コンダン・メラクにて~4
このブログを書くために友だちの撮った写真を使わせてもらっていますが、コンダン・メラクでの記事では特に多く使わせてもらっています。
タカ長の写真でカバーできなかったところは彼の写真を使って、、、、ということになったいることを最初にお断りしておきます。
昨日紹介した私たちの軌跡図を見ていただくとお分かりでしょうが、この村のそばを小さな川が流れ込んでおり、その河口部分が池のようになっていました。
その池は子どもたちの格好の遊び場になっているようで、私たちが行ったときは5人の子どもたちがゴムボートを使って遊んでいました。
この村の子どもたちはこのようなあそびを通じて水に親しみ、やがて立派な漁師に育ってゆくのでしょう。
私たちがそのそばでのんびりしていたら、村の誰かが声をかけたのでしょうか、子どもたちが上がって来て私たち一人ひとりに挨拶をしてくれました。
握手した手を自分の頬につけるのがここの挨拶の方法なのでしょう、私たち一人ひとりに同じようにしてくれました。
この子たちにとってみれば、私たちは初めて見る日本人ですが、別に物おじする様子もなく普通に挨拶をしてくれたようです。
何処の誰とでも仲良くなれるのは子どもたちの特権かも分かりませんね。
そのあと子どもたちは海に出て、わが隊長さんとも交流していたようですが、、、、、、
このショットは友だちのもので、タカ長は見ていません。
何処に学校があるのか分からないような海辺の村の子どもたちにしてはよく教育されているように感じました。
実はこの村について早々にこのようなものがかかっている小さな建物に案内されたのですが、、、、、、
ことばが分からないということはもどかしいもので、タカ長にはこれがまったく読めないのです。
しかし、ここに案内された意味はすぐに分かりました。
ここに案内してくれたのは村の長老で、彼は少し日本語を話すことが出来たのです。そのわけを聞いてみると、ジャカルタの日本大使館に勤めたことがるということでした。
今日の話題とは少しずれるのですが、実は彼は料理が上手で、村人たちに料理法を教えたともいっていましたから、ひょっとしたら彼は「大使の料理番」だったのかも分かりません。
というのはタカ長の単なる想像ですが、昼に食べた彼の料理は素人の味ではありませんでした。ひょっとしたら、今回のジャワ旅行で食べた料理の中で一番うまかったかもわかりません。
その彼が案内してくれた建物を入ると小さな本棚があり、子ども向けの本がたくさん並んでいました。
これが、、、、、例えば日本の都会の公民館とか、児童館とかいうところにこれだけの本があるのなら別に驚きもしませんが、、、、
ここはジャワ島の寒村、おそらく戸数は20戸くらい、多くても30戸くらいの村の、どうやら子どもたちを教育する寺子屋みたいなものらしいのです。
そのようなところにこのような本が並んでいる光景は、少しオーバーに言えば異様です。少なくともタカ長にはそのように感じられました。
この場合「異様」ということばは適切ではないのでしょうが、悪い意味ではなくいい意味でいったのですが、別のことばを使えば「感動モノ」でした。
昨日も紹介しましたように、ここはついこの前まで密漁者の村だったのです。ひょっとしたら「海賊村」といっても良かったのかも分からない村だったのです。
その村の住民の意識を変えるためにヘルさんたちが努力したことは昨日紹介しました。
いまは住民たちのリーダーになっているこの村のアンディさんたちのすごいところは、密漁を止めたばかりではなく、自分たちが傷つけた自然を修復する活動をはじめ、、、、
そしてその活動のことを考えるとき、これから先を担ってゆく子どもたちを教育することが何より大切だと気づき、子どもたちへの教育を実践しているのことだとタカ長には思えるのです。
小さな建物の壁には何処でどのように使ったものか分かりませんが、このようなポスターが貼られていました。
珊瑚礁を傷つけてしまった彼らはその再生に努めていますが、、、、、
このバケツの中のものはコンクリートブロックみたいなものに珊瑚を植えつけ(と言ったら良いのでしょうか?)ある程度成長するまで近くで管理し、、、
潮水に流されたないようになった状態になってから海に返すということでした。
その様子を紹介したポスターもありました。
このポスターひとつみても立派なもので、、、、、このような活動をしているのがつい先日まで密漁者だったなんてにわかには信じられませんね。
くどいようですが、ことばが分からないということはもどかしいもので、タカ長にはこの字がまったく読めないのです。
そのような状態ですから、仮にここで取材をするとすれば、日本語なら数分で済むことが何時間も、、、、、もしかすると一日かかるかも分からないのですから、、、
いまのタカ長にはどんなにがんばってもこの程度のことしか書くことが出来ないのです。
しかし、彼らの活動の今日的な意味を考えたら、出来るものならもっと深く取材して、もっと立派なことを書きたいと考えるのはタカ長だけではないはずです。
コンダン・メラクの話題はまだまだ続きます。