「太陽にほえろ!」当直室 仮設日誌 PART2

6年半ご愛顧いただいた『太陽にほえろ!当直室』(since2002年5月)復活ブログ、引っ越しました。(2014年7月)

1981年の記憶

2015-05-24 18:55:49 | 回顧
特捜隊の9周年作品を観て、これまでオリジナルの立石班が、これからの主役に躍り出る三船班への橋渡し的な雰囲気を感じたのはたぶん当然の成り行きなんでしょうが、でもその9年間の重みというのが、立石主任の後ろ姿に醸し出されているのにはちょっと感動すら覚えました。
ああいう雰囲気はある意味「年輪」が無いと出てこない、最近のドラマはそれを役者さんのキャリアに頼るのですけど、それは同じ役を数年演じるよりも難問だから、結構悉く失敗している感じがします。

まあ、そんな固いことは置いておいて。。。

太陽で、10年目の突入した年が1981年、ファミ劇放送分も撮影含め1981年分に移行しました。
(いままで商品化された作品の画像劣化が気になる昨今ですが(^_^;))

1981年正月あたりは、確かに殿下退場の穴は大きく感じていましたが、その分ドック初め若手のアクティブな活躍が心地よくて、ベテラン勢もそれに負けずに活躍していたので、対太陽精神的には安定しておりました、
ただし、スコッチが大人しくなったのには多少欲求不満があったかもしれませんが・・・。
ただ、あの時点ではそれは小さな憂鬱にしかすぎず、スコッチ復帰から続いていた「アゲアゲ祭り」的な傾向をそのまま楽しんでいた感じです。
正月あたりは「今年は誰が居なくなるのか」というのを考えていたのですが、ロッキーも危ないけど、やっぱりスニーカーかなぁ・・・とも考えておりました。

作品的にも#444から、今までのイケイケ感にプラスして厳しさも加わってきて、見ごたえのある話が続きますが、一方で裕次郎さんや沖さんの顔色があまり良くないなぁ・・・とも感じて、ちょっと昨年と比べると、個人的な太陽から受ける印象が多少はカラっとした明るさが抑えられた感じがあって、それが確定的に感じたのが#450。沖さん顔色がかなり変だったことで、何かしらソワソワした記憶があります。
それからやっぱり、スコッチがなんか違うなぁ・・・と思っていたら、4月の「交通事故」。大きく報道され衝撃でした。
詳しくは他サイトさんにお任せいたしますが、沖さん=スコッチは#456を最後に休演、個人的には「過労の為」だと思っていました。
その同じ4月下旬、裕次郎さんが緊急入院し、こちらも大きく報道され、続報で危篤というものもあったりして・・・。

1981年4月、山さんがボスを撃ったり、スコッチが市民を撃ったり、作品的にも衝撃作が続いたのも加わって、相当緊張して大衝撃を受けた時期でした・・・なので、そんな精神状態で観た、「死ぬなスニーカー」「ボス、俺が行きます!」は、いまだにその頃の事が想い出されて、多分リアルタイムでご覧になっていない人と比べると、作品云々別に(とはいえ緊張感満載の作品ですが)、相当緊張感を持ちヘヴィーに観てしまうキライは未だにあります。
それで、その「死ぬなスニーカー」でやっぱり今年の降板者はスニーカーなのかなぁと思いつつ、ヤキモキして太陽やワイドショーを観ていたわけですが、とうとう#458を最後に、ボスまで欠場することに。
確かその5月辺りというのは、裕次郎さん危篤というのがあって、太陽は存続していけるのかという、今まで考えもしなかった別な一つの大きな心配も思わずにいられない事態になりました。
いや、当たり前に「裕次郎さんが万が一番組を続けられなければ、番組は終了する」という暗黙の了解みたいなものはファンにはあったと思います。

ただ、「奇跡の生還」とうたわれた大手術成功という朗報もあり、ひと段落ついたのは確かでしたが。

6月に入るとまだ拭えない番組終了の心配をよそに、番組自体は残った山さん筆頭の6名で、ボルテージが上がった作品群が続きます。
山さん、痩せたなぁ・・・スニーカーはやっぱり・・・というのもありましたが、スコッチが復帰すると聞いてまた一安心。
でも、1カ月ぶり以上久々に見たスコッチになんか違和感というか、本調子ではないんじゃなかろうかという感じを受けたのも事実で。

ますますボス欠場の結束を固めるのが画面で見て取れるほどの勢いだった一係のメンバー、鹿児島出張、ボス代理としての山さんの葛藤、西山署長の助っ人、鮫やん登場とボルテージ全開で突き進みながら、その中で裕次郎さんも退院して、これで太陽の番組終了は無いかなぁ?と思った矢先に「やはり」スニーカーが退場、それも退職という今までに無い形での降板。「殉職」が当たり前だと当時思っていた私には目からうろこでした。そう、それが一番スニらしい。
それに裕次郎さんへの配慮だろうというのも容易に想像がついて、あの話も泣けましたね・・・。

で、代わりの徹さん。
何回か書いていますが、ひょろっとしたラッキョというのは、神田さんのみならず、多分男性ファンはみんなそう思ったと(^_^;)
我武者羅過ぎて、熱すぎて(^_^;)。暑苦しいという見た目とは裏腹に、カジュアルだったスニーカーと比べると、ちょっと・・・と。
ただ、女性ファンには受けは悪くなかったようですし、私自身も見慣れた「怒りのラガー」あたりはあまり気にしていませんでした。
(ごめんなさい、徹さん<(_ _)>)

そのラガー登場回を最後に、またスコッチが欠場します。
上手いこと行かないなぁ・・・と、思っていたら、裕次郎さんの復帰報道、11月末の太陽撮影復帰には怒涛のごとく報道陣が集結し、大ニュースになりました。12月初めには西部署のOPで復帰、クリスマスの太陽復帰作品放送と相成りました。
いや、あの時ボスが一係部屋に入ってきたときの各メンバーの顔、あれがすべてを物語ってます。

その中で、沖さんの降板・・・もしかしたらあるんじゃなかろうか、ボスも復帰することだしと思っていたら、年明けに知った降板・・・。

1981年というのは、ある意味いろいろと太陽ファンであるということを考えさせられた時期であり、これが私自身の現在まで太陽ファンでいるモチベーションの一つだと思っていますが、出演者は逆にこのことがあって、燃え尽きた感じがあるようで・・・1982年の大人事異動は少なくともこの時期からの因縁みたいなものがあったかもしれません。
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