<丹生川上神社中社 にゅうかわかみじんじゃなかしゃ>
高倉下(たかくらじ)が神武天皇の命を救った後、
八咫烏(やたのからす)の導きや、
日臣命(ひのおみのみこと)の助けもあり、
神武一行は莵田の高倉山までたどり着きましたが、
ここでも、土着の民の軍団に行く手を阻まれます。
そのとき、神武天皇の夢の中に天神があらわれ、
「天香具山の社の土で、天平瓦(あまのひらか)80枚と、
厳甕(いつへ)を作り、天神地祇を敬って祇りなさい。
そうすれば敵は平伏するだろう」と告げたそうです。
神武天皇は、部下に天香具山の土を取りに行かせ、
その土で八十平瓦(やそひらか)と厳甕をつくり、
丹生の川上(丹生川上神社中社という説)にて、
天神地祇に祈って敵の調伏をしたところ、
戦況が上向いてきたといわれております。
吉野を始めとするヤマトの山中のあちこちには、
古くからその土地に住む土着の民がいました。
神武東征というのは、そんな土着の民を、
自分の支配下に置くとともに、
土着の民が祀っていた神社(神)を封印し、
天皇の神力を高める旅でもあったのです。