たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

宮中改革

2019-04-25 09:54:14 | 鉄の神々1

<野見宿禰神社 のみのすくねじんじゃ>

 

元祖相撲取りのひとりである野見宿禰は、

天穂日命(あめのほひのみこと)の14世の子孫、

つまり出雲国造の血を引く人物だといわれています。

出雲大社を訪れた際、境内の一角に野見宿禰神社が

建てられているのを見かけましたが、

たつの市の野見宿禰の陵墓にも、

出雲大社の宮司家である「千家家」

の家紋が刻印されており、出雲と相撲、

そして出雲と播磨の深いつながりを示す証となっていました。

 

一方、野見宿禰は出雲国造ではなく、

オオナムチを先祖とする説も存在するそうで、

この的場山のふもと以外にも、

野見宿禰の墓の候補地がいくつかあると聞きます。

当時垂仁天皇が、何を目的に「天覧相撲」を

催したのかはわからないものの、

当初から「宮仕え」を念頭に、

野見宿禰を大和に招いた可能性も高いのでしょう。

 

考えてみますと、垂仁天皇の時代というのは、

葬祭儀礼の見直しや相撲の国技化はもちろん、

新羅王子ともいわれるアメノヒボコの来日や、

皇女である倭姫命の伊勢神宮創建など、

神道や宮中行事のターニングポイント

となるような出来事がたくさん起こりました。

もしかすると、垂仁天皇という人物は、

渡来人をも巻き込んだ、大規模な「宮中改革」を

行おうとしていたのかもしれません。