独りで裏山を歩いてきました。
いつもの駐車場に月見草が1本咲き始めていました。
今日の軌跡です。これを見ると、分かる人には分かりますから(当たり前のことですが、、、、)歩いたコースのことは書きません。
歩数は12,100歩になりました。
最近は、裏山を独りで登るときは「懺悔、懺悔、六根清浄」と、大きな声で唱えながら登っています。
修行のために行っているわけではありません。強いて言えば、クマ鈴がわりに行っているだけです。
わが裏山にクマがいるとは思えませんし、もしいるとしたら会ってみたいような気分もしますが、ソロ登山の場合はいかなる事故も起こしたくないので声を張り上げているわけです。
しょっちゅう行っているわけではありませんが、ここ一発、気合を入れるときにはなかなかいいものだと感じるようになりました。
山の中で誰かに会ったとき、奇声を上げていたら恥ずかしい思いをすることになりそうですが、「六根清浄」を唱えているのだったら、何とか言いつくろいが出来そうです。しかし、今日は誰にも会いませんでした。
ご存知の人も多いでしょうが、「懺悔」とは悔い改めることです。「今までに犯してしまった罪悪を恥じ、悔い改め、六根を清浄します」と仏に告白しながら登っているわけです。
六根とは「目・耳・鼻・舌・身・意」という、体の五つの器官と意(心)のことです。
五つの器官から得られる情報は膨大で、その中にいたらたちまち心も穢れてくるわけです。
山には不浄なものが無いから、不浄なものを見ない、聞かない、、、、、ことになります。その結果、意(心)も穢れない、ということになるのです。
タカ長のように、不浄な心で生活している者は、山に行って穢れを落としてこないといけない、ということになりそうです。
しかし、実際はそのような、高尚な志を持って「六根清浄」を唱えているわけではありません。最初に書いたように、単なるクマ鈴がわりです。
私たちが裏山と言っているのは、極楽寺山の東面のことです。山上には極楽寺という古刹があるので登る人は多いのです。YAMAPに登録された軌跡はご覧のように、正面登山道に集中しています。
私たちはご覧のように裏口をごそごそ歩いているだけですから、この地図にも赤い線は見えません。
六根清浄を唱えているのは、今のところ裏山だけですが、日本の山には神様が住んでおられるわけですから、どこで唱えても問題ないようですね。
本日の参考文献:「山の神さま・仏さま」太田昭彦著・ヤマケイ新書