分の故郷を探すストーリーとなります。
観終って、親の子を思う気持ちということは血のつながりがあること、無いことは関係が無いのだと改めて知らされた思いでした。映画のラストに本人たちの映像で。生みの親と育ての親とサルーとがインドで出会うというシーンが入るのですが、本当にそこには二人のお母さんが抱き合いサルーのことを本当に愛しているのだと感じることができました。
あと、子役のサニーパワール君がすごくかわいいんですよ。そして、うまい。
養母を演じたニコールキッドマンも自分のオーラを消して、ひかえ目に脇を固めております。
興味がある方はぜひ、ごらんになってみてください。
ここからはネタバレ(ストーリーに触れている)です。ご覧になっていない方は読まないでくださいね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/fe/1321eec38e4873a6e8047bc4fa17f5bf.jpg)
自分の迷子になった場所を探すサルーはそのことを養父母に隠していました。それは母親を悲しませることになるからと。でも、しだいに自分の殻に閉じこもるようになり、大学も辞め、支えてくれていた恋人とも別れ、孤独になっていきます。
サルーの兄弟として、引き取られたマントッシュはパニックになると、自らの頭を壁などにぶつける自閉症傾向をもっていて、サルーはマントッシュのことも親身に接してくれる養母にひどいことをするという理由から、あまり好きにはなれないという状態でした。
そこへ、養母の体調が悪くなったと連絡が入り、駆け付けるサルー。そこで養母がどうしてインドから子供を引き取ることにしたのかを聞くことに。それはサルーが想像していたのとは全く違っていたのでした。この養父母は自分たちの子供を作ることができないから、養子をもらったわけではなく、自分たちの子供を作るより、一人でも多く恵まれない子供たちを救いたいとの思いからだったのです。それは養母が自分の父親から虐待を受けていたとき、幻のように肌の黒い男の子が現れたことから、将来は養子をもらおうと思っていたのです。そして、夫もそのことに賛成してくれたから、サルー達を養子にもらったのだと。だから、マントッシュにもやさしくしてあげてほしいと。
サルーは自分が暮らしていて、母と兄がいる町を見つけてそこに行ってもよいかとを養母に尋ねます。養母は「もちろん、行ってきなさい。そして、立派になった姿をお母さんにみせてきなさい」と告げます。
自分の暮らしていた町についたサルー。暮らしていた家はヤギの小屋になっていました。やはり遠くに越してしまったのかとあきらめかけたときに、英語を話す男性に「自分は昔ここに住んでいたサルーで、母と兄、妹を探している」と語ります。すると、こっちについておいて、と手招きする男性。ついていくと、仕事から帰ってくる女性たちの中に母と妹がいました。母親は一目見て自分の息子だとわかり、涙を流して抱き合います。
母はいつかサルーが帰ってくるかもしれないと、故郷から離れることはなかったのです。
ですが、兄は残念ながら、サルーが回送電車に連れていかれた日に、電車に轢かれて亡くなっていました。
自分の暮らしていた町の名前も間違っていたのですが、実はサルーという名前も間違っていて、実は「シェル―」でそれが「ライオン」を意味するから、このタイトルだったと最後にわかります。
原作者のサルーさんがこの映画を観て、自分が体験したことがそのまま映像になっていて、多少の脚色はあるもののその再現性は素晴らしいと言っていた記事を読んで、この映画がすごいことがよくわかりました。
日本に生まれた僕たちには想像もできないくらい過酷な環境で暮らしている子供たちがいることを、リアルに感じることができ、親の愛情は不滅であると改めて感じる、良い映画でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/f1/cf9499c07edc4ae643bdeba4fbf6fddf.jpg)
アカデミー賞でもノミネートされていましたが、予告編を観てとても観たくなりました。事実に基づいた話ということで、この男の子に何かあったのかをとても知りたくなったのです。
ここで内容を・・・
インドのスラム街。5歳のサルーは、兄と遊んでいる最中に停車していた電車内に潜り込んで眠ってしまい、そのまま遠くの見知らぬ地へと運ばれて迷子になる。やがて彼は、オーストラリアへ養子に出され、その後25年が経過する。ポッカリと人生に穴があいているような感覚を抱いてきた彼は、それを埋めるためにも本当の自分の家を捜そうと決意。わずかな記憶を手掛かりに、Google Earth を駆使して捜索すると……。
と書いてあります。
前半はサルーが兄の仕事についていきたくなり、ちゃんと仕事できるって言っていたのに、夜中の仕事だから寝てしまって。兄は仕方なく駅のベンチに寝かせて、「戻ってくるまでそこにいなさい」と言うのですが、誰もいないホームで目覚めたサルーは不安になり、ホームに入ってきた回送電車に乗ってしまい、そこから1600キロ離れた街へと行ってしまうのです。
ここから、サルーの人生は一変してしまいます。
インドでは、子供の失踪や行方不明が年間8万人とも言われているって後で出てくるくらい数が多く、子供だけで親がいない状態がさほど不思議ではないということ、そして、1600キロ離れた街の周辺でしか、サルーの両親を探す新聞広告がでなかったこと、サルーがうろ覚えだった故郷の町の名前が間違っていたこと、サルーのお母さんは文盲だったこと、本当にすごい偶然が重なってサルーは自分の町に帰ることができなかったんです。
スラムドックミリオネアの時にも、ストリートチルドレン達を使って商売している悪い大人が出てきましたが、当然この作品でも出てきます。でも、それをなんとかうまく切り抜けるサルーの生きるための本能みたいなものを感じました。
あとサルーは本当に運が良く、オーストラリアの養父母のもとにいくことができました。多分こんなに恵まれた環境に行く子供たちはすごく少ないのであろうと思います。
後半は青年となったサルーが自分が迷子になった場所から自分の故郷を探すストーリーとなります。
観終って、親の子を思う気持ちということは血のつながりがあること、無いことは関係が無いのだと改めて知らされた思いでした。映画のラストに本人たちの映像で。生みの親と育ての親とサルーとがインドで出会うというシーンが入るのですが、本当にそこには二人のお母さんが抱き合いサルーのことを本当に愛しているのだと感じることができました。
あと、子役のサニーパワール君がすごくかわいいんですよ。そして、うまい。
養母を演じたニコールキッドマンも自分のオーラを消して、ひかえ目に脇を固めております。
興味がある方はぜひ、ごらんになってみてください。
ここからはネタバレ(ストーリーに触れている)です。ご覧になっていない方は読まないでくださいね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/fe/1321eec38e4873a6e8047bc4fa17f5bf.jpg)
自分の迷子になった場所を探すサルーはそのことを養父母に隠していました。それは母親を悲しませることになるからと。でも、しだいに自分の殻に閉じこもるようになり、大学も辞め、支えてくれていた恋人とも別れ、孤独になっていきます。
サルーの兄弟として、引き取られたマントッシュはパニックになると、自らの頭を壁などにぶつける自閉症傾向をもっていて、サルーはマントッシュのことも親身に接してくれる養母にひどいことをするという理由から、あまり好きにはなれないという状態でした。
そこへ、養母の体調が悪くなったと連絡が入り、駆け付けるサルー。そこで養母がどうしてインドから子供を引き取ることにしたのかを聞くことに。それはサルーが想像していたのとは全く違っていたのでした。この養父母は自分たちの子供を作ることができないから、養子をもらったわけではなく、自分たちの子供を作るより、一人でも多く恵まれない子供たちを救いたいとの思いからだったのです。それは養母が自分の父親から虐待を受けていたとき、幻のように肌の黒い男の子が現れたことから、将来は養子をもらおうと思っていたのです。そして、夫もそのことに賛成してくれたから、サルー達を養子にもらったのだと。だから、マントッシュにもやさしくしてあげてほしいと。
サルーは自分が暮らしていて、母と兄がいる町を見つけてそこに行ってもよいかとを養母に尋ねます。養母は「もちろん、行ってきなさい。そして、立派になった姿をお母さんにみせてきなさい」と告げます。
自分の暮らしていた町についたサルー。暮らしていた家はヤギの小屋になっていました。やはり遠くに越してしまったのかとあきらめかけたときに、英語を話す男性に「自分は昔ここに住んでいたサルーで、母と兄、妹を探している」と語ります。すると、こっちについておいて、と手招きする男性。ついていくと、仕事から帰ってくる女性たちの中に母と妹がいました。母親は一目見て自分の息子だとわかり、涙を流して抱き合います。
母はいつかサルーが帰ってくるかもしれないと、故郷から離れることはなかったのです。
ですが、兄は残念ながら、サルーが回送電車に連れていかれた日に、電車に轢かれて亡くなっていました。
自分の暮らしていた町の名前も間違っていたのですが、実はサルーという名前も間違っていて、実は「シェル―」でそれが「ライオン」を意味するから、このタイトルだったと最後にわかります。
原作者のサルーさんがこの映画を観て、自分が体験したことがそのまま映像になっていて、多少の脚色はあるもののその再現性は素晴らしいと言っていた記事を読んで、この映画がすごいことがよくわかりました。
日本に生まれた僕たちには想像もできないくらい過酷な環境で暮らしている子供たちがいることを、リアルに感じることができ、親の愛情は不滅であると改めて感じる、良い映画でした。