タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

今日の観察

2015年09月12日 | タカの渡り
今日の天気はもう少し良くなると思ったのですが、、、、

68番観察地に出かける前からハッキリしない天気で、、、、、

    

飛来方向も、、、、

     

北側もこのような感じで、、、

    

南東方向もこのようで、、、、 

つまり何処を向いても期待できそうな状態ではありませんでした。

しかし、今日は友だち夫妻もやって来たのでねばることができました。

といっても、、、、、

    

このような天気では大きな渡りは期待できなくて、せめて1羽だけでも写真に撮れるハチクマの出現を待っていたら、、、、、、

    

    

その希望だけはかなえてもらえました。ハチクマの成鳥オス、、、、、

    

71番鉄塔の右のほうに消えて行きました。今日のところはこれだけで満足、ということにしておきましょう。

この天気ですから写真の出来がどうだとか、色がどうだとか、そのようなことを言える状況ではないのですから、、、。

    

明日は天気も回復する予報が出ていますし、、、、

助っ人夫妻も来てくれるということですから、きょう以上の成果を期待することにします。

でもまぁ、本当に期待するのは一週間先から、それまでに疲れないよう天気と体調をみながら68番鉄塔に通うことにします。


ジャワ島の旅から~33

2015年09月12日 | 旅行のことなど
コンダン・メラクにて~3



友だちが作成した当日の軌跡です。これをもう少しズームすると、、、、、、

    

このようになります。軌跡が密集しているところが村の中心、タカ長たちが一番長く時間を費やしたところです。

これだけ見ると広さが分からないでしょうが、軌跡のそばに糸くずのように見えているのが小さなボートですから、とても狭い村であることを想像していただけるはずです。

    

ビーチに着いたところで車を下りて、徒歩でその村に向かいました。昨日も紹介したように人がほとんどいない浜辺の森の中を歩いてゆきます。

    

    

私たちが歩いてゆくそばにある木には何やら書いたプレートが打ちつけてあるのですが、ほとんどすべてインドネシア語で書かれているのでタカ長にはチンプンカンプン、、、、、、。

    

せめてこのように英語表記があると多少は理解できるのですが、ここを訪れた日本人は私たちが初めてで、、、、、

ということは日本人以外の外国人の訪問も少ないのでしょうか、英語表記の必要性が感じられないのかも分かりません。

    

    

村に入るところにはこのようなローカルレストランがありましたが、見たところ営業しているようにはみえませんでした。

    

    

村に入ってまず目についたのがこれです。魚の種類はタカ長には分からないのですが、アジの干物みたいなものをつくっているようでした。

これだけの量ですから自家消費? どこかに売りに行くほどの量にはみえませんね。

    

さて、そろそろ本題です。

私たちをここに案内してくれたのはインドネシアのヘルさんとアダムさんですが、、、、、、、

このコンダン・メラクの自然の豊かさに目をつけたのはヘルさん(写真左の人)なのでしょうか?

彼は7年前からここに通い始め、、、、そのころ密漁していた村人に、ここの自然の豊かさを説ききかせ、自然を守ることを解きつづけたようです。

そのころのこの村の状況は、、、、、というようなことは何も知らないのです。取材が出来ていないのです。

そもそも密漁といっても、村人全員が密猟者で、そのころの村の産業(?)は密漁だったのか???

それとも密漁をしていたのは村人の一部なのか、、、、

それだけではありません、そもそもこの村の戸数がいくらで、いま人口が何人なのか、、、、、そのようなことも取材できないでこれを書いているのです。

    

とにかくヘルさんはここの自然の豊かさを説き聞かせ、密漁を止めるよう説得したようです。

ヘルさんのその活動に耳を貸す人が現れたのが5年前でした。アンディさん(上の写真右から二人目)がそのリーダーになって村人の説得を続けたようです。

その努力がやっと実ったのは2年前です。「2年前から村人の意識が激変しました」と彼らは言っていましたが、、、、

彼らはそこで密漁というかたちで自然を破壊していた行動を180度転換して、今度は壊された自然を修復する方向に舵を切ったのです。

    

村人がそのように意識を変えるよう努力したのは当時マラン大学の学生で、いまは院生になっているこのヘルさんと、、、、、

    

その活動のリーダー的な立場に立っているこのアンディさん(白服の人)の二人だったようですが、、、、、

ここに行き着くまでには数々の困難があったようです。そのあたりのことが取材できたらすごいことが書けるのですが、、、、、

もちろん短時間で取材できることではありません。

タカ長がもう少し若くて、そしてその能力があったら、ここに長期滞在して彼らと寝食をともにしながら取材して、そのことを本にして出版したいくらいですが、、、、

それも出来るものなら英語で書いて、世界に紹介したいのですが、いくらどう考えてもその能力はタカ長にはありません。

しかし、彼らの活動はそれだけのことを考えさせるほど、今日的な意味を持っているとタカ長には思えるのです。

そのことを少しでも知ってから彼らが設置した看板やプレートを見ると、そこのとても深いものを感じるのです。

つい先日まで密猟者だった人が「SAVE WILD ANIMAL !!」と書いているのを見ると間違いなく彼らの意識が激変したことが分かります。


    

    

今は村人の意識が完全に変わっているので私たちもこのように歓迎されましたが、、、、、、

これがもし7年以上前にタカ長がふらりとこの村に迷いこんでいたとしたら、ひょっとしたら身の安全は保障されない、そのような村だったのかも分からないのです。

    

その村を歩いてみました。もちろんのことですが、いまは危険などまったく感じられない平和な村なのです。

黄緑の塗装がされている建物のようなシッカリしたつくりのものもありましたが、、、、、

    

このような、タカ長の目には粗末に思える建物も多くありました。これが彼らの伝統的な建物で、ここはジャワ島の「伝統的な建物の保存地区」みたいなものかも分かりません。

伝統的な建物であることは村人から聞いたのですが、このような建物がジャワ島全体のものか、それともこの地区だけのものか、それも聞き出していません。

この村の話はまだまだつづきます。