<外宮 げぐう>
以前、一日に何か所も神社を巡る、
ハードな神社参拝をしたことがあります。
最初のうちはあれこれと欲張って、
願い事を並べていたにも関わらず、
次第に願いを考える気持ちすら起こらなくなり、
最後には鳥居の下や神殿の前で、
ひたすら頭を下げることを繰り返していました。
わざわざ苦痛を伴う修業などしなくても、
長年染み付いた神様や仏様に頼る気持ちを捨て、
「願いの場」での態度を改めれば、
悟りを開くことは十分可能です。
自分を取り巻くすべてのものに命が宿り、
「自然に生かされている自分」を確認することが、
願いの本質なのだと思います。