たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

天津と国津

2015-06-12 13:21:21 | 奈良・京都の神社

<丹生川上神社中社 にゅうかわかみじんじゃなかしゃ>

 

高倉下(たかくらじ)が神武天皇の命を救った後、

八咫烏(やたのからす)の導きや、

日臣命(ひのおみのみこと)の助けもあり、

神武一行は莵田の高倉山までたどり着きましたが、

ここでも、土着の民の軍団に行く手を阻まれます。

 

そのとき、神武天皇の夢の中に天神があらわれ、

「天香具山の社の土で、天平瓦(あまのひらか)80枚と、

厳甕(いつへ)を作り、天神地祇を敬って祇りなさい。

そうすれば敵は平伏するだろう」と告げたそうです。

 

神武天皇は、部下に天香具山の土を取りに行かせ、

その土で八十平瓦(やそひらか)と厳甕をつくり、

丹生の川上(丹生川上神社中社という説)にて、

天神地祇に祈って敵の調伏をしたところ、

戦況が上向いてきたといわれております。

 

吉野を始めとするヤマトの山中のあちこちには、

古くからその土地に住む土着の民がいました。

神武東征というのは、そんな土着の民を、

自分の支配下に置くとともに、

土着の民が祀っていた神社(神)を封印し、

天皇の神力を高める旅でもあったのです。