タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

朋ありてこそ

2019年09月02日 | 日々雑感
朝から雨でしたが、この時間はあがっているのでしょうか?

昨日のファミリー登山は雨で中止、今日も山を歩きたくなる天気ではありません。明日は天気も回復するようですから、久しぶりに、裏山でカフェを開くことが出来そうです。

    

「朋ありてこそ」と、チョッと詩的な(?)タイトルにしましたが、詩的な記事ではありません。

このところ毎日のように報道されている事故のことです。交通事故に限らない、色々な事故のことです。

タカ長が運転免許を取ったのは、30歳の時でした。友だちより遅い取得です。

しかし、その後に走った距離は多くて、その距離だけは友だちに負けていないはずです。

    

その間に小さな物損事故は経験しましたが、このような事故を起こしたことはありません。

友だちから「若い時の事故の影響か、雨が降ると首筋が痛い」と言うような話を何度も聞きましたが、タカ長の体は無傷です。

人を乗せている時に事故に遭ったことはありませんし、「ヒヤリハット」をしたこともありません。これはタカ長の密かな「自慢」です。

このような「交通生活」を続けてこられたのは、とても有難いことです。自分だけの努力で出来ることではないので、このことを考えたら、いくら感謝しても感謝しすぎることはありません。

    
                       画像はネットより借用

広島では有名な事故です。この新交通システムの軌道建設の工事中に起きた事故です。

1991年3月14日、建設中の橋梁(重さ60トン)が10メートル落下し、下で信号待ちしていた車11台を直撃し、作業員5名と乗用車に乗っていた9名、合わせて14名が犠牲になりました。

事故が起きたのが3月14日の14時過ぎで、亡くなった人が14名でした。この工事のために移動させた墓が14基で、この「14」という数字は単なる偶然か?

と言うようなことが言われているようですが、タカ長の話題はそのことではありません。

この事故で亡くなった乗用車の9名の中に同級生の息子がいたのです。

そのためこのアストラムラインが開通しても、彼女はそれに乗ることが出来ませんでした。その気持ちは分かるような気がします。

    

アストラムラインが開通して何年か後に開いたクラス会の時に,その話を聞かされたのです。

何年も胸の奥にしまっていた、つらい思いを話す気になったのは、私たちが小学生のころから机をならべていた同級生だったからでしょう。

その話を聞いた女子同級生数名は、自分の生活圏にある乗り物に、一生乗らないわけにはいかないのだから、、、、

「私たちも一緒に乗るから、アストラムラインで帰ろう」と、彼女の肩を抱くようにして会場を出て行きました。

その時の会場は広島市内で、彼女の家に帰るにはアストラムラインを利用するのが便利だったのです。

一緒した同級生には、アストラムラインを利用すると遠回りになる人もいましたが、その人たちも一緒に帰って行きました。

子どものころからの友だちだからこそ、人に話せなかった胸の内を話すことが出来る。

子どものころからの友だちだからこそ、友だちの心に寄り添うことが出来る。

子どものころからの友だちだからこそ、寄り添ってくれた友だちにすがることが出来る。

事故は一瞬にして人生を変えることになるので、あってはならないことですが、、、、

このことを思い出すと、クラス会の幹事をしてきて良かったなぁ、と思います。

タカ長ひとりが世話をしているクラス会ではありませんが、このようなことを思い出すと、同級生たちとの集まりは継続してゆきたくなります。

その集まり、次回は9月11日の予定です。