たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

百聞は一見に如かず

2015-03-16 13:26:52 | 神社について

<風宮 かぜのみや>

 

世の中には「実際にやらなければわからないこと」

「実際に行かなければわからないこと」が多々あります。

いくらたくさんの情報を仕入れても、

頭に入ってくるのは二次元の知識のみ。

百聞は一見に如かずという言葉があるように、

何度本をめくってもわからなかったことが、

その土地に出向き、その場の空気に触れたとたん、

瞬時に理解できたりする場合も多いものです。

 

神社を参拝するという行為は、

限られた時間や金銭をやりくりし、

わざわざ自分の足で神社に出向くこと自体が、

「その土地の神様への敬い」につながっています。

神社参拝の計画を立てている時点で、

すでにお参りが始まっているともいえるのですね。

参拝者の精神状態や事前の心構えなどすべてを、

行く先々の神様にしっかり観られているのでしょう。


旅先への恩返し

2015-03-15 13:22:02 | 歴史・神話・旅・風景

<風宮 かぜのみや>

 

旅の予定が決まった後は、

目的地に向けて「訪問させてもらいます」

という気持ちを持つようにしております。

出発の前には、近所の氏神様を通じて、

その土地の神様に訪問の旨を伝えたり、

帰宅後は資料と格闘しながら、

写真や記事をまとめたりするのも、

私なりの「縁をいただいた土地への恩返し」です。

 

旅行先でアクシデントに遭う遭わないの差は、

その土地に対する敬意のあるなしにも関わってきます。

もともと海や山は、様々な霊が寄りやすい場所ですし、

また、観光地には多くの人の因果が集まりますから、

不純な気持ちで訪れれば、

必ず足元を救われるでしょう。

縁ある土地への敬意を忘れず、

謙虚な気持ちで旅を楽しみたいものですね。


実体験の時間

2015-03-14 13:18:57 | 歴史・神話・旅・風景

<風宮 かぜのみや>

 

忙しい現代人にとっては、

とにかく情報や知識を仕入れることが最優先で、

「実体験の時間」がほとんど与えられないのが現状です。

失敗や寄り道などに費やす時間を避け、

ひたすら最短距離での成功を求め続けた結果、

頭でっかちで「真に無知な人間」が増えてしまいました。

 

見知らぬ土地にひとりで放り出されたとき、

頼りになるのは自分自身の経験と発想力のみ。

細い道に迷い込んだり、高い壁に直面したりと、

「行くべきか戻るべきか」を自問自答しながら、

人生の大きな糧を得て行くのが旅の醍醐味です。

やはり何事も実体験なくして、

本当の意味で「知る」ことはできないのかもしれません。


奥深き国

2015-03-13 13:15:41 | 歴史・神話・旅・風景

<外宮 げぐう>

 

聖地と呼ばれる場所を訪れるたび、

「日本という国は深いな」とつくづく感じます。

行く前には名前さえ知らなかった場所や、

本を読んでも頭に入ってこなかった知識が、

パズルを埋めるようにピタッとはまる瞬間は、

まるで「日本という奥深き国」の

謎を垣間見たような感覚を抱きます。

 

「何かに興味を持つ」という気持ちは、

心に埋もれているお宝を掘り起こすための、

最大にして最強のきっかけです。

忙しい毎日に流され、

好奇心を置き去りにしてしまうと、

人生を輝かせる宝の山も見つからないまま。

日本という国を知ることは、

巡り巡って日本人である自分を

知ることにもつながるのでしょう。


三つ巴の循環

2015-03-12 13:13:39 | 歴史・神話・旅・風景

<外宮 げぐう>

 

いつも通りの日常生活を送れることは、

本当に掛け替えのない恩恵だと思います。

お金、健康、環境…どれかひとつが欠けても、

普通に暮らすことすらままならなくなるもの。

普段何気なく交わしている会話も、

毎日飽きるほど見ている光景も、

ほんの些細なきっかけで、

一瞬にして失われる幻のような存在です。

 

自然災害というのは、

決して理由もなく訪れるわけではありません。

神様・ご先祖・人間という「三つ巴の循環」を無視し、

人間だけがスタンドプレーに走りすぎたため、

「必然的に」発生するのが諸々の災害です。

これ以上美しい日本の景色が損なわれないよう、

そしてこれ以上尊い命が失われないよう、

ひとりひとりが真剣に、日本人としての役目を、

模索しなければいけないのでしょう。


風宮の先祓い

2015-03-11 13:11:11 | 伊勢神宮

<風宮 かぜのみや>

 

東日本大震災という未曽有の災害を思い出すとき、

私の頭の中に浮かぶのは、

伊勢神宮・外宮の風宮の存在です。

2011年3月11日当日の風宮は、

さほど強い風が吹いていたわけではないにも関わらず、

周囲の木々は、ザワザワと不思議(不気味)な音を立て、

お社の上空には、まるで異空間へとつながるかのように、

天に向かってぽっかりと空間が開いておりました。

* あくまでもイメージです

 

隣にいた友人(常識的な一般人)も、

同様の感想を持っていたようで、

後日風宮の話題になったとき、

「日本に災難が迫ると、風宮の神様が先祓いに向かう」

という話の信ぴょう性を確認し合った次第。

風宮を参拝してから約3時間後、

伊勢の地に津波警報が鳴り響きました。

 

今週末、伊勢神宮の遷宮諸祭の最後に、

風宮の遷御の儀が執り行われます。

東日本大震災から4年目の節目の時期に、

風宮の神様が新たなお社へと御移りになられるのも、

偶然のひと言では片づけられない、

深い意図が潜んでいるかのようです。

風宮の状況というのはまさに、

日本の行く末を暗示しているのでしょう。


稀有な条件

2015-03-10 12:51:00 | 神社について

<内宮 ないくう>

 

神社が建てられている場所を調べていますと、

興味深い事実がたくさん出てまいります。

多くの神社が、高台や地盤の強い土地に

建てられているのはもちろんですが、

標高の低い場所に建てられている神社も、

本殿の場所だけ一段高くなっていたり、

鳥居の内側だけ地盤が変わっていたりと、

明らかに「何かを意識して」

その場所を選んだとしか思えないような現象に遭遇するもの。

実際、東日本大震災で被災した神社でも、

「鳥居が倒れただけで本殿には被害なし」

というような状況が散見されました。

 

特に、千年レベルの歴史を持つ古社は、

まるで神様自らが選んだかのように、

稀有な条件が幾重にも重なっており、

例えば伊勢内宮の御正宮などは、

伊勢湾からの津波を想定したかのごとく、

絶妙な位置に配置されています。

神様を敬い神社に親しむことは、

防災意識の強化にもつながるのかもしれません。


大地の発する詞

2015-03-09 14:20:00 | 神社について

<諏訪大社本宮 すわたいしゃほんみや>

 

東日本大震災が発生したとき、被災地の近辺では、

神社に関する不思議な現象が多々見られたそうです。

例えば、神社の鳥居の目前でちょうど津波が止まった、

周囲の建物が流されている中で神社だけが残った、

神社を避けるように津波が二つに分かれるのを見た等々…。

実際に高台の神社に逃げた人たちが、

九死に一生を得たケースも見られましたし、

またある調査では、被災地の神社の多くが、

津波の到達ラインぎりぎりに建てられていたため、

何とか被災を免れたという結果も出ています。

 

九州から関東にかけて日本列島を横断する

「中央構造線(ちゅうおうこうぞうせん)」という断層帯上に、

伊勢神宮をはじめとする、たくさんの神社仏閣が

建てられているという話はよく知られていますが、

これは大地から噴き出すエネルギー

つまりパワースポットの位置を特定できた古代人が、

そこに神の息吹を感知できたからなのだと。

神社を汚し、大地の発する詞に

耳を傾けなくなった人間が増えるほど、

災害の規模が増すのは当たり前なのかもしれません。


山と海の間で

2015-03-08 18:15:08 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<御塩浜 みしおはま>

 

大祓詞に登場する祓いの神の一柱、

瀬織津比売(せおりつひめ)が受け持つのは、

その名の通り水や川に関連する場所です。

大祓詞では、私たちの災厄を受け取った後、

その罪穢れを海の方へと流すと記されており、

瀬織津比売が祀られているのも、

川や水辺の近くが多いよう。

 

川と海が合流する場所というのは、

古くから「気が集まる」といわれ、

伊勢神宮のご神事で使われる御塩も、

五十鈴川が伊勢湾へと注ぐ

汽水域(きすいいき)の水から作られます。

* 実際に汽水域で精製される塩は、

人体によい成分が含まれているとか…

 

瀬織津比売は「山と海の間」で、

この世とあの世とを行き来しながら、

人間の営みを見守っているのでしょう。


瀬織津比売

2015-03-07 22:51:57 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<荒祭宮 あらまつりのみや>

 

祓戸四神(はらえどよんしん)の一柱である

瀬織津比売(せおりつひめ)は、

古事記や日本書紀には登場せず、

大祓詞の中にのみその名を記す神様です。

ちなみに大祓詞(おおはらえのことば)では、

「早川の瀬に坐す。瀬織津比売と伝ふ神」とされ、

人間の出した罪穢れを、

最初に受け取る役目を担っています。

 

大祓詞の内容からもわかるように、

日本人の価値観や日常生活において、

重要なカギを握る瀬織津比売ですが、

幾多の神社の主祭神だったにも関わらず、

ご祭神の名前を書きかえられたり、

同じご利益を持つ弁財天などと

習合して祀ったりするケースも多いよう。

 

一説によれば、内宮の別宮である伊雑宮も、

もともと瀬織津比売をお祀りしていたという話もあり、

またある史書では、内宮の荒祭宮のご祭神の別名が、

瀬織津姫および八十禍津日神(やそまがつひのかみ)

となっているそうです。

強い力を持つ存在であればあるほど、

表舞台から隠れてしまうのは、

いつの時代も同じなのかもしれません。

 

【八十禍津日神とは】

イザナギが黄泉の国から戻り禊をした際に、

黄泉の国の穢れから生まれた神で、

災いを防ぐとも災いを生み出すともいわれる。


根の国・底の国

2015-03-06 17:55:17 | 神道・祖霊崇拝・祭り

<綱越神社 つなこしじんじゃ>

 

大祓詞(おおはらえのことば)の中に、

「根の国・底の国」という文句が出てまいります。

これは黄泉の国のことを示しているともいわれ、

大祓詞の一番最後には、

「根の国・底の国にいる

速佐須良比売(はやさすらひめ)という神が、

人間の諸々の罪を消し去ってくれるだろう」

という内容が書かれております。

 

人間の心身から出た罪穢れは、

まず流れの速い川におられる

瀬織津比売(せおりつひめ)により海に流され、

大海原の中で待ち構えていた

速開都比売(はやあきつひめ)がそれを飲みこみ、

根の国・底の国の門番である

気吹戸主(いぶきどぬし)の息で地底に吹き払われ、 

最後に速佐須良比売(はやさすらひめ)が、

受け取って封じてくれるのだそう。

 

私たちの罪穢れを、最後に消し去ってくれるのは、

黄泉の国(あの世)いらっしゃる神様なのですね。

 


【大祓詞とは】

神道の祭祀に用いられる祝詞(のりと)のひとつで、

中臣祓詞(なかとみのはらえことば)ともいう。


黄泉比良坂

2015-03-05 21:15:07 | 歴史・神話・旅・風景

<白山比神社 しらやまひめじんじゃ>

 

記紀神話の中に

「黄泉比良坂(よもつひらさか)」

という名称が出てきます。

これは、亡きイザナミに会いに

黄泉の国に向かったイザナミが、

イザナミの変わり果てた姿を見て、

あわてて逃げ帰る際に通ったとされる場所。

 

あの世(黄泉)とこの世(現世)

との境目にあるといわれ、

二人の言い争いを止めるため、

ククリヒメという謎の神様が、

神話の中で唯一登場する箇所でもあります。

 

ちなみに、黄泉比良坂の候補地としては、

琵琶湖近辺、出雲、熊野、白山

などが上げられますが、

いずれも陽の伊勢に対しての

「陰」をあらわすエリアです。

ツキヨミノミコトの名前の中にある、

夜見はつまり黄泉の国のことでして、

「根之堅州國(ねのかたすくに)」

を支配するスサノウとも、

黄泉比良坂は深く関連します。


魔除けのパワー

2015-03-04 15:23:22 | 歴史・神話・旅・風景

<都内某所>

 

ひな祭りは「桃の節句」とも呼ばれますが、

昔から桃は「邪気を祓う力がある」とされ、

様々な神事に取り入れられてきました。

まだひな祭りが、上巳の節句と呼ばれていた時代には、

桃の花を愛で、桃の花を漬けたお酒を飲み、

桃の葉を入れたお風呂に浸かる習慣があったとか…。

 

ちなみに、邪気祓いの効果を持つ桃は、

鬼(邪気の象徴)を退治する力があると考えられ、

後に桃太郎が鬼退治をする話の起源になったそうです。

また古事記では、黄泉の国から逃げ出したイザナギが、

イザナミの差し向けた追手に投げつけたのも桃の実でした。

可憐なその姿からは想像もできないような魔除けのパワーが、

「桃」には秘められているのかもしれません。


災厄を託す

2015-03-03 14:22:50 | 歴史・神話・旅・風景

 

<都内某所>

 

本日はひな祭りです。

ひな祭りと聞きますと、

着飾った女の子や華やかな人形飾り、

色とりどりのお菓子の類が思い浮かびますが、

この日はもともと無病息災を願う祓いの行事でした。

 

現在のように、女の子の成長を祝う、

おめでたいお祭りとして定着したのは、

戦乱の世が過ぎた江戸時代からだとか。

その昔は陰陽師(おんみょうじ)を呼び、

天地の神に祈りお供え物をした上で、

紙の人形(ひとがた)に災厄を託し、

丁重に海や川に流したそうです。

 

ほんの数百年前まで、

幼くして流行病で亡くなったり、

戦乱で命を落としたりする子どもが、

想像以上にたくさんいたのでしょう。

こうして当たり前のように

ひな祭りの行事を楽しめるのも、

今の日本が穏やかな時代だからこそ。

季節の行事にこめられた意味を噛みしめながら、

春の訪れを待ちたいですね。


闇の世界

2015-03-02 22:23:33 | 神道・祖霊崇拝・祭り

高河原神社 たかがわらじんじゃ

 

日本書紀の中で、月夜見尊(月読命)は、

天照大御神に命じられ、

葦原中国(あしはらのなかつくに)

にいる保食神(うけもちのかみ)

という神に会いに行きます。

しかしツキヨミは、保食神のもてなしが気に入らず、

保食神を「汚らわしい」と罵り殺してしまいました。

* ちなみに古事記では、

スサノウと大気都比売神(おほげつひめ)

の話として伝わります

 

外宮別宮の月夜見宮の神域内にある、

「高河原神社(たかがわらじんじゃ)」という末社は、

もともと農耕や食物に関する神様を祀っていました。

そして、内宮別宮である月読宮の神域内にも、

「葭原神社(あしはらじんじゃ)」という末社があり、

食物に関連する神様をお祀りしています。

 

どちらも、ツキヨミ(殺したほう)と食物神(殺されたほう)が、

同じ神域の中に鎮座する、 という形式を取っていますね。

これはある意味「鎮めの型」であり、

さらに外宮の月夜見宮には、

民間信仰の稲荷社も残されています。

ツキヨミという謎の神様が祀られる場所は、

闇の世界との関わりも深いのです。