隊長のブログ

元商社マン。趣味:ヒップホップダンス、ジャズダンス、日舞(新舞踊)、旅行、映画、スポーツ観戦。阪神タイガースのファン。

旅行記 第22回 『踊り子号で行く小田原・熱海 2日間』 (その2)

2018年06月26日 | 旅行記

『踊り子号で行く小田原・熱海 2日間』(その1) ⇒ https://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/2d06de2cce60cb5f8f70a2275016574b

 
小田原城本丸への最後の扉「常盤木門 (ときわぎもん)」を潜ると、昭和35年(1960)に復興された高さ38.7mの天守閣が見えてきました。

 

 


「小田原城址公園」への入園は無料ですが、天守閣へ登るには、500円が必要です。


小田原城が初めて築かれたのは、大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろと考えられています。 江戸時代を迎えると、城は徳川家康の支配するところとなり、その家臣大久保氏を城主として迎え、規模は三の丸以内に縮小されました。稲葉氏が城主となってから大規模な改修工事が始められ、近世城郭として生まれ変わりました。


小田原城は、「日本100名城」の一つです。100名城の内、隊長が、これまでに登城したことがあるのは、18城です。


詳細は、こちらをご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/94b560090f0c90ce702887beceaacb97


来館記念スタンプは、天守付櫓ホールで押すことが出来ます。

 


5F展望デッキから、西側の眺望。


南側には、相模湾を望む。


東側には、遠くに三浦半島を望むことが出来ます。


天守閣を降り、崖下を「こども遊園地」の方へ下って行きます。


崖下には、アジサイが。


遊園地には、現在、豆汽車や豆自動車などの遊具がありますが、確かこの場所、昔は「小田原動物園」だったのではないでしょうか。


裏参道から、「報徳二宮(ほうとく にのみや)神社」へ


当社は、明治27年(1894)、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国 (伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に創建されました。「報徳」とは、翁が提唱した教えのことです。


社殿は神明造り(神社建築の一様式)です。


参拝後に、社務所にて御朱印を頂きました。初穂料は、300円。

 


当社の御朱印は、中央上に「報徳」の丸印、下に「相模國報徳神社」の各印を押し、上から「報徳二宮神社」の墨書き。右に「小田原城内鎮座」と鎮座地を墨書き。左に参拝日を墨書きしています。

 

尚、これまでに拝受した御朱印の数は、25です。


詳細は、こちらの記事一覧をご参照下さい⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/e23a591aa7b880a9e451c519dc5e14a5


御朱印と一緒に当社の由緒などが書かれた小冊子を頂きました。


表参道の青銅製の「三の鳥居」。


当社にある「二宮金次郎像」は昭和3年(1928)、昭和天皇即位御大礼記念として神戸の中村直吉氏より寄進されたブロンズ像で、当時のメートル法普及の意図を反映してちょうど1メートルの高さに制作されているそうです。


石製の「二の鳥居」。


道路に面した表参道、一番外側の木製の「大鳥居(一の鳥居)」、それに裏参道と、同社には鳥居が四基ありました。


参拝後は、「小田原城址公園南入口」から再び「二の丸」へ入り、朱色に塗られた「学橋  (まなびはし)」で、お堀を渡り、「お堀端道路」に戻りました。


「学橋」付近には、何羽かの白い小型の鳥が飛び回り、時々、急降下してお堀に嘴を入れ、飛び去ります。何と言う鳥が判らなかったのですが、昼食のため立ち寄ったレストランに伺ったところ、“ゆりかもめ” とのことでした。


「ゆりかもめ」と聞けば、東京在住の隊長は、 臨海副都心を走る新交通システム⇒ http://blog.goo.ne.jp/taichou-san2014/e/a1b41dd92413809f6dfd86dd2366146e が、真っ先に頭に浮かびますが、本物の “ゆりかもめ” を見たのは初めてでした。

 


★ 続きは、『踊り子号で行く小田原・熱海 2日間』 (その3)で ★


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