高城淳一さんのご逝去で、大都会シリーズの役付き上司の存命者は滝田裕介さんのみになってしまいました。
時代の流れなので仕方ないですが、太陽・西部シリーズも含め、味のあって一癖も二癖もある年長の方々が旅立たれるのは寂しいです。
この歳になると、若手や中堅どころの脂ののった演技も良いんですけど、年長パワーのいぶし銀の演技も欲するんですよね。
NHKの大河はどうしても若手偏向傾向なのですが、テレビ小説の方は相変わらずバランスが良い感じでどうしてもこちらの方を観てしまいます。
白川由美さんはいつ観ても知的で軽快ですし。
そういえば、岡田晋吉さんが仰っていましたが、
露口さんはお元気だそうなのでご安心ください。
たまにお会いになられているそうです。
話を変えますが、
今日はロッキーの命日。
黙祷・・・・。
私の感情移入しやすいキャラクターであり、長さんと共に、「太郎フェチ」「ヒゲフェチ」を名乗らせて頂いています。
それは派手に人気があった訳ではないから、心情的に・・・と云う訳では間違いなく決して無く、
ただ単純に好きでたまらんし、かつどうしても本編での動向が気になりすぎるキャラであることからきています。
これは当時も今もあまり変わりは無いような気が・・・(^_^;)
なので、1982年8月は私にとってある意味どうしようもない転機的な側面もあった気がします。
正直言うと、10周年を機にフェチ対象である長さんとロッキーが去ったことに関しては、受け入れがたい事であったばかりか、付いていくのにやっとだったと思います。確かにいっあんも好きなのですが、「ボギー刑事登場!」に関しては、ドックと同じ錯覚を感じたものです。
そしてゴリさんやラガーと同じく、部屋が広く見えたものです。
やっぱり、失くして解る偉大さというか・・・ボギーひとりでは購えない歴史的側面というか。
それでも、新しいメンバーを迎えて進むという苦しさと新鮮さというせめぎ合いというか。
こういう感覚はちょっとドラマでは味わえなかったと思います。
カナダロケは話的なリアルさは抜きにして、完全に演者の勢いが画面から飛び出ている逸品ですから、完全に祭り状態的なもうどうしようもない高揚感があったと思います。
にっくき杜丘は今でも憎いし(^_^;)
派手さ、悲しみ、怒り、喜怒哀楽が全て入っているような感じと云ったら良いのでしょうか・・・。
太陽全体的ファンが、未だに1982年を背負って生きている部分があるのは、その観ている方の必死さというのを身にしみて憶えているからだと思います。
それに、この年の作品は単純に面白いですし。
ロッキーね、
個人的には殉職するとは信じたく無かったです。
妻子持ちですし、もうベースキャラクターとして確立してましたしね。
けれども一方では、今年はもう殉職するのではないかという予測は、降板報道の前から思っていたことは確かです。
ただ、まさか長さんの勇退や、ゴリさんの殉職があるなんていうことは想像すらしていませんでした。
男ながらもこの年はかなり号泣しました・・・。
あの年は熱かったなぁ・・・。
そういえばロッキーって、別名が初めて付いたキャラクターでもあったり。
別名といえば、ドックが命名したものが有名なんですが、ロッキーの場合はもちろん「ヒゲ」
ボスとボンだけでしたが、別名としては多用されたと思います。
ドックの場合はドック専用の呼び方でしたからね。
それだけ親しみやすいと言う証だったと思います。
木之元さんも未だに太陽関連で積極的に動いておられるので非常に有り難いです。