世界文化遺産ボロブドォール~3
私たちはボロブドォールの上へ上り、ストゥーパが林立する円壇部にやってきました。そのときの軌跡は、、、、、
このようになっていました。現地にいるときは何も考えなかったのですが、私たちはボロブドォールの東の階段を上り、その上部をウロウロした後西側に下りたようです。
そのときの写真を順不同で並べますが、、、、、
帰宅してから気づいたのですが、タカ長はある大切なものを撮り忘れたようです。その大切なものは、、、
どの写真を見ても写っていませんでした。おそらくそこから見えたはずですが、、、、、
その大切なものはボロブドォールそのものではなく、この背後の、遠くに見えたはずの山、ムラピ山のことです。
そのムラピ山が気になるのは、、、、、ムラピ山があったからこのボロブドォールが今日に残ったと思われるからです。
このボロブドォールは8世紀から9世紀にかけての遺跡です。ヒンドゥー教の仏教遺跡です。
そのあと14世紀後半になるとイスラム教が入ってきて、イスラム教徒が90%程度をしめるようになったのです。
そのときこのボロブドォールがイスラム教徒の目にとまったら、この異教徒の遺跡が無事ではすまなかったことは素人でも想像できます。
しかし、そのときこのボロブドォールは1000年の眠りについていたのです。
にわかには信じがたいことですが、この大きな遺跡がムラピ山の噴火によって火山灰に埋まり、その上に森が出来て、、、、
ボロブドォールは人の目に触れることもなく1000年の眠りについていたのです。
ボロブドォールを下りてから写した写真ですが、これだけみても大きな遺跡であることは分かりますね。
これが火山の噴火により地中に埋まり、その上が小山のようになっていたのでしょうか。
私たち日本人が想像するとすれば、、、大和地方の大きな古墳を掘ったらこのように大きな石室が出てきた、、、、
ということになるのかも知りませんが、それにしてもそのスケールは日本の古墳の比ではありません。
そのように大切な意味のあるムラピ山を見つけることが出来なかったのですから、、、、
そのときのタカ長は集中力を欠いていたのでしょう。
私たちはこのような門をくぐって西側に下りてゆきました。
この2枚はネットから借用したものですが、そのムラピ山はこのように富士山のかたちをした2930mの山です。下の写真は10年前の噴火のときのものと思われます。
その噴火を記録した動画はここをクリックすると見ることができます。
タカ長たちはボロブドォールの観光を終えて空港に向かうとき、バスの窓からムラピ山を見ることができました。
このときは噴煙も見えなくて、ただただきれいな山、時間があれば登ってみたいような山でしたが、、、、、、
一度荒れると魔の山になるのですね。
しかし、この火山があったからこそ、いま私たちはボロブドォールを見ることができるのです。
私たちはボロブドォールの上へ上り、ストゥーパが林立する円壇部にやってきました。そのときの軌跡は、、、、、
このようになっていました。現地にいるときは何も考えなかったのですが、私たちはボロブドォールの東の階段を上り、その上部をウロウロした後西側に下りたようです。
そのときの写真を順不同で並べますが、、、、、
帰宅してから気づいたのですが、タカ長はある大切なものを撮り忘れたようです。その大切なものは、、、
どの写真を見ても写っていませんでした。おそらくそこから見えたはずですが、、、、、
その大切なものはボロブドォールそのものではなく、この背後の、遠くに見えたはずの山、ムラピ山のことです。
そのムラピ山が気になるのは、、、、、ムラピ山があったからこのボロブドォールが今日に残ったと思われるからです。
このボロブドォールは8世紀から9世紀にかけての遺跡です。ヒンドゥー教の仏教遺跡です。
そのあと14世紀後半になるとイスラム教が入ってきて、イスラム教徒が90%程度をしめるようになったのです。
そのときこのボロブドォールがイスラム教徒の目にとまったら、この異教徒の遺跡が無事ではすまなかったことは素人でも想像できます。
しかし、そのときこのボロブドォールは1000年の眠りについていたのです。
にわかには信じがたいことですが、この大きな遺跡がムラピ山の噴火によって火山灰に埋まり、その上に森が出来て、、、、
ボロブドォールは人の目に触れることもなく1000年の眠りについていたのです。
ボロブドォールを下りてから写した写真ですが、これだけみても大きな遺跡であることは分かりますね。
これが火山の噴火により地中に埋まり、その上が小山のようになっていたのでしょうか。
私たち日本人が想像するとすれば、、、大和地方の大きな古墳を掘ったらこのように大きな石室が出てきた、、、、
ということになるのかも知りませんが、それにしてもそのスケールは日本の古墳の比ではありません。
そのように大切な意味のあるムラピ山を見つけることが出来なかったのですから、、、、
そのときのタカ長は集中力を欠いていたのでしょう。
私たちはこのような門をくぐって西側に下りてゆきました。
この2枚はネットから借用したものですが、そのムラピ山はこのように富士山のかたちをした2930mの山です。下の写真は10年前の噴火のときのものと思われます。
その噴火を記録した動画はここをクリックすると見ることができます。
タカ長たちはボロブドォールの観光を終えて空港に向かうとき、バスの窓からムラピ山を見ることができました。
このときは噴煙も見えなくて、ただただきれいな山、時間があれば登ってみたいような山でしたが、、、、、、
一度荒れると魔の山になるのですね。
しかし、この火山があったからこそ、いま私たちはボロブドォールを見ることができるのです。