今回は映画「スポットライト・世紀のスクープ」について。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/27/f7e0d69fe00e95f7870be0494ac25b87.jpg)
アカデミー賞の作品賞、脚本賞の受賞作である作品ということで、観に行くことにしました。
ここで内容を・・・
2002年、ウォルター(マイケル・キートン)やマイク(マーク・ラファロ)たちのチームは、「The Boston Globe」で連載コーナーを担当していた。ある日、彼らはこれまでうやむやにされてきた、神父による児童への性的虐待の真相について調査を開始する。カトリック教徒が多いボストンでは彼らの行為はタブーだったが……。
と書いてあります。
ちょっと、前からCNNなどでカトリックの神父による児童虐待のことは何度も観ていましたが、この新聞記事からどんどんその捜査が広がっていたのかと、改めて感じました。
この作品では、カトリックによる事件隠ぺいの仕方をしっかり描いているのと、被害者たちがその後どのような苦悩を感じて生きているのかということが、まるで、ドキュメンタリーのよう描かれています。
「ダウト」という映画でも神学校での児童虐待を描いていましたが、この問題はものすごく歴史が古く、根が深いものなんだと改めてかんじました。
こういった事件を起こした人物は、普通なら学校をクビになったり、社会的な罰をうけることが普通なのですが、神父たちにはそれが通用しないという図式があるのです。これは、きっと神父の上層部にも小児性愛者がいて、自分たちにも不利にならないような仕組みなのかなと感じました。
カトリックでは、神父は結婚してはいけないし、子供をつくること以外のSEXは禁じられているので、マスターべ―ション以外は性的な行為は行えないことになっています。ここから、同性愛的な行動が多くなるのは監獄などの状況と似ていますね。ですが、小児性愛はまた違うと思うのです。小児性愛だから、自分の欲求を満たすために神父になりたいと思った人物がいると、この映画を観て感じました。
子供たちがかわいそうです。
こういった状況を改めて教えてくれる本作は、改めて、私たち人間も動物で性欲を禁じることの弊害と、自分の欲求を満たすためにはどんなこともするんだなと考えさせられました。
マークラファロが「はじまりの歌」の時とは全く違って、やせて、若々しくなっていたのが、すごいと感じました(笑)。はじまりの歌の時は、だらしないちょっと太ったおっさんだったのに。
被害者の弁護をしている弁護士の役にスタンリー・トゥッチが出ていますが、彼はほんとカメレオン役者です。基本はスキンヘッドな彼ですが、今作では、ちょっと額が後退しているようなくらいのかつらを使って、それがとっても自然なんですよ。そして、彼の演技のうまさもとても光っておりました。
社会派の映画がお好きなかたは、ごらんになってみてください。
ここからは、ネタバレしております。ご覧になっていない方は読まないでくださいね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/56/67/8657e60d99166e794532311897e92e2c.jpg)
彼らが、目をつけたのが事件を起こした神父たちが病気休養や地方出張などで一時的に移動していて、その後再び別な場所で神父の職に就いていたことでした。ここから、不自然な異動をしている神父の数を調べたら、なんとボストンだけで87名!映画の中で全神父の中で6パーセントは小児性愛者という報告が出てくるのですが、まさにその通りで。中には異動した先でも再び性的虐待をして、また病気療養と言う名の一定期間をおき異動する、を繰り返していた者もいました。
僕はゲイなので、性的なマイノリティです。ゲイは犯罪ではないけど、小児に性的虐待をするのは犯罪です。これがカトリックの厳重な防御によって守られていたという事実がわかったのが、とてもショックでした。
これを新聞に載せるまでに、様々な妨害もあるのです。
映画のラストは新聞が出た後に、新聞社には「自分も被害者」だと名乗る人たちからのひっきりなしの電話がかかってくる場面です。
敬虔なクリスチャンで、母子家庭で育った子供は、たとえ、性的虐待をうけても、お母さんには相談できないということも今回の映画でわかったことです。それは神父=神なので、神の悪口を母親に伝えることはできないからなのだそうです。また、こういう家庭の子供をターゲットにするあたり、やり方が汚いというか。
権力を持つ者は、謙虚な姿勢でないといけないといつも思います。きっと立派な神父もたくさんいると思います。ですが、その権力を使って、弱者を苦しめる者がいるのも事実。
人間の嫌な面を感じるとともに、それに対して、しっかり向き合い、罪を償わせようとする人間がいることが救いでした。
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アカデミー賞の作品賞、脚本賞の受賞作である作品ということで、観に行くことにしました。
ここで内容を・・・
2002年、ウォルター(マイケル・キートン)やマイク(マーク・ラファロ)たちのチームは、「The Boston Globe」で連載コーナーを担当していた。ある日、彼らはこれまでうやむやにされてきた、神父による児童への性的虐待の真相について調査を開始する。カトリック教徒が多いボストンでは彼らの行為はタブーだったが……。
と書いてあります。
ちょっと、前からCNNなどでカトリックの神父による児童虐待のことは何度も観ていましたが、この新聞記事からどんどんその捜査が広がっていたのかと、改めて感じました。
この作品では、カトリックによる事件隠ぺいの仕方をしっかり描いているのと、被害者たちがその後どのような苦悩を感じて生きているのかということが、まるで、ドキュメンタリーのよう描かれています。
「ダウト」という映画でも神学校での児童虐待を描いていましたが、この問題はものすごく歴史が古く、根が深いものなんだと改めてかんじました。
こういった事件を起こした人物は、普通なら学校をクビになったり、社会的な罰をうけることが普通なのですが、神父たちにはそれが通用しないという図式があるのです。これは、きっと神父の上層部にも小児性愛者がいて、自分たちにも不利にならないような仕組みなのかなと感じました。
カトリックでは、神父は結婚してはいけないし、子供をつくること以外のSEXは禁じられているので、マスターべ―ション以外は性的な行為は行えないことになっています。ここから、同性愛的な行動が多くなるのは監獄などの状況と似ていますね。ですが、小児性愛はまた違うと思うのです。小児性愛だから、自分の欲求を満たすために神父になりたいと思った人物がいると、この映画を観て感じました。
子供たちがかわいそうです。
こういった状況を改めて教えてくれる本作は、改めて、私たち人間も動物で性欲を禁じることの弊害と、自分の欲求を満たすためにはどんなこともするんだなと考えさせられました。
マークラファロが「はじまりの歌」の時とは全く違って、やせて、若々しくなっていたのが、すごいと感じました(笑)。はじまりの歌の時は、だらしないちょっと太ったおっさんだったのに。
被害者の弁護をしている弁護士の役にスタンリー・トゥッチが出ていますが、彼はほんとカメレオン役者です。基本はスキンヘッドな彼ですが、今作では、ちょっと額が後退しているようなくらいのかつらを使って、それがとっても自然なんですよ。そして、彼の演技のうまさもとても光っておりました。
社会派の映画がお好きなかたは、ごらんになってみてください。
ここからは、ネタバレしております。ご覧になっていない方は読まないでくださいね。
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彼らが、目をつけたのが事件を起こした神父たちが病気休養や地方出張などで一時的に移動していて、その後再び別な場所で神父の職に就いていたことでした。ここから、不自然な異動をしている神父の数を調べたら、なんとボストンだけで87名!映画の中で全神父の中で6パーセントは小児性愛者という報告が出てくるのですが、まさにその通りで。中には異動した先でも再び性的虐待をして、また病気療養と言う名の一定期間をおき異動する、を繰り返していた者もいました。
僕はゲイなので、性的なマイノリティです。ゲイは犯罪ではないけど、小児に性的虐待をするのは犯罪です。これがカトリックの厳重な防御によって守られていたという事実がわかったのが、とてもショックでした。
これを新聞に載せるまでに、様々な妨害もあるのです。
映画のラストは新聞が出た後に、新聞社には「自分も被害者」だと名乗る人たちからのひっきりなしの電話がかかってくる場面です。
敬虔なクリスチャンで、母子家庭で育った子供は、たとえ、性的虐待をうけても、お母さんには相談できないということも今回の映画でわかったことです。それは神父=神なので、神の悪口を母親に伝えることはできないからなのだそうです。また、こういう家庭の子供をターゲットにするあたり、やり方が汚いというか。
権力を持つ者は、謙虚な姿勢でないといけないといつも思います。きっと立派な神父もたくさんいると思います。ですが、その権力を使って、弱者を苦しめる者がいるのも事実。
人間の嫌な面を感じるとともに、それに対して、しっかり向き合い、罪を償わせようとする人間がいることが救いでした。