岩手県陸前高田市の名勝・高田松原に建立され、住民に親しまれてきた啄木歌碑が東日本大震災による津波で流失したため、平成25年11月14日、高田松原近くの震災遺構として保存されているタピック(観光物産センター、旧“道の駅”)前にある東日本大震災仮設追悼施設脇に再建された。以前の歌碑の歌とは異なり、“津波の犠牲者を忘れない“との思いを込め「頬につたふ なみだのごはず 一握の砂を示しし人を忘れず」の歌が刻まれた。陸前高田市が計画している祈念公園が完成した後は、移設される予定のようです。なお、啄木は明治33年7月21日、盛岡中学の三陸沿岸修学旅行で高田松原を訪れている。



追悼施設

奇跡の一本松モニュメント
平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲い、約7万本と言われる高田松原の松林もほとんどが流されてしまいましたが、その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」でした。しかし、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、モニュメントとして保存することにしました。


頬につたふ
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
啄木
なみだのごはず
一握の砂を示しし人を忘れず
啄木

追悼施設

奇跡の一本松モニュメント
平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲い、約7万本と言われる高田松原の松林もほとんどが流されてしまいましたが、その中で唯一耐え残ったのが「奇跡の一本松」でした。しかし、海水により深刻なダメージを受け、平成24年5月に枯死が確認されました。復興のシンボルとして親しまれてきた一本松を、今後も後世に受け継いでいくために、モニュメントとして保存することにしました。