奥州街道を行く
奥州街道は江戸時代の江戸・日本橋を起点とする五つの陸上交通路のひとつで、盛岡を経て青森までの道路です。
前回は鍛冶町一里塚まで来ました。鍛冶町一里塚を過ぎると T 字路になり、ここを左折し「上の橋」を渡り本町通りをまっすぐに進みます。

鍛冶町一里塚

上の橋
「本町通」は旧町名では「本町」それに続いて「八日町」、「四ツ家町」でした。本町は毎月28日、八日町は8日が市日であったことに由来します。八日町の北の「四ツ家町」は、上田への出口,赤川橋の手前に、外堀にかかる四ツ家御門があり、盛岡城下を通る奥州街道の北の玄関口に当たっていました。また、この付近には,北に入る袋丁があり、谷小路という侍町がありました。四ツ家町の由来は,町割に際し4軒の家を初めに建てたことによるといわれています。また、四ツ家御門に至る通りを大四ツ家ともいわれていました。ここ四ツ家町に教会が立っています。

旧町名

四ツ家教会
四ツ家教会は明治13年に建てられており、四ツ家は当時の町名でした。四ツ家教会前の十字路は、以前はT字路でしたが、昭和45 年の岩手国体を機に十字路になり、まっすぐに進むと岩手大学正門前を通り国道4号を横切り、再び奥州街道に合流します」。さて、奥州街道は教会前の十字路を右折、次の信号を左折して上田街道に進みます。四ツ家の地蔵尊に着きます。

田中の地蔵さん
「田中の地蔵さん」の名で親しまれている四ツ家の地蔵尊は,5代藩主南部行信の母堂の遺骸を荼毘(だび)に付した火屋(ほや)の跡に建てられたもので,以前は東禅寺(盛岡市名須川町)門前の田圃の中にありました。現在地に遷座されたのは、大正元年(1912)年で、四ツ家の地蔵尊と呼ばれるようになりました。
ここは四ツ家惣門跡で、旧奥州街道の北の玄関口で、門の脇には番所が、門の外には堀(赤川堰)が巡らされていました。
ここは四ツ家惣門跡で、旧奥州街道の北の玄関口で、門の脇には番所が、門の外には堀(赤川堰)が巡らされていました。
ここから、山田線の線路を横切ると、県立中央病院に着きます。

岩手県立中央病院
県立中央病院は、以前は「上の橋」のふもとにありましたが、県民の医療ニーズに対応し、最新で高度な医療を提供すること等を基本方針として昭和61年に移転新築工事に着工 昭和 61 年 10 月 新病院竣工、昭和 62 年3 月に 新病院として全面業務開始となりました。
病院前の道路は整備され、片側2車線に整備され、病院を出て、左折すると国道四号線があり、右折して真っすぐに進み山田線を渡って進むと夕顔瀬橋があり、さらに進むと太田橋へとつながっています。
岩手県のコロナウイルス感染状況
県内の5月11日現在のコロナウイルス感染者は累計1122人です。このうち、入院中は127人、宿泊療養中は44人、入院等調整中は28人、退院・療養解除は887人、死者は36人です。
盛岡市の65歳以上のワクチン接種スケジュールがきまりました。接種開始日は5月31日からです。
5月31日 90歳以上 7100人
6月 7日 85歳~89歳 9700人
6月14日 80歳~84歳 12400人
7月12日 75歳~79歳 14700人
7月19日 70歳~74歳 21100人
7月26日 65歳~69歳 18800人
計 83800人
盛岡市の65歳以上の人口は盛岡市の総人口 が289,399人(4月1日現在)ですので、約 3 割程度になります。