たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

廣瀬大社

2015-06-15 12:08:44 | 奈良・京都の神社

<廣瀬大社 ひろせたいしゃ>

 

奈良盆地を流れる川々が合流する地点に、

廣瀬大社(ひろせたいしゃ)という神社があります。

その特殊な地形が示すように、

こちらの神社のご祭神は水の神。

風の神を祀る龍田大社とは、

龍田の風神・広瀬の水神として、

古くから信仰を集めていました。

 

ただ、一説によりますと、

実際にこちらに祀られているのは、

神武東征の折に天皇に逆らい

饒速日命(にぎはやひのみこと)に殺された

長髄彦(ながすねひこ)なのだとか。

廣瀬大社の社家である樋口氏は、

饒速日命を祖神とする

物部氏の末裔だという話も聞きます。


陰陽のせめぎ合い

2015-06-14 13:40:04 | 奈良・京都の神社

<龍田神社 たつたじんじゃ>

 

龍田神社の伝承によりますと、

法隆寺建立の地を探していた聖徳太子が、

白髪の老人に化身した龍田大明神に出会い、

「ここから東に斑鳩という場所があり、

そここそが仏法興隆の地である。

私は守護神となろう」と仰せられ、

教えに従い法隆寺を建立したそう。

その折に、法隆寺の鎮守社として

龍田大明神をお祀りしたのが龍田神社です。

 

聖徳太子を法要する法隆寺のお祭り、

お会式(おえしき)でも、 まず龍田神社に向かって、

拝礼すると聞いたことがあります。

聖徳太子の伝承の真偽はともかく、

このあたりは、神武東征の折に天皇一行と争った、

長髄彦(ながすねひこ)の勢力範囲内です。

仏教が日本に持ち込まれるずっと以前から、

陰陽のせめぎ合いを見守ってきたのでしょう。


龍田神社

2015-06-13 12:56:16 | 奈良・京都の神社

<龍田神社 たつたじんじゃ>

 

奈良の龍田という名称を聞きますと、

風の神様として古くから信仰を集めている、

「龍田大社(たつたたいしゃ)」が浮かびます。

私も今回、訪れる予定でいたのですが、

どういうわけかナビの設定を間違い、

同じ名前の龍田神社(たつたじんじゃ)に

たどり着いてしまいました。

 

そんな龍田神社ですが、

最近まで龍田大社の管轄だったそうです。

またそれ以前は、法隆寺の鎮守社だった時代もあり、

鬼門除けの神として手厚く祀られていたとのこと。

参拝したときは、お宮参りの最中で、

家族連れの賑やかな声が聞こえてきました。

今は、仏教色はほとんど感じられない、

素朴な街中の氏神様といった印象です。


天津と国津

2015-06-12 13:21:21 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社中社 にゅうかわかみじんじゃなかしゃ>

 

高倉下(たかくらじ)が神武天皇の命を救った後、

八咫烏(やたのからす)の導きや、

日臣命(ひのおみのみこと)の助けもあり、

神武一行は莵田の高倉山までたどり着きましたが、

ここでも、土着の民の軍団に行く手を阻まれます。

 

そのとき、神武天皇の夢の中に天神があらわれ、

「天香具山の社の土で、天平瓦(あまのひらか)80枚と、

厳甕(いつへ)を作り、天神地祇を敬って祇りなさい。

そうすれば敵は平伏するだろう」と告げたそうです。

 

神武天皇は、部下に天香具山の土を取りに行かせ、

その土で八十平瓦(やそひらか)と厳甕をつくり、

丹生の川上(丹生川上神社中社という説)にて、

天神地祇に祈って敵の調伏をしたところ、

戦況が上向いてきたといわれております。

 

吉野を始めとするヤマトの山中のあちこちには、

古くからその土地に住む土着の民がいました。

神武東征というのは、そんな土着の民を、

自分の支配下に置くとともに、

土着の民が祀っていた神社(神)を封印し、

天皇の神力を高める旅でもあったのです。


タカクラの龍

2015-06-11 13:23:55 | 東日本・三陸の神社

<高座結御子神社 たかくらむすびみこじんじゃ>

 

高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)で、

宮司さんに高倉下(たかくらじ)について質問すると、

「それよりも…」と神社に伝わる

龍伝説のお話をしてくださいました。

何でも、境内にあるご神木には、

霧両雨(むらさめ)大龍神という守護神がいて、

その姿が木の幹に浮き上がっているのだそう。

また、境内にある井戸を覗くと、

龍神の力で子どもが健やかに育つ、

という言い伝えがあるのだとか。

 

ちなみにこの神社がある場所は、

高蔵(たかくら)という名前で、

神社の裏手あたりは古墳だったとのこと。

隣の公園からも遺跡が発掘されたそうですが、

「調査が終わらないうちに埋められてしまった」と、

残念そうにおっしゃっていました。

高倉下といえば、記紀神話の神武東征の件で、

神武天皇の命を救うキーマンです。

タカクラという名前の中には、

渡来人と日本人との浅からぬ因縁が

秘められているような気がします。


高倉下

2015-06-10 13:40:36 | 東日本・三陸の神社

<高座結御子神社 たかくらむすびみこじんじゃ>

 

日本神話の中に、高倉下(たかくらじ)

という人物が出てまいります。

神武東征の折、熊野の山中にて天皇が、

悪神の毒気に当たって倒れたとき、

建御雷神(たけみかずちのかみ)から

預かった剣を持ってあらわれ、

天皇の命を救ったのがこの高倉下です。

 

その際、高倉下が手にしていた剣は、

記紀神話の国譲りの件で、建御雷神が

葦原中国(あしはらのなかつくに)

を平定する際に登場したものだそう。

後に、宮中を経て石上神宮に遷され、

主祭神・布都御魂(ふつのみたま)として、

現在まで手厚くお祀りされています。

 

高倉下は物部氏の祖神、

饒速日命(にぎはやひのみこと)の子で、

別名は天香山命(あめのかぐやまのみこと)。

尾張氏(おわりうじ)との関連が深く、

熱田神宮の摂社である

高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)

に主祭神として祀られています。


草薙神剣

2015-06-09 13:00:30 | 東日本・三陸の神社

<熱田神宮・土用殿 あつたじんぐう・どようでん>

 

三種の神器のひとつである、

草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)は、

伊勢内宮や皇居に安置されている

八咫の鏡・八尺瓊勾玉と比べると、

少々数奇な運命をたどっています。

 

もともと宮中に揃っていた三種の神器ですが、

崇神天皇(すじんてんのう)の時代に、

八尺瓊勾玉以外は皇居の外へと遷されました。

草薙神剣が倭姫の手に渡り伊勢に運ばれ、

熱田神宮に落ち着くまでの記述は少なく、

その後水没、偽造、消失などの経緯を経て、

明治時代に熱田神宮の御用殿から移動した後、

所在が不明になっているという話も…。

 

昨年の3月、天皇皇后両陛下が、

皇居内に保管されている

八尺瓊勾玉と草薙神剣のレプリカとともに、

八咫の鏡のある伊勢内宮を訪れた

「剣璽ご動座(けんじごどうざ)」という儀式は、

崇神天皇の時代にバラバラになった三種の神器を、

伊勢に集結させるという非常に意義深い出来事です。


戦艦大和

2015-06-08 13:46:09 | 奈良・京都の神社

<大和神社 おおやまとじんじゃ>

 

「戦艦大和」との関連でしょう。

大東亜戦争(太平洋戦争)の時代、

世界最大最強を誇った戦艦大和には、

大和神社のお札が祀られており、

そのとき亡くなられた英霊の方々を合祀するお社が、

大和神社の境内にあります。

 

また、摂社である高龗神社(たかおかみじんじゃ)は、

もともと丹生川上神社の総本社だったそうで、

古くは大祭の日になると、丹生川上神社3社や

狭井神社(現大神神社摂社)から使者が訪れ、

重要な役目に就いていたという話も…。

 

八咫の鏡が遷られた伊勢神宮はもちろん、

大神神社や石上神宮などと比較しても、

少々陰の薄い大和神社ですが、

その歴史を紐解いてみると、

この神社がいかに重要な役割を果たし、

今も裏から日本を守護していることがわかります。


龗(おかみ)

2015-06-07 13:37:17 | 奈良・京都の神社

<大和神社 おおやまとじんじゃ>

 

丹生川上神社を訪れたとき、参拝者が宮司さんに、

「龗」という文字について質問をしていました。

画面上で見ると非常にわかりにくい

この「龗(おかみ)」の文字、

元はこれが正式な「龍」の字だそう。

「高龗神(たかおかみのかみ、山頂に座す龗)」、

「闇龗神(くらおかみのかみ、谷間や山裏に座す龗)」として、

主に水に関係する場所に祀られています。

 

高龗神(および闇龗神)をお祀りする神社としては、

丹生川上神社の他に、京都の貴船神社が有名ですが、

総本社は奈良天理にある大和神社の中にあります。

それまで大和神社に、

高龗神が祀られているとは知らなかったので、

丹生川上神社参拝の帰りに立ち寄った際は驚きました。

日本の国魂、龍、そして祭祀をしていた物部氏族との関連など、

大和神社という神社は、非常に興味をそそられる場所です。


大国魂神

2015-06-06 15:05:55 | 奈良・京都の神社

<大和神社 おおやまとじんじゃ>

 

もともと宮中では、皇祖神(天照太御神)と、

国土神(大国魂神、国常立尊)とを、

ともにお祀りしてきました。

ただ、崇神天皇の時代に、

疫病で多くの民が亡くなったり、

宮中で奇異な出来事が続いたりしたことから、

天照太御神を檜原神社(後に伊勢内宮)へ、

また大国魂神を大和神社へと遷します。

 

大和神社は、石上神社や大神神社など、

近隣のメジャーな神社の陰に隠れて、

少々知名度の低い神社ですが、

その由緒を見てもわかるように、

日本の国魂(国土神)や

三種の神器とも関係する重要な場所です。

 

天照太御神のご神霊を託された、

豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が、

目的を果たせなかったのと同様、

大国魂神のご神霊を託された、

渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)も、

その強烈なご神気に当たり、

やせ細ってしまったといわれております。


石上神宮の境内

2015-06-05 13:42:34 | 奈良・京都の神社

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

石上神宮の参道を歩いておりますと、

楼門や拝殿の配置のせいもあるのか、

ちょっとした圧迫感を感じます。

これだけの長い歴史を持ち、

数多くの神宝を所有しているにも関わらず、

その規模は意外にもコンパクト。

春日大社や大神神社などと比べると、

石上神宮の境内が狭いことに驚くでしょう。

 

鳥居をくぐると、まず目に留まるのが、

境内を自由に飛び(歩き)まわるたくさんの鶏たちです。

人間との共生に慣れているのか、

どんなに近寄っても逃げたり威嚇してきたりはしません。

ときには参道の真ん中から、ときには木の上から、

参拝客の様子をじっと伺っています。

私が訪れたときも、まるでお社を守る眷属のように、

威厳ある立ち姿で出迎えてくれました。


剣の縁

2015-06-04 14:46:04 | 奈良・京都の神社

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

石上神宮は、同じ剣を御神体とする熱田神宮や、

鹿島神宮、香取神宮などとよく比較されますが、

実は伊勢神宮とも深い関わりを持っています。

日本書紀に記された内容によると、

当時「神宮」と呼ばれたお宮は、

伊勢神宮と石上神宮だけだったそうで、

この事実ひとつをとっても、古代より石上神宮が、

「伊勢内宮と並ぶほど重要視されていた」

ということがわかるでしょう。

 

また、「イソ」ノカミという呼び名は、

神宮の古名とされる「磯」宮とも重なり、

伊勢神宮では一般的な形のお札の他に、

「剣祓(けんはらい・けんばらい)」と呼ばれる

剣の形を模したお札が配布されています。

そして、磯宮の有力地とされる

伊勢内宮の別宮・伊雑宮の前には、

関係者の間で「剣の達人」として密かに知られていた、

ある神道家のお宅があるのも意味深な事実です。


十種神宝

2015-06-03 14:00:11 | 奈良・京都の神社

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

石上神宮には、布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)とともに、

物部氏の祖先である饒速日命(にぎはやひのみこと)が、

天津神(あまつかみ)から授けられた十種の神宝である

天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)のご神威、

スサノウが八岐大蛇(やまたのおろち)を退治されるのに用いた、

天十握剣(あめのとつかのつるぎ)のご神威も祀られています。

 

十種神宝(とくさのかんだから)とも呼ばれる天璽十種瑞宝は、

「亡くなられた人をも蘇らす」霊力を秘めているそう。

11月に行われる鎮魂祭(ちんこんさい)では、

十種神宝の名前や祓詞などを唱えながら、

ミタマフリというご神事をするのだとか。

人間の身体に鎮まった霊魂を、

揺り動かして活性化させる、このミタマフリの儀式。

本来は天皇の長寿と国家安泰を祈念するご神事です。


布都御魂剣

2015-06-02 12:52:35 | 奈良・京都の神社

<石上神宮 いそのかみじんぐう>

 

伊勢神宮と並ぶ古社として知られる石上神宮は、

七支刀(しちしとう、ななつさやのたち)を始め、

数々の重要文化財を保持する歴史深い神社です。

古代軍事氏族である物部氏(もののべうじ)が祭祀し、

ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきました。

 

こちらの神社の御神体は、

布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)という剣で、

主祭神は、この剣に宿る

布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)という神霊です。

 

社伝によりますと、この布都御魂剣は、

記紀の国譲りの件に登場する、

武甕雷神(たけみかづちのかみ)が持っていたもので、

神武東征の折に天皇の命を救った剣でもあるのだとか。

明治7年、拝殿裏手の禁足地から布都御魂剣が出土し、

石上神宮の伝承を裏付ける形となりました。


高度な精神性

2015-06-01 20:26:00 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社上社 にうかわかみじんじゃかみしゃ>

 

本当の丹生川上神社がどこにあったのか、

それを確定することは難しいでしょう。

ただ、本当の丹生川上神社の神様が、

どこにいらっしゃるかわからないからこそ、

我欲や先入観なしに、素直な気持ちで、

各々の神社をお参りできるも確かです。

 

私たちが真実と思い込んでいる情報は、

そのほとんどが、世間の風評や

メディアの戦略に基づくもの。

実際には、神様がいないだけでなく、

お金儲けのために営業している神社も、

全国のあちこちに存在します。

 

「いるかどうかわからない神様を拝む」

という高度な精神性は、

私たち日本人が持つ稀有な資質です。

丹生川上神社の神様が姿を隠したのも、

きっと神社参拝の意味を取り違えている、

現代人への警告なのかもしれません。