梅之芝居日記

歌舞伎俳優の修行をはじめてから15年がたちました。
日々の舞台の記録、お芝居ばなし等、お楽しみ下さい。

15年前の千本桜

2007年03月11日 | 芝居
私が生まれて初めて生で観た歌舞伎が、『通し狂言 義経千本桜』でございました。
平成4年8月歌舞伎座でございましたが、納涼花形歌舞伎と銘打たれ、中村屋(勘三郎)さん、大和屋(三津五郎)さん、成駒屋のご兄弟(福助さん、橋之助さん)といった顔ぶれでしたが、中村屋さんが権太、相模五郎、「道行」の静御前、そして「四の切」の義経。大和屋さんが昼夜通しの忠信と入江丹蔵、成駒屋(福助)さんは典待の局、お里、「四の切」の静御前、成駒屋(橋之助)さんは平知盛と「四の切」の亀井六郎…。多くの出演者が2役3役をお勤めになり、いやがうえにも熱気のこもる舞台となったのでした。

当時11歳の私は、母と2人で昼夜を通して3階席から拝見。初めての歌舞伎座で、体に響く大太鼓の音にドキドキしたり、浅黄幕の振り落しなどの独特な演出に驚きながら、いつしか「千本桜」の物語に惹きこまれていったのでした。
…初めての舞台は、やはり深く記憶されるものですね。中村屋さんの魚尽くしの「ハヤ、サヨリなら」の台詞回しとか、成駒屋さんの知盛が海に飛び込む姿、あるいは「道行」で静の使う金銀の姫扇が照明に当たってキラキラしていたこと…。ささいなことでも、今もはっきりと目に浮かぶんです(大向こうがどんな掛け声をかけたかまで!)。
おこがましい言いようかもしれませんが、大変すばらしい舞台が<初歌舞伎>となったおかげで、それ以来歌舞伎が大好きとなり、今の私がいるように思えてなりません。そしていま、同じ歌舞伎座の同じ通し狂言に自分が出ている。本当に有難く、嬉しいことでございます。


そういえばあの時は、「道行」に藤太が出ませんでした。歌舞伎座で静と忠信のみの「吉野山」が出るのは、そうそう多くはございませんね。