見たいのとは違う。東京五輪が始まってしまった現実と向き合うために、開会式の中継を見た。この感覚は前にもあった。東村高江の路上で朝を迎えた5年前、2016年7月22日のこと

▼全国から来た機動隊員が抗議の市民を暴力的に排除し、ヘリパッド建設が始まった。一帯は封鎖され、交代の同僚も近づけない。熱中症寸前の干からびた状態で脚立の上に座り、何とか夕方まで見守った。虚脱感にあらがいながら

▼排除された女性は言った。「ヤマトの人は無関心でいられるかもしれない。でもここでは戦後日本が築いてきた意思決定プロセスやシステムへの信頼が壊されている」

▼当時官房長官として強行の指揮を執った菅義偉氏は首相になり、五輪に突っ込んだ。反対の民意を力でねじ伏せる政治は沖縄にとどまらず、全国を覆うことになった。全国の有権者が容認し続けてきた結果である

▼ただし、ウイルスは機動隊では排除できない。人事権を盾に脅すこともできない。菅氏の手法が一切通用しない。今度ばかりは相手が悪い

▼「毒を食らわば皿まで」は真実ではない。毒を口にしてしまったら即座に食事をやめ、皿を投げ捨てて、病院に駆け込むべきだ。メダル獲得競争の陰で大会関係者の感染が増えている。一刻も早く理性を取り戻さなければ、駆け込む病院がなくなる。(阿部岳