タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

タカ長ひとりが蚊帳の外?

2015年09月20日 | タカの渡り
    

裏山の空です。

    

68番鉄塔から見る窓ヶ山です。ご覧のように今朝は快晴でした。

昨日の渡り、、、、そして、、、、東からの情報をみても、いまが渡りの最盛期だと思われますが、、、、

この青空は晴れすぎですね。とか何とか不満を言ってはいけないのですが、、、、、、

風だけはさわやかで、タカ長は68番鉄塔で観察しました。

しかし、ここでは多くのタカが見られないで、結果から見ると「タカ長ひとりが蚊帳の外」の状態でした。

西のほうからは2000羽超えの情報も入ってきたのですが、タカ長はその1割あるかなしか、、、、、

でも、悪いことばかりではありません。

    

これはノートリ画像です。カメラは例の50倍ですが、50倍にズームしたらハチクマがはみだすようで30倍くらいで撮ったものです。

タカ長のウデでこれだけ撮れたのはラッキーでした。もちろん連写で撮りましたが、何枚もフレームアウトしていました。

    

近すぎて文句を言ってはいけないのですが、タカ長のウデでは近すぎても困るのです。

    

せめてこれくらいの距離で、、、、、、、

とか何とかいいませんが、本当のところを言うと近くを飛んでくれたのはこの1羽だけでした。10羽とはいいませんが、せめて数羽でも近くを飛んでくれたら大満足なのですが、、、、、、。

    

タカ長が注目していたのはこの方向、阿弥陀山の方向なのですが、、、、この方向では100羽くらいの群れを一度だけ見ただけです。

ということで数的にはダメでした。しかし、、、、、、

    

    

写真に撮れるところを何羽も飛んでくれたので満足しないといけないのでしょう。

負け惜しみではないのですが、、、、数を求めて68番鉄塔に来ているのではありませんから、、、、、、、。

    

大瀬崎のIさんのブログを見るとこのような写真を紹介されていました。

あまり見ることのない飛行雲(?)ですが、タカ長も同じような雲を見たので1さんにならって撮ってみました。

どのような気象条件のときこのようになるのか、タカ長には分からないのですが、、、、、、面白いですね。


花咲く尾根で、、、

2015年09月19日 | タカの渡り
タカの渡りも最盛期にはいったようです。

そのため忙しい日がつづいているのですが、今日は71番鉄塔に登ってみました。

    

    

鉄塔のある尾根には秋の花が咲きはじめていました。

日影に入ると涼しい風が吹き、観察条件としてはよかったのですが、広い視野を独りでカバーすることは難しくて、おそらく見落としばかりの観察だったはずです。

それでも昼前にはチョッとパニクルようなタカ柱が上がり、、、、、といっても距離的には少し遠かったのですが、、、、、とにかくまとまった数のハチクマを見ることが出来ました。

    

    

また、頭の上を次々と流れてゆくハチクマも観察できてラッキーでした。

    

    

いまの渡りはハチクマがメインですが、、、、

    

    

サシバなど他のタカも見ることが出来ました。

天気は良いし、タカを見ることが出来るし、、、、

このところハッピーな日が続いているタカ長です。

明日も晴れ予報、、、、、、明日はどこに行こうかなぁ、、、、、、。


思い出の山へ

2015年09月18日 | 山歩きから


仲間たちと広島県の南西部にある大野権現山に行ってきました。

その場所です。

この画像の右に見えるのが安芸の宮島です。その対岸を少し入ったところにある標高700mくらいの山です。

この山に登るときはふもとにあるおおの自然観察の森をベースにすることになります。

    

おおの自然観察の森を入ってすぐにその山頂を見ることが出来るのですが、この画像はその山頂から南に下がったところにある「おむすび岩」を見たところです。

ズームしていないので少し見難いのですが、稜線に近いところにその岩があります。

    

そこに登ってみると、、、、、大きな岩の上にのったおむすびみたいな「おむすび岩」があります。

思い出の山へ、、、、、というタイトルにしたのは次のようなことがあるからです。

20年以上前のことですが、タカ長が初めて町内会の役員として「副会長」を拝命したときのことです。

時の会長から町民のためのレクリエーションを企画するように依頼され、おおの自然観察の村をベースにあそび、希望者がこのおむすび岩に登ったのです。

その世話役はもちろんタカ長ですが、そのとき登山用のベストを着て行ったのが運命を変えることになったのです。

    

タカ長のその姿を見た参加者から

「貴方は登山経験があるのでしょう」「登山経験があるのなら町内に山歩きの同好会をつくって下さい」

というような話になり、最初はその依頼を固辞していたのですが、その日以降何度も何度も頼まれて、、、、

ついに重い腰を上げることになったのです。

つまり町内会の行事としてこのおむすび岩に来たことが、今の山グループを誕生させるきっかけになっているのです。

あのときもし、町内会の行事として温泉旅行などしていたら、この山グループは誕生していなかったかも分からないのです。

この山は平凡な山で特記するようなことは何もないのですが、私たちの山グループの誕生にかかわる山として、少なくとも私たちには思い出の山ということになるのです。

    

あれから20年以上が過ぎましたが、その間にいろいろな山を歩き、それなりの脚力を身につけてきているので、、、、

おむすび岩から大野権現山までの尾根歩きは問題ありません。

    

といいたいのですが、今日で4レンチャンのタカ長は、おむすび岩を出発するころから空腹を感じ、、、、

最後はシャリバテといところまではなりませんでしたが、空腹がひどかったことだけは間違いありません。

この2枚は大野権現山からの写真ですが、空気がクリアでかなり遠くまで展望することが出来ました。

しかし、、、、、、

    

多少は期待していたハチクマはおむすび岩で2羽見ただけ、、、、、

大野権現山でも1羽見たのですが、これは自信持って識別できませんでした。まず間違いないとは思うのですが、、、、という程度です。

    

おおの自然観察の森はベニマンサクで有名ですが、、、

このベニマンサクは秋には一番早く紅葉します。今日は9月の中旬ですから一部の木しか紅葉していませんでした。



一緒に行った仲間がおむすび岩で撮った写真を送ってくれました。良く撮れているので紹介します。

背景の島が安芸の宮島です。すごそこに見えますね。


    

「旅レコ」の記録を見ても、疲れるほどの山歩きではないのですが、、、、しかし、毎日のように山道を1万歩以上歩いていると疲れてきます。

やはり「後期高齢者」なのですね。





予定がたて込んできて

2015年09月17日 | 日々雑感
このところのタカ長、いろいろな予定がたて込んできて忙しい日をすごしています。

    

そのひとつが健康講座の準備、タカ長の担当はテキストですが、、、、

この資料は第1回のときに準備したのですが、そのときの、この種の図は全国版でした。

今年もその資料で済まそうとしたのですが、広島市の広報9月15日号に、、、、、



このようなものが紹介されており、同じ使うのなら自分たちの町の資料のほうが良いので、この資料に差し替えたのですが、、、、、

使用する図を変えれば当然のことですが、それに対応する文章も書きかえなくてはいけませんし、、、、、、

1ページ目を変えればそれ以降の文章にも目を配らなくてはいけませんし、、、、、

そのようなことで講座の準備にもそれなりの時間を撮られているわけです。

    

しかし、、、、、、今はタカの渡りの季節で、晴れれば観察に出かけたいし、、、、

講座のことは一例でそのほかにもやりたいこともあり、、、、、、

そして昨日は地元紙の取材を受け、状況によってはその件で時間を取られるかも分からないし、、、、、

だからと言って仲間たちとの山歩きをキャンセルする気にはなれないので、、、、、

忙しい思いをすることになるのです。何かをキャンセルすれば楽になるのに、、、、、

欲ばりなタカ長は何もかもやりたくて忙しい思いをしているのですから、ここでぼやいてもいけませんね。

「そんなのお前の勝手だろう、、、」と言われたら返す言葉がないのですから、、、、、。

    

68番鉄塔から見た71番鉄塔です。

週末には天気が良くなり、大きな渡りが期待できそうなので、そのどちらかに行ってハチクマを見るつもりです。

写真に撮れるような、、、、、、近いところを飛んでくれると嬉しいのですが、さてさてどうなるでしょうか?

いずれにしてもこのところのタカ長、後期高齢者のスケジュールではないように感じているのですが、そのスケジュールを曲がりなりにもこなすことが出来るのですから、この健康体に感謝しないといけませんね。




雨の降る前に

2015年09月16日 | 山歩きから
          

今朝の裏山、、、、、、といいたいのですが、これは9月11日の撮影です。

今朝は今にも降りそうな天気でしたが、相棒に誘われて裏山へ行きました。

こうなると病気???

相棒は国勢調査に関係しており、いつもの秋より忙しいようで、、、、、

チョッとでも時間が取れるときに裏山に行きたいのでしょうか???

    

タカ長は昨日の裏山歩きから体が軽くなったようで、、、、、

夏の疲れ、ジャワ島旅行の疲れがやっと取れたようです。

しかし、タカの渡りとか何とかいって歩くことを怠っていると体が重くなってきて、、、

せっかくの好調を台無しにするような気がして裏山を歩いたわけです。

    

昨日の白樺峠の記録を見ると、秋の渡りも本番に入るようで、空も気になるのですが、、、、、

その意味では雨模様の今日そして明日は心おきなく裏山を歩くことができるというわけです。

とは言いながら、やはり雨が降らないほうがいいので、今朝はいつもより早くから歩きました。

途中少しは降りましたがこの時間、16時頃の降り方ではありませんでした。

雨が降る前の裏山歩きだったといってもよさそうです。

ハチクマの季節が終わればキノコの季節、相変わらず忙しいタカ長です。




さわやか健康講座を前に

2015年09月15日 | 山歩きから
タカ長たちの学区の公衆衛生協議会が主催する「さわやか健康講座」が今年も来月末に行われます。

地元の公民館にも協力していただいて行うこのイベントではタカ長は「講師の先生」ということになりますが、もちろんタカ長ひとりで出来ることではありません。

タカ長の仕事は当日使うテキストの執筆くらいで、そのほかの事前準備は仲間たちが分担してくれています。

今日はその仲間たちと登山道の整備をしました。

    

先日来の雨で何本かの木が倒れたのですが、その中で残った最後の大きな木をとり除くのが今日一番の仕事でした。

    

町内会に常備されている災害復旧用のチェーンソーを借りて松の倒木を伐り、、、、

    

登山道に残ったほうにロープをかけて強引に引っぱって、歩くスペースを確保しました。

    

作業が終わるとこのようになり、これであの倒木をまたぐ必要もなく、簡単に通過することが出来ます。

この倒木を見たときはしり込みしましたが、やはり機械力ですね。プロが使っているような大きなチェーンソーではありませんが、、、、

それがあったから伐ることができました。手鋸ではどうすることも出来ませんから、やはり道具は必要だということですね。

    

朽ちてきて滑りやすくなった古い橋を取り除き新しくしました。この橋の工事(?)は2ヶ所です。

作業量としては多いのか少ないのか分かりませんが、何しろ私たちの「工兵隊」はプロ集団(?)で、、、、

「ゼネコン大手3社の共同企業体」(?)が行うのですから立派なものが出来るのです。

    

ということで能なしのタカ長は戦力外、カメラを持って見ておれば所期の目的は達成されるというわけです。

これで健康講座の日に歩くコースの整備は終わりました。ひと安心ですね。

    

これが本日のご褒美。ミヤマウズラの花です。

思わぬところに咲いているのを仲間が見つけてくれました。

これからの時期、わが裏山では多くの花を見ることが出来ませんが、キノコの数は多くなります。

ハチクマの季節が終わるとタカ長の関心はキノコに向きます。今年の○○茸はどうなるのかなぁ~。


ジャワ島の旅から~36

2015年09月15日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクにて~6

記念撮影をするなどして海辺でくつろいだ時間を過ごした後はアンディさんらをまじえて昼食となりました。

    

はっきりいうと粗末な建物の中の粗末なテーブル、ということでしょうが、、、、中身は絶品でした。

料理についていえば、ひょっとしたら今回のジャワ島旅行で食べた食事の中で一番おいしかったかも分かりません。

また、ここで話されたことは、、、、、ヘルさんや村人たちの活動やアンディさんたちの思いを聞いたのですが、、、

その話を聞くためにわざわざジャワ島に来たといってもよいくらい内容のあるものでした。

しかし、タカ長がここで理解したのはその一部だけ、、、、、、

その理解を補うために何かの資料に触れることを願っているのですが、いまのところその願いはかなっていません。

ということで、今回の旅の一番大切なことでありながら断片的なことしか書くことが出来ないのです。

    

テーブルの上にはローソクが、、、、このようなところにも村人の心づかいがみえます。

ここで7年前からのヘルさんたちの活動のことが話され、2年前から村人の意識が劇的に変わったことも聞きましたが、、、、

    

この場に実際に密漁していた青年も同席して、、、、

1時間にイルカ7頭と海亀3頭をとった話を聞きました。それだけ豊かな海であることの証なのです。

その青年もいまは完全に意識を変え、、、、自分が何とおろかなことをしてきたか、どれほど悪いことをしてきたか懺悔していました。

その青年が語ったことをすべて通訳するのがはばかられるのか、わが隊長さんもことばにつまったと言うか、、、、、

そのようなことで彼が語ったことのすべては理解できていないのですが、、、、、、

彼が言っていましたが、自然を壊すのは簡単だけどそれを再生するにはどれほど多くの時間と労力がいるか、、、、そのことばには実感がこもっていました。

壊した人が再生の努力をしているのですから、彼らのことばには机上の空論にはない実感があります。

    

人が人を変えることができる教育の大切さも語られました。その思いが子どものときからの教育、感性を育てることの大切さに気づき、、、、この小さな村には似つかわしくないような図書をそろえ、村の長老が子どもたちの教育に当たっているのです。

    

リーダーのアンディさんは、環境保全の研究といっても、研究のための研究ではだめで、地元住民をまきこんで、地元住民と協力して改善してゆくことが大切だと力説されていました。この村の活動はその事例だということです。

このような活動は時間がかかることですが、住民を鼓舞し、教育啓発をする活動は今後も続けてゆくと話されていました。

    

このような活動はまだまだ道半ばで、アンディさんの話から、、、、山登りにたとえたらまだ2号目か3号目くらいかなぁ、とタカ長は感じたのですが、、、、

アンディさんの思いがすべて実現したとき、、、、つまり山頂に立ったとき、、、、そこでどのような風景が見えるのか、そのことを聞き出すことが出来なかったのが残念です。

    

彼らのこのような活動に対してARRCNもサポートしていて、そのため今回のエコツアーでこの村を訪問することになったのでしょう。

写真でも紹介しているように村の中で活動資金の贈呈式???みたいな事が行われていたようですが、、、、

豪華な会場での華やいだ式典より、素足の村人たちと交流しながらの質素な、式典ともいえないような式典がいいですね。

ヘルさんたちの活動は彼の後輩たちにも受け継がれ、この場にマラン大学の学生も来ていました。その学生たちもこの活動に熱心に取り組んでいて、、、、

先輩のヘルさんのしりを後輩の女学生がたたいているような風景が見られたとか、何処の国も女性の力はすごいですね。

    

いろいろな行事が終わっても住民たちとの交流は続き、、、、、

    

    

何時までも去りがたい気持ちでした。

日本を出発するときは、、、、コンダン・メラクに行くことだけは分かっていたのですが、、、、、

ここでこのような経験をするとはまったく予測していませんでした。そのためタカ長にはとても感動的だったのですが、、、、

何しろ取材らしい取材もできていませんし、資料らしい資料はまったくないので、タカ長の気持ちだけが先行した内容のない報告になったのが残念です。

この話題、その後のことを報告できることがありましたら、あらためてレポートさせていただきます。


ジャワ島の旅から~35

2015年09月14日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクにて~5

チョッと重い内容がつづきましたので今日は軽い話題です。

    

時系列でいうと、私たちはメラク村について早々に、昨日紹介した寺子屋(ということにしておきます)案内されたのです。

おそらく彼らとしてもここが一番の自慢なのかも分かりません。

そのあと外に出てココナッツ・ジュースの接待を受けたわけです。その量は飲みきれないくらい、、、、、。

帰国して調べたら国内でもココナッツ・ジュースは買うことが出来ますが、けっこうな値がするようで、できるものなら土産にもらいたいものですが、、、

しかし、実際にもって帰るとなるといろいろ大変で、やはり日本で欲しいときは楽天かどこかで買ったほうが良さそうです。

    

そのあと浜辺で記念写真を撮ろうとしたら、、、僕も、、、、私もということになり、、、、

    

はい、この31番さんが「大使の料理番」です。とても小柄な人です。

そうこうしているとまたまた人が出てきて、、、、、

とにかく小さな村なのです。スピーカーで放送しなくても(そのようなものはなかったようですが、、、、、)大声をはれば村中に届くのですから、、、

何となく写真を撮ることが村中に広がり、、、

    

だんだん人が増えて、、、、

写真の準備が出来る前に住民同士の交流も始まり、、、、、

    

やっとのことでカメラのほうに顔を向け、、、、はい、準備完了です。

    

カメラマンはヘルさんですが、いつもは変に体をねじって片手撮りする彼ですが、このときはまじめに座り込んでカメラを操作していました。

そのようにして撮った写真がこれです。

ヘルさんがFacebookで送ってくれたものです。少し大きな画像で紹介します。



左のほうで両手を上げて目立っているのがタカ長です。

右前列に若い人が写っていますが、彼らはヘルさんの後輩です。彼らの活動をサポートしています。

この一枚を見ると当日の雰囲気を感じ取って頂けるでしょうが、とにかく和気藹々、楽しい滞在でした。

    

他にもヘルさんたちは写真を撮ってくれたはずですが、いま届いているのはこれだけです。

アダムさんからはバルラン国立公園の資料が届きましたが、残念ながらタカ長には手も足も出ないインドネシア語の資料です。

しかし、写真を見るだけでその鳥のいる場所も分かるので、バルランでの探鳥を思い出しながら楽しむことが出来ます。

そのほかの写真や資料が何時届くかどうか分かりませんが、、、、、タカ長としては気長に待つことにします。


今日の観察~9月13日

2015年09月13日 | タカの渡り
    

今日も68番鉄塔に出かけました。

ハチクマは朝のうちパラパラ飛んだのですが、どれもこれも遠くて、小さくてカメラを向けることも出来ませんでした。

午後にはほとんど飛ばなくなって、、、、まぁ、この時期だから仕方ないと友だち夫妻と話していたのですが、、、、、

だからと言って1枚くらいはハチクマを撮りたくて待っていたら、最後の最後に、、、、

    

1羽のハチクマが頭上で帆翔してくれて、地面に寝転んで撮影することになりました。

そのようにして撮った1枚ですが、良くても悪くても今日写真に撮れたのはこの1羽だけなのです。

たとえ1枚でも撮れたのですから、それなりに満足していつもの観察地に帰り、汗がひくのを待ちながら皆さんと観察していたら、、、、、

    

最初は高いところを1羽2羽のレベルだったのが、とつぜん観察地の右前方にタカ柱が出来ているのを仲間が見つけました。

    

タカ長たちが68番鉄塔で8時から15時までのあいだに見たハチクマの数より多いハチクマがゆっくりと帆翔、、、、

そのような群れが次にも現れ、、、、、



観察地の皆さんは残業する羽目になったようです。

でもまぁ、このような残業は歓迎ではないでしょうか?

それにしてもこの時期のこのようなタカ柱、これはチョッと予想外でした。やはり、、、タカの渡りは分からない、、、、、。



68番鉄塔の位置です。赤い線の上端が68番鉄塔で下端がいつもの観察地です。

ほぼ南北に位置しているのですが、現場に行くと感覚的に少しずれているように思え、、、、、

タカ長の磁石が狂っているのかと考えたくらいです。しかし、この軌跡図を見るとタカ長の感覚のほうが少しずれていることが分かりました。


ジャワ島の旅から~34

2015年09月13日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクにて~4

このブログを書くために友だちの撮った写真を使わせてもらっていますが、コンダン・メラクでの記事では特に多く使わせてもらっています。

タカ長の写真でカバーできなかったところは彼の写真を使って、、、、ということになったいることを最初にお断りしておきます。

    

    

昨日紹介した私たちの軌跡図を見ていただくとお分かりでしょうが、この村のそばを小さな川が流れ込んでおり、その河口部分が池のようになっていました。

その池は子どもたちの格好の遊び場になっているようで、私たちが行ったときは5人の子どもたちがゴムボートを使って遊んでいました。

    

    

この村の子どもたちはこのようなあそびを通じて水に親しみ、やがて立派な漁師に育ってゆくのでしょう。

私たちがそのそばでのんびりしていたら、村の誰かが声をかけたのでしょうか、子どもたちが上がって来て私たち一人ひとりに挨拶をしてくれました。

    

握手した手を自分の頬につけるのがここの挨拶の方法なのでしょう、私たち一人ひとりに同じようにしてくれました。

    

この子たちにとってみれば、私たちは初めて見る日本人ですが、別に物おじする様子もなく普通に挨拶をしてくれたようです。

何処の誰とでも仲良くなれるのは子どもたちの特権かも分かりませんね。

    

    

そのあと子どもたちは海に出て、わが隊長さんとも交流していたようですが、、、、、、

このショットは友だちのもので、タカ長は見ていません。

何処に学校があるのか分からないような海辺の村の子どもたちにしてはよく教育されているように感じました。

    

実はこの村について早々にこのようなものがかかっている小さな建物に案内されたのですが、、、、、、

ことばが分からないということはもどかしいもので、タカ長にはこれがまったく読めないのです。

しかし、ここに案内された意味はすぐに分かりました。

ここに案内してくれたのは村の長老で、彼は少し日本語を話すことが出来たのです。そのわけを聞いてみると、ジャカルタの日本大使館に勤めたことがるということでした。

今日の話題とは少しずれるのですが、実は彼は料理が上手で、村人たちに料理法を教えたともいっていましたから、ひょっとしたら彼は「大使の料理番」だったのかも分かりません。

というのはタカ長の単なる想像ですが、昼に食べた彼の料理は素人の味ではありませんでした。ひょっとしたら、今回のジャワ旅行で食べた料理の中で一番うまかったかもわかりません。

    

その彼が案内してくれた建物を入ると小さな本棚があり、子ども向けの本がたくさん並んでいました。

これが、、、、、例えば日本の都会の公民館とか、児童館とかいうところにこれだけの本があるのなら別に驚きもしませんが、、、、

ここはジャワ島の寒村、おそらく戸数は20戸くらい、多くても30戸くらいの村の、どうやら子どもたちを教育する寺子屋みたいなものらしいのです。

    

そのようなところにこのような本が並んでいる光景は、少しオーバーに言えば異様です。少なくともタカ長にはそのように感じられました。

この場合「異様」ということばは適切ではないのでしょうが、悪い意味ではなくいい意味でいったのですが、別のことばを使えば「感動モノ」でした。

    

昨日も紹介しましたように、ここはついこの前まで密漁者の村だったのです。ひょっとしたら「海賊村」といっても良かったのかも分からない村だったのです。

その村の住民の意識を変えるためにヘルさんたちが努力したことは昨日紹介しました。

いまは住民たちのリーダーになっているこの村のアンディさんたちのすごいところは、密漁を止めたばかりではなく、自分たちが傷つけた自然を修復する活動をはじめ、、、、

そしてその活動のことを考えるとき、これから先を担ってゆく子どもたちを教育することが何より大切だと気づき、子どもたちへの教育を実践しているのことだとタカ長には思えるのです。

小さな建物の壁には何処でどのように使ったものか分かりませんが、このようなポスターが貼られていました。

    

珊瑚礁を傷つけてしまった彼らはその再生に努めていますが、、、、、

このバケツの中のものはコンクリートブロックみたいなものに珊瑚を植えつけ(と言ったら良いのでしょうか?)ある程度成長するまで近くで管理し、、、

潮水に流されたないようになった状態になってから海に返すということでした。

    

その様子を紹介したポスターもありました。

このポスターひとつみても立派なもので、、、、、このような活動をしているのがつい先日まで密漁者だったなんてにわかには信じられませんね。

        

くどいようですが、ことばが分からないということはもどかしいもので、タカ長にはこの字がまったく読めないのです。

そのような状態ですから、仮にここで取材をするとすれば、日本語なら数分で済むことが何時間も、、、、、もしかすると一日かかるかも分からないのですから、、、

いまのタカ長にはどんなにがんばってもこの程度のことしか書くことが出来ないのです。

しかし、彼らの活動の今日的な意味を考えたら、出来るものならもっと深く取材して、もっと立派なことを書きたいと考えるのはタカ長だけではないはずです。

コンダン・メラクの話題はまだまだ続きます。