梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

浄瑠璃ぶれ、ふたたび

2009年01月14日 | 芝居
昨日ご紹介いたしました<浄瑠璃ぶれ>ですが、人形浄瑠璃<文楽>の公演で、段ごとに太夫、三味線の名前を黒衣姿の者が申し述べてから演奏に入る光景を思い起こされた方も多いかと存じます。

こちらのほうが起源的には古いものなのでしょうが、面白いもので、義太夫地の歌舞伎舞踊の『櫓のお七』、あるいは『妹背山道行』を人形振りで上演する時などは、やはり黒衣姿の役者が本行に模して<浄瑠璃ぶれ>を行うことが多うございます。
これもまた、古風な趣きがするものですが、普段は絶対喋ることのない黒衣が、お客様の前で滔々と役人替名を述べるというのも、不思議なものですね(ただし、現行のやり方では、こういう場合の黒衣はたいてい黒繻子の生地で仕立てられた“衣裳”としての黒衣を着用し、普通ならば「目立たぬように」と折り込む頭巾の角をわざと出したりと、常の後見としての黒衣とは別物だということを表現してもおりますが)。

さて、私もこの<浄瑠璃ぶれ>の黒衣を“1度だけ”勤めさせて頂いたことがございます。
平成15年1月松竹座、加賀屋(魁春)さんの襲名披露興行での『二人夕霧』です。
6世歌右衛門の大旦那が復活なすったこのお芝居、後半から義太夫の浄瑠璃出語りとなりますので、いったん登場人物が全員退場したところで、くだんの<浄瑠璃ぶれ>となります。

『東西、このところ御覧に達しますは、景事「嫐競街文章(はでくらべくるわのぶんしょう」二人夕霧の段、語ります太夫◯◯…三味線△△…、役人替名☆☆…。
右の役人残らずまかりいで、相勤めまする。そのため口上左様。東西東西、東西』

3名の太夫、3名の三味線、4人の役名と俳優名。これをソラで言わなくてはならないというもの。
いや~緊張しました~。
無音の舞台にツカツカ出てきて、一人喋りまくって引っ込んで…。
こういう仕事はテレてしまうものなんですよね…。

…実はこの<浄瑠璃ぶれ>をやったのは舞台稽古まで。初日からは、上演時間の関係と、「前半の流れのまま芝居をみせたい」というご意向で、カットになったのです。ですから“1度だけ”というわけ。

それ以降、『二人夕霧』の上演では、<浄瑠璃ぶれ>は行われておりません。
いつか再び、このお役目を勤める日は来るのでしょうか?

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
そういう趣向の予定だったのですか… ()
2009-01-14 23:40:23
エントリー拝読してまして、あれっ?
あの二人夕霧何回も見たけどそんなんなかったはず…
と思ってしまいました。
舞台稽古までだったのですか…なんか残念ですね。
「傾城買指南所」なんて開いちゃってる伊左衛門に先の夕霧と後の夕霧がいて…
面白いお芝居ですね。
また拝見したくなりました。
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