タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

歳をとったら

2019年09月28日 | 日々雑感
    

もう少し若いころのことですが、仲間たちと「歳をとったらお寺参りをしよう」と話していました。

歳をとったら山に登るのは無理になるから、寺に行こう。お寺参りなら出来る、という思いでいました。

しかし、本当に歳をとってくると、それが大変な誤解だと気づかされるようになりました。

四国88ヶ所だけではありませんが、どこのお寺に行っても階段があります。

平地にある寺に行っても、本堂の前には2段か3段の、それも段差の大きい階段があります。

むかしの日本人の身長は今の人より低かった、と言いますが、古刹と言われるところはどこも段差の大きい階段がある感じです。

    

あの階段を上らないとお寺参りも出来ません。しかし、、、、

タカ長の知る限り、あの階段を上るためのエスカレーターなどありません。

高齢化社会になって、階段に手すりを設置するお寺が増えていますが、エスカレーターやエレベーターが設置された、というようなことはないようです。

お寺ってずいぶん不親切なものだ、と思ったこともあります。しかし、、、、

10月23日に行われる「いきいき健康講座」のテキストを執筆するためネットで資料をあたっているときに見つけた、あるお寺さんの講話を聞いてハッとしました。

お寺に階段が多いのは、ひょっとしたら仏様の、高齢者に対する思いやりではないか、と感じるようになったのです。

    

死ぬまで元気で暮らし、どんなことがあってもトイレくらいは自分の足で行きたい、というのは万人共通の願いのはずです。

そのためには体を動かさないといけないのです。そのため、、、、

年寄りは2階に寝なさい。買い物に行ったら出入り口より遠いところに駐車しなさい、、、、、

そのような生活をすれば嫌でも体を動かすようになる、と話されていました。

世の中、バリアフリーがさけばれ、年寄りにやさしくなっているようですが、その優しさに負けてはいけない、と話されていました。

体を痛めていたら別ですが、バリアフリーを蹴とばすような生活をして、少しでも体を動かすことが、元気に、、、、

堂々と生き、堂々と死んでゆくために必要なことなのです。

バリアフリーの生活にどっぷりとつかって生きながら、最後の最後まで自分でトイレに行く、というのは身勝手な願いではないでしょうか?