縦走、フリークライミング、アルパインクライミング、沢登りなどを経験していく中で私は、登山の野性的な感覚、身体的なスポーツとしての面白さ、そういったものが自分の登山にとって重要な要素だと感じ始めてきた。
つまり、山登りの基本的な縦走の上に立って、それ以上により自然な山登りである沢登りに野性味を感じ、フリークライミングの身体的なスポーツとしての面白さ、アルパインクライミングの知的ゲーム性を統合した山登りは、まさに自分のやりたい山登りだと感じるようになってきた。
そこでもっとも魅力的なジャンルが、トラディッショナルなクライミング。そして規制ルートではない岩の弱点を突いたクライミングだった。それを実践する場が瑞牆に有った。
初めて瑞牆山を訪れたのは20代の後半にでかけたハイキング。岩山なので、少し緊張して出かけたが、通りに出合う岩に「ここは登れそうだ」とか「ここを登るのは難しそうだ」とか、岩を登ることを意識しながらハイキングをしていた。アルパインクライミングを経験して、初めて瑞牆山でクライミングをしたのは「翼ルート」だった。購入したばかりのカムとナッツを駆使してのクライミングだったが、自分でプロテクションを設置しながらのクライミングに大満足だった。そして「これこそが自分の望んでいたクライミング」という感動を覚えた。それ以降瑞牆山に通い、いろいろな既製ルートを登った。
ある年、「山賊79黄昏ルート」を登った時、ルートの下部が少し不自然に感じた。このルートの下部は弱点が他にあるにも関わらず、無理なところから登っているような気がして、もっと登りやすいところから登ってみようと思い、その結果「錦秋カナトコルート」が生まれた。2001年の秋である。
その後、アプローチの途中で見つけて開拓した「天鳥川北の沢右岸スラブ」。もっとおもしろい開拓は出来ないだろうか、と思って見つけて登った「アウトサイダー・ズルムケチムニールート」。たった1本のクラックを登りに行ったはずだったのに、思いがけなく素晴らしい6ピッチのルートが出来た「一粒の麦」。カナダで亡くなった後輩がきっかけを作ってくれた「クラック地獄エリア」など、瑞牆山でのクライミングは、自分の山とクライミングにとって一番大切なものになった。
瑞牆山でのクライミングは、道のない山を歩き回り、他人が登ったことのない、または事前に情報がない岩を自分の目で見つめ、登れそうかどうか判断し、作戦を練ってチャレンジする。そして登りきった時の充実感は、他の登山にない達成感を味わうことが出来る。私はアルパインクライミングが一番好きだが、トラディッショナルなクライミングの初登というのは、それに似たものがある。