狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

教えてくれなきゃ勉強しない 江戸時代と戦前の否定が日本をダメにした!

2007-11-19 06:45:55 | 教科書

自分でやるより全部授業で 大学生4人に3人が回答 (11月18日 16:00)

 大学生の4人に3人は「自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい」と考え、授業内容では「最先端の研究」よりも「学問の基礎」を重視している学生の方が多いことが18日、東大研究グループによる調査で分かった。

 授業と直接関係のないことを、独自に学ぶのは少数派であることも判明。高度な専門知識を自ら習得するという学生のイメージからは程遠く、受け身の傾向の強い現在の学生像が浮かび上がった。

 調査は今年、全国の国公私立127大学の協力を得て実施。約4万5000人の学生が回答した。

 調査結果によると、意味があったと思う授業は「教養・共通教育」が44%、「専門教育」は59%。その内容については複数回答で「学問の基礎を教えてくれた」がトップの55%、「実践的な知識や技能」が50%で「最先端の研究成果」は14%だけだった。

(共同)

                                                 ◇

これまでの経験から教育のことをエントリすると、

「勉強しろ!」といウザイおやじを想いだすのか、「人気ランキング」は確実に下がる。

うーん、苦しいところだがランキングの上下で一喜一憂して書きたいことも書かないのもストレスがたまる。

まさにシェークスピアの心境・・・なんて高尚なものではなく、筆者の「若い頃もっと勉強しておけばよかった」、という自戒・悔悟の念を込めて昨日に続き教育問題のエントリです。

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沖縄の基礎学力が全国最下位の不名誉を全国に晒して久しいが、基礎学力の低下は沖縄の小学生のみならず全国の大学生の読み書き読解力が中学生並だというのが昨日のエントリの主旨だった。

古い日本映画を見て当時の社会風俗を見るのに興味を持つが、映画に出てくる戦前の大学生は詰襟に角帽、それに絶えず本を携帯している。

そして、カルト、ントやショウペンハウエルを熱っぽく語り、ここから「デカンショ節」という学生歌が流行ったくらいだという。

ちなみにデカンショ節の冒頭の歌詞は・・・・

♪ デカンショ デカンショで半年暮らしゃ ヨイ ヨイ

後の半年や 寝て暮らす ♪

(ん? 昔の大学生も半年寝て暮らしたってか・・・)

戦後大学制度も大きく変わって現在の大学生とそのまま比較するわけには行かないだろうが、少なくとも中学生並の読み書きしか出来ない大学生は論外だし、

そのままところてん式に卒業して社会に放り出されるとしたら時間的、経済的そして社会的にも大きな損失である。

>大学生の4人に3人は「自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい」と考え、授業内容では「最先端の研究」よりも「学問の基礎」を重視している学生の方が多いことが18日、東大研究グループによる調査で分かった。

大学生は自主的に勉強し先生はその手助けであり、これが小中高生との根本的違いだと信じていた筆者は既に過去の遺物になりかかっているのだろうか。

大学生がこの有様じゃ文科大臣も当分全国学力テストを止めるわけにはいかないのだろう。

  • 学力テストやめる考えない 国民対話集会で文科相 (11月18日 19:19)
  • 昨日も基礎学力の向上には藤原御茶ノ水大学教授の「読み書き算盤」説を強く押したが、結局読み書きが弱いと自分で本を読んで理解できない⇒

    自分で勉強するより、必要なことはすべて授業で扱ってほしい」

    という大学生が増加することになる。

    昨日のエントリに引き続き藤原教授のインタビューを引用する。

    一部重複する部分もあるが敢てそのまま転載した。


     ――『この国のけじめ』では、価値観の再構築と真のエリート教育の再生について言及されています。そもそも、現在の日本における問題はどのようなことなのでしょう?


    「一番大きな問題は、祖国への誇りと自信を持てなくなったことでしょう。なぜ祖国に誇りと自信を持てなくなってしまったのか? 答えは簡単、そのように教育されてきたからです」


    ――戦後教育ですか?

    「いやいや、日本人はこれまでに、2回も過去を捨てさせられてしまっているんですよ。最初は明治維新。薩長が“封建制の圧政で庶民が抑圧されてきた”と大ウソを言って江戸時代までを否定した。日露戦争に勝ったから明治政府は偉いみたいに言われているけれども、大きな間違いもしている。その最たるものが江戸時代の否定です。たとえば江戸時代の日本は、260年もの間、世界最高の識字率を誇っていた。幕末、日本にやってきた欧米人が“一般の町人が本を立ち読みしている。こんな国はとても植民化できない”と驚いたぐらいだった。そうやって長い間をかけて培ってきた文化と伝統を、全部なかったことにしてしまったわけです」


    ――では、2回目はいつだったのですか?

    第二次大戦後です。今度はアメリカと日教組が、すべてが日米戦争につながったとして、戦前の日本を全否定した。そのせいで、またもや日本人に誇るべき過去がなくなってしまった。戦後教育を受けた70才以下の人々にとって、誇るべき過去がない状態になってしまったのです


    ――日本人は2回、根無し草になってしまった?

    「そう。文化も伝統もすべて否定されてしまったのだから。根無し草になってしまい、よるべき文化や価値観がないから、現在のようにアメリカのまねばかりするようになったんですね


    ――誇りや自信がないから、欧米から来たものに飛びついてしまう。

    「会社は株主のものだという説が、このところ跋扈(ばっこ)していますよね。会社は経営者と従業員のものに決まっている。株主なんて、ある程度の権限はあるが、基本的にはなんの関係もない。組織に対する愛着心がぜんぜん違うんだから」


    ――株主と経営者や従業員とは、イコールパートナーであってもよいが、株主だけが重視されるべきではない、と?

    「だって、日本は長年そうやってきたでしょう。会社に対する忠誠心と、その見返りとしての終身雇用。これはある意味、世界で最も進んだ資本主義だったんです。その日本式をかなぐり捨ててしまった。たとえば、不況になったらトップから順に給料をカットして、一般社員は最後まで守るのが日本のやり方。ところが、いまは末端から先にリストラしてしまう。祖国への自信と誇りがないから、ちょっとバブルが弾けたら、不況になったら、グローバルスタンダードだとか理屈をつけて、すぐにアメリカ流に飛びついて、取り入れようとするんです。
     たとえば、自由競争と政府が言った場合、これは規制を取り払って、競争しましょうという意味ですね。しかし、小学校の6年生と1年生が公平に競争できるはずがない。力の差がありすぎる者どうしのけんかというのは、本来、日本人にとって許しがたい行為だった」


    ――日本人のメンタリティが許容できるものではない?

    「卑怯(ひきょう)なことなんです。6年生と1年生がまともにけんかできるはずがないでしょう。ところが、いま言われている自由競争は、全員一緒に競争して、勝った者がすべてを取っていっていい、というもの。負けた者への優しい視点がない。世界に誇るべき卑怯を憎むという価値観さえ捨ててしまった。そして、残ったのは勝ち馬に乗るということだけ。みんな、勝ち馬にどうしたら乗れるかばかりを考えるようになって、少しでも早く勝ち馬になびく、そういう時代になってしまったのです」


    ――小学生の例が出たところで、社会を構成する人々の基本となる教育にも揺らぎはありますか?

    「ありますよ。教育について日本人は昔から“読み書きそろばん”といって、読むことが最初に大切で、その次に書くこと、次に計算すること、この3つが人間にとって最も大切だとしてきた。これは本質中の本質。ところが、それも“ゆとり教育”だのと理屈をつけてなしにしてしまった。それどころか、最近では小学校や中学校で金融、株の教育をやろうと言っているでしょう。“読み書きそろばん”をまともに教えずに、金融だ経済だなどとやるのは本末転倒、甚だしい」


    ――これもまた、アメリカのまねでしかない、と。多様な興味に応え、創造性をはぐくむことが主眼とされていますが?

    「独創性、創造性をはぐくむというのは、余計なお世話。よるべき価値観のない教師に中身のないことを教えられるよりも、校庭でけんかでもさせておいたほうがよほど独創性や創造性は身につきますよ。そもそも漢字が読めません、計算ができませんで、何の独創性、創造性だというのか。ハウトゥ的な方法論を与えられるだけでは、他人のまねをすることを覚えるだけにしかなりませんよ

     

    ――では、これから先、よるべき価値観、根本を再び構築するためには、どのようにすればよいのでしょう?

    「いま政府がやっている構造改革、私はこれが上手くいくとは思えないんだけど、たとえ上手くいったとしても、庶民の生活が多少良くなるだけで、失ってしまった精神を取り戻すことはとても難しいと思う。精神を取り戻すことは、政治改革、経済改革とは無関係です。誇るべき高い精神性を取り戻すためには、教育しかない。では、教育をどのように変えていくか、どのようにすべきか。これが一番大事なことになってくるのです」


    ――折りしも、教育基本法の改訂が議論されています。

    「ゆとり教育なんてばかなことを言って、教育そのものを壊してしまったからね。もっとも重要なことは、初等教育における国語力を鍛えることにあるんです。まずは国語をきちんとやる。漢字の読み書きを徹底的に訓練する。そして、自ら本に手を伸ばす子どもを育てる。これをやらない限り、教育の再生はありえない」


    ――本を読む時間、本が好きな子ども、それぞれがもうずっと減りっぱなしです。ある調査では、一般的な大学生は新聞さえほとんど読まないそうです。

    「ちゃんとした本さえきちんと読んでいれば、ものの考え方も知識も情緒も、本来は身につくんですよ。物語を読んで家族愛に涙する、郷土愛、祖国愛を感じる。あるいは美的感受性、弱いものに対する優しい視線に気づく。こうした経験がなければ、かつて世界に誇った精神性、道徳心など取り戻しようがありません。ですから、まず本を読むための準備、基礎知識としての国語力をはぐくまなければいけないのです」


    ――精神性や価値観を持ちえるための土壌を、はじめに鍛えることが重要?

    「そうです。それから中学校になれば、恋愛や自分を取り巻く環境、世界といったものに目覚めていく。貧しくて学校に行けない、家族が生活していくために野良仕事を手伝わなければならない。そうした現実がかつてあった、ということを文学や物語を通して学ぶ。文学のなかでも、日本が独自に発達させた詩歌に触れる。『万葉集』の時代から、優れた詩歌は山ほどあります。あるいは俳句、短歌。そうしたことに触れるなかで自然と自信が芽生え、美意識やバランスの取れた価値観が育っていくのです」


    ――ご自身の経験からそのように思われるのですか?

    「たとえば、私がアメリカやイギリスで教えていた時のことです。海外で学者の集まりに出ると、それこそノーベル賞学者にぐるりと囲まれてしまうような状況になることが多々ある。さすがに圧倒されそうになることもある。そんなとき、小さいころに暗唱した島崎藤村の詩を心の中で思い出すと、不思議と力がわいてきたんですね。それは〈小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし 白銀の衾(ふすま)の岡辺 日に溶けて淡雪流る〉というものでしたが、“あの信州の美しい自然のなかで、日本人は独自の文化をはぐくんできたのだ。お前たちには、こんな素晴らしい自然も文化もないだろう”という気持ちで、相手を睥睨(へいげい)する心持ちで挑むんです。そうやって自らを奮い立たせ、阿修羅のごとく研究に励んだものです」


    ――世界で活躍しようとすればするほど、実は祖国への誇りや自信が大切になってくる?

    「WBC(ワールドベースボールクラシック)のときにイチローが、日本の野球は世界一だと何度も言っていたでしょう。韓国に2回負けて“人生最大の屈辱だ”とまで言った。私はあの気持ちがよくわかる。彼は何も突然愛国者になったのではなく、いつもああいう気持ちで戦っているのだと思います。メジャーリーグの選手は、みんな体も大きいし、パワーもある。そのなかで小柄なイチロー選手は歯を食いしばってやっているんでしょう。支えになるのは、日本と日本人に対する誇りと自信しかない。日本の野球は緻密さにおいて世界一だと信じていて、そこでトップだった自分が負けるはずがない、と。祖国に対する誇りと自信がないと外国ではやっていけないですよ。慰めの言葉をいくらかけられても、なんの力もない。体の芯(しん)から出てくる民族的な誇り、これがないとダメです」


    ――しかし、道徳心や祖国への誇りといったものは、いったんタガが外れて失ってしまうと、なかなか元に戻せないのではないでしょうか? 昨今の事件や出来事についても、モラルの問題としか言いようのないことが増えている気がします。

    「だからこそ、日本人が古くから持つ精神性――別の言い方をすると“情緒と形”を見直すことが重要になります。情緒は豊かな自然や文化がはぐくんだ感受性、形のほうがモラルですね。形=モラルとは、簡単に言ってしまえば武士道精神のことです。慈愛、誠実、正義、勇気、忍耐、惻隠(そくいん)、名誉と恥、卑怯を憎む心、公の精神。これが武士道精神であり、日本人の原形を成すメンタリティなんですね。ところが、さっき言ったように、戦後になってアメリカと日教組が、日本がもっていた素晴らしい武士道精神を戦争に結びついたとして捨てさせた。忠君愛国の部分が戦争に結びついたのは事実だが、ほかは関係ないんです。忠君愛国を除けば、ほとんどイギリスの紳士道(ジェントルマンシップ)と変わらない」


    ――ディベートで勝ち負けを決めるような理屈優先ではなく、心のもちようこそが大切?

    「そのとおり。何か不具合や不都合が出てくると、すぐに法律で片付けようとする。そして六法全書がどんどん厚くなっていく。私に言わせれば、六法全書の厚い国は恥ずかしい国家なんです。本当の理想国家は六法全書がない国。それぞれの人間が普遍的な倫理観に基づいて自己を規制する国。まあ、それは絵に描いた餅(もち)だけど、六法全書は薄ければ薄いほど良いんですよ。アメリカの弁護士は日本に比べて人口比で20倍、精神カウンセラーは60倍。そういう国に日本はなっていくのか、なりたいのか。現実を見るとある程度は仕方がないと思うが、あくまで邪道であると認識しないとダメ」


    ――そこで、やはり教育の復興が大切である、と。

    「そう。では、誰が後進に理想を伝え、教えるか。70歳以下は、いまの政治家や官僚も、戦後教育に毒されているからダメ。80歳以上なら大丈夫だが、いかんせんほとんどが第一線から身を引いているし、数も少なくなってしまっている。結論的に言えば、現在の学童、児童の世代に任せるしかない。いまの小学生、中学生が日本人がもともと持っていた精神性を学び、さらに後進に伝えていくことを期待するしかない。だからこそ、今現在の国語教育が大切になってくるんです。私は、読書を“教養を獲得して人間の知的レベルを高める極めて重要な要素”と考えています。そこで、大学のゼミ生には、1年次から新渡戸稲造、内村鑑三、福沢諭吉らの思想書や、民俗学者である宮本常一の本などを読ませます。最初は興味もなく、読み解けない学生も、1学期ほどの間にどんどん成長するから驚きです。“読み書きそろばん”といった日本人のやり方は、決して間違っていないのです」
     

    日本は愚かにも、 明治維新で江戸時代を否定し、第二次大戦敗戦で戦前を否定した。

    先人が長年培ってきた世界に誇るべき日本文化を否定し、アメリカの尻馬に乗ってみたり日教組に誑(たぶら)かされて来たことが、

    現在の日本の教育の荒廃を招いた・・・と思う方、

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