タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

韓国の旅から

2016年12月15日 | 日々雑感
昨日の記事の枕で、何気なく韓国のことを書いたら、韓国の旅のことがあれこれ思い出され、、、

今日もまた書いてみたくなりました。

タカ長は度々韓国を旅していますが、いわゆる「ツアー旅行」をしたのは現役の頃の社員旅行だけで、そのほかはすべて「個人旅行」です。

その道を開いてくれたのは鳥の先輩で、その先輩とはその後いろいろありましたが、しかし、韓国への目を開いてもらったことには今も感謝しています。そのこと最初に明記して書き進めることにします。

韓国への個人旅行はハードルが高いと言われます。タカ長たちが何度か登った登山など特にそうで、初心者には難しいとされているようです。

そのハードルの一つがあの記号みたいなハングル文字です。

    

列車で行くにしてもバスで移動するにしても、このような表示が理解できないと旅が出来ません。

一番上には「列車出発案内」と書かれていて、列車番号1551の列車ムグンファ号木浦行きが7時30分に出発して、木浦に14時57分に到着、乗り場は3番乗り場、、、、ということが理解できるといいのですが、、、、

それが出来ないと苦労することになります。

タカ長はその鳥の先輩に連れて行かれるかたちで韓国旅行を始めましたが、何年かしてNHKのラジオ番組でハングルの勉強を始め、、、

といっても高齢になってからの語学の勉強では全く頭にはいらなくて、、、あきれるくらいというか、感心するくらいというか、、、

とにかく暗記が出来なくて万年初級、、、いやそれさえ出来なくて、初級落ちこぼれですが、ただこの程度のものを読むことだけは出来るようになって、、、

それを境に一気に目の前が開けた感じで、韓国個人旅行が出来るようになったのです。

    

韓国ではバスが発達していて、バスを利用する人も多く、そのため日本と違ってバス便も多いのです。

そのため夜が明けきらない時間にバスセンターに行き、自分の乗るバスを探し、旅を続けることもあるのですが、、、

    

時間は何時であれ、自分が乗るバスの乗り場に自分で行くことが不可欠です。何しろ韓国語を話すことも聞くことも期待できないのですから、、、、、。

このときは西大邱(ソテグ)に行くつもりだったので、それが表示されている乗り場で待つことになります。この人の頭の右上に「ソテグ」と書かれていることが確認できると一安心ですが、、、、、、

 

本当はそれだけでは安心できないことを経験したことがあります。

慶州から安東に行こうとしてバスを待っていたら、安東行きの前に出る蔚山行きのバスが何かの事情で出発が遅れたのでしょう、、、

安東行きのバスが入ったときに安東行きの出るホームに蔚山行きのバスがいたので、そのバスは隣のホームにバスを止めて客扱いを始めたのです。

日本では考えられないことですが、彼らにしてみたら臨機応変に対応しているだけで特別なことではないようです。そのようなこともあるので、バスの行き先表示にはいつも注意する必要があります。

    

山麓の町について山登りを始めても、このような表示が理解できないと山には登れないかも分かりません。

この表示には「海印寺・伽耶山へ行く道」と書かれています。それが分かれば矢印通り行けばよいので楽勝ですが、、、、

  

山道にはいるとこのような指道票に導かれて山頂を目指すことになります。事前に準備した地図情報と現地での情報が合えば安心ですね。

そのようにして山登りをしてきました。

    

これは伽耶山の岩場を登っているところです。

韓国の山には山頂部が岩になっている山が多く、遠くから見るととても厳しく見えることもありますが、実査に行ってみると難所には梯子が設置されていることが多くて、一般の人が行くルートについては技術的に難しいところはないようです。

    

プサン郊外の鷲棲山(チソサン)に登った時のことです。通度寺(トンドサ)に下りるルートがチョッと理解できなことがったので、近くにいた登山者に尋ねました。もちろんしどろもどろの韓国語、そして手ぶりを交えての意思疎通です。

そのときは一応は理解できたのですが、、、、

下山を続けていると先ほどの登山者が待っていました。分かれ道があって、ちょっとややこしい所だったので心配だったのでしょう。

お蔭さまで無事に通度寺に下山できました。 

マスコミの報道では反日、反日、、、、時にはそれが嵐のように報道されることもあって、、、

「お前よく無事に帰れたなぁ」と帰国したときに言われたこともありますが、そのとき韓国にいたタカ長には何のことだかわかりませんでした。

政治の世界では色々ある韓国と日本ですが、韓国を旅していて嫌な思いをしたことは一度もありません。

道が分かり難いと案内してくれる人もいますし、町で道を聞いていて要領を得なくて時間がかかっていると、店の中からも人が出て話に加わってくれることもあります。よく言えば親切、悪く言えばお節介すぎる、それが韓国人の平均的なイメージだとタカ長は思っています。

    

伽耶山を下りた登山者が道路端で酒宴を開いていました。このような光景も珍しいことではないようです。

タカ長としてはその中に加わって、皆で伽耶山登頂の祝杯をあげたいところでしたが、残念ながらタカ長は飲むことが出来ません。

そのときは下戸のタカ長を恨めしく思ったものです。

        

その時お世話になったモーテルのご夫妻です。日本式に言えば民宿のご夫婦と言ってよいのでしょう。

ご主人は音楽をされているようで、帰る朝に「プサン港へ帰れ」を歌ってくださいました。

何事にもシャイなタカ長、一緒に歌うことが出来なかったのは残念です。

今度行く機会があればこのモーテルに泊まり、、、、先日の忘年会でアカペラで歌い、仲間からひんしゅくをかった「淋しき旅人」を歌ってみたいものです。

そのような日が訪れるかなぁ???

あのアジュマ(おばさん)も親切な人で言葉の通じない私たちを親身になってお世話して下さいました。

出発の朝はバスまで見送ってくださったのは言うまでもないことです。

というようなことを思い返すと、旧交を深めたい人はたくさんいます。皆さん元気でしたらいいのですが、、、、。