今回は映画「沈黙」について。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c7/d809797ce9fe1bd5abac96de735b4ea2.jpg)
原作は遠藤周作、監督はマーティンスコセッシ。興味があったので、観に行ってきました。
ここで内容を・・・
江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。
と書いてあります。
僕はキリスト教の信者でもないし、宗教には詳しくないので傍観者としてだけ観ていた感じなのでした。
キリスト教信者に対しての極端な弾圧や迫害、改宗しないものに対しての虐待がものすごくひどくて、目を覆いたくなるほどなのです。それなのに、主であるイエスは何も答えず、「沈黙」しているだけなのです。それが「沈黙」というタイトルの意味だった。
棄教したフェレイラの言葉で、「日本人は太陽などの自然を信仰の対象とするから、一人の神を信仰するといっても、それは大きな自然としての神を信じる」と言っていたのが、印象的でした。だから、いくら布教しても本当の意味でのキリスト教が普及しないと。
いろいろと考えさせられる映画でした。興味がある方だけご覧になってみてください。
ここからはネタバレです。ご覧になっていない方は読まないでくださいね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/34/226a24d9cacc6a150cce248c600cc472.jpg)
ロドリゴは踏絵を踏むときに、沈黙を続けていたイエスが「踏みなさい」と言う声を聴きます。
棄教したロドリゴはフェレイラとともに、輸入されたものの中に、キリスト教に関係しているものを選び、処分するという仕事をうけます。
一見すると、キリスト教を離れたように見えるのですが、死後土葬されるときに、日本人妻が役人にわからないように、その棺に木で作った小さな十字架を握らせるのです。それがラストシーン。
信仰とは、心のうちにあるもので、声高に誰かに示すものでもない、ということを表現しているのかなと感じました。
この当時、なぜこんなに弾圧や虐待が多かったのか、不思議に思ってちょっと調べてみると、キリスト教の布教に来た神父たちや信者たが神社やお寺を焼いたり、仏像を壊したりということがあったことや、神父たちがマカオなどに日本人を奴隷として売っていたことなど、今ではちょっと考えられないようなことをしていたらしいのです。当時、キリスト教は西欧でものすごい力をもっていたので、そこで拡大していったやり方と同じことを日本でも行ったのだろうと思いました。日本は神社もお寺も、一緒に共存する文化。最初はキリスト教にも寛容でキリシタン大名なども多数存在していました。ですが、しだいにキリスト教布教のもとに大胆なことを行っていくようになり、その力が強大になっていくことを恐れた幕府も弾圧しなければいけなくなっていたのだと。
現在の日本では、様々な宗教が認められており、それぞれ信仰心を持っている人々に敬意をもって接することができる、良い世の中です。
過去にこういったことが起きていたこと、改めて知ることができて良かったです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/c7/d809797ce9fe1bd5abac96de735b4ea2.jpg)
原作は遠藤周作、監督はマーティンスコセッシ。興味があったので、観に行ってきました。
ここで内容を・・・
江戸幕府によるキリシタン弾圧が激しさを増していた17世紀。長崎で宣教師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)が捕まって棄教したとの知らせを受けた彼の弟子ロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライヴァー)は、キチジロー(窪塚洋介)の協力で日本に潜入する。その後彼らは、隠れキリシタンと呼ばれる人々と出会い……。
と書いてあります。
僕はキリスト教の信者でもないし、宗教には詳しくないので傍観者としてだけ観ていた感じなのでした。
キリスト教信者に対しての極端な弾圧や迫害、改宗しないものに対しての虐待がものすごくひどくて、目を覆いたくなるほどなのです。それなのに、主であるイエスは何も答えず、「沈黙」しているだけなのです。それが「沈黙」というタイトルの意味だった。
棄教したフェレイラの言葉で、「日本人は太陽などの自然を信仰の対象とするから、一人の神を信仰するといっても、それは大きな自然としての神を信じる」と言っていたのが、印象的でした。だから、いくら布教しても本当の意味でのキリスト教が普及しないと。
いろいろと考えさせられる映画でした。興味がある方だけご覧になってみてください。
ここからはネタバレです。ご覧になっていない方は読まないでくださいね。
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ロドリゴは踏絵を踏むときに、沈黙を続けていたイエスが「踏みなさい」と言う声を聴きます。
棄教したロドリゴはフェレイラとともに、輸入されたものの中に、キリスト教に関係しているものを選び、処分するという仕事をうけます。
一見すると、キリスト教を離れたように見えるのですが、死後土葬されるときに、日本人妻が役人にわからないように、その棺に木で作った小さな十字架を握らせるのです。それがラストシーン。
信仰とは、心のうちにあるもので、声高に誰かに示すものでもない、ということを表現しているのかなと感じました。
この当時、なぜこんなに弾圧や虐待が多かったのか、不思議に思ってちょっと調べてみると、キリスト教の布教に来た神父たちや信者たが神社やお寺を焼いたり、仏像を壊したりということがあったことや、神父たちがマカオなどに日本人を奴隷として売っていたことなど、今ではちょっと考えられないようなことをしていたらしいのです。当時、キリスト教は西欧でものすごい力をもっていたので、そこで拡大していったやり方と同じことを日本でも行ったのだろうと思いました。日本は神社もお寺も、一緒に共存する文化。最初はキリスト教にも寛容でキリシタン大名なども多数存在していました。ですが、しだいにキリスト教布教のもとに大胆なことを行っていくようになり、その力が強大になっていくことを恐れた幕府も弾圧しなければいけなくなっていたのだと。
現在の日本では、様々な宗教が認められており、それぞれ信仰心を持っている人々に敬意をもって接することができる、良い世の中です。
過去にこういったことが起きていたこと、改めて知ることができて良かったです。