『♯60 新宿に朝は来るけれど』 昭和48年9月7日放送
主演:松田優作(柴田純)
出演:石原裕次郎(藤堂俊介)関根恵子(内田伸子)露口茂(山村精一)竜雷太(石塚誠)下川辰平(野崎太郎)小野寺昭(島公之)青木英美(永井久美)菅井きん(柴田たき)北川陽一郎(高田鑑識員)
桃井かおり(秋山恵美)伊井利子(中原弘子)大塚国夫(中原和己)服部哲治(野川)山吹まゆみ(京子)片山滉(遠井主任)上野綾子(小料理屋のママ)阿藤海(恵美の仲間)杜沢泰文(恵美の仲間)六人部健一 築地博 渋谷健三
プロデューサー:岡田晋吉 清水欣也(日本テレビ)梅浦洋一(東宝)
企画:魔久平 脚本:鴨井達比古 小川英
撮影:安本英 美術:小汲明 照明:松田清孝 録音:指田漸
音楽:大野克夫 演奏・井上堯之バンド 編集:神島帰美 整音:坂田通俊
助監督:桜井一孝 擬斗:宇仁貫三 制作担当者:市川一義 現像:東洋製作所 アシスタントプロデューサー:梶山仗祐
協力:国際放映 企画協力:ジャックプロダクション
監督:竹林進
制作:東宝株式会社
覆面車:クラウン(70-26)セリカ(57-63)
流行にはモロに影響を受けないのが太陽のいいところだと私は思っていますが、今回はノストラダムス・ブームにちょっと乗っかった感じです。
けれども、地震にまつわるこの件に関しては、今時点で観ると色々考えさせられてしまいますが・・・。
地震学者の中原のあの行動は、絶望感なのかそれとも逃避からくるものなのか、それとも無常感からなのか・・・。
恵美は感受性の高い性格のようなので、その中原のある意味「後背」した考えの同調してしまったのか・・・。
そういう意味では非常に不思議で抽象的な事件ですが・・・。
にしても、もっとするべきことがあったんじゃないの?と言いたくなるし、そこに人間の弱さがと孤独感が絡んでいたとするならば、
中原という男は不幸だったとしか言えないでしょうが、本放送当時の刹那的雰囲気が感じられます。
桃井かおりさんの恵美は適役過ぎて、桃井さんありきでこの作品が生まれた感じがしますが・・・ジーパンの好きな街・新宿で、ジーパンが惹きあった女性が恵美だったというのは優作さんであればアリなんですが、ジーパンとしては多少唐突だったかもしれません。ただ、ジーパンと優作さんの距離を縮めた感じはします。
何となく、マカロニだったら当然アリだとは思うのですけど。
ジーパンは優等生とはいえないまでも、街の暗さ的な部分は背負っていないピュアな部分が初期作では際立っていましたが、その辺りはこの作品である程度訣別した感じがします。それ故に恵美との自然体的な描写はその矛盾も覆す力があったと私は思います。
色々な面で、この作品はあまり細かい部分を詮索するのではなく、あくまでもジーパンと恵美のあり方を味わうのが本当なんだなぁ・・・と。
そのジーパンの行動を今回サポートするのが、シンコとデンカ。
シンコはどうもこの頃からジーパンとの距離を縮めている感じがします。新宿で「純」として現れる導入部分のみのサポートですが、気後れすることなく堂々としています。
また、地震の時から落ち着いている殿下は、今回ジーパンに共感している部分が見えますし、というよりは負傷するわけですが(^_^;)
まあ、一番不憫だったのはゴリさん・・・地震嫌いが表面化(^_^;)、それにジーパンには殴られるし・・・。
最後のボスのセリフが染みますね・・・。
「どういう絶望的な事態になっても、俺は生きるために戦うぞ。そうじゃなきゃ、生まれてきた甲斐がないからな。」
=ロケ地=
新宿中央公園
新宿ゴールデン街、新宿2丁目
新宿副都心周辺
竜神会のビルは新宿1丁目に現存。
主演:松田優作(柴田純)
出演:石原裕次郎(藤堂俊介)関根恵子(内田伸子)露口茂(山村精一)竜雷太(石塚誠)下川辰平(野崎太郎)小野寺昭(島公之)青木英美(永井久美)菅井きん(柴田たき)北川陽一郎(高田鑑識員)
桃井かおり(秋山恵美)伊井利子(中原弘子)大塚国夫(中原和己)服部哲治(野川)山吹まゆみ(京子)片山滉(遠井主任)上野綾子(小料理屋のママ)阿藤海(恵美の仲間)杜沢泰文(恵美の仲間)六人部健一 築地博 渋谷健三
プロデューサー:岡田晋吉 清水欣也(日本テレビ)梅浦洋一(東宝)
企画:魔久平 脚本:鴨井達比古 小川英
撮影:安本英 美術:小汲明 照明:松田清孝 録音:指田漸
音楽:大野克夫 演奏・井上堯之バンド 編集:神島帰美 整音:坂田通俊
助監督:桜井一孝 擬斗:宇仁貫三 制作担当者:市川一義 現像:東洋製作所 アシスタントプロデューサー:梶山仗祐
協力:国際放映 企画協力:ジャックプロダクション
監督:竹林進
制作:東宝株式会社
覆面車:クラウン(70-26)セリカ(57-63)
流行にはモロに影響を受けないのが太陽のいいところだと私は思っていますが、今回はノストラダムス・ブームにちょっと乗っかった感じです。
けれども、地震にまつわるこの件に関しては、今時点で観ると色々考えさせられてしまいますが・・・。
地震学者の中原のあの行動は、絶望感なのかそれとも逃避からくるものなのか、それとも無常感からなのか・・・。
恵美は感受性の高い性格のようなので、その中原のある意味「後背」した考えの同調してしまったのか・・・。
そういう意味では非常に不思議で抽象的な事件ですが・・・。
にしても、もっとするべきことがあったんじゃないの?と言いたくなるし、そこに人間の弱さがと孤独感が絡んでいたとするならば、
中原という男は不幸だったとしか言えないでしょうが、本放送当時の刹那的雰囲気が感じられます。
桃井かおりさんの恵美は適役過ぎて、桃井さんありきでこの作品が生まれた感じがしますが・・・ジーパンの好きな街・新宿で、ジーパンが惹きあった女性が恵美だったというのは優作さんであればアリなんですが、ジーパンとしては多少唐突だったかもしれません。ただ、ジーパンと優作さんの距離を縮めた感じはします。
何となく、マカロニだったら当然アリだとは思うのですけど。
ジーパンは優等生とはいえないまでも、街の暗さ的な部分は背負っていないピュアな部分が初期作では際立っていましたが、その辺りはこの作品である程度訣別した感じがします。それ故に恵美との自然体的な描写はその矛盾も覆す力があったと私は思います。
色々な面で、この作品はあまり細かい部分を詮索するのではなく、あくまでもジーパンと恵美のあり方を味わうのが本当なんだなぁ・・・と。
そのジーパンの行動を今回サポートするのが、シンコとデンカ。
シンコはどうもこの頃からジーパンとの距離を縮めている感じがします。新宿で「純」として現れる導入部分のみのサポートですが、気後れすることなく堂々としています。
また、地震の時から落ち着いている殿下は、今回ジーパンに共感している部分が見えますし、というよりは負傷するわけですが(^_^;)
まあ、一番不憫だったのはゴリさん・・・地震嫌いが表面化(^_^;)、それにジーパンには殴られるし・・・。
最後のボスのセリフが染みますね・・・。
「どういう絶望的な事態になっても、俺は生きるために戦うぞ。そうじゃなきゃ、生まれてきた甲斐がないからな。」
=ロケ地=
新宿中央公園
新宿ゴールデン街、新宿2丁目
新宿副都心周辺
竜神会のビルは新宿1丁目に現存。