ロッキーの命日からずっと10周年あたりを視聴しています。
ロッキーは今観てもかっこいいです。
特に晩年は精悍さと軽快さが増しアクションのキレも良いので観ていて安心します。
それにロッキー自体、テキサス編から始まった太陽の流れを継承している人物だったので、それこそ太陽の番組自体の基礎みたいな存在のひとりだったというのは確かで、昔からの太陽好きにはある意味あの当時は逃げ場的な部分はあったと思います。
それに、泥臭さも残っていましたしね。
ドック以後、ブルースが登場するまではあまり泥臭さって無くなってしまうんですよね。
ロッキーの後任のボギーについても個人的にはもうちょっと泥臭さが欲しかったような・・・何なんでしょうね・・・演じている部分から超越した役者さん本人から香りたつというか、ひとりは欲しい存在ではありました。
世良さんはちょっとスマートだったかもしれません。
とそんなことを考えながら、久々にアンソロジーも観ました。
あの場に辰平さんが居られないのが残念で・・・。
やっぱりカナダロケというのは、お祭り的な部分はあったなぁ・・・と今更改めて思います。
あんなに印象的な海外ロケは無いです。
他の番組の海外ロケはイコール海外旅行的イヴェント(アトラクションと云ってもいいかも・・・)な感覚だったし、確かに太陽もそういう側面がありながらなんですが、カナダロケはちょっと別物です。
演者の渾身という部分もあるのですが、#519はロッキーの最後の雄姿ということで見逃せないし、#520は完全ににっくき杜丘で完全に長さんとゴリさんに感情移入してしまうし、それがカナダの美しい背景にマッチしているというか・・・。
本当に何なんでしょうね、あの感覚は。
そういう意味では不思議な作品とも言えますが。
それまでは豪ロケがかなり好きだったんですよね。
海外ロケだからと余計な力が入っていないところと、あくまでもボンとロッキーの追跡と葛藤が主軸になっているところが良くて。
カナダは完全に切り札を出した感じでしたから。
まだ未だにロッキーがロッキー山脈で殉職したというのが信じられないという感覚があります。
ロッキー存命中は、確かに想像は出来たけれどもまさか?というところはありました。
逆に無理だろうな・・・と思っていたぐらいですから。
いろいろ交々でドンとカナダを背負っている感覚は未だにあります。
アンソロジーの話に戻り。
三田村さん、世良さん、地井さんについては、三者三様のお話でしたが、世良さんは精力的にボギーにチャレンジしていたのと反して、三田村さんはキャラクターの流転に葛藤なさっていた感じですし、地井さんはやりたい気持ちと抑える気持ちとのせめぎ合いを感じますし、ただそれが嫌な想い出としてではなく、是非語りたいというぐらいの感じに現在昇華しているのは嬉しい部分だと思います。
うん、本当に「同窓会」が実現できれば・・・面白いでしょうね。
そういえば、ファミ劇番組紹介「番組」で山田五郎氏が出演しているやつで、#111が紹介されていましたが、
そうか・・・いまでは「なんじゃこりゃあ」も本物と偽モノという感覚なんだなぁ・・・と。
私の感覚では#111ありきでモノマネなんですが、実際本編を観たことが無い人にはモノマネが全てなんですね・・・・(^_^;)
その「モノマネ」感覚で#111を観たら、これは相当カルチャーショックなのでは・・・。
ロッキーは今観てもかっこいいです。
特に晩年は精悍さと軽快さが増しアクションのキレも良いので観ていて安心します。
それにロッキー自体、テキサス編から始まった太陽の流れを継承している人物だったので、それこそ太陽の番組自体の基礎みたいな存在のひとりだったというのは確かで、昔からの太陽好きにはある意味あの当時は逃げ場的な部分はあったと思います。
それに、泥臭さも残っていましたしね。
ドック以後、ブルースが登場するまではあまり泥臭さって無くなってしまうんですよね。
ロッキーの後任のボギーについても個人的にはもうちょっと泥臭さが欲しかったような・・・何なんでしょうね・・・演じている部分から超越した役者さん本人から香りたつというか、ひとりは欲しい存在ではありました。
世良さんはちょっとスマートだったかもしれません。
とそんなことを考えながら、久々にアンソロジーも観ました。
あの場に辰平さんが居られないのが残念で・・・。
やっぱりカナダロケというのは、お祭り的な部分はあったなぁ・・・と今更改めて思います。
あんなに印象的な海外ロケは無いです。
他の番組の海外ロケはイコール海外旅行的イヴェント(アトラクションと云ってもいいかも・・・)な感覚だったし、確かに太陽もそういう側面がありながらなんですが、カナダロケはちょっと別物です。
演者の渾身という部分もあるのですが、#519はロッキーの最後の雄姿ということで見逃せないし、#520は完全ににっくき杜丘で完全に長さんとゴリさんに感情移入してしまうし、それがカナダの美しい背景にマッチしているというか・・・。
本当に何なんでしょうね、あの感覚は。
そういう意味では不思議な作品とも言えますが。
それまでは豪ロケがかなり好きだったんですよね。
海外ロケだからと余計な力が入っていないところと、あくまでもボンとロッキーの追跡と葛藤が主軸になっているところが良くて。
カナダは完全に切り札を出した感じでしたから。
まだ未だにロッキーがロッキー山脈で殉職したというのが信じられないという感覚があります。
ロッキー存命中は、確かに想像は出来たけれどもまさか?というところはありました。
逆に無理だろうな・・・と思っていたぐらいですから。
いろいろ交々でドンとカナダを背負っている感覚は未だにあります。
アンソロジーの話に戻り。
三田村さん、世良さん、地井さんについては、三者三様のお話でしたが、世良さんは精力的にボギーにチャレンジしていたのと反して、三田村さんはキャラクターの流転に葛藤なさっていた感じですし、地井さんはやりたい気持ちと抑える気持ちとのせめぎ合いを感じますし、ただそれが嫌な想い出としてではなく、是非語りたいというぐらいの感じに現在昇華しているのは嬉しい部分だと思います。
うん、本当に「同窓会」が実現できれば・・・面白いでしょうね。
そういえば、ファミ劇番組紹介「番組」で山田五郎氏が出演しているやつで、#111が紹介されていましたが、
そうか・・・いまでは「なんじゃこりゃあ」も本物と偽モノという感覚なんだなぁ・・・と。
私の感覚では#111ありきでモノマネなんですが、実際本編を観たことが無い人にはモノマネが全てなんですね・・・・(^_^;)
その「モノマネ」感覚で#111を観たら、これは相当カルチャーショックなのでは・・・。